レディとしての振る舞い
「たかだか底辺貴族の分際で……」
カレンの手が震える。
アリシアは我にかえる。社交場に不慣れだったため、つい目の前の相手に反論してしまったが、ハッベルト家は貴族の中でも弱層な男爵家……
この学園に入学できるのは、優秀な能力を持つと同時に伯爵以上の身分が必要だったはずだ。
「名乗れだなんて……まさか、バージニア家の私を知らないとは言わせないわよ?」
確か……確か家庭教師から貴族会の家系一覧表を、見させてもらった記憶がある。
記憶にあるにはあるが……母の看病や手伝い、日々の家事で社交界デビューを逃したアリシアにとっては、どうせ縁のないものだと真面目に覚えていなかった。
「ええと……」
まごつくアリシアに、カレンは信じられないと言わんばかりに顔を真っ赤にさせる。
「ブハッ」
エドルドが肩を震わせ、顔を見られないよう背けているが、おそらく吹き出したのだろう。
「あなたっ……バージニア家は……というか、そもそとエドルド様なんてね!」
その時だ。けたたましい叫び声が響く。
しまった! まだ森の入り口とはいえ、東の森は学園からも、塔からも離れており、南の森を抜けたところにあるため、いつ魔獣が出てきてもおかしくない。
そんな場所で騒げば、冬眠前の気がたっている獣たちが反応するのは当然だ。
従者たちはあわててカレンを囲むように立つ。
逃げるにしても、先ほどの声は思ったより近い。下手に逃げようものなら、相手を挑発してしまうかもしれない。いや、既ににおいでもう逃げることは無理な距離だろう。
「な……なんですの? 今の声は……嫌ですわ。エドルド様っ! 私怖いですわ」
あぁ、一般的なレディとはこうあるべきなのでしょうか。アリシアはどこからでも対応できるよう、咄嗟に身構え、いつでも拳に力を入れられるよう気配に集中していた。
きっと、世の殿方はカレンみたいな女性を守りたくなるんですわね。家庭教師の先生も、魔法を使う才があっても、それにおごらず、淑女とは常に殿方の後ろに控えるもの、とおっしゃってましたものね。
でも、獣が出た時にどうするかなんて、具体的なことまでは習っていませんわ。
「アリシア嬢、君も後ろに下がるんだ」
エドルドがゆっくり、とてもゆっくり近づいてきて囁く。
「ぼくの移動魔法では全員の移動は無理だ。あの声はおそらく……グレスビーだ」
グレスビーと聞き、アリシアも背筋が冷たくなるのを感じた。実際に会ったことはないが、森で暮らす以上、動植物の勉強はしていた。
グレスビーは、単体で行動するが、冬眠前はお腹を膨らませるため、獰猛におそいかかる。普段は人に会わないよう、奥深い場所を拠点としているはずだが……きっとエサを求め、ここまで出てきていたのだろう。
アリシアは、ゴーレムこそ日常的に叩きのめしているが、それもまだ姿形が完成する前の、1番無防備な瞬間をねらってこそ出来る所業だ。
「エドルド様っ! カレンのもとへいらして下さいっ!!」
アリシアのところへ行ったエドルドに思わず嫉妬し、この状況下でまさかの大声を出すカレン。従者の1人があわててカレンの口をふさぐ。
「お嬢様っ、お静かに! そんな大声をだされては……」
遅かった。大きなけたたましい叫び声とともにグレスビーが現れる。
これは……アリシアは一瞬足がすくんだ。生きた獣は、ゴーレムとは比較にならない。
その眼はしっかり獲物をとらえ、誰から狙おうか、おそろしいほどの殺意と意思を感じる。アリシアたちの5倍はあるであろうその巨体、長い爪に、ここまで一瞬で距離をつめる俊敏さだ。
きっと拳が届く前にやられる。と、瞬時に分かる。
従者たちは、防護陣を作っていたらしく、グレスビーが襲いかかった瞬間、壁に弾かれるように跳ねかえる。
しかし、その陣を長く維持することは出来ないはずだ。カレンだけではなく、エドルド、アリシアも入る大きな護りを続けるのは、かなりの魔力消費になる。グレスビーは1日でも1週間でも相手が弱るのを待つ習性がある。
2人体制で陣を形成し、もう1人がグレスビーへ矢を放つ。
しかしグレスビーは一瞬で矢をかわし、見えない防護壁へ体当たりする。
先ほど弾いたその壁に、今度はグレスビーも覇気をまといながら強くぶつかっていく。従者たちが足を一歩後ろに下がらせる。
グレスビーは魔獣だ。まだくわしく知られていないが、多様な魔法を扱えるとされている。おそらく、防護壁に弾かれない術を使ったのだろう。
「何をしているのっ! しっかり私を囲いなさいよ」
崩れた姿勢の従者に癇癪を起こしているようだ。
アリシアは必死で頭をまわす。先ほどの矢を使った攻撃魔法をかわせるほどの俊敏さをもつ相手にどうしたものか。近距離戦なら得意だけれど、拳が届く前にやられてしまう。
ほぼ独学で、生活に必要なものや護身術を極めてきたため、こんな巨大な敵を想定した魔法は得意ではないのだ。
その時
「壁の耐久度を限界まで引き上げるんだ」
エドルドの指示に反応し、従者たちが最大限まで一気に精度を上げる。それと同時に広範囲の雷がグレスビーに叩きつけられた。
強い衝撃音の後、倒れ込む。動かなくなったようだが、まだ生きている。
「今のうちだ。学園まで走れるか?」
一気に大量の魔力を消費した従者2名は走る余裕はなさそうだ。
「私が運びます……お嬢様をお願いできますか?」
先ほど矢を放った従者が2人を抱える。
おそらく、身を強化したのだろう。
「……分かった」
従者は仕える主人を第一優先にしなければならない。もし、エドルドが断れば、力尽きた2名を置いてカレンを連れて行くだろう。
エドルドは、同僚を想う彼の頼みを聞いた。
「アリシア嬢、ついてこれるか?」
エドルドだって、あんなに広範囲の雷魔法を使えば、相当な魔力を消費しているはずだ。
それでも、アリシアを気遣う余裕を見せてくれる。
「も、もちろんですわ」
ふるえる足にアリシアも強化魔法をかける。
カレンを抱えるエドルドと、従者に挟まれるように、学園まで走っていく。
終始、エドルドに強くしがみつき、涙を浮かべるカレンを見て
胸が痛くなるのを感じる。




