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◆14◆

 十時四十分過ぎだった。

 俺は寝惚け眼で壇上横の時計を見上げた。つい数分前に「生徒、職員、起立」と号令を掛けられ、夢見の良い気分だったのを台無しにされたところだった。

 聞き慣れた声がマイクを通して耳に入ってくる。生意気にも初日からふてぶてしく寝ていた俺を起こすかのように、それの音は少し大きめで耳障りでもあった。どうせ嫌でも聞こえてくるのなら、可愛い女の子の美声が良かったのに。



 奴の言葉を聞いて、本当はそんなことこれっぽっちも思ってないくせに、と言いたくなった。

「先程は心温まる歓迎のお言葉を頂き、ありがとうございます」

 本当に何度見ても「広い」と「綺麗」の二言でしか表しようのない体育館の壇上で、健太は第一声を上げた。

 窮屈そうに締められた歪みと緩みのない水色のネクタイ、受け取った日のように畳んだ折り目があるわけでもなくアイロンのゆき届いた制服、やりすぎていないそつなくワックスで決めた髪形、普段以上に完璧であった。

 その落ち着いた風貌はもうすでにこの高校に馴染んでいるようにも思え、新入生というよりは、どちらかといえば彼の前に立っている生徒会長のようだった。



 蘭城高校は変な形式で生徒、そして新入生代表の挨拶を行っていた。こんなおかしな遣り方を見るのは初めてだった。

 代表の二人は名を呼ばれるとタイミングを上手く合わせて登壇し、向かい合わせになる。まずは生徒会長が歓迎の言葉を述べ、その後新入生がそれに答えるのであった。なるほど、こういう場合ならピンマイクが必要である。普通のマイクでは片手が塞がって邪魔になってしまう。

「平成×年、四月×日。新入生代表、長岡健太」

 緊張という言葉を知らないのか、健太は凛然とした面持ちで読み終えると、会場の人々は感嘆の息を漏らした。

 まあ、その気持ちも分からないこともない。俺も女に生まれてきたら、想像したくはないが彼に見蕩れてしまう……かもしれない。

 そして代表の二人は近寄り、これからの学校生活の希望を込めて力強く握手を交わした。お得意の教師用である愛想の笑みを浮かべた健太に対し、生徒会表は一度へらっとしただけだった。この会長のどんな魅力が在校生の支持を得ているのだろうか。あまりにものその表情を見た俺には、解せなかった。



 そんなこんなで前半は爆睡していただけの、一時間はあった入学式が終わり、上級生に誘導されて各教室への移動となった。

 校舎の中へ入ったのは受験日以来だったが、あの日はもちろん建物に気を取られている暇なんてどこにもなかった。歩いているとやはり大規模校なので、このまだ汚れの目立たないクリーム色の校舎が無駄に広く感じられた。まあ無駄ではないのだろうけれど。

 長い廊下からはあの間違って入った中庭が見えた。先程は注意していなかったが、そこには色取り取りの季節の花、恐らく桜の次に知られているのであろう愛らしいチューリップ達が花開いていた。前庭の桜の木々とは異なる雰囲気が立ち込めている。

 似たような光景を俺は一度見たことがあった。あれはいつの頃だろう。本当に幼かったのだけれど、家族で長崎の某テーマパークに行った時だ。

 一面に敷き詰められたその赤や黄色、ピンクの無数にある花々に心を奪われた。お伽話の絵本の中で知った花畑とはこういうことをいうのかと思った。



「おい君」

 壇上に立っていたあの『へらへら野郎』が声を掛ける。……そう誘導してくれたのは例の会長だった。

 俺はここと百八十度もの温度差がある中庭に見蕩れてしまい、一人教室の前を通り過ぎようとしていた。

「どこまで行ってるの」

 メルヘンな世界は終わりだ、我に返る。

「あ……すいません」

 間抜けな奴のようにつられて俺もへらっと笑い、座席表を確認して席につけと言われたので、その通りに扉に貼られてあった紙を見上げた。

 教卓のマークが一番上にきてほしいのに、それが下にあったので反対に考えなければならなかった。なんてややこしいんだ。何だかよく分からなかったが、きっとここだろうと適当に推測してその席へ向かった。

 思いの外、卓上にはご丁寧に名前シールが貼られてあった。ここは小学校かよ、と思う。俺の席は真ん中の二列の右側で一番後ろだった。



 隣の席の、机の横に鞄を掛ける少女と目が合うまでに、そう時間はかからなかった。

「あっ……」

 振り返りながら、静かに滑り落ちてきた髪を右耳に掛け直す仕草をする彼女は再び言った。

「――よろしく」

 穢れを知らないような褐色の瞳孔を少し歪めた彼女。



 その後方では、依然切な気に沈んでゆくソメイヨシノの花唇(かしん)が冷たい窓に触れていた。

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