傷跡
バタン、と扉が閉まる音がした。
その瞬間に訪れる静寂。
暫く走らされたせいで私の息は少しだけ上がっていた。
「グレン…どういうつもり!?」
私の目の前にいるのは、
久しぶりに再会した幼馴染のグレン。
唐突に腕を引かれてそのまま走り出したかと思えば、
気づけばこんな寂れた小さな部屋に連れてこられていた。
どうやらここは鍛錬場にある簡易的な医務室らしく、
木製の棚に色々と薬品類が並んでいるけれど、
普段あまり使われていないのか埃が被っていた。
「こんな部屋に未婚の男女が二人きりなんて……」
ふとそんな懸念が脳裏に浮かんで、ハッとした。
若い男女がこんな狭い部屋で隠れるように
こそこそ密会をする理由なんて傍から見たらひとつしかない。
グレンがそんなことを考えているわけはないと分かっているけれど、周りから見たら誤解されるに決まっている。
「私、行くから……!」
そう言って咄嗟に部屋を出ようと、
踵を返して扉に手を伸ばした。
その刹那___
「…っ!」
背後から逞しい腕が伸びてきたかと思えば、
ドアノブを掴んだ私の手を制止するように、
大きな掌が覆い被さる。
「ちょっ…何す……」
抵抗しようとしたその時、
もう片方の彼の手が伸びてきて、
私の口元を覆った。
彼は言葉にはしていないけれど、
背後から“喋るな”という圧を掛けられた気がして、
思わず口を噤んで息を飲んだ。
すると、部屋の外から人の声が聞こえてくる。
多分鍛錬を終えた騎士達が通ったのだろう。
きっとグレンは彼らが通るのを察知して、
私が部屋から出たり騒いだりしないよう止めてくれたのだ。
私は、気づかれないよう祈りながら、
彼らが通り過ぎて行くのを息を殺して待った。
その間ずっと、私の背に触れる彼の体温や、
時折耳に触れる彼の吐息が妙に気掛かりで、
恥ずかしさで身体が震えるのを感じた。
「そんなにバレるのが怖いか?」
ふるふると震えながら身を強ばらせていた私の耳元で、
彼は小さな声でそう囁いた。
急に耳元を擽られたような感覚がして、
びくりと肩が震え思わず声が漏れそうになった。
私の口を塞いでいるくせに、
自分は好きなように話をするなんて、
なんて都合のいい人なんだ。
そんなことを思うけれど、
口を塞がれているから何も返せない。
「それとも俺に何かされると思ってるのか?」
そんな挑発的な言葉が私の鼓膜を揺らす。
そんなこと思っているわけなんてないのに、
否定の言葉を言わせて貰えず私は身じろぎをすることしか出来ない。
「そんなふうに思うならこんな男ばかりのところに
のこのこ近づいてくるなよ。
他の令嬢達は遠巻きに見てるだけだっただろ。」
そんな意地の悪い言葉に何も返せないのが悔しくて、
私はぎゅっと自分の拳を握りしめた。
確かにあの時は焦っていたのと常識が分からなくて、
普段騎士達しか立ち入らないようなところに
近づいてしまった。
そのせいでグレンの裸を見る羽目になってしまった。
「はあ…もう行ったぞ。」
そして、悔しさに震える私の背後で、
呆れたような溜め息が聞こえたかと思えば、
私はようやく彼から解放された。
確かにもう近くから人の声は聞こえない。
通りすがりの騎士達は遠くへ行ってしまったらしい。
「グレン……!さっきからなんなの!?」
解放された瞬間、
私は食いかかるように彼に不満をぶつける。
睨むように彼を見上げると、
呆れたような眼差しで見下ろされる。
まるで私か子供みたいだ。
「本当にお前は子供の時から変わってないな。
記憶障害があるって聞いて心配したけど損した。」
「な……!」
私はグレンの言葉に面食らう。
確かに私はフィオナの記憶はほとんど無くて、
私自身がグレンとこうして話をするのは初めてだ。
5年前の夏の事件の記憶はあるけれど、
私からしたら初対面の相手なのに、
どうしてこんなに馴れ馴れしく話しているのだろう。
カインとは上手く話せなかったのに、
どうしてかグレンにはあんまり気を遣ってない自分がいる。
「5年ぶりにまともに顔見せたと思ったら、
いきなり怒鳴りつけてくるとはな。」
「それは…グレンが裸だったから…
っていうか、早く服着てよ!」
またしてもそんな憎まれ口を叩くけれど、
彼は相変わらず聞く耳を持ってくれない。
そう言えば、確かにグレンとフィオナにとっては、
これが5年ぶりの再会なのだ。
勿論、公の場で会っていたりはするだろうけれど、
まともに顔を合わせて会話をするのは、
あの夏の別邸での事件以来ということだ。
この5年間できっとグレンの耳にも、
私の悪評が届いていたりもしただろうけれど、
どんなふうに思っていたのだろう。
「それと、カインに一途なのも相変わらずなんだな。」
「……は!?」
そんな聞き捨てならない言葉を吐き捨てておいて、
彼はくるりと踵を返して私に背を向けた。
そして、その辺に置いてあった古びた木製の椅子に
どかりと腰を下ろす。
その行動の意味がわからなくて、
ぽかんと彼のことを見つめていると、
彼は顎で近くに置かれたベッドを指した。
「まだこの時間だと周りに騎士達がうろついてる。
今出ると怪しまれるだろ、そこ座っとけよ。」
そう言われるがまま、
私は彼が指すベッドへ視線を向ける。
どう見ても暫く使われてないそれには、
埃がどっさりと被っていた。
けれどこのまま立ちっぱなしという訳にもいかず、
私は渋々ベッドに腰をおろす。
「言っとくけど、あいつは婚約者がいる。
お前も見ただろ。」
「な…!知ってるって!」
まだこの話題が続いていたのかと、
私はまたムキになって返してしまった。
と言うか、昔の事ならまだしも、
今日のこの僅かな時間だけで、
どうして私がカインに恋心を抱いていると思えたのか。
本当に意味がわからない。
「っていうかそもそも、
どうして急に私をこんなところに連れてきたの?」
「……分からない。」
「は!?」
ふと素朴な疑問をぶつけてみるけれど、
返ってきたのは到底納得出来ない台詞だった。
「あの二人のことを見て、
お前がエリスに掴みかかるんじゃないかと思った。」
「な…!そんな事するわけないでしょ。」
「……掴みかからなくても嫌味のひとつやふたつ言うと思ったのに、お前は黙って俯いてた。
それで、気づいたら身体が動いてただけだ。」
やっぱりグレンの言っていることは意味不明だ。
つまりはエリスが殴られるのが心配で、
私をあの場から引き離そうとしたということだろうか。
「グレンは私がそんな単細胞に見えるの?」
「今のお前は、気に入らない女はとことん打ちのめすんじゃないのか?」
「そんなこと……!」
咄嗟に否定の言葉を口にしようとしたけれど、
それ以上言葉が続かなかった。
今の私はそんな事するはずないと断言できるけれど、
昔のフィオナは違う。
気に食わない令嬢がいれば、とことん虐めていた彼女だ。
これまでのフィオナだったら、グレンの言う通りエリスに掴みかかっていたかもしれない。
「……私は、もう昔の私じゃないの。」
さっきまでの威勢はどこへやら、
弱々しい消えそうな声でそんな言葉を紡いだ。
グレンもきっとこの5年で私の悪評は嫌というほど耳にしているはずだ。
そんな状況で、否定をしたって無意味だってわかっているけれど。
でも、どうしてかグレンには、そしてカインにも、
私が醜悪な人間だと思って欲しくなかった。
「もう、誰も傷つけたりしない……」
過去の自分の行動が恨めしくて情けなくて、
私はぎゅっと膝の上の拳を握り締めた。
そんな私のことを彼がどんな目で見ているのか、
知りたくなくて顔を上げられなかった。
「もうさすがに騎士団の奴らも居ないだろ。
そろそろ出るぞ。」
彼からどんな言葉が返ってくるのかが怖くて、
びくびくしていたけれど。
彼から放たれたのは拍子抜けするような言葉だった。
唖然とする私をよそに彼はおもむろに立ち上がって
部屋の出口の方へ向かって歩き出す。
私もそれを追うように咄嗟に立ち上がると、
置いていかれないように彼の傍に駆け寄った。
「ちょっと、グレン…!」
そして、彼が扉に手を伸ばしたその時。
彼の背後に立つ私は、自然と彼の背中に目がいく。
「………!」
彼の背には薄らと大きな傷跡があった。
その傷跡に私は見覚えがあって、
思わず愕然としてしまう。
そう、これは彼が5年前、
悪魔から私を庇ったせいで負った傷だ。
まだ残っているだなんて思わなくて、
私は驚きのあまりその場で固まってしまった。
あれから5年も経った今消えていないということは、
もうこの先ずっとこの傷が消えることは無いのだろう。
「グレン……」
激しい罪悪感が胸の奥から込み上げてきて、
私は弱々しく彼の名を呼んだ。
そして、そっと指先で彼の背の傷跡に触れる。
すると、扉を開けようとしていたグレンは、
ぴたりとその動きを止めた。
「傷跡残っちゃったんだね……
私のせいで本当にごめんなさい。」
謝ることしか出来ない自分が情けなくて、
残ってしまった傷跡が痛ましくて、
私は彼の背に擦り寄るように自分の額を近寄せた。
「騎士をやっていれば傷くらい幾らでも出来る。」
淡白なその言葉はまるで私に
気にしなくていいと言ってくれているようで
余計に罪悪感が込み上げた。
確かに彼が言う通り、
これから彼は騎士として沢山の戦いを経験する。
そして、少し先に起こる戦争の中心地に
彼は行くことになる。
それから___
「………」
ゲームの中で見た彼の死に際が、
どうしてかこんなタイミングで脳裏に浮かんで、
胸が押し潰されそうな感覚に陥った。
「今度は、私が守るから……」
無意識的に私の口から零れたのは、
そんな決意じみた言葉だった。
彼にとってはこんなに心許なく、
頼りない宣言をされても困るだろうけれど。
それでも、私の意志に揺らぎはなかった。
「絶対、守るから。」
どうしてか、彼は私の言葉をからかったりすることはなかった。
ただ静かに私の言葉を聞いていた。
グレンは今何を考えているのだろう。
離れていた間どんなことを考えていたのだろう。
こんなにもそばに居るのに、
彼の心はひとつも分からなくて。
でも、こうして二人でいる時間が、
どうしてか心地良かった。




