第十夜 脅威と救援
僕は立ち上がって体勢を整えていると、蕾は途中で拾ってくれたのか、僕の最初投擲したナイフを返しながら呆れた視線を向ける。その肩は少し上下していて走ってきた事を思わせてくれる。
そしてその視線のまま、大声で僕を罵った。
「霧兄ぃの馬鹿! 本当に媛奈さんの事が好きなのね!」
「は……はいぃ?」
思わず罵倒されてたじたじになってしまう僕に蕾は肩を竦めてわざとらしく言う。
「少し考えてみなさいよ。ここには〈絶影〉の人間がそれなりにいるんだから、いつでも主力級の人間を動かせるようにその主力級の人間に張り付いているべきでしょ!」
つまり、蕾さんは。
貴方が私にくっついていてくれれば停電時にすぐ媛奈の元に駆けつけられたのに。
と仰りたいのだ。
事実その通りですけど。
その発想に僕は思わず感心してしまった。
「さすが蕾、そんな発想があったとは。天才だな」
「褒めても何も出ないわよ。全く」
ぷいっと顔を背けるその少女は限りなく愛らしい。僕は笑いながらその頭をくしゃくしゃと撫でると、絶影刀を片手で構えた。蕾はその様子に柔和な笑みを浮かべると、彼女も太刀を構えた。
「霧兄ぃ、遅れを取らないでね」
「善処してみせるさ」
そう言うと同時に紅薔薇は突っ込んだ身体を引き抜いて頭を振りながら僕達を見た。愉悦を感じているのか口元が僅かに歪んでいる。
「なるほど、二人は息ぴったりのようだな……ふふ」
「キャラが変わっていますよ、紅薔薇さん」
「はは……そういうものさ。二人に免じて今日は退いて差し上げよう」
「……逃げられるとでも思っているの?」
蕾がすっと進み出て太刀を突きつけるが、紅薔薇は余裕の態度を崩さずに視線でそれを示した。視線の先を追いかけると、そこには美夜先輩のクレイモアに弾かれて地面に落ちている身の丈ほどありそうな鎌が……。
「あ、れ、大きくなって……」
「ご名答」
紅薔薇がニヤリと笑った瞬間、彼の手の中にあった小さな鎌が脈打った。
「くっ……!」
蕾が咄嗟にその鎌を叩き落とそうとするがすでに時は遅い。肥大した鎌が逆に蕾を弾き返す。僕は蕾を抱えて横っ飛びすると僕らが立っていた場所を一気に鎌の刃の部分が突き崩していった。そして柄の部分はどんどん巨大化して天井をぶち抜く。
鎌は肥大化し、どんどんと自分らのいる空間を圧迫し始めていた。
「霧くんっ!」
美夜先輩は切羽詰まった様子でクレイモアを窓にぶち当てて破りながら叫ぶ。胸を押さえる美夜先輩の身体を抱え、そして媛奈の身体も抱え込むと絶影刀を鞘に収めながら蕾へ目配せして外へ飛び出した。
すぐに僕の制服の襟首を掴むようにしながら蕾が僕を追随する。
そして向かいのビルへ衝突しようと言わんばかりの速度で僕達は宙を舞う。丁度、衝突する瞬間に蕾は黒い太刀を突き刺して固定する。……僕の襟首を掴んだまま。
「ぐえ」
案の定、僕は宙づりとなってしまった。息が詰まるのを感じながら僕は二階辺りで宙づりになっているのを確認して、上でつり下げている蕾を見上げた。
「……何とかしてくれませんかね。息が……」
「降ろして良いのね?」
「……ごめんなさい、この高さで落ちたら足が潰れちゃう」
「待って……けほっ……仲間、呼んでいるから」
美夜先輩は苦しそうに咳をしながら携帯電話を弄る。僕は腕が痺れるのを感じながら二人のそこそこ重い身体を離さぬよう腕に力を入れる。
女の子が軽いって言った奴、絶対嘘だね。腕が痺れそうだ。
僕が半ば諦めている中、バキバキという酷い轟音を立てて鎌の柄が施設の屋上へ突き出るのが見えた。道行く人達が、何だあれは、と奇異の視線を向ける。
「あーあ、後始末できるかなぁ……」
「しなきゃいけないでしょうね」
僕と蕾がげんなりした声を上げている中、その柄の上で紅薔薇は僕達に向かって手を振ると、ひょいひょいとその場を後にした。鎌は影に溶け込むように自然に無くなっていく。
それを見て僕は少し不思議に思った。
基本的に〈影絶ち〉の武器は光源がなくなれば消えてしまう。もしくは影に触れている状況下で持ち主が手を離した場合、だ。現に美夜先輩の窓をぶち抜いたクレイモアは建物の影に吸い込まれて跡形もない。だが、あの武器は屋上をぶち破るまで存在し続けた。
これはどういうことだろうか。
疑問に思っていると、ひょこひょことトリッキーな動きで全身黒タイツが三体、僕らのぶら下がっている路地裏に現れた。顔には仮面をつけているが、それ以外は影と何ら変わらない。
「……はい?」
媛奈が素っ頓狂な声を上げる中、その黒タイツの一人が僕を指差して示す。すると他の二人はそれを見上げて仰け反って見せた。そして、僕達に向かって熱心に手を振る。
「速く助けろよ……」
僕が思わずぼやく中、黒タイツ達は胸を撫で下ろす仕草をするとすたすたと道を引き返し始めた。
「おいっ! 安否確認だけか!」
僕の怒鳴り声でびくりと三体は身を跳ねさせると、慌てて引き返し一人がどこからか脚立を引っ張り出して僕達の方へと近づく。
だが、一斉に僕達に近づいたせいか、脚立にそろいも揃って頭をぶつけてひっくり返ってしまった。
「だ、大丈夫……?」
「……あれ、一応、影だから大丈夫です」
媛奈の心配そうな声に蕾が素っ気なく答える。その蕾の腕もぷるぷると震え始めている。
よたよたとその黒タイツは立ち上がると、はて、と一人が小首を傾げてみせた。
――何しに来たんだっけ?
――お前、あれだ……なんだっけ。
三人はそろいも揃ってまた小首を傾げ、一人が柏手を打って見せた。
――新作のパチッとモンスターを買いに来たんだ。
――ああ、そうだ、今日、パチモンの販売日だったっけ。
――息子のためにプレゼントすると約束したからな。
――お前、寝袋持ってきたか。
――おお、これで今日は徹夜だな。
三人は肩を叩き合って思いを共有すると、頷き合って脚立を回収し、せっせと撤退を始める……。
「馬鹿野郎! とっとと助けろ!」
僕が思わず絶叫した瞬間、蕾の手のぷるぷるが絶頂に至る。
「霧兄ぃ……ごめん、もう無理」
「え、ちょ」
するっ、と。
無情にも握力を失った手から滑り落ちる僕の身体。
嗚呼、悲しき無常かな、出来る事なら蕾の味噌汁をもっと飲みたかった……。
頭の中で辞世の句が頭の中に過ぎる中、ふと、二つの何かが壁を蹴って走ってきて僕の左右に抱えられていた少女の二人をしっかりと受け止めていった。
「あ……ぶな……」
「間に合ったね」
するりと影に踵をつけて滑っていく二つの影は少女達を抱えてその場に着地する。それを見て、美夜先輩はほっとしたように笑んでみせた。
「や、松竹先輩……っ!」
「美夜、肋折れているんだから少し安静にしなさい」
「怪我人……安静……」
苦しそうに咳き込む美夜を二人は心配そうに覗き込む。それを眺めながら、僕は思わず怪訝な声を漏らした。
「あのぉ、松江さん?」
「なぁに? 霧人くん」
振り返ったその女性はエプロン姿で少し困ったような表情を浮かべている。
僕は自分の置かれた現状を冷静に眺めて、少し苦言を申し上げた。
「何で僕だけ生ゴミの中に突っ込むんですか?」
「護衛対象と怪我人優先だから。ごめんね、霧人くん」
「若いから……大丈夫……」
「竹千代……お前だったら確実に助けられただろ……」
僕はため息をついていると、脇に蕾が降りてきて膝をクッションに着地し、申し訳なさそうに僕に手を差し伸べた。
「霧兄ぃ、ごめんね……」
「……いや」
僕は苦笑を消して感謝するように拝みながらその手を掴んで言う。
「十分、蕾には助けられたよ。腕、大丈夫か?」
「これぐらいならね」
蕾は少し自慢げに笑って僕を引っ張り上げると、僕は生ゴミの臭いがついた制服をげんなりとしながら叩いて駆けつけてくれた二人の増援に視線を向ける。
そこに立っていたのは柔和な笑みを浮かべるエプロン姿の女性と、ブレザー姿の少女であった。
「えと……ありがとうございます……」
媛奈は少しおどおどしながらブレザーの少女に降ろして貰うと、すぐに僕の傍に寄ってきて背中に隠れながらこそこそと訊ねる。
「彼女達は……?」
「ああ、同じ〈絶影〉の一員で、エプロンの若奥様が最近ご結婚なさった大森松江さん、そっちの媛奈を助けたのは藤野竹千代。彼女たちは姉妹でね」
僕が紹介すると、松江さんは美夜先輩を抱えたままその場で優雅に一礼して見せた。そしてニコリと微笑んでみせる。
「〈絶影〉にてパートタイムで働いています、松江です。能力は〈影滑り〉です」
「〈絶影〉でバイト中……竹千代。能力は、〈影掴み〉」
「ちなみに〈影滑り〉は影の上を高速で移動できる能力で、〈影掴み〉は自分の影で影を掴んで引き寄せる能力です」
ぼそりと蕾が解説を加えて納得した様子の媛奈は、僕の陰から姿を現すと礼儀正しくぺこりとお辞儀して見せた。
「野和媛奈です。助けて頂き、ありがとうございました」
「バイト代……これで弾む……結果、オーライ」
竹千代はぼそりと言うと、僕達に親指を突き出して見せた。僕達は思わず苦笑する中、松江さん達の背後から路地裏に息を切らしながらぜいぜいと肩で息をして小太りの会社員が現れた。もう秋だというのに額には大粒の汗が浮かんで流れ落ちていた。
「だ、大丈夫だったかい、霧人くん……影だけ先行して行かせたけど……」
「ええ、御陰様でケツから生ゴミですよ」
僕が現れたその人に苦言を漏らすと、彼は引きつり笑いを浮かべて僕らの後ろに立っている黒タイツに視線を向ける。その黒タイツは僕達の後ろから飛び出て、その会社員の元へ駆けていった。
犬のように三人はその会社員にじゃれつく。
「ああ……全く……叱るに叱れないじゃないか。御仕事ご苦労様」
三人はその言葉でびしっと敬礼すると、ビルの影の中へ一瞬で吸い込まれていった。それを確認してから会社員の彼はハンカチで汗を拭いながら僕の方に来ると、その場で跪いた。
その剣幕に思わず、媛奈が一歩退く。
その瞬間、彼は両手を地面についてひれ伏した。
「霧人くん、申し訳なかったッ!」
……完璧な、土下座である。
僕はため息をつきながら、媛奈に目の前のその人を指差して紹介する。
「彼は大森宗林さん。近くのポンプ会社で仕事をしている。結構やり手の人で誠実なんだけど……この通り、忙しい様子でね。能力は〈影分身〉」
「一応、彼の〈影分身〉達は私達を最初から見張ってくれていたようですが」
蕾がまたしても補足説明を入れる。
「媛奈さんも申し訳なかったッ!」
さらに地面へ額を擦り付ける二十代後半の会社員。もはやおっさんという感じがするのだが。
媛奈は少し引きながら引きつり笑いを浮かべて小さな声で言う。
「あ、ありがとうございました……?」
「どういたしましてッ!」
凄まじい勢いで今度は地面に顔を擦り付け始める。いや、やりすぎだろ。
僕は思わずため息をつくと、一つ手を打って頷いて見せた。
「撤収しますか」
「そうね」「はい」「あ、はい」「うん」「車を持ってきたから乗っていくと良いよ」「わーい」
僕の声を合図に、全員が立ち上がったり埃を払ったりすると、路地裏を抜け出す。その空気の変わり具合について行けない様子の媛奈は疑問符をたくさん頭の上に浮かべていたが、僕は手を引いて笑って言った。
「まぁ、まずは報告だ。その後、改めて自己紹介を聞こうぜ」
「う、うん……あ、あと」
「うん?」
その場に留まる媛奈を振りかえって、僕は小首を傾げると、彼女はその場でもじもじとして少し顔を赤らめて視線を逸らすと、ぼそりと呟いた。
「あ……ありがと……」
「うん? 何か言った?」
丁度、通りにバイクが通りかかったために音を拾い損ねた僕は眉を顰めると、彼女は大きな声で言いながら僕の手を引いた。
「な、何でもないっ!」
「そっか……あ、媛奈」
「何?」
「どういたしまして」
「~~~~~~っ!」
途端に真っ赤になる顔。僕は苦笑しながらその頭に手を置くと、手を引いて通りに止まっている大森さんの車へ彼女を引っ張っていった。
一部始終、媛奈は顔を紅くして俯き、蕾はわずかに苛々した様子であった。




