あたし乗り物に弱いんですゥ
愛子の家は、鳶魚組という工務店を経営している。ちなみに愛子のフルネームは、魚住愛子。腕っこきの大工さんを何人も抱えていて、今風のツーバイ建築から、神社仏閣の修繕まで幅広く手掛けているらしい。
ヨウスケのことがいたく気に入ったというおじさんから、ぜひ神輿の宮出しを見ていけと奨められて、あたしたちは参道を本殿のほうへ引き返していた。
「ここの祭りの実行委員を、愛子のところでやってるとは思わなかったよ」
愛子とならんで歩きながら、その姿にちょっと見惚れる。ボーイッシュな美人の彼女には、粋な法被姿がすごく似合っていた。
「ひいお爺ちゃんの代に、空襲で焼けた社殿の修理をうちで手掛けたらしくてさ。それが縁で、どういうわけか祭りの仕切りをやらされてるんだよね」
「まあ、愛子のパパならテキ屋の親分でもじゅうぶんに通用しそうだけど」
声をひそめて言うと、愛子は豪快に笑った。
「あはは、違いない。うちのオヤジは大工の棟梁ってより見た目がもろヤクザだからね。若いころは、鳶魚と聞いただけで地回りのヤクザが恐れをなして逃げ出すと言われてたんだ」
拝殿の前は、すでに見物人であふれ返っていた。高山祭りの神輿は子どもの頃から見慣れてるけど、けっこう勇壮で、かなり見ごたえがある。すでに宮移しの神事を終えた三基の神輿が、頂きに鳳凰をキラキラと輝かせながら勢揃いしていた。
「さて、あたしもそろそろスタンバらなくちゃね」
愛子が屈伸運動を始めたので驚いて訊ねた。
「えっ、愛子もあの神輿をかつぐわけ?」
「残念ながら本神輿をかつげるのは男だけさ。祭り保存会から女神輿というのも出るけど、あたしの役目は太鼓を叩くことなんだ」
「太鼓?」
「そう、迎え太鼓といってね、屋台で太鼓を打ち鳴らしながら神輿を先導してゆくんだ。毎年うちの組がその太鼓台をかつぐことになってる」
「へえ、すごいね。じゃあ愛子がそのおみこしに乗ってバチを振うんだ」
「半日も叩いてると腕がパンパンになるけどね。他になり手がいなくてさ」
と、苦笑する愛子のもとに、彼女とおなじ「鳶魚組」という法被を着た男たちが駆け寄ってきた。
「あっ、お嬢っ、こんなところにいた」
「悪ィ、今行くから」
「源次さんがさっき腰をやっちまって、どうしようか相談しようと思ってたんです」
「えっ、マジかよ」
パーマ頭に鉢巻きをしめた男が、申しわけなさそうに言った。
「すんません。俺ら、源さんは手伝わなくていいって言ったんですけど……トラックから屋台を下ろすときにちょっと捻ったみたいで」
「あのひとは年寄り扱いされるとすぐムキになるから。でもそうなると困ったなあ」
愛子が腕組みしながら悩み始めたので、心配になって声を掛けてみた。
「どうしたの、なにかトラブル?」
「あたしと一緒に太鼓を叩く予定だったひとが急に参加できなくなったみたいでさ」
「他にだれか代わりはいないの?」
「うちは力仕事が取り柄の連中ばかりだから……。けどなあ、半日もあたしひとりで叩くってのは、やっぱキツイよなあ」
すると今までおとなしく綿アメを舐めていたヨウスケが、ポンと愛子の肩を叩いた。
「しゃあねえな、ゆみ子のダチが困ってんなら助けないわけにもいくめえ。まあ、この場は俺様に任せとけ」
「えっ、ひょっとしてヨウスケ君、太鼓が叩けるの?」
驚いたように訊く愛子に向かって、ヨウスケはスンと鼻をすすり自慢げに胸を反っくり返らせた。
「あたぼうよ、リズム感の良さならそこいらのガキには負けねえぜ。つねにハイスコアをたたき出してるからな」
あたしは、あわててヨウスケの肩を小突いた。
「あんたまさか、それゲームセンターでの話じゃないでしょうね」
「ピンポーン」
「ピンポンじゃねェって」
「ばァか、同じようなもんだろ、ちゃんとバチも使うんだし」
ヨウスケの能天気ぶりにはいつも呆れてばかりだけど、日ごろから猪突猛進を信条としている愛子はさすがに決断が早かった。
「じゃあ、お言葉に甘えて、ここはひとつヨウスケ君にお願いしようかな」
そして、あたしに拝むマネをする。
「そんなわけでデート中のところ悪いんだけど、ちょっと彼氏借りるわ」
「いや、貸すのはいいけど……ホントにこいつで大丈夫?」
「だれに頼んでも叩いたことないのは一緒だし、なら少しでも気合い入ってるひとのほうが良いもんね」
そのとき鳥居の向こうから愛子のパパの呼ぶ声がした。
「おうい、そろそろ宮出しが始まるぞっ。早く準備しろ」
「じゃ、行こっか」
愛子がヨウスケの手を引いて石段のほうへ駆けてゆく。あたしは必死でそれに追いすがった。
「あん、待ってよう」
ちょっと、なんなのよコレ。ていよく恋人を奪い去られた間抜けな女みたいな図になってるんですけど。
長い石段を下りた先にある大鳥居の前では、さっき愛子の言っていた太鼓台がどっしりと鎮座していた。お揃いの法被を着た男たち五十人余りがその周りをズラっと取り囲んでいる。太鼓台は、盆踊りのやぐらに担ぎ棒を渡したような造りで、全体に紅白を基調とした派手な装飾がほどこされていた。しかもけっこうデカイ。どう見ても神社から出る神輿よりはるかに大きかった。アミューズメント・パークの絶叫マシーンとまではいかないけど、これに乗るとかマジで勇気要るわ。
と思ってたらヨウスケに右腕を引っぱられた。
「ほら、ゆみ子もさっさと乗れよ」
「えっ、なに言ってるの。あたしこんなものには乗らないよ」
今度は、愛子が左腕をつかんだ。
「いいから、早く早く」
「えっ、えっ、ちょっと待ちなさいってば」
あっという間に、やぐらへ引っぱり上げられた。ひえっ、冗談やめて。運転手さん、あたし降りますゥ。
すかさず下のほうから威勢の良い声が掛かる。
「お嬢っ。それじゃ上げますぜいっ」
「おう、景気良くやってくれっ」
ソイヤッ、ソイヤッという掛け声とともに、太鼓台が一気に持ち上がる。ふええっ。
「回しますよっ」
そのままお披露目するみたいに、ぐるぐると回転し始めた。取り囲んだ観衆からワッと歓声が上がる。ついでに、あたしの口からも悲鳴が上がる。ひえええええっ。
「ソレデハ、タダ今ヨリ、イチノ宮ガ出発シマス」
場内アナウンスが流れる。愛子がバチを取り上げた。
「じゃあヨウスケ君いくよ。上手くあたしのリズムに合わせてくれれば良いから」
「あいよっ」
ドンドコ、ズコズコ、ドンドコ、ズコズコ
愛子とヨウスケが、向かい合わせになってバチを振るい始める。超ド迫力の重低音が腹にビンビン響く。太鼓のすぐ横にいるあたしは頭がぐらんぐらんした。やがて参道から現れた一の宮の神輿が、夏の日ざしを反射させながら勇壮な掛け声とともに石段を下りてくる。
オイサッ、ソイサッ、オイサッ、ソイサッ
つづいて二の宮、三の宮と順に姿を現し、興奮した観衆によってあたりは大歓声に包まれた。
神輿の練り歩く先にはすでに交通規制が敷かれ、片側車線が通行止めになっている。沿道に詰めかけた人々が、お巡りさんの制止をよそに身を乗り出して声援を送る。観衆の熱気が、神輿をかつぐ男たちへも伝わってくるのか、太いかつぎ棒が激しく上下する。ゆっさゆっさ。まるで荒波にもまれるゴムボートに乗せられた気分。ソイヤッ、ソイヤッ。ゆっさゆっさ。ひえええっ。
ゲームの腕を自慢していただけあって、ヨウスケのバチ捌きはなかなかのものだった。浴衣のすそを尻はしょって帯へねじ込んでいるせいで、ほとんどパンツ丸見え。それでも両足を踏ん張って豪快に太鼓を連打する。
ドンドコ、ズコズコ、ドンドコ、ズコズコ
太鼓台は、ただ真っ直ぐに進むだけじゃなくて、ときどき立ち止まっては観客に存在をアピールする。差し上げといって、タカイタカイをするみたいに一斉に持ち上げたり、練り回しといって屋台をぐるぐる回転させたりする。あたしは振り落とされまいと必死でやぐらにしがみついた。浴衣の襟がはだけて、アップにした髪が風圧でひん曲がる。ふええん、もう帰りたい。
市役所前のメインストリートを左へ折れてしばらく進むと、商店や雑居ビルの連なるゴミゴミとした通りへ出る。その先のほうで、なにか騒ぎが持ち上がっていた。群衆の合間からパトカーの赤色灯もちらちら見える。激しいクラクションと、空ぶかしさせるバイクのエンジン音——。
ヨウスケが、太鼓を叩く手を止めて振り向いた。
「どうしたゆみ子、なんかあったのか?」
「よく分かんないけど……おみこしの進行方向にバイクが大勢集まって騒いでるみたい」
つづく……。