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はるよこい

 りりん――。

 自宅の部屋の窓に吊るしてある、風鈴がゆれた。

 網戸から流れこむ生ぬるい微風に短冊がひらひら踊るたび、心地よい涼やかな音色が部屋の空気をなごませる。

 りりん、りん――。

 闇夜に鼻を利かせ、風のにおいをさぐってみる。

 むっとするような湿った土の香りに混じって、さざめくような虫のこえが聞こえてくる。かすかに火薬のにおいもする。きっと近所の公園で、子どもたちが花火遊びをしているせいだろう。さあっと風の勢いが強まると、そのときだけどこかの家の茶の間から、野球中継の音声がとぎれとぎれに聞こえてくる……。

 心静かに夜風のにおいを感じとり、運ばれてくる音色にじっと耳を傾けていると、ほんのり桜色に染まった湯上がりの肌から少しずつ汗がひいてゆく。

 あとは、冷えたスイカでもあれば完璧。

 頭と体にバスタオルを巻きつけただけのあられもない姿で、あたしは膝や、かかとや、くるぶしのあたりにマッサージオイルをすり込んでいた。きれいな脚線美を維持するためには、日頃のケアがとっても大事。オリーブオイルがじんわり染み込んでゆくにつれ、昼間バイクを乗り回して疲弊した肌が徐々に回復してゆく。もう最高に気持ちの良いひととき――。

 けど、頭の中ではぜんぜん違うことを考えてたりする。先ほどからあたしは、自分の携帯電話にせわしなく視線を走らせては、何度も何度もため息をついていた。

 ……かけてくるかなあ。

 今日、別れぎわに、あのヨウスケと名乗る不思議な美少女と、互いの携帯番号を交換しあった。ほんとうに、いかにも話のついでみたいに「そのうち気が向いたら電話するから」って感じで聞き出した。そして「じゃあね」と手をふって別れた。もちろん、また会う約束なんてしていない。元々なんの接点もない、赤の他人の二人――。交換した電話番号だけが、今のあたしたちをつないでいる。

 りりん――。

 また風鈴がゆれた。

 テディーベアのヌイグルミが、少しふてくされた風にそっぽを向いている。その顔に、あの女の子の風貌を重ね合わせてみると、人生思いっきり斜に構えてます、みたいなふてぶてしさが妙に似通っていて、くすっと笑いがもれた。

 ほんと、面白い子だった。初めて出会うタイプの女の子。うちのがっこにも面白い子いっぱいいるけど、彼女みたいに、ただ一緒にいるだけでわくわくしちゃう謎めいた魅力にあふれる子ってのは、なかなかお目にかかれない。あの子きっと、なにか秘密を隠してる。あたしなんかの思いもつかないような凄い秘密――。

 それが知りたい。いや、彼女の何もかもを知って、あ、そういうことだったんだー、って納得したい……。

 バイクに乗るとき、ぎゅっとしがみついてきた細い腕の感触が、べったり張り付いてきた胸の隆起が、やわらかな頬のぬくもりが、まだあたしの腰や背中にしっかり刻み込まれている。

 ――また会いたいな。会ってまた二人でふざけ合ったり、ばか騒ぎしたい……。

 あたしは、勉強机のはしっこに置かれたピンク色の携帯電話へ、もう一度目をやった。

 ……かけてこないかなあ。

 自分の、それほど豊富ではない人生経験から言わせてもらえば、番号を教えたその日のうちに電話がかかってくればビンゴ! 相手はかなり自分に好意をよせているとみてよい。逆に今日電話がこなければ、そのまま永久に赤の他人として忘れ去られる可能性大。いざとなれば、こちらから電話してみてもいいけど、でも出来ることなら彼女のほうからかけてきて欲しい。

 ……ちくしょう、かけてこいよなー。

 そのとき、不意に夜空が震えた。

 どーんっ、どどんっ。

 どこかで景気よく花火が打ち上がったようだ。破裂音が低く轟くと、夜空をみたす弛緩した闇がぐらりと揺らぎ、入れ替わるように虫のこえが静まった。いいね、花火の音って。せっかく巡ってきた夏という季節を目一杯楽しまなきゃ、って気にさせてくれるよ。可愛い浴衣着て、赤い鼻緒の下駄をからころ鳴らして、外を練り歩きたくなる。素敵な誰かと手をつなぎながら……。

 妙な空想にひたってしまい、あたしは急にひりひりと喉の渇きをおぼえた。オイルの瓶を置いて、ゆっくりと立ち上がる。スイカは冷えてないけれど、お中元でいただいたカルピスなら冷蔵庫にお行儀良く並んでいるはずだ。

 手についたオイルをバスタオルで拭って部屋を出ようとしたとき、突然、携帯電話が鳴った。おおげさな話じゃなくて、あたしはぴょんと飛び上がった。

 やったー、きた、きた!

 慌てて勉強机に駆けもどる。胸に手を当て、大きくひとつ深呼吸する。そしてヨウスケと名乗るあの女の子の、可愛い顔には似合わないハスキーボイスを素早く想像してみた。

「あ、ゆみ子か? 俺、昼間バイクに乗せてもらったヨウスケ。もちろん、おぼえてるよな?」

 たぶん、こんな感じ。

 ――よし。

 うん、と咳払いをして、ゆっくり受話器を耳に押し当てた。

「……はい、ゆみ子です」

 ちょっと気取った声が出てしまった。

「あ、ゆみ子。今日は途中でいなくなっちゃって、ごめんねー」

「……なんだ、沙織じゃん」

 電話の相手は、ヨウスケではなく親友の沙織だった。急にへなへなと膝から力が抜けてゆき、あたしはそのまま勉強机のイスにどさりと座り込んだ。

「なーんだ」

「なーんだとはご挨拶ねー、あれれ、やっぱご機嫌ななめとか?」

「べつにぃー、そんなことないけどぉ」

「ふーん……。あっ、じゃあ、もしかして――」

 沙織の声がはずんだ。

「だれか良い人からの電話を待ってたとかー?」

「ち、ちがうもん。そんなんじゃないもん」

 こらこら、そんなに動揺してどうする。それじゃ「はい、その通りです」って答えてるようなものじゃん。

「あれ、図星だった?」

「ちがうってばあ。もう、へんな勘ぐりしないでよね」

「ごめんごめん。でもさあ、あんたの言ってた、なんだっけ? 身を焦がすような運命的な出会いだっけ? そういうの、あたしもちょっとだけ憧れちゃうんだ……」

「なーに言ってんの、あんたにはケンジがいるじゃん」

「ケンジねえ……」

 そのとき、受話器の向こうから、そのケンジの間の抜けたような声が割り込んできた。

「なになに? 俺のうわさ? ってか、おまえ今だれと話してんの?」

 え、え? 沙織、今ケンジと一緒なの? なんで、こんな時間に? って、まさか……ラブホから電話かけてきてるとかーっ。

 固唾をのんで耳をそばだてていると、受話器の向こうから沙織とケンジがなにやら言い争いをしながらも、思いっきりいちゃついている様子が伝わってきた。「その電話こっちによこせー」とか「だめえ」とか、妙に嬉しそうな悲鳴が聞こえてくる。途中、「ケンジのえっちー」とか、けしからんセリフも聞こえてきて、あたしはだんだん腹が立ってきた。なんだかんだ言ったって、あんたら思いっきりラブラブじゃん! ってゆーか、それ見せつけるためにわざわざ電話してきたわけ? この、おたんこなす娘がーっ。

「……ね、ねえ、もしもし、沙織? 用がないんなら電話切るよ。二人の愛のはぐくみを邪魔しちゃ悪いし」

 すると、電話機の奪い合いに勝利したらしい沙織が、早口で言った。

「あ、ごめんごめん。それでね、ゆみ子。じつはあんたに紹介したい子がいるんだけど」

「え?」

 思いもよらぬ展開に、ちょっとドキッとする。

「ケンジの中学時代の友だちでさ、大高でサッカー部のキャプテンやってるスポーツマンなんだ」

「……大高っていったら、秀才ばっか集まるちょー進学校じゃん」

「そうそう。おまけに、めっちゃイケメンで、身長はかるく百八十センチオーバー」

「……」

「あと、親がお医者さんで、本人も医大に入るため家庭教師三人つけて猛勉強中なんだって。ね、まさにサラブレッドでしょ?」

 なんだか悪徳商法のセールストークみたいに良いことづくめの話だ。

「……そんな凄い子が、どうしてケンジなんかに彼女の斡旋依頼してくるわけ?」

「さあねえ、スポーツマンって意外とウブなんじゃない? で、なかなか女の子のことを上手に口説けないとか」

「なあるほど」

「会ってみなよ。今度の日曜日。あたしとケンジでしっかりお膳立てするから」

 うふふ、と含み笑いしながら沙織が言った。いきなり降って湧いたような話だけど、でもスポーツに打ち込む男子のひたむきな姿って、嫌いじゃない。ケンジの紹介ってゆーのが、ちょっとしゃくにさわるけど……。

「……まあ、会ってお話するくらいならいいかもしんないけど」

「お、やる気まんまんじゃん。上手くいけば、新しいローター買う必要なくなるしね」

「うるせー」

 二人して、きゃははと笑った。風鈴が、りーんと泣いた。一瞬、ヨウスケの笑顔が浮かんで、なぜだか胸がずきっと痛んだ……。



 つづく……。


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