第11話 悪役聖女と二人の騎士
暗闇から意識が浮上する。
最初に感じたのは、身体が軋むような、骨の髄まで達する疲労感だった。まるで、三日三晩徹夜で働いた後、さらにフルマラソンを走らされたような、極限の消耗。
ゆっくりと瞼を開くと、見慣れない木目の天井が目に入った。
(……ここは?)
視線をさまよわせると、ベッドの傍らで、椅子に座ったまま腕を組んでこちらを見ていた男と目が合った。日に焼けた肌、琥珀色の瞳。
「……ライナー、様……」
掠れた声で呟くと、彼は目を見開き、慌てたように椅子から立ち上がった。
「聖女様! 気がついたか!」
彼の声には、夜会で向けられた刺々しさは微塵もなかった。代わりに、ぎこちない気遣いと、戸惑い、そして、得体の知れないものを見るような畏敬の念が混じっている。
どうやら私は、彼の宿舎のベッドに寝かされているらしい。
「あんたは、一体……」
ライナーは、何かを確かめるように自分の胸に手を当てた。
「身体が……軽い。ずっと俺を縛り付けていた、あの焦りや重圧が、嘘みたいに消えてる……」
その琥珀色の瞳が、まっすぐに私を射抜く。
「あんたは、俺の心ごと、あの呪いを浄化してくれたってのか」
私は、答える代わりに、ただ静かに彼を見つめ返した。もう、リディアの仮面を被る気力すら残っていない。
ライナーは、それを肯定と受け取ったらしい。彼は不器用に頭をがしがしと掻くと、やがて意を決したように、その場で片膝をついた。
「この恩は、忘れねえ。あんたが何者だろうと、これからは、俺の剣はあんたのためにある」
(また一人、忠臣が増えました……しかも今度は、実直な脳筋タイプ……)
朦朧とする意識の中、私は遠い目で思った。私が望んだのは破滅フラグの回避であって、攻略対象からの忠誠ルートじゃない。私の胃が、そろそろ限界を訴えている。
その時だった。宿舎の扉が、壊れるのではないかというほど激しく叩かれた。
「ライナー卿! ご在宅ですな! 開けていただきたい!」
聞き覚えのある、理知的な声。ライナーが訝しげに眉を寄せ、扉を開ける。
そこに立っていたのは、息を切らしたクロードだった。
「……アンスバッハ卿。何の御用だ」
「リディア様は、こちらにおられるはずだ!」
クロードはライナーを押しのけるようにして部屋へ入ってくると、ベッドの上で衰弱している私を見て、目を見開いた。そして、すぐさまその鋭い視線をライナーへと向ける。
「ライナー卿、リディア様に一体何を!? なぜ、これほどまでに消耗なされている!」
「あんたには関係ねえだろ」
ライナーが、低い声で応じる。
「聖女様は、俺の恩人だ。今は、静かにお休みになっている」
「恩人だと? 何を言うか! リディア様は我がアンスバッハ家の大恩人でもある! そのような状態で、こんな簡素な宿舎に放置などできるものか!」
「なんだと? あんたのところもか……」
二人の間で、火花が散る。一人は、怜悧な頭脳を持つ公爵家嫡男。もう一人は、実直で武骨な辺境伯令息。本来、決して交わることのなかったはずの二人が、今、私を巡って対立していた。
(やめて……私のために争わないで……)
頭に響く。もう、ツッコミを入れる気力もない。ただ、ぐったりと二人の言い争いを眺めていることしかできなかった。
「リディア様は、私が責任をもって屋敷へお連れする。万全の医療体制でお迎えしよう」
「ふざけるな! 聖女様が望んでここにおられるのかもしれん!」
「この状態のリディア様に、正常な判断ができるとでも!?」
結局、この口論は「万全の医療体制」という正論を振りかざしたクロードに軍配が上がった。
彼は有無を言わさずベッドに近づくと、ためらうことなく、私をその腕に抱き上げた。いわゆる、姫抱っこ、というやつだ。
「なっ……!?」
ライナーが絶句している。
「リディア様のお身体に触れるな!」
「緊急事態だ。礼儀は後回しにさせてもらう」
クロードはそう言い放つと、私を抱えたまま、さっさと部屋を出て行ってしまう。
悔しげな顔でそれを見送るライナーが、最後に叫んだ。
「聖女様! 何かあれば、いつでも駆けつける! 忘れるなよ!」
馬車に運び込まれ、クロードの腕の中に抱かれたまま、私の意識は限界を迎えた。
(攻略対象に姫抱きされてる場合じゃ……ないんだけどな……)
波乱に満ちた、長い長い一夜が、ようやく終わろうとしていた。




