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大音響の転生協奏曲  作者: 沼口ちるの


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8/12

第八話 破戒のベーシスト、ファンサービスの悪魔

文化祭での「ディストーション・サーガ」の演奏は、生徒たちの間で瞬く間に伝説となった。大音響(おおねひびき)の圧倒的なギター、神田雷の機械的な正確さ、藤原旋風の憂鬱なメロディ、そして何より、優等生神崎梓が放った地獄のグルーヴ。彼らの音楽は、高校の日常に深く、不可逆的な亀裂を入れた。


翌日、学校は普段の平穏とは程遠い熱気に包まれていた。廊下の至るところで「ディストーション・サーガ」の話題が飛び交い、部室の前には、彼らの音楽に魅せられた生徒たちが群がっていた。


「大音響先輩、サインください!」 「神崎先輩、昨日のベース、最高でした!」


部室のドアを叩く生徒たちに、大音響は顔をしかめた。


「くだらない。遊びに来るな。俺の音は、お前たちの娯楽じゃない」


苛立ちを隠せない大音響を、神崎梓が制した。彼女は、優等生としての冷静さを保ちながら、ドアを開けた。


「皆さん、応援ありがとうございます。ただ、今は練習時間なので、一旦解散してもらえますか? また次のライブが決まったら、お知らせしますね」


神崎の言葉は、まるで学校の広報担当者のように丁寧で、穏やかだった。しかし、その声には、ベースを弾く時の低く響くような響きが微かに宿っていた。


生徒たちは、神崎の言葉に素直に従い、徐々に散っていった。大音響は、その様子を腕組みして見ていた。


「何をやってるんだ、梓。お前は、羊飼いにでもなったつもりか」


「羊飼い?」神崎は首を傾げた。


「あの連中は、俺たちの音を聴いて、ただ騒いでいるだけの群れだ。馴れ合うな。俺の音は、お前たちを切り裂くためのものだ」


しかし、神崎は穏やかに微笑んだ。


「大音響くん。あなたの音楽は、確かに人をぶち壊します。でも、その壊れた後に、新しい感動が生まれることを、私は知っています。彼らは、その感動を求めている。その熱を、次のライブまで繋ぎ止めることも、私たちの役割だと私は思います」


神崎の言葉は、以前の優等生としての完璧な理論だった。しかし、そこに込められた説得力は、もはや理性だけではなかった。彼女のベーシストとしての、人間を掌握するグルーヴが、その言葉に説得力を与えていた。


「それに」神崎は続けた。「ファンサービスも、戦略の一つです。あなたの音楽を、より多くの人に届けるために。私は、クラス委員としての経験を、ここで活かそうと思います」


神田雷は、神崎の変化を冷静に分析していた。「なるほど。彼女は、ベーシストとしてのグルーヴだけでなく、コミュニケーションにおいても、人を操るリズムを持っている」


藤原旋風は、神崎の新たな側面に、ある種の戦慄を覚えていた。「僕のメロディが持つ甘美な毒を、彼女はさらに広めてしまうかもしれない……」


大音響は、神崎をじっと見つめていた。彼の狂気的な音楽を、現実世界に繋ぎ止める「管理者」の役割を、彼女が担おうとしている。それは、YUKIATSUが生きていた頃には存在しなかった、新たな秩序だった。


「……勝手にしろ」


大音響はそう言って、練習を再開した。彼の中のYUKIATSUは、神崎の「ファンサービス」という概念を理解できなかったが、彼女の持つ「人を掌握する力」が、自分たちの音楽に新たな推進力となることを、直感的に悟っていた。


その日から、神崎梓は「ディストーション・サーガ」の対外的な顔となった。


放課後には、彼女が部室の前に集まる生徒たちに、丁寧な言葉で練習の邪魔にならないように注意を促し、バンドの活動状況を説明した。ファンレターには、一枚一枚丁寧に返信し、SNSのアカウント管理も彼女が引き受けた。


ある日、学校の購買でパンを買っていた大音響に、女子生徒たちが群がった。


「大音響先輩、パン、美味しそうですね!」 「私も同じパン買っちゃおっかな!」


大音響は、眉間にしわを寄せ、明らかに不快そうな表情を浮かべた。しかし、次の瞬間、神崎が彼の隣に現れた。


「皆さん、ありがとうございます。大音響くんは、見た目とは違って、実は甘いパンが好きなんですよ」


神崎はにこやかにそう言うと、大音響の頬を指でツンと突いた。その瞬間、大音響は顔を赤くし、珍しく狼狽した表情を見せた。


「何をするんだ、梓!」


女子生徒たちは、「キャー!」と黄色い声を上げ、二人のやり取りに大興奮だった。


(くそっ……! この女、俺を道化にしようとしているのか!?)


大音響は、神崎の「ファンサービス」が、自分の想像を遥かに超えたものであることを理解し始めた。彼女は、彼の狂気を、一般社会に受け入れられやすい形に「歪ませている」のだ。


放課後、部室での練習。神崎のベースは、以前にも増して重く、粘り強く、そして人を掌握するグルーヴを放っていた。彼女は、ファンサービスという「役割」を演じることで、ベーシストとしての新たな覚醒を遂げていたのだ。


大音響は、そんな神崎のベースラインに呼応するように、さらに激しくギターをかき鳴らした。彼の音は、神崎のグルーヴという名の「悪魔の誘惑」によって、一層深淵なものへと進化していく。


ディストーション・サーガは、ただのロックバンドではない。それは、大音響の音楽を媒介に、神崎梓という名の「ファンサービスの悪魔」が、世界を掌握していく物語でもあった。


「破戒のベーシスト、ファンサービスの悪魔」。


……ひどい言われようですね。でも、否定はできません。


文化祭でのライブの後、大音響くんは、相変わらずファンとの交流には全く興味がないようでした。ですが、彼の音楽は、人を惹きつけ、感動させる力を持っている。その熱を、一時的なものにしてはいけない、と私は直感しました。


私は、これまでクラス委員として、人々を「正しい」方向に導いてきました。ルールを守り、秩序を保ち、皆が平穏に過ごせるように。


しかし、大音響くんの音楽に出会って、私の「正しい」は、すべて打ち壊されました。そして、その破戒の先に、私自身も知らなかった、新たな「力」が目覚めたのです。


それが、この「ファンサービス」です。


大音響くんは、人を惹きつける狂気的な魅力を持っています。ですが、そのままだと、世間からは単なる「問題児」として扱われてしまうでしょう。私は、彼の「狂気」を、一般社会が受け入れやすい形に「翻訳」する役目を担おうと思ったのです。


彼が、購買でパンを食べている時に、彼の頬をつついた時のこと。あの時の大音響くんの、戸惑った顔。そして、女子生徒たちの黄色い歓声。


あれは、計算通りでした。彼の「人間的な」一面を垣間見せることで、彼のカリスマ性は、さらに増幅される。


彼が言う「俺を道化にしようとしているのか」という言葉は、あながち間違いではありません。私は、彼の狂気を、私の「正しさ」で操り、そして、私たちの音楽を、より多くの人々に届けるための道具にしようとしているのかもしれません。


そして、この「ファンサービス」を行うことで、私自身のベースラインも、より深く、より人を掌握するグルーヴへと進化しているのを感じます。


大音響くんは、私のことを「羊飼い」や「悪魔」と呼ぶかもしれませんが、彼は、私を止めることはできません。私は、彼の音楽と共に、世界を歪ませることを選んだのですから。


神崎 梓

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