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◆05◆

 進路希望用紙を担任に提出したのはその前日だった。省エネだといってエアコンのあまりきいていない職員室のドアを思い切り開けると、すぐ正面にはこのくそ暑いというのにネクタイをきちんと締めた担任が用紙と睨めっこをしていた。

「おお、藤森か。どうした?」

「先生、俺ちょっと昨日提出してたの書き直しきました」

「なんだお前、変更するつもりか。どこにするんだ」

「蘭城にします」

「……蘭城!? お前そんな話今までに一度も」

「今決めたんです」

「おい藤森、急すぎないか。親御さんの許可は得たのか」

「今日帰ってからどうにかするんで、大丈夫です」

「どうにかするって、お前……」

 いきなりのことに驚く担任から無理矢理用紙を奪い取り、第一志望を蘭城高校へと変えた。ついでに埋めてあった第二志望と第三志望の欄は空白にしておいた。

 


 帰宅してから、知っての通り反対する母さんを僅か三日で説得し、俺は見事蘭城高校へ受験することとなったのである。なんて親不孝な息子だろう。

 俺は野球が大の得意だったので、担任にも親にも、また顧問にもそれなら特待制度を受けて悠々と試験を合格すればいいと言われた。特待生になれば金銭面でも都合がいいし、他にも色んな面で優遇される。

 しかし、特待生になってしまうとクラスは特待生専用の教室となってしまうのだ。

 


 そんな理由に伴い、杏奈は恐らく特待生ではないだろうから、俺がその制度を受けることはできなかったのである。どうせ同じ学校へ通うのならクラスメイトになれるかもれないという希望を自ら台無しにさせたくはなかった。

 それに学校にさえ入れば、大好きな野球はいくらでもできるのだ。母さんに特待制度を受けない理由(いいわけ)として、制度を受けると野球ばかりになるだろうし、それに俺は高校に入ってから勉強がしたいとかなんとかと、適当に言っておいたのだった。



 そんなこんなで、また新たな問題が浮上してきたのである。それが俺の学力のことだった。

 蘭城高校は県内でも屈指の進学校……というわけでもない。世間では別に難関校としては見なされてはいなかった。しかし、当時の俺の(おつむ)にとっては難関校と言ってもよかった。

 まず手始めとして、近所の学力向上の神様が祀ってあるという神社にこれでもかというくらい力を込めて拝みに行った。取り敢えず、賽銭も奮発して千円ほどを入れた。だが、これだけは誰に頼んでもどうしようもないことは分かっていた。信仰している人には悪いが、気休め程度にしかならないということも。

 だから俺は、蘭城高校に入学することを決意してからは死にもの狂いで勉強に明け暮れた。一番効率良く勉強が学べる場所はどこかと考えた時、もちろんそれは通っている学校なのだが、生憎にも先日までは夢に見た夏休みが一週間先にまで迫っていた。



「なあ、健太」

 あれ程していた野球練習も止め、放課後すぐに部活のない健太と一緒に帰ったのは本当に久しぶりだった。

 俺より少し目線の高い健太は、もう殆ど食べきったコーラ味のアイスを頬張りながら答えた。

「ん〜?」

「俺さ、どうしよう。もう夏休みだってのに勉強全然皆に追いつかないしさ」

「そりゃあそうだろうな」

「だからさ……」

「ってラッキー! これ当たりじゃん」

 と、下校途中のコンビニで買った六十円の『ガリ○リくん』を食べ終えた健太が突然叫ぶ。

 何もしなかったお前が悪い、そんなことを今にも発しそうな健太は、俺が蘭城高校にすると聞いて昨夜、電話越しであまりにもの馬鹿馬鹿しさに笑い転げていた。まあその後、取り敢えずやるだけやってみたらと、諦め半分ではあったものの後押しをしてくれたのだが。

「ちょっと聞けって」

「わーかってるって。それで、何だって?」

「健太くん、一生のお願い!」

「はあ?」

「お勉強、教えてください」

 ベトベトになったアイス棒を片手に立ち止まる健太の前で手を合わせて頼んだ。そりゃあ頼みまくった。

 昨日どうしようかと悩んだ結果、当時の俺の(おつむ)ではそれが一番最良だと思った。

 そして、彼の好きなアイスを奢ってまずはご機嫌取りから始めようという、この安易な方法を考え付いたのだった。シンプル(バカ)・イズ・ザ・ベストとは正にこのことではないか。

 店に立ち寄った際にいきなり奢ってやるとと言うと、彼は突然の不自然なシチュエーションにも関わらずそのまま俺に甘えた。しかもその後幸運にも健太は当たりくじを引き、気分は上場。予想した以上の好展開になったのだ。

「マジなんだよ、俺。頼むって健太」

「貴、待てよ」

「頼むっ!」

「おい」

「ホントのホントにお願いっ!」

「このバカ、人の話の聞けって」

 健太がアイスの水滴で少し濡れた手で、俺のワックスで決めた頭を叩いた。

「……へ?」

「お前さ、集中夏季コース受けりゃあいいじゃん」

「しゅうちゅうかきこーす?」

「そう、塾だよ、じゅく!」

「――塾……」

「ああ、塾だよ」

「あ……そっか……」

「お前そんなことも思いつかなかったのかよ」

 健太が笑う。

「夏休みからでも行けばいいじゃねーか」

「そう、そうだよな……! お、俺、帰って母さんに聞いてくる!」

「ほんっとに……。先が思いやられるな」

 そう健太が呟いたような気がしたけれどお構い無しだ。

 食べかけのミルク味のアイスを健太に渡し、おいおいいらねえよ、と突き返そうとする彼に、じゃあなと言って家へと急いだ。

 こうして俺は生まれて十五年目の夏に初めて、塾へと通うこととなったのである。

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