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◆09◆

 俺は、実は彼女の知られざる過去を知っていた。



 ――というわけではない。

 お決まりの展開には既に飽きられた方と、期待していただいた方には謝ります、残念ながらこの零れ話はそんなシリアスな内容ではないのだ。



 あまり覚えてはいないのだが、初めて瀬之崎藍という少女の写真を見たのは中学生の時だというのは確かだ。

「見ろよ貴幸! マジでこの子可愛いくない!?」

 埃っぽくてむさ苦しい部室で準備をしていた時だった。数枚の写真を広げた、野球部のとある知り合いが話し掛けてきた。

 こんな写真、一体誰が撮ったのをどんなルートを入手したのだろうか。

 彼は続ける。

「三中だってさ。あーあ、こんな子が彼女だったら、ボク死んだっていい」

 三中とは第三中学校のことだ。俺達が通っていたのは第二中で、彼が話すようだと藍が通っていたのは隣町の学校ということになる。車で十五分くらいの距離にあるが、近辺の学校の情報は無関心の俺の耳にでさえもちょくちょくとは入ってきていた。

 俺の天使ちゃん、本気でそう言っているように見える彼に、俺は答える。

「アホじゃねーのお前。昨日は杏奈の話してたくせに」

「あら、杏奈ちゃんは別口なのよ?」 

「へぇー?」

「女子が言うじゃん、別腹って。あれのことだな、うん」

「出ました、四三へぇ〜!」

「そうバカにするのもな、今のうちだって。まあ貴幸、見ろよ」

「興味ね・え・よ」 

 というのは強ち本心だとは言えなかったが、杏奈一筋と豪語していた以上、あまり他の女子のことで騒ぐわけにもいかなかったのだ。

 でも彼が早く見ろとうるさいので、俺はその写真を覗き込んだ。

「……」

 水着姿とか、体操服姿とか、そんな格好ばかりだった。本当にこいつら腐ってるな……と思うが、しかし彼ら騒ぎ立てるのも納得ができた。

「な? だからゆったろ」

 彼は得意気に俺の耳元で囁き、肩を叩く。

 それまで俺は杏奈以外に完璧な顔立ちの女は、芸能人は別としてもそうそう近辺にいるわけがないと思っていた。しかし瞬時にそれは間違いだと確信した。考えを改めねばならない、と。

 写真から目が離せず、俺は黙りこくったままだった。

「……」

「まあ、杏奈も美人だよ、そりゃあ。けどこの子だって可愛いじゃん。何だっけ、名字は。えっとあれは、せ、せ……そう、瀬之崎藍だってさ!」

 いつも部室で到底女子には話せそうにもない会話を繰り広げている俺達が、心の底から汚い人間だと感じた。白磁のようなくすみ一つない肌に浮き立つ目や鼻や口、そのどれもが文句のつけようがない造りで美しかった。ああ、美しいという言葉を本当の意味で使うのはこういう時なんだな、そう思った。見れば見るほど、その言葉しか思いつかなかった。

 一つしかない窓から入ってくる爽快なまでの夏風に包み込まれ、声も出ない程彼女の純美な姿見に入る自分の心が洗われるようだった。

 なるほど、彼が言う「俺の天使ちゃん」という表現は分からなくもなかった。

「まあまあ貴幸くん、安くしとくぜ。一枚百五十ってとこで、どう?」

 我に返る。

 人のことは言えない。が、やっぱりこいつは間違いなく馬鹿だ。

「い、いらねぇよ!」

「ふーん?」

「いりません」

「ほー?」

「なんだよ」

「四三へぇ〜」

 こいつ……と思う。しかし、先に言い出したのは俺の方なので仕方ない。

「ま、欲しくなったらいつでも言えよ。そうだよなあ、お前にも愛しの杏奈ちゃ〜んがいるからねえ。でも男はため込まない方がいいんだぞ、少年?」

「何をだよ」

「何っつったら、(ナニ)だよ」

「……」

「そういや聞いた話なんだけどさ、藍ちゃん笑わない子なんだって」

「笑わない?」

「ああ、三中の子が言ってたんだよ。あ、その三中の子ってゆーのは可愛い美咲ちゃんね?」

「誰だよ、それ」

「俺の三番目に好きな子〜。一番はタイで杏奈と藍ちゃん」

「はあ? それで、美咲ちゃん何だって?」

「いやなんか詳しいことは知らないらしいんだけど、全っ然笑わないんだってさ。美咲ちゃんも見たことねーって言ってた。つか、友達いないんだって」

 部員が食い散らかしたカスが置いてある、汚い机に並べられた写真にもう一度目を落とした。全てを見たが、確かに彼の言うとおり隠し撮りとはいえ彼女が笑っている姿はどこにもなかった。喜怒哀楽の全くない、無表情だった。

 そして写っている彼女は一人だった。

「それで?」

「それでも何も、それだけだよ」

「なんでそうなったのか聞いてこいよ」

「聞ける状態じゃねーんだよ」

「なんで」

「それがさあっ……! 貴幸、聞いてくれよう! なんか昨日美咲ちゃんにメールしたら……」



「おい、お前らー! はよ出てこんかー!」



 グラウンドから叫ぶ監督の声が聞こえて、鳥肌が立つ。はっと思って振り返った。時計を見上げると練習時間を過ぎていた。

 他の部員はもう整列をしているようだった。

「やっべえ!」

 同時に叫ぶ。

「お前がこんな話してるからだろ!」

「お前だって真剣に聞いてたじゃんか!」

「うるせーよ!」

 俺達は直ぐさま道具を持ってグラウンドへ駆け出した。ああ、今日はペナルティに何をやらされるんだろう、そう隣の坊主頭が呟く。

 そんな彼を横目に、それでもまだ俺は、なぜ彼女がそんな笑わない少女になったのか気になって気になって仕方がなかった。彼女の内に秘めたものが何なのか知りたかった。

 後日彼女に対しての感情は薄れていったが、その日だけは杏奈よりも藍の姿が頭から離れなかった。それは本当に珍しい出来事だったから、俺の中で鮮明に記憶された。



「藤森ー! このノーコン野郎がー!」

 その後の練習では全く身が入らず、メガホン片手の監督にそう叫ばれたのは言うまでもない。 

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