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第8話 悪役聖女と目覚めの約束

 真っ白な光が遠のき、はっ、と息を吸い込むと、そこはエリーゼの寝室だった。

 視界の端に、心配そうにこちらを覗き込むクロードの顔が見える。現実だ。帰ってきたんだ。

 そう認識した途端、全身を凄まじい疲労感が襲った。立っているのがやっとで、足元がおぼつかない。まるで、体中の水分が全て蒸発してしまったかのような、極度の脱力感。


「……っ」


 思わずよろめいた私を、クロードが慌てて支えてくれた。


「リディア様、大丈夫ですか!? 顔色が、真っ青だ……」


(大丈夫なわけ、ないでしょうが……体力も精神力も、もう完全にゼロよ……)


 内心の悲鳴とは裏腹に、私は彼の腕をそっと押し返し、どうにか自力で背筋を伸ばした。リディアの仮面は、まだ外せない。


「……問題、ありませんわ」


 声が少し掠れてしまったのは、仕方のないことだ。

 その時、ベッドの上で、か細い気配が動いた。私とクロードの視線が、一点に集中する。


 エリーゼが、ゆっくりと瞼を開いた。その虚ろだった瞳に、微かな光が宿っている。彼女の唇が、小さく動いた。


「……お兄、さま……?」


 数ヶ月ぶりに発せられた、兄を呼ぶ声。クロードが、息を呑んでベッドに駆け寄った。


「エリーゼ! わかるか、私だ! 兄のクロードだ!」


 彼は妹の小さな手を握りしめ、涙ながらに語りかける。

 エリーゼは、こくりと小さく頷いた。その顔からは、死相のような青白さは消え、ほんのりと健康的な血の気が戻っている。浅く、苦しそうだった呼吸も、今は穏やかな寝息に変わっていた。


 呪いは、解かれたのだ。


 私の力が、この子の未来を救えた。その事実に、疲労困憊の身体の奥から、温かい安堵感が込み上げてくる。

 次の瞬間、クロードが私の方へ向き直り、その場に深々と膝を折った。貴族が、それも公爵家の嫡男が、床に膝をつくなど、最大限の敬意を示す行為だ。


「リディア聖女様……」


 見上げた彼の灰色の瞳には、もはや以前のような疑念や敵意はない。そこにあるのは、神を見るかのような、純粋な畏敬の念だった。


「このご恩、いかなる言葉をもってしても、表すことができません。妹の命を、そして、我らアンスバッハ家の未来を救っていただいた」


 彼は深く頭を垂れ、騎士の礼を取る。


「我が命に代えても、この恩に報いることを、ここに誓います」


(え……ええええええ!?)


 内心、私は絶叫していた。


(忠誠!? 命に代えても!? 重い、重すぎる! 私が欲しかったのは破滅フラグの回避であって、こんなガチガチの忠臣じゃないんですけど!?)


 予想外すぎる展開に、思考がショートしそうになる。だが、ここで戸惑いを見せるわけにはいかない。私はこの状況を、最大限に利用させてもらう。


「あなたの命など、必要ありませんわ」


 私は静かに告げた。クロードが、はっとしたように顔を上げる。


「ただ、一つだけ、約束していただきましょう」

「なんなりと、仰せのままに」

「今宵のことは、決して誰にも口外しないこと。わたくしの力は、秘すべきものです。そして……」


 私は、彼の瞳をまっすぐに見据えて言った。


「今後、アルフォンス殿下がわたくしをどう扱おうと、あなたは、わたくしの『敵』にはならないこと。それで、十分ですわ」


 あくまで、対等な取引として。これが、悪役聖女リディアのやり方だ。

 クロードは、私の言葉の真意を測りかねるように、しばらく黙っていた。やがて、彼は決意を固めたように、力強く答えた。


「……承知いたしました。ですが、リディア様。私は、あなたの敵にならないだけではありません。何があろうと、あなたの味方です」


 その瞳に宿る光は、もう揺らぐことはないだろう。

 断罪メンバーの一人を、完全に無力化した。いや、それどころか、最強の味方の一人として、手中に収めることができた。目的は、果たした。


「……失礼しますわ」


 私はクロードに背を向け、ふらつく足で部屋を後にする。背中に、彼の熱烈な視線が突き刺さっているのが分かった。


 屋敷の外で待たせていた馬車に乗り込む。


「リディア様、お顔の色が……。一度、お屋敷へお戻りになられた方が」


 侍女が、本気で心配そうな声を出す。確かに、もう限界だ。今すぐベッドに倒れ込みたい。でも、まだだ。


「ヴァイト辺境伯令息の宿舎へ」


 私は、絞り出すような声で、次の目的地を告げた。


「……まだ、仕事が残っていますの」


(ここで止まったら、全部パーになる……!)


 内心で自分を叱咤する。アンスバッハ家の問題は、解決した。未来は、ほんの少しだけ、良い方向に変わったはずだ。この流れを、止めるわけにはいかない。


 私は、次なる戦いの舞台へ向けて、疲労に霞む意識を無理やり奮い立たせた。


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