測定結果と不和
-午後3時
面接が終わる。いや、面接というよりは、禅問答のような…。
何を聞きたかったのか、何を知りたかったのか、いまいち判らない。
千奈美は脚を交差させ、壁に背をもたれ、腕を組み考えていた。
まあ。きっと何か、心理学に基づくものがあるのだろうけど。
考えるのは後からでも良い。試験に集中しよう。
千奈美はそう考え、上半身を反って、反動をつける。その勢いで立ち上がり、身体測定の測定所へ向かう。そして受付で測定表をうけとる――はずだった。
「ああ、君の測定表はさっき、係りの人が来て、もう必要ないからって、
預かっていったよ」
測定表を受け取ろうとすると、受付の男はそう言った。
「預かって……いったん……ですか?」
「それで、君の試験はこれで終わりだから、帰っていいよと伝えといてくれ、
と言われた」
「は、はあ」
考えがまとまらず、曖昧な返事になってしまった。
もう必要ないから、預かっていった……。
モウ必要ナイカラ?
「ほら、次、詰まってるからさ。どいてくれるかな」
測定表がないのなら、結局ここに居ても意味はないので素直に列を外れる。
どうすればいいんだろう。必死に考えをめぐらす。しかしすぐに思い直す。思うのを止める。……考えても無駄か。係りの人、と面接の男は言った。このテストを管理している人が、試験は終わり、と言っている以上、何をしたところで、テストは受けられないだろう。黙って帰るしかない。嫌だけど、しょうがない。
よし、帰ろう。
-1週間後
千奈美の家に封筒が届いた。特に代わり映えのない茶色の封筒。
表には白い紙が貼ってあり「能力測定判定結果」と、書いてある。
おそらくもう、日本中の『15歳』にこの封筒は、届いているはずだ。
テストの測定結果の評価はS,A,B,C,D,E,Fの7段階に大きく分類され、「S]ならば望みどおりの仕事に確実に就け、「F]ならば仕事に就くのは不可能といって、なんら語弊はない。
千奈美はやはりいつもの様に、リビングのソファに座り、何の躊躇も無しに封筒の中身を取り出した。
――判定は「S」。安堵からか別の感情からか自然と溜息がもれる。やっぱり、どっちかだとは思っていたけど、思っていた通りだ。テストの日、追い返されたときのことを思い出す。
あの受付の男は係りの人がもう必要ないから測定表を預かっていった、と言っていた。テストを受ける必要がないというのは、これからのテストが無意味になるほどの何か最悪な欠点が見つかった場合か、或いは突出した、異常な何かが測定されたからと考えるのが妥当だと思う。
なら、判定は最高評価の「S」か、最低評価の「F」。よっぽどの身体的・精神的能力の欠如が認められない限り、「F」にはならない。まあ、「S」になるのもよっぽどなのだけれど……。「F]を貰うような人は、試験を受けられさえしないだろうことを考えると、こうなるとは分かっていた。
分かっていたけれど、やっぱり、おかしい。私はそんな得意な教科もないし、そんな特異な身体能力も持っていない。だとすれば、あの無意味そうな面接、ということになる。評価されたのは能力ではなくて――。
-同時刻
「Sねぇ……」
一人、呟いてみる。嬉しくない。目標にしていたはずだ。目標を達成したはずだ。でも、嬉しくない。遅刻したせいで、数学は落とした。他の教科は、問題外だ。
だけど、分かる。彼ら能力開発委員会が、数学の能力で「S」をつけたことが。遅刻してきて、満足に点数を取れていないのに、不公平に「S」をつけた。
しかも、途中で帰らされた。今考えてみれば、あの人数の回答を3,4時間で採点するなんて不可能だ。なのに、たしかに、俺を評価し帰らせた。
これじゃあ、まるで最初から「S」を用意されていたようで気持ち悪い。
悪意さえも感じる。
「キャアアア」
突然、家の外から叫び声がする。裸足ですぐに外に出る。玄関の目の前の道路。そこには、服をずたずたに切り裂かれ、髪を乱しに乱して、腰を抜かしている30代ぐらいの女性と、明らかに、常軌を逸し、右手に刺身包丁を握り締めた少年がいた。少年といっても、自分の年齢と変わりのないような少年。
「あはは、あははははぁはははあ、ひひ、あはははは」
少年が笑っている――いや、叫んでいる。
「あなた、何をしたんですか」
女性と少年の間に入り、身を挺し、攻撃を制しながら、半ば怒張的に女性に問う。
「知らないわ。いきなり、襲ってきたの」
「そんなの……」
そんなのおかしいだろ。だって――だって、完全に壊れている。目の焦点はあっていない、口は開きっぱなし。足元はフラフラで、力が抜けている。廃人というのか。いや、人と言えるのかも怪しいほどだ。心と言えるものがおよそないように、見える。まるで、人形みたいだ。理由もなしに、こんなになる訳がないだろう。
少年が無表情のまま、こちらへ向かってくる。戸惑いもなしに、躊躇いもなしに、襲い掛かってくる。咄嗟に避けようと思ったが、後ろに女性がいるのを思い出す。結果、中途半端なうごきになってしまい、宍道は何もできずに倒されてしまう。少年が、右腕を頭の上まで高く振り上げると、太陽の光を反射し、包丁がキラリ、と。
よく見ると、包丁は真っ赤に染まっていた。もうこいつは、救えないらしい――などと思いながら、死を覚悟する。別に、生き延びたいとは思わない。ただ、少し怖いだけだ……。目を瞑り、最期を待つ。しかし、このまま15年の短い人生は終わらなかった。バンッ。と、爆発音がして、少年のような人形――いや、人形のような少年の動きが止まる。そして、力なく、膝から崩れ落ちた。
――――助かった?
突如、黒いスーツを纏った男が3人。2人が少年の腕を掴み、1人が後ろに少し離れて少年の頭に銃を構え、その位置関係を保ったまま、立ち去ろうとする。その様子では、少年はまだ死んでいないようだった。「待て」と、必死な声を恐怖心をなんとか押さえ込み絞り出したが、スーツ男はまるで、聞く耳を持たず、何事もなかったかのように少年を抱え、姿を消した。
また何もできなかった。拳を握り締め腕を塀に強く打ちつける。打ちつける。何度も打ちつけた。俺も頭がおかしくなったと思われたのか、女性は素早く立ち上がり、お礼も言わずに、逃げるように走り去った。気にせず、壁に叩き続ける。しばらく経って、いい加減疲れ、打ちつける腕が弱まってきたころ。近くの家から――悲鳴、窓の割れる音、子供の叫び声。おかしい。おかしすぎる。宍道は何も考えず(もしかしたら、そこから逃げたかったのかもしれないが)、街に向けて走り出す。途中で、子供に出くわす。うめき声をあげながら、地面の石ころを大事そうに集めている。恐怖に襲われ、逃げる。所々から子供の歓喜の声、泣き声、狂気の声。必死に最後の十字路を抜け、大通りに出る。
そこは――いつもと変わらない街。今、自分が体験したことは存在していない、と否定するようにごく普通の光景だった。それを、素直に喜べるほど宍道は幸せな頭は持ち合わせていない。やっぱり、おかしい。宍道には何が、起こっているのかわからなかった。ただ、これからもっと良くない事が起こる気がしただけだ。
-30分後
――なんで?千奈美はソファに座り、テレビのリモコンを順番に回し続ける。どこも今起きている事件を取り上げていない。ネットも開いてみるが結果は同じだった。さっき、子供が学校の屋上から飛び降りたのだ。しかも、笑いながら。さらに、外からの悲鳴が鳴り止まず、町は狂気に覆われていた。それなのに、事件は起きていないかのように、何も報道されていない。地震は報道するのに、皆既日食はスクープするのに、新作ゲームは宣伝するのに、この大惨事を取り上げないのか。……隠蔽だろうか。誰かが、事実を隠している?とにかく、何かが起きているのだ。子供を中心に。
心配に思い、裕也に電話をかけてみるが、一向に繋がる気配がない。もしかしたら、すでに裕也は襲われてしまったのかもしれない。不安に駆られる。この騒動に巻き込まれた可能性は十分にある。家へ確かめにも行きたいのだが、自分が巻き込まれないとも限らない。ただ――今は待つしかないのだろう、と落ち着かない足取りでソファの周りを意味もなく歩き回りながら、千奈美は考えた。そして、20周ほどした頃だろうか。ふと、あの男――堂本宍道の事を思い出した。