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おとこのこ、おんなのこ

 レジで会計をすませ、あきらかに軽くなったウォレットをお尻のぽっけに突っ込むと、切ない切ないため息がもれた。

 あーあ、つまんないことで余計な出費しちゃったな。それでなくとも、今月はお小遣いもらえないというのに……。

 ちょっとブルーな気分のまま駐車場へ戻ると、あのおかしな美少女があたしのバイクにまたがって、ぶおーん、とか、ばばばばば、とか叫びながら体を揺すっていた。

 ほんと変な子。

 でも、無邪気な笑顔がまぶしいくらい魅力的に見えた。ちょっと歯並び悪いけど、でもときおり唇の合間からのぞく八重歯が真っ白できれい。何かひとこと文句を言ってやろうと歩み寄り、しかし彼女と目が合ったとたん自分が何を言おうとしていたのか忘れた。あまりに悪気のないその顔を見て、もう些細なことなど、どうでもよくなってしまったのだ。

 なんか調子狂うなあ。

「ほんじゃ、帰ろっか」

 なかば投げやりに言うと、彼女は急にバツが悪そうな顔をしてつぶやいた。

「……悪かったな、いろいろと振り回しちまってよ」

「いいよ、あんたといると、けっこう楽しいもん」

「それ本当? ならいいんだけど」

 はにかんだ笑顔を見せ、彼女がずりっずりっとお尻をずらしながらタンデムシートへ移動する。入れ替わるようにあたしがサドルにまたがると、初めて出会ったときみたいに背後から腕がのびてきて、ぎゅっと腰にきつく巻きついた。

「おまえ……良い匂いがするな」

 不意に彼女がつぶやく。

「え?」

 突然、何を言い出すのやら。でも、そんなこと言われたら悪い気はしない。

「こうしてると、とっても良い匂いがするんだ」

「コロンの匂いかな? でもお金なくってさ、あんまり高価なもの使ってないんだけどね」

「いや、そういうんじゃなくて」

 言いながら彼女は、あたしのジャケットの背中へ頬をすりよせ、髪のあいだに顔をうずめてきた。

「女の子の匂い……っていうのかな。ほんのり甘くて、ふわっと柔らかくて、でもちょっとだけ生ぐさい、みたいな」

 生ぐさいってなによ、生ぐさいって。

「なーに言ってるのよ、あんただって女じゃん」

「……」

 一瞬、みょうな沈黙があった。

「女の子……だよね?」

 答えない。

「ま、まさかニューハーフとか?」

「ひとをオカマみたいに言うな」

「だって……」

「いいから行こうぜ」

「う、うん」

 そこで、この会話はいったん打切られた。

 頭の中に浮かんだおかしな妄想を振り払うべく、あたしは愛車ヤマハ・ビラーゴのエンジンを始動させる。二、三回空ぶかしすると、うおおおんと良い音をさせて、マフラーから真っ黒い煙が吐き出された。バックミラーが少し曲がっていたので調整したとき、鏡越しに一瞬だけ彼女と目が合った。ほんの一瞬の、時計の秒針が、かちっかちっと二回動くくらいのあいだ、あたしたちは見つめ合った。そして不意に彼女は、いたずらを見つかった子どもみたいに目を逸らし、あわててヘルメットをかぶった。

 あたしも、少しだけドキドキした。

 排気ガスのにおいが、白っぽい微風に巻き上げられてゆく。どこか後ろのほうで、置き去りにされたコーラの空き缶がころころ転がる音がした。エンジンの回転数を上げ、クラッチをつなぐ。目の前の景色が、ゆっくりと後方へ流れだす。そのまま昼下がりの怠惰な空気を切り裂いて、バイクは轟音とともにスピードを上げた――。


 彼女が住んでいるというアパートは、二人が出会った駅から徒歩で十分ほどのところにあった。バイクだと、あっという間の距離だ。

 敷金礼金要らずのワンルームマンション。どう見たって、ここで家族と暮らしているとは思えない。タイル貼りの壁から、英語でリバーサイド・シティハウスと銘打った看板が突き出している。リバーサイドねえ……。一応あたりを見回してみたけど、川らしきものなんてどこにもない。

「ここで一人で暮らしているの?」

 ゴーグルを外し、等間隔にならぶ四角い窓を見上げながら訊ねた。

「……いや」

 彼女は、鬱陶しそうにメルメットを脱ぐと、うなじを隠すていどのショートヘアをぶるんぶるんと振った。ひかえめに茶色く染めた髪が、太陽光線に透けて金色に輝いている。

「姉貴と二人で暮らしてる」

「あ、お姉さんがいるんだ」

 彼女に良く似た美人のOLを想像して、思わずため息がもれた。いいな、お姉さんと二人暮らしなんて。

「ちょっと休んでくか?」

 不意に彼女がそう訊いてきたので、びっくりして首を横に振ってしまった。

 ――あたしって、バカ。

 心の中は、もう彼女に対する好奇心でいっぱいなのに、このまま別れたくないのに、せっかく彼女のほうから声をかけてくれたのに……。とっさに意思とは正反対の行動をとってしまう。あたしの悪いクセだ。だけど今さら「やっぱり寄ってくー!」なんて言えない。お腹を押さえて、うずくまってやろうかな。「あ痛たたたっ、とつぜん持病の癪が……」とかなんとか言って。

「なあ、名前教えてくれよ。街で逢ったとき、なんて声かけていいか分かんねえし」

「え、あ、うん……。あたし、ゆみ子」

「そっか」

 え、それだけ? それで終わり? 君にぴったりの可愛い名前だね、とか、ゆみ子ってどんな字書くの? とか、もっと他にもリアクションあるでしょうに。

「俺、ヨウスケってんだ」

「あ、ずるーい。ちゃんと自分の名前教えてよう」

「……だからヨウスケだって」

「何とぼけたこと言ってんのよ、ヨウスケなんて男の名前じゃん。それともあれ? あまりにも言葉づかい乱暴だから、男みたいなあだ名付けられたとか?」

「いや違うって。あだ名じゃなくて、本名がヨウスケなの」

「ウソばっか……」

 ここでまた、さっきと同じ疑問が頭に浮かんだ。もしかして、思いっきりニューハーフとか?

「あなた……って、ひょっとして男性?」

「だとしたら、どうする?」

「……べ、べつに、どうもしないけど」

 とか言いながら、半歩ほど後じさる。

 でも、どう見たって女の子の体なんだよなあ。乳だって羨ましいくらいに大っきいし、腰なんて悔しいくらいにくびれてるし、顔も憎らしいくらいに可愛いし。あと骨格もほっそりして華奢だし、喉ぼとけだってない……。

 どっからどう見ても、とびっきりの美少女――。

「うむむ……」

 考えてみても分からないことは、実力行使、当たって砕けろの精神で強引に調べるのが、あたしの流儀。

「えいっ」

 むぎゅ。

 右手をのばし、Tシャツの上から思いっきり乳をわしづかみにしてやった。彼女が驚いて身を固くする

「お、おい、いきなり何しやがる」

「いや、この乳、本物かなーって思って」

「本物にきまってるだろ、百パーセント純生おっぱいだ」

「でも最近の医療用シリコンは、なかなか区別つかないくらい柔らかくて弾力があるってゆーから……」

「ひとを、まがい物みたいに言うな」

 ただつかんだだけじゃ本当の質感がよく分からないので、ちょっと揉んでみた。

 わしわし。

「うーん、微妙な感じね……。手触りは本物っぽいけど、でも形が整いすぎってゆーか、寄せて上げて感がないってゆーか……。ってか、これEカップくらいあるでしょ?」

「お、おいっ、調子にのってあんまり揉むんじゃねえ。なんか気分出てきちゃうじゃねえか」

「え、感じてるの?」

「ばかやろう。このあま、いい加減にしねえと……」

 こうしてやる! と言って、今度は彼女があたしの首に腕を巻きつけ、もう片方の手で乳をつかんできた。

「きゃあ! 何すんのよ、この変態」

「うるせー。やられたら、やり返す」

「ちょっとやめてよ、痛いじゃないのよ」

「えーい、じたばた騒ぐな。このボリューム感に欠ける揉みごたえはBカップとCカップのあいだってところだな。しかも脇の下の肉まで総動員してる」

「うるさい、うるさい!」

 逃れようと懸命にもがくのたが、華奢な体にしてはやけに力が強くて、なかなか身をはなすことが出来ない。

「わはは、ヨウスケ様ごめんなさい、ってゆったら許してやるぞ」

「ばか、だれが謝るもんか。このまま、あんたの傲慢無礼な乳揉みたおして、大根のべったら漬けみたいに萎れさせてやる」

「おー、やってみろ。俺様のおっぱいは永遠に不滅だ」

 二人、もつれ合いながらお互いの乳を揉みあっていると、部活の帰りだろうか、ジャージ姿の中学生が三人、あたしたちのことを遠巻きにしながら何ごとかひそひそささやき合ってるのが見えた。気がつくとアパートの二階の窓からも、誰かが首を突き出して興味深げにこちらを見下ろしている。急に恥ずかしくなって、あたしたちはあわてて身をはなした。

「あぶねーあぶねー。すっかりおめーのペースにはめられちまったぜ。なんて、くれいじーなヤツなんだ……」

「あぶないあぶない。そっちこそ、見た目可愛いと思って油断してたら、危険きわまりない要注意人物だわ……」

 ちょっと顔を赤くして、しばらくのあいだ互いに睨み合っていると、突然、彼女の細い肩が小刻みに震えだした。くっくっと、ひきつけを起こしたようにとじた口から乱れた息が漏れ出している。こみ上げてくる笑いの衝動を、懸命にこらえているのだ。あたしもつられて、思わずぶーっと吹き出してしまった。それが合図となり、二人は堰を切ったように腹を抱えて大爆笑した。

「ははははは、は、腹が、腹が痛てーっ。おまえって最高に変なヤツだよ」

「ひーっ、やめてー。苦しくて息ができないよー」

 あたしたち女の子は、何でもないことで日々よく笑う。

 誰かさんの失敗談、間の抜けた噂話、テレビで仕入れた一発ギャグ……。

 後で考えると何でもないことが、もう可笑しくってたまらない。十七才の、今のあたしたちにしか分からない、笑いのつぼ。始動させるスイッチはいたるところに存在し、そしていつも誰かが不用意にそのスイッチを押してしまう。

 ――女の子の体は、つねに笑いたがっているのだ。

 ましてや、今日みたいに空が底抜けに青い日曜日なら、なおさら……。

 ヨウスケと名乗るその美少女とあたしは、夏の陽射しが降りそそぐ古びたアパートの前で、もう死ぬかと思うほど笑い続けた。

 ギャラリーたちはあきれて、とっくに姿を消している。



 つづく……。


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