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恋せよおとめ

 そういえば、中学のとき付き合ってた彼も、サッカーやってたっけ……。

 口べたで、音痴で、勉強が嫌いで、納豆が食べられなくって、容姿は平均点以下……。ほんと、なんの取り柄もないヤツだったけど、でもサッカーボール追いかけてるときだけは、なんていうかキラキラ輝いて見えた。「俺、リフティングの自己最高記録、七十九回なんだぜ」って自慢しておいて、「もし百回連続に成功したら――キスしてくれる?」だって。ふだん口べたなくせに、やけにさらりと言ってのけやがって。……けっきょく、それがあたしのファーストキスだったりする。

 卒業と同時に別れちゃって、がっこもわりと離れてて、あれから一度も会ってないけれど今ごろどうしてるかなあ。ちゃんと新しい彼女つくって、しっかり青春してるんだろうか。

 沙織たちが紹介してくれるという男子が大高サッカー部のキャプテンだと聞いて、あたしは中ぼうのときの、あの恋人という存在がいつも近くに寄り添ってくれていた、そんな懐かしい日々のことを思い出していた。

 二人ともお金なかったし、あまり遠くへは遊びに行けなかったけど、でもお洒落して近所の商店街ぶらついてるだけで楽しかった。一日、一日が二人のイベントを中心に動いてて、次の日曜日はどこへ行こう、今度の夏休みは何回海に行けるかな、来月の彼の誕生日には何をプレゼントしてあげよう……なんて考えてるうちに、あっという間に時が経ってしまった。毎日が充実していて、なんかこう、つねに全身にパワーがみなぎってる感じがしてた。ケンカしたときとか、けっこう落ち込んだりもしたけど、でも仲直りするたびによりいっそう彼のことが好きになって、もう二人はずっとこのまま一緒に、喜んだり悩んだりキスしたりしながら大人になってゆくんだろうな、って思ってた。今思い出せば、あのころが一番楽しかった気がする。

 ――やっぱ、女の子は恋してなきゃダメだ。

 鼻歌をうたいながらキッチンでカルピスをつくっていると、しゃこしゃこと歯をみがきながらパパが近寄ってきた。

「こら、ゆみ子、カルピスはもっと薄めて作りなさい。糖分の取り過ぎは体によくないぞ」

「いいじゃん、いま猛烈に甘いものが飲みたい気分なのよ」

 ってゆーか、甘い夢を見ていたいの。

 あたしがふんと鼻息を荒げると、パパはすごすごと引き返し、洗面台でがらがらぺーっとうがいを始めた。

 いい歳して、いまだにママにぞっこんで、あたしの誕生日はすぐ忘れるくせに、結婚記念日には毎年欠かさず豪華なバラの花束を抱えて帰ってくる。そんなちょっと憎い人だけど、食品会社の開発部門につとめてて、いつも食通を自負してるだけあって料理を作るのがとっても上手。あたしは子どものころからママの作るご飯より、日曜の晩にだけ作ってくれるパパの手料理のほうがだんぜん好きだった。盛り付けがちょっと気取っているけど、思いっきり気合を込めて作っているだけあって、すごく美味しい。たまに外食すると店の料理口にしながら、あーでもない、こーでもないってウンチクたれるのが少しウザイけど、でもあたしのつくる料理の味って、たぶんパパの味……。将来お嫁に行ったとき、旦那さまから「君のつくる料理は美味しいね」って褒められたら、それはきっとパパのおかげだ。

 その彼が、タオルで顔をがしがし拭きながら再び近づいてきた。

「ゆみ子ー、パパのこと尊敬してるかー?」

 はあ? この人は、突然なにを言い出すのやら……。

 グラスの氷をかちゃかちゃかき回しながら「べつにー」と少しふてくされて見せると、「そうか、尊敬してないのか」と言って右手を小さく振ってみせた。その指先には、なんと一万円札が……。

「パパ大好きー、あたしの自慢のお父さん、将来はぜったいパパみたいな素敵な人と結婚するー」

「よしよし」

 なにが、よしよし、なのかよく分からないが、彼はたまにこうやって臨時のお小遣いをくれる。友だちに聞くと、わりとどこの家庭でも同じらしく、元来父親というものは、娘にお小遣いをあげることを秘かな楽しみにしているらしい。

 とにかく大事なデートを前に、金銭的なピンチは切り抜けられた。

「パパ、さんきゅ」

 右手にカルピスのグラス、左手に真新しい一万円札をひらひらさせながら階段を駆け上ってゆくと、下からちょっと照れた感じのパパの声が追いかけてきた。

「あんまり変なもの買うんじゃないぞー」

 あーっ、ママのやつ、パパにしゃべったなー!

 少し憤慨しながら部屋に戻ってみると、携帯電話のLEDが点滅していた。どうやらあたしが留守にしているあいだ誰かが電話してきたらしい。すぐに履歴をチェックすると、リストの一番上に、ヨウスケの名前があった。

 やった、かけてきた!

 あわてて表示された番号へそのままリダイヤルする。すぐにスピーカーの向こうから、ちょっと戸惑った感じの女の人の声が応じた。

「……はい。卯月ですけど」

 あれ? ヨウスケの声と違う。ひょっとして電話番号間違えたかな? いやいや、かかってきた番号に直接コールしてるから、そんなはずないし……。

「ヨウスケ……じゃない、ですよね?」

 当惑しながら訊ねると、少しの間をおいて電話口の向こうから、なにやら安堵するようなため息が聞こえた。

「……ああ、ヨウスケのお友だちだったのね? ごめんなさい、電話帳のリストに見知らぬ番号が登録されていたものだから、だれだろうと思って一応確認してみたの。夜遅くに、ほんとごめんなさいね」

 あっ、じゃあこの人がヨウスケのお姉さん。あいつ自分のじゃなくてお姉さんの電話番号あたしに教えたんだ。ひどいやつ……。

「あ、はじめましてぇ。ってゆーか、こちらこそ、ごめんなさい。あたし、てっきりこの番号がヨウスケの携帯電話のものだとばかり思って……」

「ううん、いいのよ。二人で同じ電話機を使っているんだもの」

 へー、今どきめずらしい、そういう格安料金プランがあるのかな? ちょっとセコい気もするけど……。

「いま、ヨウスケに代わるわね」

「あ……」

 今日はもう遅いから明日の朝またかけ直します、って言おうとしてたのにー。でも声が聞きたいのも、これまた事実。少しわくわくしながら待っていると、わずかな間をおいて、あのハスキーボイスが電話口から聞こえてきた。

「あ、俺だよ、おれおれ」

 なにが、おれおれ、よ。振り込め詐欺かっつーの。

「今日は、お前のおかげでマジ助かったよ。さんきゅーな」

「さっそく電話してくるなんて、可愛いとこあんじゃん。さては、あたしに気があるなあ?」

「まあ、ないって言えば嘘になるけどね」

 え、まじで?

「ところでよ、俺ちょっと臨時収入があったんで、お前になにかお礼がしたくてさ。なあ、今週の日曜日って空いてるか?」

「ごめん、今度の日曜は……ちょっと」

 さすがにデートだなんて言えない。せっかくヨウスケのほうから誘ってくれたのに、なんてタイミングの悪いこと……。

「そうか……残念だなあ。俺、お前に最高に美味いラーメン食わしてやろうと思ってたのに」

 このくそ暑いのにラーメンは、……ちょっと遠慮したいです。でも残念そうなヨウスケの声聞いてると、なんだか切なくなった。

「あ、でも、午前中少しくらいなら会えるかも」

「いいよ、別に無理しなくても」

「ううん、会いましょう。じゃないと、なんかこのまま一生会えなくなりそうな気がして……」

「ははは。女の子って、突然おセンチなこと言い出すから困るんだよな」

 なに言ってんの、自分だって女のくせに。

「じゃあ駅前に十時ってのはどうだ? ラーメンは無理かもしんねーけど、自販機の缶コーヒーくらいならおごってやるよ」

「せこっ。せめてスタバくらい連れてってよね」

「分かった。じゃあスタバのチョコレートマフィンで手を打ってくれ」

「おっけー」

 じゃあ日曜の十時な、って言って突然電話は切れた。なんて、せっかちなヤツ……。でもおかげで日曜日の楽しみが二倍に増えた。ちょっと二股かけるみたいで心苦しいけど、でもかたや初対面でまだ付き合うかどうか決めてないし、かたや女の子だし、まあいいかって感じ。

 ああ、なんか今夜はわくわくして眠れそうもないなあ、って思ってたけど、冷たいカルピスのどに流し込んで、部屋の明かりを消したら、そっこーで意識が夢の世界へと遠のいた。ものすごく寝付きがいいのも、あたしの取り柄だったり……。



 つづく……。


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