怒るのもムリないよね
「ごめんなさいっ」
沙織とケンジがテーブルに手をついて同時に頭を下げた。ケンジは沙織に頭を押さえつけられながらだったので、勢い余ってごちんと額をぶっつけた。
「痛てっ」
店内にいる他のお客さんが驚いて一斉にこっちを振り返る。日曜日の午後三時。駅裏のさびれたパチンコ店と不動産屋のあいだにはさまれた小さな喫茶店には、それなりに客が入っていた。あたしは恥ずかしくなって、両手をひらひらと左右に振ってみせた。
「いいよいいよ、二人ともそんなに謝んなくたって。幸いあたしもこうして無事でいることだし」
「あんたにそう言ってもらえると、ちょっとは気が楽になるわ」
沙織が顔を上げてほっと安堵の息をつく。ちなみにケンジの頭は、まだテーブルのうえに押さえつけられたまま。
「いや、私もケンジもさー。まさかあの高木ってやつがそんな悪党だったなんて思いもしなかったわけよ」
彼女が言うには、ブラックローズであたしたちと別れたあと、二人はそのまま当てもなく駅前通りをぶらついていたらしい。そこでケンジの中学時代の同級生とばったり会い、そのひとから高木のよくない噂をいっぱい聞かされた。
「あいつ、痴漢行為がバレて学校のほうは無期停くらったままだし、サッカー部なんてとっくのむかしに退部になってたのよ。今じゃご意見無用のアウトローな連中とつるんで、女性のスカートのなか盗撮するわ、出会い系サイトで知り合った女の子廃屋へ連れ込んで乱暴するわ、それはもうやりたい放題」
で青くなった二人が、高木たちがいつもたむろしてるというあの廃ビルのことを聞き出して、大慌てで駆け込んできたというわけ。もちろん悪気があってあいつを紹介したわけじゃないし、ちゃんと助けにも来てくれたんだから、あたしとしては彼女たちのことを恨む気持ちなんてこれっぽちもない。でも、あのときヨウスケが助けに来てくれなかったら、タイミング的にはちょっとアウトだったかも……そう思い返したら無性に怖くなってくる。
「ほんと、ヨウスケ君もごめんねえ」
沙織が悲しそうな上目使いでヨウスケを見る。さっきからケンジと一緒に平身低頭して何度も謝ってるんだけど、ヨウスケはまだ彼女たちとは一言も口をきいていない。あたしの隣でぶすっとふて腐れながら、窓の外を移ろいゆく景色を眺めて知らんぷり。沙織がたのんでくれたアイスティーにも一切手を付けていない。氷が全部溶けちゃって、もはや別な飲み物と化している。まあ、怒るのもムリないとは思うんだけど……。沙織は、ちょっと目を伏せてため息をついた。
「ナイフ持った相手と命がけで格闘してるときに、靴のかかとで思いきり叩かれちゃうんだもんね。そりゃ頭に来るわよね。もう、ケンジのバカ」
「だからよう、さっきからスマン、スマンって何度も謝ってるじゃねえか」
いい加減苦しくなってきたらしく、ケンジはテーブルのうえに顔を押しつけられたままジタバタともがき始めた。おいおい沙織ってば、そろそろ離してやれよ、仮にもあんたの恋人でしょうが。
「しょうがなかったんだよ、暗くて状況がよくつかめなかったし、てっきりナイフ握ってるのが高木だと勘違いしたんだ。ちょうどあんたが野郎からナイフ奪い取ったばかりでよう……」
ケンジは、額に青筋を立てながら渾身の力をこめてぐぐっと上体を持ち上げた。それを見て、沙織はようやく彼の頭から手を離した。
「あいつはよう、中ぼうんときはマジで良いやつだったんだぜ。優等生でスポーツ万能だけど、それを鼻にかけるようなところも全然なくて、俺みてえな落ちこぼれの不良とも分けへだてなくツルんでくれたんだ」
人間の本性ってホント分かんない。夢は宇宙飛行士だなんて、あたしもすっかり騙されちゃった。
「ゲーセンでばったり再会したときもすごく嬉しそうな顔して、久しぶりだなって俺にビールとお好み焼きおごってくれたんだ。それで、だんだん話が盛り上がってきて、彼女が欲しいから可愛い子がいたらぜひ自分に紹介してくれないかって……」
ビール飲むなよ未成年のくせに、つか、あたしはお好み焼きのお礼としてヤツに紹介されたのかい。でも人生って、きっと転落するときはあっという間なんだろうな。あんな最低のやつでも、これから心を入れかえて更正できる可能性はあるのだろうか。
「ねえ沙織、あいつらそのまんまにして出てきちゃったの、やっぱマズかったんじゃないかな? ここは善良な一般市民の義務として警察へ届け出るべきだったんじゃ……」
「なに言ってんの、警察へなんか行ったらいろいろと面倒なことになるに決まってるじゃん。ポリスどもに関係ないことまで根掘り葉掘り訊かれちゃうし、がっこにも親にも事件のことがバレちゃうだろうし。だいいち、あいつら四人ともヨウスケ君がボコっちゃってるんだもん、ヘタをするとこっちが傷害罪で訴えられる可能性だってあるんだよ」
「うん、そりゃまあそうだけど……」
けっきょく高木のクソッタレは、ヨウスケと揉み合ってるうちに頭突き三発食らってノビちゃった。あたし止めたんだけど、その後ヨウスケは宣言した通りにやつの右手の指をへし折った……。
沙織は自分のショルダーバッグから一枚のメモリーカードを指でつまみあげ、あたしの目の前でひらひらさせた。高木の持っていたビデオカメラから抜き取ったものだ。内容は確認してないけど、たぶん可憐なあたしが今まさに悪漢どもの手に落ちようとしている、その一部始終が収められている……はず。
「ここに、あいつらの悪事の証拠もあるし、これさえあればいつでも警察に行けるよ。もしやつらがこの先まだ悪行を重ねるようだったら、そのときは恐れながらと御上に訴え出ればいいじゃん」
「……そうだね」
高木のクソッタレが目を覚ましたとき、自分のビデオカメラからメモリーが抜き取られていることを知ったらきっと青くなるに違いない。悪事の証拠をあたしたちに握られてしまったのだ。この先自分たちがいつ警察の御用になるか、毎日びくびくしながら過ごさなければいけない。
「ところでよう」
ケンジが、ヨウスケにすっと指先を突きつけながら言った。
「あんた、ゆみ子が襲われてる現場にどうして助けに行ったんだ?」
ふん、とそっぽを向くヨウスケ。でも目がうろうろと宙をさまよってます。沙織が、にやにや笑いをしながら言った。
「ずっと、ゆみ子のあとを尾行てたのよねえ」
え、まじっすか?
「ゆみ子ってば、ぜんぜん気づいてなかったの? ヨウスケ君、あんたがブラックローズにやって来たすぐ後にこっそり入ってきて、カウンターからこちらの様子ちらちら窺ってたんだよ」
「ヨウスケ、それ本当なの?」
窓のほうを向いたまま、ばっくれちゅうのヨウスケ。でも耳がほんのりと赤く染まってるところが、ちょっと可愛い。そうか、ヨウスケはデートの最中ずっとあたしのことを尾行てたんだ。ジェラシーかな。うんうん、やっぱジェラシーだよね。
「さてと」
沙織がレシートをつかんで立ち上がった。
「じゃ悪りィけど、あたしたちそろそろ行くわ」
「うん」
「ヨウスケ君も、今日はいろいろあったけど、これからもヨロシクね」
沙織が、さっきまでとは打って変わって爽やかな笑みでヨウスケに右手をさし出した。こういう屈託のない行動をとれるのが彼女のすごいところ。些事にはこだわらない主義ってやつ。ずっと知らんぷりを決め込んでいたヨウスケも、なんだか毒気を抜かれたみたいになって、つい握手を交わしてしまった。
「こんな格好良い恋人がいるんだから、こんりんざい、ゆみ子には男の子紹介してやんないからね」
沙織が、からかうような目つきであたしを見る。へいへい、そりゃあもう。つか、女の子どうしなのに恋人って認められちゃうのもどうよ。あたしビアンじゃないし……。
調子に乗って、ケンジまで右手をさし出した。
「へへっ、じゃあ俺のこともひとつヨロシク」
その手を、ヨウスケはぴしゃりとはじき返す。
「痛てっ、なんだよ、男女差別の激しい野郎だな」
だんだんケンジのことが可哀想になってきたので、あたしが取りなしてやった。
「こいつ不良で間抜けでアンポンタンだけど、根は良いやつなんだよ。そろそろ許してあげなよ」
ほらあ、と言ってヨウスケの腕をつかみ、無理やりケンジと握手させる。ぶすっとふて腐れながらも、ヨウスケはされるがままになっていた。ケンジはちょっと照れて、表情をくずしながら頭を掻いた。
「あざっす」
そのまま二人ならんで、あたしたちに手を振る。
「じゃあね、ゆみ子。また明日」
「うん、ばいばい」
二人が店を出たあと、あたしはあらためてヨウスケにお礼をのべた。
「今日は、ホントありがとうね。ヨウスケが来てくれなかったら今ごろ大変なことになってたよ。もうお礼のしようがないくらい」
あたしが真剣な顔でそう言うと、ヨウスケはふて腐れながらも、まんざらではなさそうな顔で鼻息を荒くした。ここは一発、とどめを刺しちゃいましょう。
「もうぜったい、他の男の子に目移りなんかしないよ。あたしはずっとヨウスケ一筋……」
ふわふわの頬っぺに軽くキスしてやった。ヨウスケの顔が面白いくらい、だらしなくユルんでゆく。
わりと扱いやすいヤツだな、こいつ……。
つづく……。