兄妹
美しいプラチナブロンドの髪。
すらりとした長身に端正な顔立ち。
そして、チョコレートのように甘い声音。
「フィオナ、久しぶりにお兄様に会えて嬉しい?」
今目の前にいるのは恐らく、
ジル·セスト·フォン·ウィステリア。
私の義理の兄だ___
「はは、記憶喪失だって聞いてたけど本当みたいだね。
前は俺の顔見ただけで嫌悪感丸出しだったのに。
心做しか顔つきも変わった?」
彼はそう言うとしげしげと私の顔を覗き込んで、
無遠慮に私の頬を摘んで玩具のように弄ぶ。
そんな彼の態度と行動に思考がついていかず、
私は唖然と彼のことを見上げる。
すると、愉しげに微笑んだ彼と目が合った。
「へえ。こんな可愛い妹、初めてだ。」
含みのある低い声で彼はそう呟いて、
綺麗な紫の瞳がゆっくりと細められる。
まるで慈しんで愛でるような、
甘い眼差しに思わず溶かされそうになって、
私は咄嗟に視線を逸らして俯いた。
「えー、もっとフィオナの顔見たいのに。」
またしてもそんな甘ったるい言葉が降り注がれて、
彼は俯いた私の顔を覗き込むように首を傾げる。
けれどここで彼の目を見たら負けだと分かっているから、
私は必死に顔を背け続けた。
「ジル様、お嬢様はまだ本調子ではありませんので…」
小刻みに震えて俯く私を見兼ねたのか、
横からハンナが恐る恐る声をかけてくれた。
「分かったよ、今はこれくらいにしといてあげる。」
ジルは呆れたようにそう言うと、
案外簡単に私から顔を離してくれた。
やっと解放されたような心地に陥って、
私はほっと胸を撫で下ろす。
「それにしても、まるで人格まで変わったみたいだね。
これまでのフィオナとは別人だ。」
少し離れてくれたジルのことを、
私は改めて見上げた。
するとさっきとは違うどこか見透かしたような
鋭い眼差しに射抜かれて私は思わず身体を強ばらせる。
まさか別人格だということに気づかれたのかと、
そんな焦燥感と不安が一気に込み上げて、
血の気が引いていくのがわかる。
さっきとは違う意味での緊張に支配されて、
大きな鼓動の音が彼にまで聞こえてしまいそうだった。
「ま、俺としては妹が素直な方が嬉しいから好都合だけど。これまでのフィオナは可愛げ皆無だったし。」
「え……」
出会い頭から甘ったるい態度で接してきたくせに、
これまでは可愛げ皆無だと思っていたなんて。
ハンナから聞いた話やジルの態度、
そしてこの可憐な顔立ちから、
勝手にフィオナは愛らしい性格の子なのだと思っていた。
「もしかしてハンナから聞いてない?
フィオナはすごく傲慢で高飛車な
とびきりの極悪令嬢だったんだよ。」
「な…」
「ジル様…!なんてことを!!」
ハンナの悲壮な叫びが響いて、一瞬静寂が訪れる。
けれど私の脳裏には、ジルの言葉が繰り返し反芻される。
極悪令嬢という言葉の意味がすぐに理解できなくて、
私は思わず愕然としていた。
「茶会では他の令嬢をこき下ろしにしたり、
使用人には怒鳴り散らして紅茶を頭からかけたり。
領民から徴収したお金を湯水のように使って、贅を尽くして。」
「……!」
「家族からも友達からも使用人からも__
皆からフィオナは疎ましく思われてたんだよ。」
ジルの言葉が次々と私の胸を突き刺す。
まるで壊れてしまったかのように、
頭が真っ白になって何も考えられない。
極悪令嬢___
私が想像したフィオナとはあまりにかけ離れたその表現に、どうしたって思考が追いつかなくて。
私はきっと心のどこかで期待に胸を膨らませていたのかもしれない。
本当ならこんな知らない世界で、知らない女の子として生きることになって、元の世界に戻る術もなくて、絶望に打ちひしがれてもおかしくない状況なのに。
元の世界の現実からずっと逃げたいと思っていた自分がいて、それが叶ってしまったのだ。
しかも、こんな花のように可憐で、若くて高貴な令嬢になって、きっと御伽噺のような幸せな未来が待ち望んでいるだろうと。
私の人生じゃないのに、勝手に期待していた。
けれど、私が転生したフィオナという令嬢は、
きっとこれまで沢山の罪を犯したのだろう。
例え法に触れなかったとしても、人を言葉で傷つけたり、
権力を盾に領民を苦しめたことは、紛いない罪だ。
「ジル様、どうかおやめ下さい……」
「でも、誰かがはっきり言ってあげないとでしょ。
昔から両親も使用人も、フィオナに甘すぎる。」
「でも……!」
そう言いかけたハンナを制するように、
私は彼女の肩に優しく手を置いた。
そして___
「ハンナ、ありがとう…。
お、お兄様もありがとうこざいます。
私がしてきたことはまだ思い出せないけど、
必ず罪を償って立派な令嬢になります。」
どうしてそんな凛とした言葉が出てきたのかは分からない。
でも、どんな苦境に立たされても、
今回の人生はちゃんと頑張りたいって思ったから。
例えいつか元の世界に戻ってしまったとしても、どうしてかこの世界では頑張らなきゃいけない気がしたから。
だって、ずっとどこか遠くに逃げたい、
新しいところでやり直したいって思い続けて、
ようやく叶ったんだ。
それなのに、また逃げたら、
今度こそ神様に見放されてしまう。
「君はいい子なんだね。」
私が真っ直ぐに見据えた先。
少し驚いたように目を丸くしていた彼が、
柔らかく花弁が開いたような優しい微笑みを浮かべた。
「今日から俺がフィオナを守ってあげる。」
「え……?」
脈絡のない彼の言葉に、私は思わず目を瞬かせた。
たぶん、横に立つハンナも同じような表情をしていただろう。
「さあ、今日は街に出る予定なんでしょ?
早速俺がエスコートしてあげるよ。」
そう言って彼はなんの躊躇もなく私の手を取った。
彼の意図なんて何も分からない。
けれど、繋がれた彼の手は大きくてあたたかくて、
どうしてかとても心強く感じた。