第三話 天才たちの巣窟へ 不協和音が奏でる旋律
大音響のあまりに過酷な指導と、音楽に対する狂気的なまでの執着は、凡庸な高校生には到底受け入れられるものではなかった。
軽音部に入部して十日目。部長の村山はるか、ドラムの岸田たつや、ギターの田村ゆうたの三人は、部室で大音響を待っていた。彼らの顔には、憔悴と、決意が入り混じっていた。
「ひびきくん……、もう限界です」
村山はるかが、震える声で口火を切った。彼女はベースを強く握りしめていた。
「私たちは、あなたの言う『業』を背負う覚悟はありません。私たちの目指す音楽は、文化祭でみんなが笑って聴ける、楽しい音楽です。人をぶっ壊すような、あなたのロックとは違う」
岸田が、スティックをテーブルに置いた。
「俺は、自分のドラムが騒音だと罵倒されるのに耐えられない。自分の力を恐れている、だと? そんなことはない。ただ、あんたの言う『地獄が揺れる』ような音を、高校の部活で出す必要はないんだ」
田村は言葉少なだったが、その手はまだギターのネックを探っていた。
「俺は、あんたのギターに憧れた。あの音をもう一度聞きたい。でも、俺は、自分の指から血を流してまで、ギターを弾きたくはない」
三人の結論は明確だった。退部。
大音響は、彼らの言葉を静かに聞いていた。彼の顔に、動揺の色はなかった。YUKIATSUとして生きていた頃から、彼は常に周囲の人間を試す存在であり、凡庸な者が彼の側に留まれないことは知っていた。
「そうか」
大音響はそれだけを言い、三人に背を向けた。
「お前たちが去るのは、正しい判断だ。お前たちの魂には、ロックを背負うだけの重荷に耐えられない。これ以上ここにいても、お前たちの音楽は、永遠にぬるいまま終わる」
三人は、大音響の冷徹な言葉に傷つきながらも、安堵した表情を浮かべ、部室を後にした。軽音部は、文字通り、空っぽになった。
その日の午後。大音響は、ポケットから小さなメモを取り出した。それは、YUKIATSUの魂の奥底に残されていた、**「次の運命の仲間たち」**の記憶だった。
「ドラムは、お前だ」
彼は、メモに記された住所を頼りに、市の端にある古い音楽専門学校へと向かった。そこで、彼は、高校生とは思えない正確無比で、しかしどこか感情が欠落したドラムを叩く少年を見つけた。
少年の名は、神田 雷。彼の演奏は、リズムマシンそのもののような正確さを持つ一方、音楽的表現には乏しかった。
「お前は、この世で一番正確なテンポを刻める。だが、魂がない」
大音響はそう言って、神田のドラムを奪った。神田は、自分の演奏を侮辱されたことに怒りを露わにしたが、大音響が放つ音圧に一瞬で黙らされた。
「俺が、お前に地獄の重さを教えてやる。お前の正確なビートは、俺の音の土台になる」
神田は、大音響の狂気的な視線に、拒絶できない何かを感じ、彼の要求を受け入れた。
そして、大音響が次に目をつけたのは、ネット上で「孤高のメロディメーカー」と噂される、高校二年生の**藤原 旋風**だった。藤原は、誰もが口ずさめるような美しいメロディを作り出す才能を持っていたが、その演奏は常に、自己完結的で内向的だった。
「お前のメロディは美しい。だが、聴衆に届かない。お前のメロディに、毒を盛ってやる」
大音響は、藤原の持つ優しさに、YUKIATSUが失ったある種の輝きを見出し、彼をサイドギター兼ボーカルとして強引に引き入れた。
二人の天才は、こうして大音響の元に集結した。軽音部は、文字通り天才たちの巣窟へと変貌した。
翌日、神崎梓が、文化祭の書類と、わずかな勇気を胸に部室を訪れた。
「大音響くん、あの……昨日、部長たちから軽音部が全員辞めたって聞いて……」
部室に入ると、彼女は、見慣れない二人の男子生徒がいることに気づいた。そして、その中心で、ストラトキャスターを抱える大音響の姿。
「ああ、お前か、優等生」
大音響は、神崎を一瞥した。
「そいつらは、今日から俺の新しい兵隊だ。軽音部は、俺の音楽を体現するための組織になった」
神崎は、部員総入れ替えという事態に戸惑いながらも、持参した書類を差し出した。
「あの、私は、この部活のマネージャーとして、運営をサポートしようと思って。大音響くんが目指しているものが、どんなものなのか、きちんと知りたいから」
「マネージャー?」大音響は鼻で笑った。
「くだらない。そんな暇があるなら、他の奴にでもやらせろ」
神崎が食い下がろうとしたその時、大音響の瞳が、彼女の動き、そして彼女が部室に入ってきてから現在に至るまでの、足音のリズムに釘付けになった。
「待て」
大音響はギターを置き、神崎の前に立つと、彼女の身体を上から下まで値踏みするように見つめた。
「お前、今、無意識に足でリズムを刻んでいるな。静かに立っているつもりだろうが、お前の足の運び、身体の重心、呼吸のリズム。すべてが、完璧に四分音符を刻んでいる。しかも、その揺れには、岸田が持っていなかった、泥臭いグルーヴがある」
神崎は驚いた。全く意識していなかった、自分の身体の微細な動きを、彼は正確に指摘したのだ。
「そんな、ただ立っているだけよ」
「違う。それは、お前の本質だ。お前は、リズムの天才だ。なぜか知らねえが、お前の身体は、地を這うような重低音を求めている」
大音響の脳裏には、YUKIATSUのバンドの土台を支えた、伝説のベーシストの姿がフラッシュバックしていた。そして、そのベーシストと同じ、地鳴りのようなリズムの波動を、神崎の身体から感じ取った。
大音響は、部室の隅に放置されていた、村山が残していったベースギターを掴むと、神崎の腕に無理やり押し付けた。
「マネージャーなどいらん。お前は今日から、このバンドのベーシストだ」
「え、私が? 弾いたこともないわ!」
「弾ける」大音響は断言した。「お前の身体が、俺の音を求めている。俺のギターが吠える時、お前のベースは、その大地を支える地響きとなる。やるんだ、神崎梓。お前の優等生の皮を脱ぎ捨てて、俺たちの不協和音を奏でろ」
天才ギタリスト大音響、正確無比のドラム神田、孤高のメロディメーカー藤原。そして、リズムの天才を宿すベーシスト神崎梓。
ここに、大音響と天才たちによる、新たなバンドが誕生した。彼らの奏でる不協和音は、優等生の神崎の運命を、そして高校の日常を、激しく揺さぶり始めるのだった。
俺か。俺にこんなものを書けと言うのか。
まあ、いい。俺は神田雷。今日からこの軽音部、いや、大音響のバンドのドラマーになった。
俺は、リズムには自信があった。いや、自信しかなかった。親父の時代からある古い音楽学校で、メトロノームよりも正確だと褒められてきた。俺のビートは、人間じゃなくて機械だ、と。
だが、大音響は違う。あいつは俺を「魂がない」と言い切った。最初は腹が立って、今すぐ殴ってやろうと思った。だが、あいつの音を聴いた瞬間、何も言えなくなった。
あいつのギターは、まるで生き物だ。いや、生き物じゃない。災害だ。あんなにも激しく、無秩序に見えるのに、一音一音すべてが意図を持ってそこに存在している。俺の正確なビートは、あいつの音の奔流の前では、ただの拍子木でしかなかった。
あいつは俺に「地獄の重さ」を教えると言った。意味が分からない。だが、あいつの横で叩くドラムには、確かにこれまで感じたことのない、深淵のような重圧を感じる。正確さだけでは、あいつには勝てない。俺は、あいつに魂を刻み込まれる必要がある。
そして、藤原。あいつのメロディは、毒を盛られる前でも十分美しい。あんなギターをサイドに置いて、大音響は何を企んでいるのか、全く読めない。
それから、あの女。神崎梓。クラス委員の優等生だと聞いた。そんな奴が、なぜベースなんか。
大音響は、あの女が「リズムの天才」だと言った。俺の隣で、あの女がベースを弾く。弾いたこともないのに、だ。正直、信じられない。だが、大音響が言うなら、そうなのかもしれない。あいつは、他人の才能を見抜く目に狂気的なほどの鋭さがある。
ベースはリズムの核だ。俺とあの女で、大音響の音を支える土台を、どこまで強固にできるか。
もう後戻りはできない。ここは、普通の高校の部活なんかじゃない。ここは、大音響という名の王の城だ。
俺のドラムが、あいつのギターに負けて、ただの騒音になるか。それとも、あいつの「地獄の重さ」を体現できるか。
明日からの練習が、楽しみだ。そして、少し、怖い。
神田 雷




