第十二夜 月夜の会話
夜の神社というのは寒い物がある。
秋休みに突入したこのシーズンは毎年、急激に温度が低下する。冬服を出す節目になるのが毎年の常だ。パーカー一枚で表に出たことを後悔しながら僕は足を速めた。
神社の中は真っ暗だ。月明かりと家屋の明かりが辛うじて石畳をぼんやりと照らしている。その道の両脇に生えている木々が両腕を上げたオバケのように見えるのが少し滑稽だ。
僕はポケットに手を突っ込みながら冷えた風が吹き抜ける石畳の上を歩いていく。
猫が通ったのか、玉砂利を鳴らす音が聞こえ、静けさが際だっている事を教えてくれた。
こうして僕が外に出て来ているのは本部から戻った後、醤油が切らしていることに気付いたからだ。今日の夕食は足りるが、出来れば朝食で必要だという。
神社の周囲には桂さんと美夜先輩、僕達の家では松江さんと大森さんが待機しているそうなので万が一の事態にも対応できるようになっているので、桂さんに報告した後、僕は近くのファミメまで買い物へ向かっていた。
石の階段を踏みながら欠伸混じりに歩く。すると、石段の一番下の段で一人の男性が待っていることに気付いた。
「……桂さん」
「やぁ、霧人くん。少し歩こうか」
待っていた顎髭が豊かな若い男性はにこやかな笑みを浮かべてそこに立っていた。僕が軽く駆けてその傍に降り立つと、桂さんはわずかに笑みを浮かべた。
「監視任務とはやっぱり暇だね。美夜にそこを任せてきたよ」
「辛抱強くないですねぇ……今も昔も」
「はは、全くその通りだね」
男二人で夜の道を歩いていく。寒い風が吹き抜けていく中、桂さんは僕の顔を覗き込むようにして訊ねる。
「霧人くん……苦労はしていないかい?」
「はは、二人っきりで会う度にその質問ですね」
僕は苦笑しながらポケットに手を突っ込んで言う。
「大丈夫ですよ」
「……苦労しているなら言ってくれ。補助金を……」
「大丈夫です。僕も蕾も」
僕はそう言いきってその申し出を断りながら桂さんの顔を見つめる。彼の顔は眉をわずかに顰めて僕の瞳を覗き込む。
ああ、そうか。心配性の担任はこんな顔をしていたなぁ……。
僕はそう思いながら笑って続ける。
「家のローンは親父が完済していますし、学費は親父の生命保険金から出せます。生活費はバイト代で賄えますからね」
「だが、君も蕾ちゃんも年頃の女の子だろ? もう少しお金があった方が……」
「僕も蕾も質素でしてね。事実、彼女も要らないって言っています」
多めに渡そうとすれば、彼女は要らないと突き返すのが常だし、さり気なくお小遣いを多く手渡してもどこかで、例えば調味料を買ってきたりだとかで僕にリリースしようとしているのだ。
桂さんは少し納得がいかなさそうな顔でふぅんと声を漏らす。
「年頃の女の子は大変だと、よく同僚から聞いているから」
「ええ、僕もそうだと思っていました。同学年の子は割とお金を掛けているような印象がありますし」
「つまり……蕾ちゃんが遠慮している?」
「まぁ、元々、事情が事情ですからね」
丁度、ファミメが見えてくる。桂さんはその明るさに目を細めながら、ふぅ、と諦めに似たため息をついた。
「蕾ちゃんが、義理の妹だからか」
◇◆◇
「え、蕾ちゃんって……木戸家の人間じゃなかったの?」
「あれ、聞いてなかったんだ」
「言ってませんしね」
その頃、野和家の食卓では、媛奈、蕾に加えて少し紅い頬をした美夜の姿があった。外で監視していたが寒くなって入ってきたらしい。暖かいお茶を頂いていた。
美夜はそのお茶を啜りながら、ちらりと気遣うように蕾を見る。
だが、蕾は澄ました顔で、構いません、と言って頷いて見せた。
美夜はそれを確認して、食卓の向かいに座る媛奈の顔を真っ直ぐ見つめて咳払いする。
「えっとね、蕾ちゃんは突然、一家規模で〈影〉に襲われたの」
「……え……?」
媛奈は目を見開いて美夜の隣に座る少女を見つめる。黒いセーラー服姿の少女はただ淡々とお茶を啜っているだけで何の感慨も見せない。
その様子を横目で見ている美夜は穏やかに言葉を続ける。
「私はバイトで入っていて丁度、そこに駆けつけていたんだけど……そこには必死に心肺蘇生している剛さんととっしーの姿があったの。そして泣いている……幼い蕾ちゃんだけね。結果論として、三人の〈影〉が突如、彼らに牙を剥いて蕾ちゃんのお父さんとお母さんを絞め殺していた。その最中で監視していた〈絶影〉の剛さんととっしーが突入して、蕾ちゃんを助け出したんだけど、一瞬遅くて二人は必死の心肺蘇生も虚しく死んでしまった。それで、剛さんが養女として蕾ちゃんを引き取った……という訳」
「剛さんは……確か、三年前に亡くなった、霧人の……お父さんですよね?」
「うん。良い人だったけど……ね。〈絶影〉の任務中に」
美夜先輩はそれ以上語らず口を閉ざした。彼女の顔は少し暗い。媛奈はその顔を見て、しまった、と言わんばかりに口を閉ざした。
その食卓に重たい沈黙が落ちる。
が、蕾の淡々とした声がその沈黙を振り払った。
「媛奈さん、お茶のお代わり、お願いできますか?」
「あ……あ、うん」
差し出された湯飲み。媛奈は我に返ってこくこくと頷くと、その湯飲みを受け取って席を立った。その姿が台所に消えるのを見ながら蕾は視線を美夜に移した。
「話すのは勝手ですけど、勝手に空気を盛り下げるのは止めて下さい」
「あはは……それはハードル高いなぁ……」
美夜は少し辛そうに笑うと、隣に座る蕾に視線を移して言う。
「蕾ちゃんは、強いね」
「いえ……」
そこで初めて、蕾の顔がわずかに曇った。儚げに笑いながら小さく呟く。
「一番強いのは、霧兄ぃですよ」
◇◆◇
「強いな、君は」
前屈みの体勢で醤油を選んでいる僕の傍で籠を持つ桂さんはぽつりと呟いた。ちらりと僕はそっちに視線を移しながら、あはは、と曖昧に笑ってみせた。
「大体そういう台詞を否定すると本当に強い人になっちゃうんで止めておきます」
そして、一番安い醤油を選んで桂さんの籠に入れると、彼は髭深い口元を歪めてみせた。
「それは遠回しに君は強くないと?」
「ええ、純粋な強さなら年を食っている人の方が強いと思います。ただ、僕がもし強いと言われるのであれば……それは、蕾がいるからでしょうね」
「蕾ちゃんが?」
「兄の威厳がきっと保ってくれるんですよ」
まぁ、その威厳はずたずただが。
僕は苦笑いしながらコーナーを練り歩きながら、お菓子を軽く選んで取っていく。桂さんはおにぎりや菓子パンと温かいコーヒーなどを二人分選んで籠に入れていく。
そうしながら、桂さんは少し笑って見せた。
「少し親代わりになれば良いと思っていたが、君達は思っていた以上に立派だね」
「桂さんや美夜先輩のお陰でもありますよ。だから、いつもありがとう、です」
僕はどこか不自然な日本語を言いながら笑いかけると、桂さんは笑みを浮かべて頷き、少し早足でレジの方へ歩いていく。少し照れたのだろうか。
まぁ、当然だろう、あの人もまだまだ若いのだから。
僕は少し可笑しく思いながらレジに行くと、そこではやたらと手際の良い店員がすでに値段を述べていた。
「一六七八円です」
……いや、まだバーコードを読み取っている真っ最中だ。だが、その店員はすでに述べている。五秒後、値段を読み取り終えたその機械は店員が述べた金額を示していた。
「暗算ですか」
桂さんが感嘆したように言う。店員は、えへへ、と笑いながらこくんと頷く。笑顔が綺麗な女性だな、と思いながらすでにビニール袋に詰められた商品を受け取る僕。
桂さんは千円札を二枚取り出して置くと、その女性は小首を傾げた。
「領収書は切りますか?」
「あ? あ、ああ……そうだな……」
桂さんはやや怪訝そうな声で頷く。確かにその指摘は桂さんに対して正しいものだ。だが……。僕も眉を顰めながら声を投げかけた。
「何で、領収書が必要だと思いました? 僕達は見た目、普通の客ですよ?」
「あ、えと、それは……」
わたわたとその女性は制服のポケットから何かを取り出しながら言う。名刺、のようだ。桂さんが手を伸ばしてそれを受け取り、僕と二人でそれを覗き込んだ。
『〈紅影〉第一部隊副長 安藤梓』
「えと、領収書は『〈絶影〉様』で宜しいでしょうか?」
その女性、安藤梓はぺこりと頭を下げながらニコリと微笑んでみせるのであった。




