3月32日 忠実③
李に頬をつねられても、目が覚めない。
つまり、これは夢じゃなく、現実なのだ。
「兜様は、頬をつねられるのがお好きなのですか」
じゃあ俺は、これからどうすればいいんだろうか。
どうすれば、続いていく3月から抜け出せるのか。というか、抜け出せないなんてこと……ないよな?
「兜様?」
「ああうん」
李が何か言ってた気がするが、今はそれさえ気に留められなかった。
所変わって、俺の住むアパート。そのリビングにて。
ちゃぶ台に座る俺の元に、お盆を持った李がしずしず歩いてくる。
「お待たせいたしました、兜様。粗茶ですが」
そう言いながら、李はコップを俺の前に置く。
「え、あ、ああ……ありがとう。……あつっ」
ぼうっとしていて、お茶が熱いのを忘れていた。
ふうふうと息を吹きかけて覚ましていると、李が深々と頭を下げる。
「申し訳ございません、熱かったでしょうか」
「ああ、いや。大丈夫」
しかし返事も上の空。
茶をすすりながら、俺はさっきのことを回想していた。
正体不明の虫を李が駆除してから。
こんがらがる頭のまま会場——隣町の一番大きなホールに行ってみたものの、学生やその親、教授の姿はなかった。
受付の警備員に尋ねても、「入学式なんてない」の一点張り。
そういうわけで、しぶしぶ帰ってきたというわけだが。
「なんでお前がいるんだ? 集真」
目の前には、ちゃぶ台を挟んで俺と向かい合って座る、集真の姿があった。
「え〜? 友達のピンチには駆けつけなきゃね~」
「だからって、2階までよじ登って窓をピッキングするのはどうかと思うよ?!」
「えへへぇ、それほどでも~」
「褒めてない!」
こんな異常事態だってのに、こいつはいつものマイペースっぷりを惜しげもなく披露している。
「あ、李ちゃん。僕にもお茶~」
「私は兜様専属のメイドでございます故、ご自分でお淹れください」
「ケチ~」
口を尖らせ、渋々立ち上がる集真。
コップを棚から、麦茶を冷蔵庫から取り出して、ちゃぶ台に座りなおした。
「集真は会ったことあるのか? その‥‥‥李ちゃんに。なんか、初めて会ったとは思えないぐらい馴染んでるけど」
「いんや~。初対面だよ」
茶をコポコポと注ぎながら、集真は言う。
すごい順応力だ。
「それで、鳥居は大丈夫なの? エイプリルなんちゃらとか、日付がどうとか言ってたけど」
「あ、ああ。そうだった」
一呼吸おいて、俺は改めて問う。
「今日って、4月1日じゃないんだよな?」
「そうだよ。今日は3月の32日」
「だよなぁ」
ガクリと肩が崩れる。
「説明してよ、ちゃぁんと」
「そ、そうだな」
俺は一部始終を説明をする。
朝起きたら4月が消えていて、入学式もなかったこと。
3月が続いていること。
そして、俺以外はその異変を認識できないことも。
そんな説明を、集真は肘をつきながら、李はコップに俺の分の茶を注ぎながら聞いていた。
話し終えると、
「まるで夢みたいだ」
集真は息を吐きながらそう言った。
「幻の4月かぁ……面白そうだなぁ」
「面白がってる場合か! 俺の大学ライフがかかってんだぞ」
このままでは俺の努力がパーになってしまう。
「じゃあワンダリング同好会再結成だな。活動内容は幻の4月調査……」
「勝手に話進めんな集真」
「でもさぁ鳥居、当てがないんだろ~? なら、調査の仲間は多い方が良い気がするなぁ」
「うーん……確かに」
「あとは、単純に僕が気になるからね」
この集真……。
まあでも、集真の言うことも一理あるし、再結成が無難か。
腹の底に溜まる言いようのない不安を、注いでもらった茶で押し流した。
「そいじゃ、李ちゃん。入部届けに記入よろ~」
集真が、入部届けの紙とボールペンをちゃぶ台に置く。そして、立っている李を見上げ笑いかける。
「今ならなんと、鳥居がついてくるよ~」
「畏まりました」
「俺を出汁に何してんの?!」
李がさらさらと、入部届けの氏名欄に名前を書く。
丸く綺麗な字だ。
「良いのか? もっとこう……躊躇っても……」
「兜様がついてくるとのことなので」
この子……あほの子だったりしない?
ちょっと抜けてると言うか、俺に一途というか。
「書けました」
「あいよ~」
集真が入部届けに目を通す中、俺はテレビ横の日めくりカレンダーに目をやる。
本来は4月となるべき場所は3月と記され、めくると32、33、34と日付が続く。
「花咲、ねぇ。……ほい、不備なしっと。これで今日から、君もワンダリング同好会の一員だよ~」
集真は書類を畳み、ポケットにしまう。
「よっし、なら明日から活動開始なぁ」
指を鳴らし、悪戯に集真は笑った。
「10時に部室集合な。それぞれ、4月について調べてくること~」
「……分かった」
「兜様が行かれるのであれば」
——ワンダリング同好会。
その別れに昨日までは寂しさも感じていたものの、いざ再結成されるとなると複雑な気分だった。




