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第5話 悪役聖女と幕間の交渉

 私の正論という名の爆弾は、断罪劇の舞台に見事なクレーターを穿った。

 壇上のアルフォンス王太子は、反論の言葉を見つけられずに唇を噛みしめている。会場の貴族たちは、私と王太子とを見比べ、固唾を飲んで成り行きを見守るばかり。先ほどまでの一方的な糾弾ムードは、もはやどこにもなかった。


(よし、空気は変わった……!)


 この膠着状態を見かねたのか、白髪の宰相閣下が重々しく一歩前に進み出た。


「殿下、リディア聖女様、双方の言い分、しかと拝聴いたしました。ですが、ここは卒業を祝う夜会の席。これ以上の議論は、また日を改めて執り行うのがよろしいかと存じます」


 その鶴の一声で、張り詰めていた場の空気がふっと緩んだ。誰もが、この落としどころを待っていたのだろう。


(助かった……! まさに地獄に仏、いや、地獄に宰相!)


 王太子は、なおも不満げな顔で私を睨みつけていたが、宰相の言葉に逆らうことはできないらしい。彼は忌々しげに舌打ちを一つすると、隣のヒロインを促して壇上から降りていった。


 その、すれ違いざま。ずっと心配そうに王太子に寄り添っていたヒロインが、一瞬だけ、私に視線を向けた。


 そこには、慈愛も、心配も、どんな感情も乗っていなかった。ただ、氷のように冷たく、私の真意を探るような、鋭い光があった。


 ……ぞくり、と背筋が凍る。ゲームの彼女は、いつもふんわりと笑っている、心優しい聖女だったはず。今の目は、なんだ?

 確信する。彼女は、ただの天然聖女じゃない。断罪劇は、ひとまず中断。これ以上、この針の筵にいる理由はない。私は誰に挨拶することもなく、すっとその場を離れた。背後で侍女が慌てて追いかけてくる気配がする。


 夜の冷たい空気が、火照った頬に心地いい。


「リディア様、どちらへ……」

「アンスバッハ公爵家へ向かいます。すぐに馬車の手配を」


 私の言葉に、侍女は息を呑んだ。まさか、この足で「敵地」へ向かうとは思ってもいなかったのだろう。だが、私にはもう時間がないのだ。


 学園の紋章が入った馬車に乗り込み、重厚な扉が閉められる。一人になった途端、全身の力が抜けた。


「……疲れた……」


 思わず本音が漏れる。どっと押し寄せる疲労感に、私は座席に深く身を沈めた。背骨を支えていた緊張の糸が、ぷつりと切れたようだ。


(もう無理……胃が痛い……家に帰ってあったかいお風呂に入って寝たい……)


 完璧な悪役聖女リディアの仮面の下で、中身は疲労困憊の元社畜だ。このギャップに、いつか精神が分裂するんじゃないだろうか。

 ガタガタと揺れる馬車の中で、私はこれからの計画を頭の中で整理する。まずは、クロードの妹の呪いを解く。それが、破滅フラグを回避するための、最も確実な第一歩だ。


 アンスバッハ邸の重厚な門の前に、馬車が止まった。

 深夜の訪問にもかかわらず、クロード本人が憔悴しきった顔で私を出迎えた。


「……本当に、来てくださったのですね、聖女様」


 彼の声には、疑念と、安堵と、そして藁にもすがるような僅かな希望が入り混じっていた。夜会の時とは違い、彼の灰色の瞳には敵意の色はない。


「ええ。約束は守ります」


 私は再びリディアの仮面を被り直し、毅然と答えた。


「妹君のお部屋へ、案内なさい」


 案内された病室は、薬草の匂いが微かに漂っていた。天蓋付きの豪奢なベッドの上で、十歳ほどの少女が苦しそうな寝息を立てている。

 青白い顔、固く閉じられた瞼。その命が、呪いによって少しずつ削られているのが分かった。


「……どんな高名な神官も、どんな癒やしの魔法も、エリーゼには効果がありませんでした」


 クロードが、絞り出すように言う。


「ですが、あなたは夜会で……私の知らない何かを、ご存知なのですね?」

「ええ」


 私は頷き、ベッドの傍らに立った。いよいよだ。ゲームの知識として知っているだけの、この特殊な力を、今から初めて使う。


(大丈夫。私ならできる。リディアのためにも!)


「クロード・フォン・アンスバッハ。私がこれから行うことを、決して誰にも口外しないと誓えますか? これは、あなたと私だけの秘密です」


 私の真剣な眼差しに、彼はごくりと喉を鳴らし、そして、覚悟を決めた顔で力強く頷いた。


「……我が妹、エリーゼを救ってくださるのなら」

「よろしい」


 私は眠る少女、エリーゼの小さな手に、そっと自分の手を重ねた。ひんやりと冷たい。


 目を閉じ、意識を集中させる。聖女としての、私の中に流れる力。それは、ただ癒やすだけの生易しいものではない。病巣を、呪いを、悪意を、物理的に「討伐」する力。


(お願い、動いて……!)


 祈りを込めて、呪文を紡ぐ。


「わが名は聖女リディア。聖域の理に基づき、汝の内なる歪みを穿つ――《聖域穿孔サンクチュアリ・ピアス》!」


 その瞬間。重ねた手から、まばゆい光が溢れ出した。視界が真っ白に染まり、ぐわり、と世界が歪む。

 立っているはずなのに、足元の感覚がない。重力から解き放たれたような、奇妙な浮遊感。


 意識が、現実から剥離していく○。○。○。


 気づけば私は、薄暗く、湿った石畳の上に立っていた。目の前には、古びた迷宮への入り口が、巨大な口を開けている。


 ここが、エリーゼの精神に巣食う、呪いのダンジョン。悪役聖女の、本当の戦いが今、始まる。

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