第十三夜 絶えぬ〈紅影〉の気配
反射的に絶影刀を掴んで飛び退く僕。だが、桂さんは至って冷静にその名刺をポケットに入れながら軽い口調で、ああ、頼む、と告げる。
「……桂さん!」
「大丈夫だ。霧人くん。敵意があるのなら入店した時点でやられている。もしくは店から出るときに。つまりは彼女は話し合いに来たのだろう?」
「えへへ、ご名答です。さすがリーダーさんの桂さん、ですか?」
「おや、私の名前をご存じか」
「それはもう有名人ですから」
くすくすと口元に笑みを浮かべる安藤梓と桂さん。その場に緊張が溢れる中、安藤梓はすらすらと領収書を切ってカウンターへ置いた。そして別の封筒をさらにその横へ置く。
「こちらは隊長からのお手紙です。木戸霧人くん宛てに」
「……僕に?」
「はい」
安藤梓は微笑んで頷くと、もう一つの封筒を制服のポケットから取り出す。それは差し出す訳ではなく、彼女がしなやかな指でそれを開け、中身を取りだした。
紙を開き、咳払いして読み上げる。
「……では、紅薔薇様からのお言葉を申し上げます」
「どうぞ」
桂さんはポケットに手を突っ込んで促す。そこでカチリという音がしたのを僕は聞き逃さなかった。だが、安藤梓はそれに気付かなかったらしく言葉を続ける。
「〈絶影〉様。この度はアポなしの訪問大変申し訳なく思い、謝罪の使いを申し上げ奉ります」
「何故に二重敬語? あ、すみません、続けて」
思わず突っ込んでしまった僕は少し可笑しそうに笑った安藤梓に続きを促して見せた。彼女は気を取り直して続ける。
「本件に関し、正式なアポを取るべくこのように書状を送らせて頂きました。つきましては今度の木曜日に再度、野和媛奈様の元へ参上したい所存にてございます。彼女の才能は我々、〈紅影〉こそが有益に使えると考えております。よき交渉が出来る事を心から期待しております」
そう言うと安藤梓はぱさりとその紙を閉じてしまう。封筒にしまって僕宛の手紙の隣に並べておいた。桂さんは視線で軽くそれを示すので、僕はそれを恐る恐る受け取りに行くと、安藤梓はニコリと笑って頷いて見せた。
「またのご利用をお待ちしております」
「……一つ質問」
「はい、なんでしょう?」
きょとんとした様子の安藤梓に僕は封筒と領収書、買った品物を受け取りながら訊ねる。
「貴方はいつもここでバイトを?」
「ええ、安藤梓は前までここでバイトしていたので」
……なるほど。彼女は肉体を奪った〈影〉らしい。
僕はふぅ、とため息をつくとおざなりに頭を下げて警戒を怠らずに退くと、桂さんは、行こう、と合図して足早にそのコンビニを立ち去る。僕はその後を追って外へ出た。
先に歩く桂さんに追いつくと、彼は苦笑いをして呟いた。
「参ったな。〈紅影〉には動きが筒抜けみたいだな……」
「偶然、と割り切れれば楽なのですけどね」
冷たい風が僕達の身体を包み込む。僕達は自然と早足になりながら受け取った封筒を桂さんに見せる。
「こちらが例のアポの方。そしてこれが……」
「君への手紙か」
桂さんは苦笑い混じりに前者の封筒を受け取ってその中身を確かめる。風で封筒が揺れる中、中に収められた便せんを取りだして斜め読みする。そして尚一層苦笑いを浮かべた。
「やっぱり、把握されているな」
「その日は、町内会だというのに」
神社に帰り着くと、蕾と媛奈、そして美夜先輩が出迎えてくれた。
僕は媛奈に買ってきた品物を渡す間に、桂さんはその場にいる〈絶影〉のメンバーにコンビニであった出来事を簡潔に説明した。
「町内会に合わせて襲撃予告?」
「まぁ、知ろうと思えば知れる事実だけど……」
蕾と美夜は困惑した表情を浮かべる。
それもそのはず、町内会で〈紅影〉が襲撃してくるかも知れないという懸念はこちらもしている。だが、予告してくるとは……。
「とにかく、私達は大森さん達にこの一件を報告しに行こう。美夜……」
「はいっ!」
美夜先輩はわざとらしく敬礼する。が、その瞬間に肋の傷が痛んだらしく、わずかに顔を顰めた。そこへそっと寄り添うように桂さんは身体を近づけて二人は玄関の外へと出て行った。
「仲が良いねぇ」
僕が呟くと、媛奈はこくんと頷いて賛同した。そしてニコリと笑って言う。
「ゆっくりお茶しない? 霧人」
「その前に霧兄ぃ、稽古しよ」
すっと張り合うように蕾が前へ出る。その表情は変わらず淡々としているが……。
わずかに驚いている媛奈の方に視線をやって僕は玄関から上がりながら言う。
「悪い、また庭、貸してくれるか?」
「あ、うん……分かった」
媛奈は我に返った様子でこくこくと頷く。それに僕は感謝の意を込めて片手で拝んでからもうすでに歩き始めている蕾の後を追随した。
彼女の横に並ぶと、どこか蕾は懸念しているような表情を見せて僕を見た。
「霧兄ぃ」
縋るような一言。こういうときは大体分かっている。僕はその艶やかな黒髪を撫で回しながら笑って見せた。
「ああ、任せるよ。だから、任せろ」
「……ありがと」
蕾はそっと僕の手を握り込む。その表情はどこか活き活きしているように見えた。
◇◆◇
「あ……」
台所に戻って、ふと、思い出して戸棚を開けてみる。
そこに収められた包丁が並ぶ場所に手を伸ばし、一本の包丁を取り上げた。そっと指の腹で刃の部分を慎重に触れていく。そこはどこかごつごつしてやはり切れ味が悪くなっている。
砥石で磨かなければならないが、砥石は家の蔵にある。
「霧人……」
私はふと頼りになる彼を思い出して、ついてきてもらおうかどうか悩んだが、首を振って諦める事にした。蕾ちゃんにも悪いしね。
家の蔵は玄関から出てすぐだ。そんなに離れなくて済む。すぐ行って戻ってこよう。
そう思いながら、玄関へと足を向けた。
外はやはり寒かった。室内着だけじゃ寒いものがある。
私は軽く震えながら辺りを見渡した。真っ暗な神社は何度見ても怖い物がある。私は早足に蔵の方向へ足を向ける。
その瞬間、その蔵の方向から何か生暖かい風が流れ込んできて、思わずびくりと肩を振るわせてしまった。辺りを見渡すが何も異常はない。
いつも通り、木々が妖しげな影を落とす神社だ。静謐とした空気は変わらな……え?
思わず、私は後退りながら辺りを見渡した。
その視線の先々……木々、軒先、古井戸……全てに影がついている。
夜であるはずなのに。
「はぁい、お嬢さん」
そしてその静謐を破るように蔵の方向から声が響いてきた。恐る恐る、そちらに視線を向けて思わず息を呑んだ。
そこには黒いゴシック風のドレスを纏った少女が立っていたからだ。黒髪を三つ編みで一本に束ねたものをふりふりと揺らし、銃を片手に悪戯っぽい笑みを浮かべ、ヒールでしっかりと地を歩みながら、媚びるような口調で私に話しかけてくる。
「お嬢さん、こちらのお家の方ね? 護衛の方を出して貰えるかしら?」
「ご……護衛?」
霧人の顔がちらりと浮かぶ。彼に目的があるのだろうか。
私がわずかに逡巡する間に、少女はふむと考え込んで億劫そうに銃を持ち上げた。
「貴方を殺れば多分、出てくるわよね。まぁ、出てこなかったら出てこなかったで面白そうだし」
え、と思う間もない。
次の瞬間、彼女のしなやかな指は引き金へと掛かり、ぐっと引かれた。
私は目を見開いて、何故か緩やかに近づいてくるのが見える弾丸を見据えながら、ただ呟く事しかできない。
「霧……人……ッ!」
「ふんっ!」
次の瞬間、すっと目の前に何かが現れたかと思うと、金属同士がぶつかり合う、凄まじい金属音が響き渡った。それとほぼ同時に背後から手が伸び、私の身体が優しく抱き締められた。
「大丈夫か、媛奈」
その優しい声が耳に暖かく響く。その腕の中は何よりも暖かいものであった。
「霧人!」
たちまち、私の身体に安堵が満ちあふれる。思わず振り返りながら抱きついた、そこに立っていたのはまさしく、私が頼りにする友人、木戸霧人であった。




