◆13◆
溢れるのは奥底からの溜息だけだ。俺はいつもこんなのばっかりだ。
小学生の頃悪戯心で健太の靴を隠した時も、また点数の悪いテストを証拠隠滅するために家の庭先で燃やした時もそうだ。最悪の事態を自ら招いてしまう。
可哀想、はちょっと違うし、運が悪いと言われればただそれまでのことなのだが。まあ自分が悪いのは確かだ。
これ程の鬼の形相は滅多に拝めない、全身が引きつった俺の脳内はそう思った。そんな狭い頭の片隅で先程一応予想していた、避けたかった状況に遭遇する。俺は咄嗟に下を向いた。
同じく靴を入れた透明なナイロン袋を片手に、彼は言った。
「おーまーえーなあ……!」
再び顔を上げ、焦点を相澤ではなく後ろにずらすと、到着したばかりの噂の長岡家次男が立っていた。更に血の気が引いた。
「け、健太」
俺は、つかつかと近寄って来た、その名を呼ぶ。
「おお、お前大きくなったなあ!」
相澤は彼を飛び切りの笑顔で迎え入れた。久しぶり、とでも言うように。
「この前俺ん家で会ったばかりだろうが」
ぽんっと肩を叩く手に噛み付くように、健太は相澤をその切れ長の目で睨んだ。
彼が怒っている姿を見るのは久しぶりだった。また、そんな到底冗談なんて言えないであろう彼を茶化す人間は初めてだった。
「そうだった〜? 思春期は成長が早いからなあ」
「有紀、てめえいい加減にしねーと本気でキレるぞ」
彼は当たり前のように相澤のことを『先生』とは呼ぼうとしなかった。この様子を見て、確かに二人の関係が深いものであると確信する。
有紀という名は目の前の、健太が怒鳴っていても顔色一つ変えないこのにこやかな姿によく合っていた。先程から薄々とは気付いていたが、どうやら相澤有紀は緊張感のない男のようだった。
「普段怒らない奴がキレると、すーぐこれなんだから」
「お前なあ」
「先生と呼びなさい! 大体、なんで話聞いてるんだよ。お前今来たんだろ?」
「うるせー、このハゲ頭! 俺はお前らがなんか怪しいことしてるから、そこでずっと見てたんだよ!」
「ハゲてな・い・で・すー」
「黙れ」
「あ、そうだよ。お前ね学年主任の先生が呼んでるんだよ」
「はあー?」
「早く行ってこいって、ほら」
「……分かったよ。有紀、貴にこれ以上余計なこと言ってたらしょーちしねえからな。死ぬまで呪ってやる」
そう口にする彼の真剣な目を横から見ていると、本当に祟られそうだ、そう思った。想像すると寒気がしてくる。彼を敵にまわすと冗談抜きで末代まで呪われそうだ。
相澤は、はいはい、と返事を適当にすると、ついさっきは笑顔で健太を招いたくせに、しっしの手振りをしてみせた。そんな相澤を再び睨むと、健太は俺達に背を向けて学年主任とやらの元へ向かった。
しかしこの相澤という男、最後まで聞けなかったものの人の秘密を、特にあの健太のを他人に言おうだなんて怖いもの知らずもいいとこだ。聞こうした俺もあまり人のことは言えないのだが。
「それで、続きだけど。聞く?」
にこっと無邪気、いや少なからず俺よりかは多いであろう邪気を含めた笑みで俺を見る。どう考えても彼は面白がっていた。
「い、いいえ。とんでもないです。もう遠慮しときます」
その彼につられて、引きつりっぱなしの頬が上がった。ただし、右の方だけが。
これ以上聞いたらどうなることか。途中まで聞いたのでもっと知りたい気持ちは高まったのが本当のところだったけれど、またばれてしまった時のことを想像するとそんなことおぞましすぎて、自らこれ以上はやめようと思った。さっきの今なのに、この男は何を考えているのだろうか。
「そ、それじゃあ」
と言って俺は彼の前から立ち去り、並び始めている生徒の列の中へと加わった。
健太の方を見ると、何やらピンマイクらしきものを胸元に付けていた。壇上にはマイクがあるだろうにどうしてだろう、と思う。
そして、先週の土曜に一緒に買いに行った鞄の中から挨拶用の紙を取り出し、例の学年主任と最終チェックを行っていた。俺はそんな親友の姿を何となく眺めていた。
こんなにも近くにいるのに彼が遠くにいるように思えた。
新入生代表の挨拶――つまり首席になったこと、それに先程のあの相澤有紀のことだってそうだ。健太は俺にあまり自分のことを話さない。そう、俺は話しているのに。別にいいさ代表になったことは。だけど、あの相澤のことは何なんだ? あんなに聞いたって俺にはそれらしき理由の一つも言わなかった。でもあいつは知ってたじゃないか。
徐々にそんな気持ちがふつふつと沸き上がってくる。
俺以外に親しい人間がいたっておかしくはないのに、妙に健太に馴れ馴れしい相澤に俺は嫉妬を覚えていた。苛々した。
そうだ、健太が俺に話さなかったということに腹が立っていたのではなく、親友だと呼ぶ俺にでさえ言わない秘密をあの男が知っていることが嫌だったんだ。
――そんな感情を抱いた俺の心中を健太が察するはずもなかった。
学年主任の五十代くらいの男性教諭は頑張れよ、そう言って健太の肩を一度叩いた。
「はい……」
健太のぽつりと呟く声が聞こえた。
あんなにもの溢れそうな教師達の期待を一身に背負ってもなお、眉間に皺を寄せ、表情を頑なにしたままの彼はどこかその気持ちを一点に集中できていなかった。
俺は目の先の彼を視界に入れながらも、その理由が何なのか、考える余裕すらなかった。
この小説を執筆していた数年前、冒頭は2話で終わっていたのですが、どうしてこんなに長くなってしまったのでしょう。
昨日は寝ぼけてノートPCに保存していた内容に違う文章を上書きしてしまい、本気で泣きました(笑)
さてさて、そんなことはどうでもいいのですが。(よくないけど)
さっさと話が急展開してほしいですね。飽きられてきた方、もう少しでございます!