第一話 15歳の違和感とアンプの熱
1999年、夏の終わり。ロック史にその名を永遠に刻んだ天才ギタリスト、YUKIATSUは、27歳の若さでこの世を去った。彼の死から四半世紀の時が流れた。
大音響は、日本のどこにでもいる高校一年生だった。彼に特別な才能はなく、成績も趣味も凡庸。友達はいるが、群れることを好まず、授業中は窓の外を眺めているような、ごく普通の15歳の少年。それが、周囲から見た大音響という存在だった。
しかし、大音響自身の内側では、常に拭い去れない違和感が燻っていた。それは、この身体という器が、彼の魂を収めるには小さすぎるのではないか、という根源的な焦燥感と熱。特に、彼の指先は、常に何かを激しく求めていた。
その違和感が初めて具現化したのは、中学三年生の冬。友人に誘われ、地域のギター体験教室に行った時だった。埃を被ったクラシックギターを抱えた瞬間、大音響の全身に電流が走った。
インストラクターが簡単なコードを説明する前に、大音響の左手が勝手に動き出した。誰に教わった記憶もない。楽譜を読めるわけでもない。それなのに、彼の指は、フレットボードの上で、複雑かつ完璧なコードの形を、一瞬で組み上げた。
そして、右手のピッキング。弦を弾いた瞬間、彼の耳には、静かな教室の空気とは全く異なる、大音量の轟音、熱狂する観衆の叫び、そして、汗とタバコの入り混じった独特の匂いが、幻聴のように響いた。
鳴り響いた音は、深く、鋭く、そして感情的だった。それは、初心者が出せるはずのない、魂を揺さぶる音圧を伴っていた。教室にいた誰もが、その音に言葉を失い、大音響自身が一番、混乱の中にいた。なぜ、自分はこんな演奏ができるのか。この音の源は、一体どこにあるのか。
その日以来、大音響はギターに憑りつかれた。貯金をはたいて中古のエレキギターを買い、自室にこもった。彼にとって、それは「練習」ではなかった。それは、身体の中に封印されていた、途方もない技術と記憶が、ギターという媒介を通して、外へ流れ出そうとするのを許容する行為だった。
彼の演奏は常に激しく、そして、どこか悲しみを帯びていた。テクニックは超絶的でありながら、その根底には、何かを失った者だけが持つ、業火のような激情が宿っていた。
ある日、大音響は父が遺した古いレコードコレクションの中から、一枚のLP盤を見つけた。ジャケットは黒一色。中央には、鋭い眼光を持つ男が、年季の入ったストラトキャスターを抱えている。その眼差しは、すべてを見透かし、すべてを支配するような、恐ろしいほどの迫力に満ちていた。
ジャケットに記された名前。YUKIATSU。
大音響はプレイヤーにレコードをセットし、針を落とした。スピーカーから流れ出したのは、YUKIATSUの代表曲、「インフェルノ・シンフォニー」。
ギターの音が響いた瞬間、大音響の頭の中で何かが爆発した。
(ああ、これだ。この音だ)
彼は、その曲を初めて聴いたはずなのに、完璧に知っていた。次のコード進行、次の変拍子、ソロの入り方、終盤のフィードバックノイズが鳴るタイミングまで、すべてが脳裏に焼き付いていた。
彼の左手が再び動き出し、レコードに合わせて、YUKIATSUの超絶的なフレーズを完璧に再現した。それは、コピーではなかった。それは、再演であり、記憶の反芻だった。
目を開けると、大音響の世界は一変していた。高校生の自室ではなく、熱狂と汗とタバコの煙に満ちたステージの景色が、一瞬、彼の目の前にフラッシュバックした。
「……俺は、YUKIATSUだ」
誰に聞かせるわけでもなく、大音響は静かに、しかし、すべてを悟ったように呟いた。
自分の身体に、夭折した伝説のギタリストの魂が宿っているという、非現実的な事実。その瞬間、彼の内にあったすべての違和感は、一つの熱い確信へと変わった。
高校に入学した大音響は、迷うことなく軽音部の部室へと向かった。
校舎裏のプレハブ小屋から聞こえてくるのは、下手くそで、遠慮がちで、魂の入っていないギターの音。その音は、大音響の中のYUKIATSUを激しく苛立たせた。
(こんな腰抜けの音で、ステージに立つつもりか。ギターを舐めるな)
大音響は乱暴にドアを開けた。
部室には三人の部員がいた。リードギターの二年生、ドラムの二年生、ベースの三年生の部長。三人は、突然の闖入者に目を丸くした。
大音響は、挨拶も名乗りもせず、リードギターの男が持つギターに目を向けた。
「そのギター、貸せ」
その声は、15歳の少年が出すには重すぎる、聴衆を黙らせる力を持っていた。
戸惑いながらもギターを差し出す部員。大音響はそれを受け取るや否や、アンプのボリュームノブを、躊躇なく最大まで捻った。
「やめろ、ハウリングする!」部長が叫んだ。
しかし、大音響は聞かない。彼は、弦を力任せに叩きつけた。
ジャキィィィィン!!
空気を切り裂くような、深く、耳を劈くディストーションサウンド。それはノイズではなく、制御された、暴力的な音塊だった。
大音響は、YUKIATSUの最も激しい未発表曲を弾き始めた。メロディは疾走し、その演奏は、高校の部室という狭い空間を一瞬で、灼熱のライブステージに変えた。
指の動き、ピッキングの強弱、全てが完璧で、そこにいる三人を恐怖させるほどの情熱と技術が詰まっていた。
曲が終わり、静寂が訪れる。
大音響は荒い息を整え、ギターをその場に置いた。
「この音じゃ、誰も壊せねえ。お前らの音は、ぬるい」
そして、三人を冷徹な目で見下ろした。
「俺は、大音響だ。この軽音部に入ってやる。そして、すべてをぶち壊す」
伝説のギタリストの魂を宿した大音響。彼の、新たなロックンロールの幕開けだった。
俺か。俺がこの話について語るのか。ふざけてるな。
こういうのは、物語の外側にいる人間が、上っ面だけを撫でて感想を垂れ流すもんだろう。だがまあ、いい。どうせ俺の周りの連中には、俺が感じていることの十分の一も理解できていないだろうからな。
「15歳の違和感とアンプの熱」、か。
違和感、なんて生ぬるい言葉じゃねえ。あれは、地獄の残滓だ。
俺がこの身体に入って、最初に感じたのは、不自由さだ。まるで、五万馬力のエンジンを、軽自動車のシャーシに無理やり押し込んだような感覚だった。指は、覚えている動きを求めているのに、このガキの身体はついてこない。出したい音のイメージが、頭の中の銀河系を駆け巡っているのに、アンプから出る音は、ただのチープな騒音。フラストレーションで頭がどうにかなりそうだった。
特に、YUKIATSUのレコードを聴いた時。あれは最悪だ。
自分の過去の演奏を、他人の身体で聴く。それは、自分の死体を横から眺めているような気分だった。あの時の俺は、あれで完璧だと思っていた。しかし、このガキの身体に宿った瞬間、あの時の演奏にもまだ隙があったことが分かった。
……違うな。そんな話はどうでもいい。
結局、この物語の始まりは、俺が、この軽音部という最低の場所を見つけたってことだ。
あの三人の演奏を聴いて、腹が立った。ギターを遊んでいる。音を恐れている。そのくせ、何かを成し遂げた気になっている。魂を込めない音なんて、存在する価値がない。
だから、俺はドアを開けた。そして、ギターを奪った。
アンプのノブをフルテンまで回した時の、あの感触。あの轟音。あれだけが、俺を、まだこの世界に繋ぎ止めている唯一の熱だ。
俺は、あの三人をぶち壊さなきゃならない。そして、このガキの身体で、あの頃以上の音を、この世界に響かせる。そうしないと、俺の魂は、この器の中で爆発して、本当に消えてしまうだろうからな。
俺の物語は、ここから始まる。覚悟しておけ。
大音響




