第4話 悪役聖女と断罪劇
二つの不格好な約束を取り付け、内心で安堵と疲労の息をついた、その時だった。
ふ、と会場の音楽が止んだ。全ての照明がすうっと絞られ、中央の壇上だけが強い光に照らし出される。さっきまでの喧騒が嘘のように、ホールは水を打ったように静まり返った。
(……来た)
心臓が、喉元までせり上がってくるような感覚。間違いない。ゲームで何度も見た、断罪イベント開始の合図だ。
アルフォンス王太子が、ゆっくりとした足取りで壇上へ上がる。その隣には、純白のドレスをまとったヒロインが、心配そうに彼を見上げながら寄り添っている。絵になる二人だ。これから茶番劇を始めるにしては、あまりにも美しすぎる光景だった。
王太子が、壇上の中央に置かれた魔力式の拡声器の前に立つ。彼の青い瞳が、ホール全体を睥睨した。
「諸君、今宵は卒業を祝う良き日だ」
朗々と響く、よく通る声。貴族たちが、うっとりとその声に聞き入っている。
「だが」
王太子の声のトーンが、一段階低くなった。
「この喜ばしき日に、我々の心を曇らせる、憂うべき事態があることを報告せねばならない」
きた。ゲーム通りの、お決まりのセリフ。
次の瞬間、壇上からの鋭い視線と、ホールにいるほぼ全員からの非難の視線が、私一人に突き刺さった。全身が針で刺されるような痛み。足がすくむ。逃げ出したい。
王太子の指が、まっすぐに私を指し示した。
「聖女リディア・フォン・クレスメント! そこにいる君のことだ!」
地鳴りのような声が、ホールに響き渡る。
(キターーー! 名指し! いただきましたー!)
内心のハイテンションな私が、恐怖に震える私を必死に鼓舞する。大丈夫、想定通りだ。ここまでは、ゲームのシナリオ通り。
「君の行いは、聖女にあるまじき非道なものだ! その冷酷さで、罪なき多くの貴族たちを不当に追い詰めている!」
王太子は高らかにそう糾弾する。ゲームでは、この後すぐにクロードとライナーの名前が挙がるはずだった。彼らのような、家と民を思う高潔な貴族を、事情も聞かずに断罪した、と。
. だが。王太子が、言葉に詰まった。
彼の視線が、告発の証人となるはずのクロードとライナーへと向けられる。しかし、二人の様子がおかしい。
クロードは、壇上を見ずに俯いている。その表情は苦悩に満ち、何かを深く考え込んでいるようだった。
ライナーは、壇上の王太子と私とを交互に見比べ、その琥珀色の瞳には単純な敵意ではなく、困惑と疑念が渦巻いていた。
糾弾に同調するどころか、二人とも、明らかに動揺している。
(よし……!)
私が打った布石が、今、効果を発揮している。告発の根拠となるはずの二人が、沈黙している。これでは、王太子の糾弾はただの言いがかりだ。
「どうした、アルフォンス殿下? カンペでもお忘れになりました?」と、内心で精一杯の煽りを入れる。
壇上の王太子は、明らかに狼狽していた。彼の完璧なシナリオに、予期せぬエラーが発生したのだ。
その時、隣にいたヒロインが、そっと王子の腕に手を添えた。
「殿下……。リディア様も、きっと何か深いお考えがあってのことですわ。今は、どうかお怒りを鎮めて……」
聖女らしい、慈愛に満ちた、とりなしの言葉。だが、今の私には分かる。これは、私が反論する機会を奪い、場の空気を「まあまあ、リディアも悪いけど許してあげて」という方向に流すための、巧妙な一手だ。
そうさせて、たまるか。
私は、震える足を叱咤し、一歩前へ出た。そして、扇を閉じ、凛と顔を上げる。
「アルフォンス殿下」
静かだが、ホール全体に響き渡る声で、私は口を開いた。
「わたくしが、いつ、誰を『断罪』したと、仰るのでしょうか?」
会場が、ざわりと揺れた。まさか、悪役聖女が反論するとは思ってもいなかったのだろう。ゲームのリディアは、ここで全ての罪を甘んじて受け入れたのだから。
壇上の王太子が、虚を突かれた顔で私を見る。
「なっ……君は、クロードやライナーに……」
「わたくしは聖女として、法に定められた職務に従い、魔力違反の疑いがある方々へ『調査の通告』をしたに過ぎませんわ」
私は、彼の言葉を遮って言い放った。
「それを、まだ調査も始まっていないこの段階で『断罪』と決めつけ、この公の場でわたくしを糾弾なさるとは……。未来の国王陛下として、いささか早計が過ぎるのではございませんか?」
完璧だ。完璧な悪役令嬢ムーブ。冷たく、傲慢で、しかし、揺るぎない正論。
アルフォンス王太子は、ぱくぱくと口を開閉させ、言葉を失っている。彼の隣で、慈愛の笑みを浮かべていたヒロインの顔から、すっと表情が消えた。
会場の空気が、変わる。先ほどまでの、一方的な非難の雰囲気はもうない。「たしかに、まだ調査段階だ」「聖女様の言うことにも一理ある……」「王太子殿下は、少し焦りすぎたのでは?」そんな囁きが、あちこちから聞こえ始めた。
(……やった!)
内心で、私は勝利の拳を突き上げた。
破滅フラグを完全にへし折ったわけじゃない。でも、回避のための「時間」は稼げた。
壇上で絶句する王太子。その隣で、値踏みするように私を見つめる、もう一人の聖女。
この最悪の舞台で、私は初めて、運命への反撃の狼煙を上げたのだ。