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8/12

林檎と恋心






私は、夢を見ていた。




緑が広がる長閑な田舎町。


静かな森の中に佇むのは真っ白な邸宅。


色とりどりの花が咲き乱れる庭で、

無垢な笑顔を浮かべて駆け回る三人の子供。


それが幼い頃の私とクロフォード家の子息である

カインとグレンであるとすぐに分かった。


そうだ、私達はまるで兄妹のように育ったのだ。


ここはクロフォード家領地にある別荘で、

夏になると毎年ここに遊びに来ていた。






そして、私が12歳の頃。


あの別荘に訪れたのは、

この年が最後だったような気がする。


カインは騎士団に入ることが決まっていたし、

私達も思春期になって昔のように無邪気に遊ぶような間柄ではなくなっていたから。





昔は三人で庭を駆け回っていたのに、

この年は会話をすることすら少なかった。


三人ともこの歳にもなって兄妹旅行は御免だったのに、

両家の親交を深めるための伝統だからと

親に半ば無理矢理連れてこられたのだ。


私はずっと綺麗に手入れされた庭園で、

すました顔をしてティータイムを楽しんでいた。


クロフォード家のメイドが、

カインとグレンも呼ぶかと尋ねるけれど、

不遜な態度でその提案を突っぱねる。


思えば、この頃から私は、

高飛車で傲慢な性格になり始めていた気がする。





そして、この旅行の最終日の夜。


私は邸宅を囲む森の中にいた。


クロフォード家の使用人に、この地の森には夜になると星のように青く輝く美しい花が咲いていると聞いて、

美しいものが大好きだった私は、居てもたってもいられず、夜中に部屋を抜け出したのだった。


けれど夜の森というのは、

子供が思っているほど穏やかな場所ではなかった。


星の光も届かず暗闇に包まれ、

鬱蒼とした空気が漂っていた。


そんな森を歩いているうちに来た道すらも分からなくなり、気づけば私は迷子になっていた。





昔から夜の森には悪魔が出るとされている。


この国は皇族による聖神の加護により、

悪魔から守られているけれど、その加護も完璧ではなく、上位の悪魔はどこかに姿を隠して存在しているとされていた。


12歳の私がその事を知らなかったわけではないが、

昼間の森の長閑な空気を知っていた私は、

ここに悪魔は現れないだろうと高を括っていた。


けれど、そんな期待は容赦なく裏切られ、

私は唐突に暗い茂みから飛び出した悪魔と遭遇した。


大きくておぞましい姿をした悪魔は私を見るなり飛びかかってきて、私は逃げることもままならずその場で腰を抜かした。





「いやああ……!」





為す術なく叫び声を上げたその刹那。


私の目の前に人影が現れた。


それはなんと、見覚えのある男の子の姿だった。






「グレン……!?」






悪魔から私を庇うように私に覆い被さった彼は、

苦しげに顔を歪めていた。


一瞬、何が起こったのか私にはさっぱり分からなかった。


けれど、じわりと私の足元に生温い感覚があって、

地面を見下ろすとそこには血の海が出来ていて。


それでようやく悪魔の攻撃から私を庇って、

グレンが大怪我を負ったことに気がついた。






「グレン……!どうしてこんなところに!?

すごい血が出て……」


「…いいから早く逃げろ!」






狼狽える私を睨むように見つめた彼は、

そう叫んで私を突き飛ばした。


まるで悪魔から遠ざけ、

私だけでも逃げさせようとしているかのように。






「嫌よ…!グレンを放っておけるわけない!」


「このままじゃ俺もお前も死ぬだろ!」






こんな時に限って悪魔の前で口論を始めるなんて、

今思えば本当に馬鹿だったと思う。


けれど、この時はきっとお互い正気じゃなかった。






「フィオナ!いいから言うことを聞け!」






グレンは血相を変えて、

私を逃がそうと肩を強く押した。


けれど、怪我のせいで力が入らないのか、

すぐに地面に手をついてしまう。


そんな彼を見て、どうしようもなく胸が苦しくなったのを、今でも鮮明に思い出せる。






「ひとりで逃げたりなんてしないわ…!」






そう言ってフィオナはそのままグレンに抱きついた。






「おい、放せ!」


「放さない!!」






駄々をこねる子供のように、

私はグレンに抱きついていた。


あの時の、服を濡らす彼の血の感触や、

彼のあたたかい体温の記憶が、

ありありと蘇ってくる。


フィオナにとってグレンは大切な家族だったんだろう。


グレンと一緒なら死んでもいいと思えた。




けれど____






「グレン…!フィオナ!!!」






グレンよりも少し低い少年の声がした。


ハッとして顔をあげればそこには、

見慣れた後ろ姿があった。


そう、カインも助けに来てくれたのだ。


大きな剣を握り私たちを背に隠して

悪魔に立ち向かう姿に、

私は一瞬目を奪われていた。


そして、彼が剣を振り上げ斬り掛かると、

あっという間に悪魔が霧になって消えていった。





「二人とも、大丈夫か!?」





そう言って彼がこちらに駆け寄ってくるけれど、

私は安堵と動揺で放心状態に陥っていた。


そんな中、どこか遠くから大人達の騒がしい声が聞こえてきて、気づけば両親や使用人達も駆けつけてくる。


グレンは私の腕の中で気を失いかけていて、

すぐに血相を変えた大人たちに連れて行かれた。


そんな光景を眺めながら私は、

激しい罪悪感と不安に襲われる。






「フィオナ、怖かったな。」






そんな私を見兼ねたカインが、

優しく声をかけてくれる。


ずっと腰を抜かして地べたに座り込む私を、

彼は包み込むように抱き締めてくれた。






「グレンなら大丈夫だ。

俺の弟はあの程度で死なないよ。」






そう言って彼は私の頭を撫でてくれた。


そうすると自然に涙が溢れてきて、

私は彼の胸の中で泣いた。


泣きたいのはグレンの方なはずなのに。


全部私のせいなのに。


自分のことが憎くて悔しくて、

でも怖くて悲しくて、涙が止まらなかった。






「大丈夫、俺がいるから。」






彼はそう言って優しく微笑むと、

私の頬を濡らす涙を拭った。


昔は私と同じくらいの体の大きさだったのに、

私の涙を拭うその手は男の人のそれだった。


彼のあたたかい掌と、優しく包み込むような眼差しに、

胸が締め付けられるような心地に陥る。


生まれて初めて感じた感情に、

私はひどく困惑していた。


この感情の名前を知るのは、

もう少しあとの事だったと思う。






毎年恒例の夏の旅行は、

これが最後だった。


あの事件の後、私はショックで体調を崩して、

一週間寝込んだ。


グレンも背中の傷が塞がるまで、

ひと月ほど療養が必要になった。


その間、カインが私たちに、

毎日のように林檎をむいて持ってきてくれた。





そして、この事件のことは、

どうしてかすぐに社交界に広まった。


この頃からクロフォード兄弟は、

貴族令嬢達に人気だったから、

彼らを危険に晒した私は激しい非難を浴びせられた。


確かに今考えれば夜の森にひとりで向かうなんて、

とんだ常識知らずだ。


グレンの怪我は私のせいだと、

お茶会に参加する度に後ろ指をさされて、

その度に自分を責めた。





そして、カインが私たちを救った功績もすぐに世に広まりった。


彼は成人してすぐに騎士団に入り、入団直後から小隊の隊長という大任を仰せつかったらしい。


それから、彼の人生はとんとん拍子で、

すぐにフリント侯爵家の令嬢と婚約が決まった。


私は、あの夜気がついた自分の恋心を、

誰に打ち明けることも無く心の奥底にしまったのだった。





それからというもの、

私はグレンやカインと距離を置くようになってしまった。


彼らに対する複雑な感情を隠して、

これまで通りに接する自信がなかったから。


そして、彼らと距離を置いてから、

私の性格はどんどんとひねくれていった。


彼らの輝かしい功績や幸せそうな話を耳にする度に、

何故か自分が憎たらしく思えてきて、虚しくて、

私の知らないところで大人になっていく彼らを知るのが苦しかった。


そんな自分への怒りと悔しさを拗らせて、

次第に八つ当たりのように周囲の弱い人間を痛めつけるようになってしまったのだ。


きっともっと他にも私が変わってしまった要因はあるのだろうけれど、大きなひとつの要因がこれだと思う。


もう暫くフィオナは彼らとは関わっていないようだけれど、きっとフィオナの悪評は彼らの耳にも届いていることだろう。





またあの日のように戻れたらいいのに。


そんな願いが脳裏に浮かぶ。


フィオナの願いなのか私の願いなのかは分からない。


ふたりの意思が混濁してひとつになっていく。


彼らを想う純粋な愛にも似た感情が、

儚く揺らいで消えていった。






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