第十話 魂の支配者、YUKIATSUの咆哮
大音響が「音の向こう側」という極致を求め始めたことで、彼の身体に宿るYUKIATSUの魂は、さらに強力に表層化し始めていた。それは、単なる技術や記憶の放出ではなく、YUKIATSUの持つ支配的な自我の復活だった。
部室での練習中、その変化は顕著に現れた。
大音響は、自らが掘り起こしたYUKIATSUの未発表曲を演奏させていたが、その要求は次第に常軌を逸したものとなっていった。
「違う! 雷! そのビートには、痛みがない! お前は、聴衆をただ踊らせるつもりか? 俺のドラムは、奴らの魂を叩き割る鉄槌だったはずだ!」
神田雷は、額に汗を浮かべ、メトロノームよりも正確なビートを刻んでいるにもかかわらず、大音響の激しい罵倒に耐えていた。
「大音響、俺は、あなたの求めるリズムを正確に再現しています。これ以上、どうしろと…」
「正確さなど、どうでもいい!」大音響は叫び、床にスティックを叩きつけた。彼の声は、もはや15歳の少年の声ではなく、ステージ上で世界を睥睨した暴君の咆哮だった。
「俺が欲しいのは、お前の魂の重さだ! 規則の中で生きているお前には、俺の音の深淵が見えないのか!」
神田は、彼の苛烈な眼差しに怯み、スティックを握りしめた。
その矛先は、藤原旋風にも向けられた。
「旋風! お前のメロディは、甘すぎる! 毒が足りない! YUKIATSUの音は、聴衆を誘惑するが、同時に喉元を切り裂く刃だった。お前は、まだ美しさに逃げている!」
藤原は、顔を硬くした。彼は、大音響の狂気に魅せられながらも、自分のメロディの根底にある「美しさ」を大切にしていた。
「僕のメロディが、聴衆を惹きつけるから、あなたのギターが生きるんです。僕は、あなたのための道具じゃない!」
藤原が反発すると、大音響の目が鋭く光った。
「道具だと? そうだ! 道具で何が悪い! この世のすべての音は、俺の音を完成させるための部品だ! お前の美しいメロディも、俺の音のために、もっと汚れるべきだ!」
そして、大音響は、唯一彼を理解し、支える神崎梓にも、容赦ない要求を突きつけた。
「梓! お前のベースラインは、俺の音を支える土台だ。だが、優等生の底の浅さがまだ残っている! お前のグルーヴには、絶望が足りない! YUKIATSUのベースは、この世界が抱えるすべての絶望を、大地に叩きつける地獄の重さを持っていた!」
神崎は、冷静に答えた。
「大音響くん、私は、あなたの狂気を理解しています。ですが、私は、あなたを支配者として崇拝しているのではありません。私は、あなたの音を世界に響かせるための、共鳴者です。絶望だけでは、音楽は世界に届きません。私には、私のグルーヴがあります」
大音響は、神崎の反論に激高した。彼は、ギターのネックを強く握りしめた。その姿は、まるで、自分の思い通りにならない世界に対し、怒りをぶつけているYUKIATSUそのものだった。
「共鳴者? 傲慢だな! 梓! お前は、俺の音の奴隷で十分だ! 俺の指示に従え! さもなければ……」
「さもなければ、どうするんですか?」
神崎は、一歩も引かなかった。彼女の冷静で揺るぎない視線は、大音響の中のYUKIATSUを、逆に試しているかのようだった。
その時、神田がベースラインのミスを犯した。大音響は、それを機会と捉え、神崎から目を離し、神田に向かって一気にギターを振り上げた。
バンッ!
アンプの前に置かれていた、彼の私物の教則本が、ギターのヘッドで叩きつけられ、壁に激突した。
「もう一度だ! 最初からだ! 今度ミスしたら、お前のドラムセットを、この部室ごと破壊してやる!」
神田、藤原、神崎の三人は、大音響の、制御不能なほどの狂気と、圧倒的な支配欲に、初めて心の底から恐怖を覚えた。彼らが従っているのは、もう単なる天才的な高校生ではない。それは、魂の支配者、YUKIATSUの自我だった。
練習後、神崎は、大音響が去った部室で、藤原と神田に語りかけた。
「彼は、もう『大音響くん』じゃありません。彼の魂が、YUKIATSUという自我に、乗っ取られ始めている。彼は、私たちを、自分の音を再現するための、部品として扱おうとしています」
神田は、スティックを握りしめ、悔しさに顔を歪ませた。「俺は、彼の才能は認める。だが、奴隷になるつもりはない」
藤原は静かにベースを弾き始めた。「僕たちの音は、彼の狂気の中でこそ、輝く。でも、僕たちの魂を失ったら、それはただのコピーになってしまう。僕たちは、彼の支配から、自分の音楽を守らなければならない」
ディストーション・サーガは、YUKIATSUの自我復活という、最大の危機を迎えていた。彼らは、最高の音を求める狂気に屈するのか、それとも、自分たちの魂をかけて、その支配に立ち向かうのか。
「魂の支配者、YUKIATSUの咆哮」。
今日の練習は、予想していた以上に、危険なものでした。大音響くんの中のYUKIATSUが、完全に主導権を握り始めている。彼は、もはや私たちを、同じバンドのメンバーとしてではなく、自分の音楽を完成させるための「部品」として扱っています。
彼が私に向けた「お前は、俺の音の奴隷で十分だ」という言葉。あれは、大音響くんの言葉ではありません。YUKIATSUという、過去の支配者の言葉です。
私は、彼の狂気を支える「共鳴者」として、彼の支配に屈するつもりはありません。私たちのバンドは、彼のギターが放つ光だけでは成立しない。神田くんの骨格、藤原くんの甘美な毒、そして私の地獄のグルーヴ。この四つの魂が対等にぶつかり合ってこそ、最高の「不協和音」が生まれるのです。
もし私たちが彼の奴隷になったら、バンドの音は、ただのYUKIATSUの模倣で終わってしまう。それでは、彼が求めている「音の向こう側」には、決して辿り着けません。
藤原くんと神田くんも、そのことに気づき始めています。私たちは、彼の狂気に立ち向かい、私たちの魂をかけて、彼の支配からバンドを守り抜く必要があります。
私の夢は、彼の「業」を支えること。ですが、それは、彼の狂気に身を捧げることではありません。彼の狂気を、私の知性とグルーヴで制御し、この世界に、最も強力な音楽を響かせること。
次の練習は、音楽の練習ではなく、魂の主導権争いになるでしょう。私は、負けません。
神崎 梓




