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神の流刑地

薄明に沈む

作者: 林伯林

連載の続きを書き進めているうち、別途に出来たお話です。

ただ、淡々と、進むだけ。

あまり需要は無いでしょうが。

 とても悲しい事がありました。


 辛くて悲しくて、暫く泣いて暮らしていたけれど。


 今は恐ろしい程静かです。






 リウはふわふわと浮かんでいた。


 雲一つない青い空を見上げていた。


 暫くは、ここがどこで何が起こったのか、思い出すことができなかった。


 思い出すことを拒否していたのかもしれない。




 だが、何時まで経っても動き出さないリウにしびれを切らしたかのように、天上から女神が降りてきた。


 金色の光に包まれた、それはそれは厳かな姿だった。


 女神は「神ではなく、私は精霊です」と言った。


 リウにとっては大した差はなかったが、「さようですか」と答えた。




 それからまた暫く無言が続いた。


 リウはとても疲れていた。


 身体がなく、意識だけで浮かんでいるのは判っていたが、視覚を押さえる事で瞼をおろしたような感覚になり、ほっとして意識が薄くなった。




 数刻眠っていた。


 意識が戻ると、精霊はまだそこにいた。


 「何か御用ですか」


 リウは仕方なく尋ねた。


 精霊は大きくため息をついた。





 リウはある日突然、見知らぬ世界に召喚された。


 巫女様と言われ、災厄の竜を退治する為に力を貸してくれと言われた。


 嫌だと言って、帰してほしいと訴えたが、誰も聞く耳を持たず、教えるのがとてもうまいとは言えない魔法使いとやらに魔法を教えられ、光魔法が発現すると、剣士や魔法使いとともに問答無用で旅に出された。


 その頃には、何を言っても無駄だと判っていたので、逆らわなくなっていた。


 過酷な旅で、間断なく襲い来る魔物を夜通し光魔法で撃退して倒れ、魔獣を殺して吐き、その魔獣を食わねばならない事態に更に吐いた。


 盗賊に襲われて、人間を殺してしまった事もあった。魔獣を殺した時ほどは吐かなかった。


 月のものが来て、腹痛と貧血で真っ青になりながら歩き続けた事もある。


 召喚の際、鞄に入っていた生理用品はそれで使い切ってしまい、その後はどうしよう、とついに倒れた時思ったが、それきりもう月のものは来なかった。身体が非常事態であると判断したのかもしれない。


 泣きもわめきもしないが、しょっちゅう吐いて発熱して体調を悪くしているリウを剣士も魔法使いも騎士たちも遠巻きに眺めていた。


 世話係と監視役を兼ねた女騎士も、身の回りの世話はやいてくれたが同様だった。


 リウは殆ど話さなかったので、近寄りがたかったのだろう。





 「あなたこのままだと消滅するわよ」


 「……そうですか」


 リウは大した感慨も無さげに応えた。実際、何の感慨もなかった。


 召喚からずっと意に反した事ばかりを強いられ続け、疲れ果てていたのだ。この世界にとっては災厄の竜もそれが生み出す瘴気も生存を脅かす一大事なのだろうが、所詮異界の人間であるリウにとっては他人事だ。その他人事の為に殺意剥き出しの生き物と対峙し、それを殺し続ける事は精神をすり減らした。リウは嗜虐趣味などない、普通の人間だ。どうせならそういう人間を召喚すればよかったものを。


 どの道、元の世界へも帰れない以上、このまま生き続ける事に意味があるとも思えなかった。


 「消滅するのよ?それでいいの?」


 「構いません」


 磨滅した心には何も響かない。


 再び視界が薄まった。


 意識も消える。


 今度こそ、消滅するのだろうか、と思った。






 疲れすぎていたのか、注意力が散漫になっていたのか、夜に襲い来た魔物たちのうち、「死する者」達に対して必死で光魔法を駆使していた時、別方向から襲い掛かってきた闇狼の群れに気づくのが遅れた。


 剣士や魔法使いが何事か叫んでいたが、闇狼の爪は半身を持って行かれたかと思うくらいの衝撃をリウに与えた。


 倒れ伏したリウは、力を振り絞って光魔法を周囲に放った。


 イメージは紫外線殺菌だったが、瞬く間に魔物たちは蒸発するように消えて行った。


 リウは闇に焼かれて半身を真っ黒にしながらも息をしていた。


 それどころか、己の魔力が自動的に傷を浄化し、癒している。


 この身体は、滅多な事では死ぬことすら許さないのか、とリウは暗澹たる思いにとらわれた。






 意識がまた浮上する。


 「消えかけているから、意識が戻る時間が減ってるわ。ねえ、本当にいいの?」


 精霊はまだそこにいて話しかけてくる。


 「いいと申し上げたはずですが」


 リウは精霊の顔を見上げた。


 金色の髪、金色の瞳。白い肌に薔薇色の唇。


 それはもう美しかった。


 リウはその姿に暫く見惚れた。


 そういえば、この世界の人間は美形が多かったな、とつらつら思う。


 剣士も魔法使いも騎士たちも、ついてくれていた女騎士も、皆美しかった。


 「何故放っておいてくれないのですか」


 どういうわけか必死に見えないでもない精霊の姿に漸く疑問を覚える。


 「災厄を退治してくれた異界の人間をこのまま消滅させてしまうのはバランス的に良くないのよ」


 「バランス?」


 「わざわざ異界から元の縁を断ちきってまで呼び寄せた人間がこの世界の危機を救ってくれたというのに、何の見返りもなく消滅させたとなったら、もうどこの世界にも助力を乞えなくなってしまうわ。それにあなたの身体は、あそこにずっととらわれたままだと、次の竜になってしまう」


 「見返りはこのまま消滅させてくれれば別に……。他世界の助力が前提なら、この世界、維持する価値ないのでは」


 「まだ新しい世界なのよ。安定するのに時間がかかるの」


 「こういう人のやりとりって普通に行われていることなんですか?」


 「あまりないわね」


 普通は自前でなんとかするものだろう。


 リウは初めて不審に思って精霊の綺羅綺羅しい顔に見入った。


 「じゃあなんで今回は呼ばれたんです?」


 「神殿に召喚の陣が置かれてしまったからよ」


 「意味が分かりませんが」


 「昔、王家の人間に希われて、精霊が全力で作ったの。精霊は気に入った人間には尽くすものだから」


 リウは、旅の途中で徒然に精霊の話を聞いたことがあった。


 古の昔、精霊と契約した人間がたまにいたこと。精霊が貸与してくれる力は、魔法とはまた違ったものだということ。現在では精霊と交流できる人間はいないことなど。


 この世界の人間にとって精霊とは特別な存在であるようだった。


 神殿には神の像とともに、精霊を象ったとされる像も飾られていた。


 「私に報酬をくれるというのなら、その陣を壊してください」


 リウはつけるものなら溜息をついただろう心地でそう願った。


 「いいわ。他にはないの?」


 精霊はあっさりと承諾した。


 「いいんですか」


 「いいのよ。今まで誰もそれを願わなかったから存在し続けていただけだし」


 「召喚された人が?」


 「そう。願いをかなえてあげると言うと、みんな別の事を願ったわ」


 「皆帰りたいって願いませんでした?」


 「……なかったわね」


 そうだろうな、とリウは思った。


 もしリウと同じ目にあったのだとしたら、心も体も削られ続けて、元の世界に戻ってもまともに生きていけるとは思えない。


 この世界で、結婚して子をなした者もいるらしいが(剣士はその子孫だと聞いた)、大抵は、人知れず一人静かに暮らして死んでいったと聞いている。


 「そもそも元の世界には返せないわ。召喚した時点で被召喚者の存在はなかったことになっているから」


 ああ、それはそれは、念の入ったことだ。


 リウは皮肉に笑う。


 「ねえ、他に願いは無いの?」


 「ないですね。消滅すると言うなら、それまで放っておいてください。それでいいです」


 「そう。判ったわ」


 精霊は諦めたように少し離れた。


 「他に願いが出来たら、呼んでね?」


 不思議な事を言う、とリウは思った。


 消えてしまうというのに。






 災厄の竜が住んでいるのは、深い山の中だった。


 人知らずの森と呼ばれる、魔獣と魔物しかいない森を抜けなければ到達できない。


 瘴気はその森から広がって、国土を侵し続けていた。


 旅の一行は、リウの光魔法の結界に守られながらそこを抜けて行ったのだ。


 魔物も魔獣も、リウの結界には容易に近づけず、死霊の類は一瞬で消滅した。


 リウは魔力の続く限り結界を張り続けなくてはならず、魔法薬を飲み過ぎて何度か倒れた。


 大概、森の中に点在している「精霊の日だまり」と呼ばれる場所が彼らの休憩場所で、そこだけは何故か魔物も魔獣も寄ってこない。リウが倒れた時は、皆が這う這うの体でそこへ駆け込んだ。それとて、リウが大体の場所を探知して一行に方向を指示していたのだが。


 皆がもっと、結界を長続きさせる方法はないのかと無言の眼差しを向けた。


 魔物の前に、人間に殺されるのではないかと思った事もある。


 最終的には、効率のいい魔法の発現の仕方を身に着け、森の最奥に達する頃には寝ていても結界を維持し続けることができるまでになっていた。 



 それを持って、皆は最終決戦に臨んだ。



 災厄の竜は、黒い靄に覆われ、その姿がはっきりとは見えない存在だった。


 恐らく瞳に当たる物が三つ、赤く光っているだけの。


 剣士が「聖なる炎」と呼ばれる刃をふるっても、魔法使いが攻撃魔法を放っても、靄の一部が削れるだけ。正体のない幻覚を相手にしているようだった。


 リウは、光魔法で、その靄をはらった。


 黒い靄の中から現れたのは、歪に翼の折れ曲がった真っ白で巨大な鳥だった。


 真っ赤な三つの目が憎悪に爛々と光ってこちらを、リウを見据えていた。




 災厄の竜は剣士の魔法剣に真っ二つにされる瞬間、呪いを吐いた。


 リウに向かって。


 呪いは三本の真っ黒な槍と変じ、リウの右肩と腹部と左足を刺し貫いて岩壁に縫いとめた。


 剣士の悲痛な声がリウを呼んだ。


 竜の二つに分かれた身体は黒い粒子になって消えた。


 その黒い粒子は、岩壁ごとリウの身体を包み込んで膨張した。


 剣士たちをその場から押し出すように。


 その一帯が、黒い靄の結界のようになって何者も寄せ付けなくなった。


 外から、幾つもリウの名を呼ぶ声がする。


 剣士が、魔法剣を振りかぶっても、魔法使いが攻撃魔法を繰り出しても。


 先ほど竜の身体を覆っていた靄に対するのと同じ効果しかなかった。


 リウは、靄の中から虫の息でそれを眺めていた。


 やがて彼らは、諦めたようにその場を去って行った。



 

 リウは、己の身体がなかなか死なない事を理解していた。


 呪いの槍は身体を苛むが、命を奪う事までは出来ず、岩壁に貼り付けられたまま、じわじわと闇に食まれていく。


 己の光属性が傷を癒そうとする度、それを押し返す。




 ああ、永遠の責め苦だ……




 とても正しい呪いだ、とリウは思った。


 どこか他人事で、やっと旅が終わったのだと思えば、ほっとしさえした。


 この靄の中にいる限り、もう何もしなくていいのだ、と思えば、救われた気にさえなった。


 その考えに至った時、意識が途切れた。




 うつらうつらと微睡んでいる心地の中、リウは王都に凱旋した剣士たちを見た。


 誰もが竜が討たれた事を喜び、王都中が沸き立っていた。


 王は旅の面々に直接謁見の間で顔を合わせ、言葉をかけ、褒賞を与えた。


 剣士には己の傍に立つ王女を指し示した。王女は輝くような笑顔を向けた。剣士は昔、召喚された娘を迎え入れた家柄であり、公爵家の次男だった。王女の結婚相手としては妥当だろう。戸惑うような顔をしていたが、いずれ受け入れる事になるのだろう。


 何もかも、リウなどいなかったかのように物事は進んでいく。


 思えば、あそこにリウが閉じ込められたことは、彼らにとって都合が良かったのかもしれない。


 異界の人間など、用が済めば扱いに困るだけだ。




 見慣れた家の居間が見える。


 TVがついていて、父親はこたつに入って茶をすすっている。


 母親は蜜柑の皮をむいていて、妹はスマホの画面に見入って友人と何やらやり取りしている。


 そこへ兄が帰ってきて、ケーキ屋の箱を置いた。


 兄は甘党で、時々家族分のケーキを土産に買ってくる。


 妹が大喜びで箱を開けた。


 現れたショートケーキは四つ。




 リウは思う。


 召喚そのものが呪いのようではないかと。




 次に意識が戻った時、王都の神殿が破壊されている様を見た。


 正しく青天の霹靂。


 雲一つない青空から雷が落ちてきて、建物の中心を貫通し、地下の祭壇前に刻まれていた召喚の陣を粉々に吹き飛ばした。


 剣士たちの凱旋に浮かれ騒いでいた人々が恐怖に震えあがっていた。


 リウはうすらぼんやりと笑った。




 「壊したわよ」


 もう二度と会う事はないと思っていた精霊がやってきた。


 「見ましたよ」


 リウは応えた。


 「剣士の事はいいの?」


 精霊が更に尋ねた。リウは眠りに入る寸前だったので、反応が遅れた。


 「剣士がどうかしましたか?」


 「彼、どう見たって、あなたに特別な感情を抱いてたじゃない」


 「は……」


 突然、思ってもみなかったことを言われて目が覚めた。


 「誰が何ですって?」


 「だから、あの剣士、あなたが好きだったじゃない」


 「……何かの間違いじゃないですか?」


 「ええ、まさか気が付いていなかったの?あんなにあからさまだったじゃない」


 そう言われて思い返してみるが、彼が他の面子と何か違っていたとも思えない。


 「たまに気遣われたりしている事は判っていましたが、それ以上の事は」


 「まあ、必死な旅だったし、余裕もなかったのかもねえ」


 お互いに。


 恋愛どころではなかった。


 「でも、どうなの。公爵家の二男坊で見目もいいし、腕もある。理想的じゃない?」


 確かに、都では優良物件として多くの令嬢に秋波を送られている存在だと何かの折に女騎士に聞いた事がある。


 「どうと言われても……」


 リウには特別な感情はなかった。


 「そもそも貴族の嫁なんて無理でしょうし」


 「そうかしら。彼のご先祖だって召喚した巫女を迎えたわ。大丈夫じゃないの」


 「いや、私別に結婚したいわけじゃありませんから」


 「あら、そうなの?」


 「この世界で結婚して子をなそうなんて思えません」


 「そうなの?どうして?」


 「あまり良い所が見つからないからです。排他的だし不衛生だし男女差別は前時代的だし」


 「まあそうかもねえ……」


 「元の世界だって問題が無いわけじゃありませんでしたが、こちらで普通に生きていける気がしません」


 「あんな旅をしておいて」


 リウは笑った。


 「極限状態でしたね。二度と御免です」




 「あなたの身体は」


 ふいに精霊が話題を変えた。


 「あそこで災厄の竜の呪いの結界に包まれたまま、意識を消滅させるまで封じ込められるわ。意識の消滅とともに、傷を自動修復していた光魔法とのせめぎ合いも消え、一気に呪いに飲み込まれるわ。そうなってしまったら、あなたは呪いにその身を侵された災厄の竜に変じてしまう」


 「そうですか」


 「忌避感はないの?」


 「死んだあとの事ですから別に」


 「意識が消滅するまでは、まだまだ時間がかかるわよ?長く苦しむことになるわ」


 「このまま身体に戻らなければいいのでは」


 「まあそうだけど」


 「とても眠いし、疲れているんです。完全に消滅するまでどれくらいかかるか判りませんが、もうここでぷかぷか浮かんでたまに目覚める、それで構いません。お願いだから放っておいて」






 精霊は去った。


 リウは漸く落ち着いて「息をついた」。


 単なる意識体でありながら、身体感覚が生まれつつある。


 あまり嬉しくはなかったが、このまま暫く時を過ごせば、消滅するどころか実体を得てしまう可能性がある。


 そういう予感があった。


 そうなってしまった場合、呪いの結界の中で瀕死で生き続けている本体はどうなるのだろう。


 極限まで光魔法を行使し続けたため、精霊も予想できないほどに強く、不死に近づいてしまった身体は。


 死を迎えた瞬間に、闇に凌駕されて災厄の竜となる運命は。




 なるようにしかならないだろう。


 眠気に耐えられず、リウは再び眠りに落ちる。


 どうでもいい、と言い換えることもできた。


 リウ自身がどのような運命をたどるにせよ、それがこの世界にどのような影響を与えるにせよ、それは呼び寄せたこの世界の人間の責任であり、リウの関知するところではないのだから。

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