◆01◆
彼女を初めて見たのは現在よりも少しだけ遅めの、桜が蕾を忘れかける頃だ。
そう、俺達が高校に入学した日だった。
その日俺は、前日に一緒に行こうと言って誘ってきた親友の長岡健太を差し置いて、一人でまだ見知らぬ校舎へと向かっていた。
いや、差し置いてという言い方は少しおかしいのかもしれない。
彼が電話で提示してきた時間は、式の四十分前に到着するようにしようということだった。が、そんな時間では俺にとっては全然間に合わないのだ。学校から連絡されていた集合時間は式の三十分前だったので、もちろん彼が言う四十分前でもギリギリセーフだ。
しかし、俺には早く行かねばならない理由があった。だから悪いとは思ったが、一緒に行くのはいいが少し時間を早めてくれと頼むと、それならいいやと言って彼はあっさり電話を切ってしまったのだった。
この話だけを聞くと普通は、健太は自分から言い出したくせに諦めが早いななどと思いがちだろうが、彼がそんなにすぐ電話を切ったのにもまた理由があった。まあ一つは、彼はそんな男だというのもある。と同時にもう一つは、俺の早く行きたがる理由を聞かされたからだ。
俺達の入学する学校は、県内でも有数の大規模高等学校として知られている。つまり生徒数が多いので、新入生も多いということになる。
俺はクラス分け表を入学式前見るつもりだったのだが、何でも聞いた話によると、その時間帯の掲示番前は毎年新入生でごったがいしているらしい。教えてくれた先輩は当日身動き一つ取れず知り合いと離れてしまい、集合時間に遅れそうになったそうだ。そんなことではおちおちクラス分けも見ていられないではないか。人の少ない時にゆっくりと見るには時間帯をずらすしかない、というわけなのである。
昨日電話越しに健太は言った。
「お前まさか……クラス分け、早く見に行くって」
「何だよ」
「いや、まあ止めねぇけどさ。でもお前、ほんと……なんつーか」
「いいじゃん、別に」
「バカじゃねーの? まじでそう思うんだけど、俺」
笑いの混ざった呆れ声でそう言うと彼は、ほんと好きだねお前もと呟いた。受話器を置いたのはそのほんの数分後だった。
「蘭城高校前――、蘭城高校前――」
バスのアナウンスが車内に流れた。
前日に浮き浮きしていて寝られなかったのと、当日の早出のための早起きのおかげで見事にコンディションは最悪だった。二十分間のバスの旅でううたた寝をしたので、アナウンスを聞いても寝ぼけていた。見かねた少女が俺の肩を叩いた。
「あの、着きましたよ」
「ん……あ……?」
「高校に着きましたよ」
「……!? やべぇ!」
目が覚めたのは彼女が教えてくれてから約一分後だった。直ちに起きて、傷一つ入っていない真新しい鞄を手に取り、生まれて初めて使う定期を慌てて運転手に見せた。
「こんなのしてたら毎日遅刻しちまうよ、兄ちゃん」
「す、すいません」
大きな口を開けてがははと笑う運転手に少し頭を下げて、バスを飛び降りた。
見ず知らずであろう俺を起こしてくれた少女はどこへ行ったのだろうか。咄嗟に辺りを見回したけれど、何しろ人が多いので検討もつかなかった。恐らく二度ほど声を掛けてすぐ下りたのだろう。
あの時、寝ぼけ眼の俺の視界に入ってきたのは彼女の美しい黒髪だった。また、顔にかかりそうなほど近かったそれからはとても心地の良い香りが微かに漂っていた。彼女に礼を一言言いたいが、見つからないので仕方がない。どこの誰かなのかは全く分からなかった。
停留所を着くと大通りを挟んだすぐ目の前に、ベージュ色をした大きくて立派な門構えが見えた。『私立蘭城高等学校』と堂々と書かれてあるそれはこの学校のシンボル的存在だ。赤門ならぬ、通称白門と皆から呼ばれ長年親しまれていた。老朽化が進んでいた木造校舎はほんの数年前に建て替えられたので前の面影は何一つ残っていないのだが、この白門はあまり手を加えられていないので、殆どが今も昔も変わらぬ姿なのである。
何も知らない人が見れば、一瞬神社か寺社かと見間違いそうなその門を潜ると、これまた立派な時計台が目に入ってくる。これは建て替えた時に新たに付け加えたもので、何でも理事長の希望だとかそうでないとか。
時計台の針は八時四十五分に丁度差し掛かっていた。バスで来たのだから当たり前だが、よし、時間通りだと思い、受付で地図と案内書を受け取った。まだ新入生もそんなに集まってきていないというのに、肌寒い外で椅子に座っていないといけない上級生は大変である。俺はこんな役目したくないとつくづく思った。
目的のクラス分け表を見るべく、地図を広げて校舎外掲示板を探す。何だこれは。学校のことを調べる時に敷地面積は気にしていなかった。見た感じ、母校の中学校よりはざっと軽く二.五倍くらいの広さはあるのではないだろうか。ここまで広いとは思っていなかったのである。本当にこの入り組んでいそうな敷地内を覚えないといけないのかと思うと、少し気が引けた。どうにもすぐには無理そうだった。
地図は結構大きめなのだが、意外にも掲示板の場所は地図上ではすぐに見つけ出すことができた。現在地の近くだと分かったので、早速向かうことにした。
蘭城高校は様々な植物が植えられていることでもまた有名である。初代の理事長がとても植物に関心のある人物だったらしい。校舎を建て替える際には、この植物達をどうするかで理事長は頭を悩め、結局はその殆どが植えたまますることになったらしい。が、工事は非常に難航したそうである。
「あれ、ここのはずなんだけど……」
一体どこへ来てしまったのか、そこは中庭らしき場所で噴水が見える。
しまいかけの地図をもう一度広げてみると、全く違う場所だということが分かった。近くだから大丈夫だと侮って道を頭に叩き込んだ自分が馬鹿だった。全く、地理は『三』以上評定で取ったことがないのだから、面倒臭くても地図を辿ればいいものを……。
「あれ、貴じゃん!」
中庭らしき所を抜けると後方から聞き覚えのある声が俺を呼んだ。
振り向くと北里稜輔が、同じく地図を片手に近寄って来ていた。