複雑な変化
「ホア爺……お前はなんだか元気そうだな」
げっそりと疲れた表情で帰宅したエドルドは、護衛を頼んだホア爺がいつもより機嫌がいいことに気がつく。
「えぇ、私めの焼いたパンを大事に包んでくれていたのにも感激でしたが……ふふふ」
「なんだよ?その笑いは……」
エドルドは、カレンにひっつかれた腕を離そうとするにも、なかなか動かないばかりか、なぜアリシアに腕を貸しただの、私は婚約者なのよだ、もっと会うべきだなどと一方的な訴えに散々な時間を過ごしてきたのだ。
なのに、アリシアを任せたホア爺はどうだ。口角が上がり、鼻歌まじりでお茶をいれているではないか。
「いえ、アリシアお嬢様にガラスをお渡ししたんです」
「なにっ!?」
お茶をひっくり返しそうになる。
「鏡って……今渡せるのはアレだけだよな?」
「そうですね。ずっと手放せないでいましたが、もう大丈夫でしょう……」
「そ……そうか」
ホアストン家の家系能力『伝達』は魔力を込めたガラスから相手が伝えたいと念じ、相手の魔力を追加で込められることでメッセージやイメージした思念がその眼に伝わる。逆に、相手にも送り返せるが、相当な訓練と精神力を高めなければ、ホアストン側からの思念は思ったことがそのまま伝わってしまう。その為ソレを渡すのは主、そして生涯を共にすると決めた相手に絞ることが多い。
「ふふふ」
「……何かメッセージが来たのか?」
「えぇ、そうですね。ふふふ」
何やら楽しげにやりとりしているのだろう。エドルドに食事を出しながら何度か親しげに笑っている。
なんだろう、無性に腹が立つ。
「それで? 彼女はなんと?」
思わず聞いてしまう。
「え? あぁ、失礼をしました。久しぶりのコミュニケーションに年甲斐もなくつい仕事中にご無礼を働いてしまいました」
「いや、別に良い……」
分かっている。どのような内容でも、ホアストン家がその内容を簡単に口にすることはない。
アリシアを怒らせて以来、食事中は本を読むことを辞めた。食べる料理も、今まではただ腹を満たすだけのものだったが、こうして味わってみると、なかなかに良いものだ。
「そういえば、アリシアお嬢様はどうやらエドルド様の本当の名を知ってらっしゃるようですね」
ガシャンっ
持っていたナイフとフォークを落とす。
「っぐ、なに?」
「私めに敬語を使っていらしたので……母方の姓であれば使用人に畏まることもないかと。あとは、私めの直感ですがね。おそらく」
「……………はぁ」
参った。大きなため息が出る。
正直、最初に彼女に出会った時、隠れマントを使っているわけでもないのに、空気に溶け込むように存在を薄くする彼女に興味を持った。
普段から敵の多い、常に気を張っている自分だからこそ、気づけた。それくらい、空気に化していた。
この学園で、こんな高度な魔法を使う生徒は珍しかった。いや皆それなりに名家の実力ある者たちが揃ってはいるが、卒業さえ出来れば手に入る学園の名誉にばかり気を取られ、己の技や知識を向上させようと努力する者はわずかしかいなかった。
生まれ持った家系能力、才能にあぐらをかき、学食は口に合わないからとお抱えのシェフを呼び、身分の低い教授からは教わるものはないと揶揄し、誰が身分が高く、コネクションを誰と作ろうかとばかり品定めする付き合いには興味はなかった。
ぼくの関心は一つ。この名に恥じない知識、実力を身につけることだ。王族と言っても、王位継承権からは遠く外れている。身分の低い母を見染めた父がたまたま王だっただけなのだ。正式な側室でもなかったため、母の故郷で生まれ育った。
認知こそされていたが、正式な継承権は与えられていなかった。だが魔法の才が開花する7つの時、その魔力量と優秀さが噂を呼び、実力重視の父が正式な王位継承権を突然与えたのだ。
急に接し方を変えてきた周りの態度にも呆れたが、母は王家の名に恥じてはダメだと、常に厳しかった。
王とはこの国を守る存在、その名は民を守れる力を身につける責任があるのだと。
正直、新しい姓など好きではなかったが、勉学は好きだった。そしてこの名のおかげで今まで入れなかった図書館の古書を読むことが出来、いくらでも学べた。ホアストンがお世話兼教育役に配属されてからは、更に実力を磨いた。
国内最高クラスの学園では、どのような学びが出来るのだろうと期待した。そして、期待どおりでもあった。だが、講師同士もまた身分を重視するものが多く、実力ある者が助教授のままで雑用ばかりだったりする。
だが、賢者の塔。なんて素晴らしいところなんだ。最初はトラップの多さに苦戦したが、そこにあるものは宝の山だ。
しかし、一部の生徒が面白半分で肝試しをし、重傷を負った為、塔の管理人を雇うことになった。わずらわしいと同時に、住むなど無理だろうと好奇心もあった。
管理人の名がハッベルトだとその名を聞いた時、平民だったにも関わらず、実力がある著名な薬学をいくつも展開した彼と会うのを楽しみにしていた。だが、学園では授業をすることはほぼなく、雑用ばかりしていた。個人的に話をしようと声をかけてると無愛想な対応だったが、質問には全て予想以上の答えが返ってきた。
だから、アリシアが名乗った時心底驚いた。
好奇心が勝り失礼なことをしてしまったが、彼女の魔法はどれも精巧なもので、その才の高さに驚いた。
彼女に態度を変えて欲しくないと、思わず母方の姓で自己紹介をしたが、まさかそれをこんなに後悔する日が来ようとは……
「……怒っているだろうか」
アリシアに距離を取られたらと考えるだけで、胸が苦しくなる。




