うつむき姫
女は、孤児で親も兄弟姉妹も知らない。
時代設定は「昔」
場所は「ヨーロッパ」
主役は少女で、孤児ではあるが前を向いて進んでいこうと努力をする。
そんな状況では現代でも厳しいが、昔のヨーロッパでは尚更キツかった筈。
作者の希望で、何としてもこの女の子を幸せにしたい。例え「陳腐な物語」になったとしても・・・
うつむき姫
ある王国の森に移り住んだ孤児の少女。
白馬に乗った王子様のお迎えや、魔女に転身する事など、ありよう筈もない。
平々凡々に暮らせれば、御の字。
でも世の中思い通りにはいかない。
少女は隣の国の孤児院から逃げてきた。
物心がついた頃にはその孤児院で、結構幸せに暮らしていた。
施設のお姉さんに連れられて街を散歩したとき、裏通りに食うや食わずでゴミ箱を漁る子供達を見て実感した。
質素でツギは当たっているが、生活するには十分のものを与えられていた。
公共の孤児院であった。
院長は年齢の高い女性であった。
職員にも孤児にも分け隔てない愛情を注いでいるのが分かった。
しかし、高齢であった為か、流行病でアッサリ亡くなってしまった。
次に孤児院の院長として国から任命されたのは、初老の男であった。
温和な外観と違い、金に執着し、女たらしであった。
夜な夜な施設の当直担当の若い職員を襲おうとしたが未遂に終わり、国にクレームをあがると賄賂の力でもみ消していた。
真面目で優しかった若い女性職員は、皆辞めていった。
補充された職員は、流石の助平オヤジでも手を出したくならないオバサンばかりとなった。
男の標的は孤児に向けられた。
院長室に連れ込まれ、犯された年長の女の子もいた。
「こんなところに居てはいけない」と、様子の良い私を気に掛けた年長の孤児は、今まで貯めていたわずかな金を持たせて、隣の国への地図を渡した。
「お姉さんは大丈夫?」と聞いたが、「私は何とか出来るから」と言われ、納得するしかなかった。
まだ肌寒い初夏の早朝に施設を逃げ出した。初めて見る地図を片手に。
磁石などは持っていなかったが、地図に追記された分かり易い目印で、容易に国境を越えた。
本来、国境を越えるのには関所を通らなければいけないが、地図には抜け道が記されていた。
地図と一緒に渡された水筒と固いパンで、飢えをしのぎながら道を進んだ。
地図の脇には、1日にどのくらい歩いて、どのくらいの水やパンを食べれば良いかも記されていた。
いま住んでいる国でさえ行ったことがない場所が殆どだったが、とにかく赤い印の目的地を目指した。
マメが破けて血が浮かんだが、足を引きずりながら歩いた。
暫くすると瘡蓋になって傷みも感じなくなった。
国境を越えてからの道行く人は親切な人が多く、水や食べ物を分けてくれる人が多かった。
皆、地図を見せて目的地を聞くと、「頑張ってね」と言って手を振ってくれた。
何日歩いたか分からない。
着ているものは丈夫であったがすり切れたところも多くなった。
眠気を消し去る様に冷たい湧き水で顔を洗っていたが、日焼けして頬の皮膚がカサカサになっていた。
「歯は磨かないといつまでも悪くなるよ」と口酸っぱく言っていた亡くなった院長の教えで、必ず歯磨きはした。
汗をかき、身体を拭くことまではしなかったが、それ程酷い臭いになっていないと思う。
鼻がバカになっているかも知れないが。
何故か履いていた靴は丈夫で、擦り切れはあったが使い物にならなくなる事はなかった。
やっと目的地に着いた。
明るい森の中にある一軒家であった。
鍵は掛かっておらず、さっきまで誰か暮らしている様に綺麗だった。
丈夫そうなテーブルの脇にあった椅子に座って、住人が戻ってくるのを待った。
夕方になって暗くなったので、ランプを点けた。
暫くすると扉がノックされ、扉が開いた。
「勝手に入ってすいません」と言うと、驚いた顔のおばさんが「あれ?何をやっても開かなかったのに」と言われた。
「前におばあさんが住んでいたんだけど、高齢になったので娘さんに引き取られた」と説明された。
そのおばあさんとの別れ際に「この扉を開けられる人がいたら、住んでもらって構わない」とも言われたという。
近くに畑もあり、一人分には十分すぎる野菜がとれた。
少し入った森の中に罠を仕掛けると、ウサギを捕まえることも出来、森を流れる小川で魚も捕れた。
鍋・釜・食器・暖炉もあって、固かったがベッドもあった。
13歳で施設から逃げてきて、既に3年が経った。
家は人里離れた場所で、親切なおばさんの家からも少し離れていた。
山に仕事に出掛け、帰り際に若い女が一人で住んでいるのを知った男達は、度々「金を出すからやらせろ!」と近づいてきた。
ただ、危険を感じて扉を閉めると、木こりを生業にしている屈強な男でも、扉を開ける事は出来なかった。
昼間、畑仕事をしているとき、男に襲われた。
日焼けでボロボロの頬、ひび割れた指と土に汚れた衣服。
立ち上がると身長は高く、胸も大きく、スタイルは良いのだが、いつ作ったか分からないようなツギだらけの衣服であった為、外観からは分からなかった。
ただ、唇はピンクに輝いていたが、男にはそこまで見る余裕はなかった。
男は「もしかしたら、病気持ちかもしれない」と、近頃、売春宿で流行っている病の事が頭を過ぎった。
病気になった娼婦が人里離れた場所で隔離されていると言う噂も思い出した。
「いや、何でもない」と慌てて男は足早に消えていった。
近くで一部始終を見ていた女の視線に気がついた。
女は近づくと「もっと気を付けなさい」と言った。
話に聞く女性騎士らしく、身長は高く細身だが、筋肉質というのは服を着ていても分かった。
「夜なら家の中に居るので安全だけど、昼間はどうしようもない」と正直に話した。
何処から取り出したのか、丸めてあった毛布を近くの真っ直ぐな木の幹に取り付けた。
鋭い突きや蹴りを披露しながら「定期的に教えに来る」とのたまった。
近所の親切なおばさん以外と話をするのでさえ久しぶりだが、おばさん以外と話すのは、ここに来て初めてかも知れない。
数ヶ月の間、雨が降っても日照りでも、お姉さんは教えに来てくれた。
「スジがいい。殆ど完璧に近い」とお褒めの言葉をいただいた。
「それでも複数の木こりの男達にはかなわない」とうつむいて話すと、少し考えたお姉さんは「よし!」と言って対策を話し始めた。
大きいタコが並んだ手の甲を横にして、何かを掴む様に隙間を開けた手を上下させ「手コキ!」と若干大きめの声といやらしい笑いを浮かべた。
突きや蹴りを教える時よりも楽しそうに、図解で説明された。
実践と言うわけには行かなかったが。
「どうしても身体を要求されたら、例の流行病の話をしなさい。」
「噂では、女は見た目そのままで生き延びるけど、男は2~3週間以内に苦しんで死ぬっていうから」
「丁度、あなたの手の甲にもタコが出来ているから、わざとらしく「変なのが出来てる!」と見せればOKよ」と片目をつぶって見せた。
ついでに病気持ちの男の見分け方の講義もあり、そんな男の場合は、突きや蹴りを入れて怯ませた後、干し草刈り用フォークで突き刺せと教えられた。
「病気持ちの男に襲われたら、殺しても罪にはならないし、逆にその後、皆が心配してくれるから大丈夫。」との説明付きだった。
お姉さんが来ない時間に、むくつけき男の訪問があった。
何故か、お姉さんがいる時や一人で家の中に居るときは、男達は近づかなかった。
お姉さんの説明通りに話をすると、「手コキ」だけで結構な金額を稼げるようになった。
木こり仲間の間では「手コキ魔女」との異名をいただいていた様であった。
心配した近所のおばさんが、真剣に「駄目よ!あなたは私の娘みたいな存在なんだから!」と言われ、嬉し涙が溢れた。
やはり「生身の女」が良いのか、手にタコがある女に触られると病気になるという噂のお蔭か、木こり達の訪問はなくなり現金収入は途絶えた。
余った野菜やウサギの肉や魚を売りに行く事も考えたが、歩きでは市場までは遠いので諦めた。
別に現金収入がなくても、楽しく暮らしていたので、不満はなかった。
嫌なことがあっても、お姉さんに教えてもらった突きや蹴りを何十回も繰り返すと気分爽快で、食事も美味しかった。
平穏な日々が続いていたある日、黒い馬に乗った大柄な騎士が現れた。
騎士は馬に乗ったまま言った。
「俺の女になれ! 俺がお前の男になってやる!」
何を言っているのか分からない。
ボーゼンとしていると「1ヶ月後に迎えに来る」と言っていなくなった。
何処のバカだ?と思ったが、気にせず普通に生活していた。
すっかり忘れていたが、残り1週間という頃になって胸騒ぎがして、一応連れて行かれても問題ない様に片付けをした。
親切にしてもらっている近所のおばさんに話をすると、「近頃、騎士団長の関係者が色々調査している」と聞かされた。
私には関係ない話だと思っていたら、丁度1ヶ月後にあのバカ騎士が現れた。
普通、迎えに来るなら馬車とかあるだろうと思ったが、馬に乗ったまま一人で現れた。
「馬にはのれるか?」と聞かれたが、自分の足以外で移動した事は無い。
「乗ったことは無い!」と馬上から見下す男を、睨み付けながら答えた。
仕方なさそうに馬から下り、「持って行くものはあるのか?」と聞かれたが、「無い!」と答えた。
残念ながら、持って行くものは無い。この家に来たときも、着の身着のままだった。
軽々と私を、厚くクッションの良い様に加工した鞍の前側に乗せ、男は後ろ側に跨がった。
「シッカリ鞍を押さえて、俺に背中をあずけていろ!」
命令口調に苛立ったが、言われた通りにした。
何故か背中の当たる男の胸は温かく、気持ちが良かった。
「普通の道よりも気分が良いぞ」と言って、草原を抜けていく。
殆ど毎日、農作業や森で獲物を追いかけていた。自然の中を通ったくらいで感動はしない。
ただ、高い位置で風を切るのは気分が良かった。
馬はマリアを気遣うように、無茶な走りはしなかった。
思わず「ありがとう」と馬を撫でると、何故か喜んでいるようだった。
街中に入ってお城のような大きい屋敷に入った。実際にお城を見た事が無いので、比べられないが。
馬から下ろされると、気に入って貰えたのか、馬の方からすり寄ってきた。
「可愛い!」と言いながら撫でてやると、大きくいなないて喜んでくれた。
近くに控えていた執事らしいおじさんに「この馬が慣れるとは驚いた」と言われた。
シッカリ洗濯していたがツギハギだらけの衣服に好奇の目が注がれた。
持っているものの中で一番マトモなものなので気にしない。
何故か「負けるものか」と胸を張った。
近づいてきたおばさんが声を掛けてきた。
おばさんと言うには若く、綺麗すぎてスタイルも良すぎるが。
「マリアさんね? 息子トニーの母親でルシアよ」
久しぶりに自分の名前を聞いた。
何ヶ月も自分の名前を言われない事の方が多いので、一瞬、誰のことかと思ってしまった。
「はい」と取り敢えず答えたが、俺の女になれ!と言っていたバカ男の名前を今初めて知った。
ただ、次の言葉に絶句した。
「うちの息子の嫁になると決めたの?」
さらに、「うちの息子を気に入らなくても、私の娘にはなってもらうわネ」
とどめに、「私はあなたを気に入っているの。まあ、息子と結婚してもしなくても、私の娘にするんだけど」
言い終わって、ルシアは結構大きな声で笑った。
厩に馬をつれていった件の息子は帰って来るなり「俺の嫁だ!」と言い張ったが、「マリアが決めることだ!」と言い切った母親に勝てなかった。
母親と同じく、腰に剣を差し、馬に跨がった方が似合う格好の姉妹らしき女性二人が近づいてきた。
二人とも上品な金髪をポニーテールにして、髪が顔に掛からないようにしていた。
マリアも金髪だったが、洗髪ははするが手入れなどはしたことが無く、無造作に束ねたそれは些か美しくはなかった。
姉らしい方は母親似でしっかり者のようで「あなたの姉のロザリアよ、弟妹ともども宜しくね」。
妹らしい若い方は本当に可愛く「お姉様、妹のナタリーよ」。しゃべり方も可愛かった。
長男であり第二子のトニーの圧はかなり強いと思っていたが、この家族の中では最弱なのは直ぐに分かった。
本当にこの人達と家族になるのなら、強くないと生きていけないと感じ、うつむかずにしっかり前を向いた。
母親ルシアが指示をすると、私の両脇に侍女二人が立ち、建物の中に連れて行かれた。
風呂場とおぼしき場所に連れて行かれ、着ているものを全て脱がされ、湯船に浸された。
生まれて初めてかも知れない湯船で、ちょっと熱め。
あがろうとすると、年嵩の侍女に頭を押えられた。
「お嬢様! あと100数えてください。」と言われたが、そんなに我慢が出来るかしら?
結構「ゆでだこ」状態で風呂から上がると、侍女二人に身体を磨かれた。
若い方の侍女に「胸が素敵、肌も綺麗」と褒められたが、女性に褒められても嬉しくもない。
年嵩の侍女はほっぺたを指さし、「これを何とかしましょう」と並べられた化粧水やらクリームを、優しく何度も塗り込められた。
些かのぼせてしまい、何時間磨かれたのか覚えていない。
とにかく冷たいレモン水が身体に滲み渡った。
母親や姉妹とお揃いの服を着せられ、髪もさらさらの状態にされ、綺麗にカットされた。
リビングと思しき広い場所に行くと、皆に注目された。
殆どの人が「綺麗!」と言うなか、トニーの声だけは「凄い!」であった。
お茶が用意されていたが、テーブルマナーなど知る由も無い。
前に座った姉のロザリアは、私に目配せをするとゆっくりとカップを右手で持ち、優雅に紅茶を飲んだ。
姉のまねをして、多分生まれて初めての紅茶を口にした。
こんなに香りの素敵な飲み物があるんだな、と思いながら。
姉は、音も立てずにソーサーにカップを置いた。
緊張がマックスに達していたが、姉の微笑みで救われた。
姉のまねをしてソーサーにカップを戻した。
「マリアお姉様、所作が素敵!」と妹のナタリーに言われたが、何が素敵なのか分からなかった。
私の部屋だといって連れてこられた部屋で、一人でキョロキョロしていた。
私の許可が出ない所為かは分からないが、トニーと一緒の部屋ではなく、自室を与えられた。
何から何まで揃っているようだが、使い勝手どころか名前すら知らない家具も多かった。
勿体ないくらい大きいクローゼットを開けると、沢山の衣類が用意されており、試しに着てみるとサイズはピッタリだった。
ただ、ここに来るときに着ていたものは見つからなかった。
大きく硬めだがシッカリしたベッドに横になると、眠くなってしまいそうで起き上がった。
夕方、父親のサイモンが帰ってきた。
直ぐに侍女が迎えに来て、リビングで父親に挨拶をした。
「初めまして、 マリアです。」
「父親のサイモンです。聞いていたより物凄い美人だな。よくトニーなんかに」と言うより早く、妻ルシアの肘鉄が飛んだ。
「私の娘ですもの、綺麗なのは当り前です。問題はトニーよね」と言いながら、二人は自分達の部屋に移動していった。
夕食になって、私の前に姉のロザリアが座って、その微笑みに安心する。
食事が運ばれてきたが、目の前に並べられたカトラリーの種類と数に圧倒された。
姉は料理が運ばれてきた度に、その料理に最適なカトラリーの上に両手を移動させ、その手を一旦停止して、それから食事を始めた。
あまりジロジロ姉を見ないようにしながら、同じカトラリーを選んでゆっくりと料理を味わう。
味、温度、焼き加減、何から何まで素晴らしい。
姉のお蔭で美味しく夕食が堪能出来た。
リビングでの会話を最後に、「おやすみなさい」と挨拶して皆が自室に戻った。
自分の部屋に戻って、のびをしてから座り心地の良い椅子に腰掛けた。
程なくして、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」と言うと現れたのは執事で、男の人の為か侍女を伴って部屋を訪れた。
「この屋敷の見取り図、決め事、使用人等と、お部屋の家具等の使い方もまとめた綴りです。ご覧になって、ご質問がありましたら侍女にお申し付けください。」
渡せば理解出来るという様に、部屋を辞すろうとする執事に聞いてみた。
「初めて現れた身なりの悪い娘を、何故そこまで信頼されるのですか?」
執事は微笑みながら、「このお屋敷に、見た目だけで人を判断するような愚か者はおりません」と言って、侍女と一緒に部屋を出ていった。
こんな詳細まで記載された見取り図を渡しても良いのかと思いながら、自室右隣の姉の部屋の扉をノックした。
私が来るのを分かっていたのか、微笑みながら招き入れてくれた。
「夕食の時はご指導いただきまして、有り難う御座いました」とお礼を言った。
「あなたなら、2,3日もしないで作法はクリアするわね。この国の識字率はそれ程では無いのに、マリアは完璧ね。」
「以前いた孤児院で教えていただいて、そこから逃げてきましたが、森の一軒家に色々書物がありまして・・・」
「あの「森の魔女の家」と言われているところよね。確か、誰も扉を開けられないと聞いていたけど」
「私には簡単に扉が開いて、暫く家人が来るのを待っていましたが誰も現れず、暗くなって灯りに気付いた近所のおばさんに家の説明を受けました」
「あなたは多分選ばれた人なのね。うちは騎士団長の家なので、この国の全てを警備のために回っているの」
「回っていた拳法の指南役があなたを見つけて、素質が有り過ぎるから何としても騎士団に入れたいと言ってきたの」
「もしかして指南役の方は女性ですか?」
「そうよ。明日会えるから期待してね。」
「でも、何故私は騎士団ではなく、皆さんの家族になれたのですか?」
「母があなたを見に行ったのよ。母は帰ってきてから大変で、直ぐに弟トニーをあなたの元に向かわせたの。」
「1ヶ月後に迎えに行くと母に報告したら、「何故今日にしなかった!」とボッコボコにされていたわ。当然ね。」
「お母様はそんなにお強いのですか?」
「母は王族直系の家柄だったけど、騎士団に入って女性騎士になったの。騎士としての実力だけではなく、人の器量を判断出来る能力もあるのよ。」
「騎士団長の選抜試合で、母と父が最終戦で戦って、皆、父が圧勝だと思ったら、ダントツで母の勝ち。」
「騎士団長の証明である剣を渡される時、その場で辞退して、父の嫁になると宣言したのよ。呆れるわね。」
なぜかその時の光景が想像出来た。姉もそう思ったのか二人で笑い合った。更に姉は・・・
「その母のお眼鏡にかなったんだから、あなたが居ればこの家は安泰よ。」
高らかに笑う姉ロザリアに「おやすみなさい」と言って、今度は左隣の妹の部屋を訪れた。
扉をノックすると、「入って!」の声に扉を開けると抱きつかれた。
「お姉様、遅い。ずうっと待っていたのに。あ!お姉様、いい匂い」
姉ロザリアとは違う妹ナタリーの攻勢に降参する。
一緒にベッドに座って、あれやこれや話をする。
「お姉様と一緒に寝る!」と言う妹の頭を撫でながら添い寝をする。
マリアと2歳くらいの違いだろうから15歳くらいなのに可愛い。
昔、孤児院で寝るときに歌ってもらった子守歌を歌いながら、妹の頭を優しく撫でていると、程なく可愛い寝息が聞こえ始めた。
ゆっくりとベットから離れ、灯りを小さくして自室に戻った。
シッカリしているが優しいベッドに横になった。
色々有り過ぎた一日だった。
一生、一人で生きていかなければいけないと思っていた。
目を閉じると睡魔に勝てなかったが、マリアは祈った。
明日になったら夢になっていませんようにと。
明るい日差しに目が覚めた。
何故か各部屋に洗面やシャワーが整っていた。
お湯も準備されていたが、冷たい水で顔を洗って気持ちをこじ開ける。
侍女がノックをして入ってきた。「早朝鍛錬用ウエアーです。」と渡された。
ジャージで動きやすく、サイズもピッタリだった。
眠気を吹き飛ばす為のレモン水も用意されており、口臭防止にも役立つのかな?
昨日は気が付かなかったが、部屋の隅に姿見があった。
森の中の家にいた時だけでなく、孤児院にいた時も姿見など見た事は無く、鏡に自分を映したことすらなかった。
おそるおそる姿見に全身を映してみると、結構決まっていて安心した。
しかし、部分部分を強調したウエアーではないのに、やたら胸がでかくて目立つ。
他人と見比べるなど、したこともない。いつも一人だった。
鏡に映った自分の胸に触ろうと手を伸ばしたが、自分自身を触ってみれば良いことに気が付いた。
思ったよりも柔らかくない。正直シッカリしているという感触である。
試しにジャンプしてみたが、ユサユサ揺れることはなかった。
まあいいかと納得して廊下に出ると、自分専属の侍女かも知れない少女が、同じウエアーを着て待っていてくれた。
「行きましょう!」と言いながら、彼女の目はマリアの胸に釘付になっていた。
「何かおかしいかしら?」と言うと、「素晴らしいですね」と答えられて指先で触られた。
直ぐに「申し訳ありません」と謝られたが、次に「ノーブラでこの形ですか」とため息を漏らされた。
広大な庭の一角に芝生を貼った場所が「早朝鍛錬スペース」で、所々にテープが貼って位置決めがしてあった。
前後左右に大きく動いても、隣の人と干渉しない様になっていた。
皆の視線はマリアに集まった。
あまりのスタイルの良さに、ため息も聞こえた。
皆、マリアのスタイルに触れないように我慢しているようだったが、ひとり我慢しない子が大声で叫びながらマリアに向かって突進した。
「お姉様、スタイルいい。 素敵! かっこいい!」とナタリーが叫びながらダッシュでマリアに抱きついた。
「俺のマリアに」とトニーが言っていたが、ナタリーの鋭い蹴りで倒された。
結果、マリアの隣はトニーの予定だったが、ニコニコ顔のナタリーに奪われた。
鍛錬スペース前面に1mくらいの高さの大きく丈夫な台があった。
建物の方から軽快に、皆と同じデザインのジャージを着た師範が現れて、軽やかに台に飛び乗った。
忘れもしない、マリアに格闘技を含めたモロモロを教えてくれたお姉さんである。
「マリア、久しぶり」と元気に声を掛けられて嬉しかった。
皆に向かって「おはようございます。今日も宜しく。」
お姉さんの「開始!」の掛け声で早朝鍛錬の始まりである。
お姉さんに教わっていた頃と同じルーチンで違和感なく動くことが出来た。
1時間ほどで終了し、母から声が掛かった。
「マリアは慣れているのね。素晴らしいわ」
台の上から降りてきた師範と呼ばれるお姉さんから、「マリアはスジが良いから、私も直ぐに抜かれそうよ。お姉さん!」と母に声を掛けた。
「師範はお母様の妹さんなんですか?」と聞く。
確かに並ぶと似ていた。
姉のロザリアが「そうよ。母は父よりも強いけど、叔母様は母よりも強いのよ。」と事も無げに言い放った。
190cmを超える体躯の父が小さくなっているのが可愛かった。
師範で母ルシアの妹であるリタは話し上手で皆を飽きさせない。
リタも一緒に朝食を食べている。
いつものことであるが、亭主は自宅で寂しく一人で食べているらしい。
朝食をとりながら、今日の予定を確認する。
トニーと私は以前住んでいた、森の辺りの調査だ。
馬に乗れない私は、今度はトニーの後ろにつかまって乗る予定だった。
厩に行くと、前になついてくれた馬がすり寄ってきた。
馬の名前はブラックという。
トニーがブラックに跨がろうとしたが、何としても言う事を聞かない。
これではマリアと二人で乗れないとトニーが馬から下りると、ブラックは手綱を振り切ってマリアに向かって走り出した。
190cmを超えるトニーが乗る馬である。
普通の馬に比べてもはるかに大きく、体高がある。
皆が焦って追いかけたが、ブラックはマリアの側で止まると、一生懸命顔をマリアに擦り付けた。
思わずマリアは手綱を持ってブラックに跨がり、優しく撫でた。
明らかにマリアが乗り易い様に気を遣っているブラックに、厩舎の担当者だけでなく皆が驚いた。
前に、馬の乗り方という本が森の中の家にあって、何度も読んだことがあった。
この本に限らず、驚く程多岐にわたる書籍が家の中にあった。
雨が降ったり、農作業の休憩の時には必ず読書に勤しんでいた。
読書が好きであったマリアは全てを読破し、数回読み直した本も多かった。
何としてもトニーが乗るのを拒むブラックに、父親のサイモンはブラックをマリアの馬に決め、トニーの馬は大型の別の馬になった。
初めて馬を操るナオミに、ブラックは素直に従った。
昔からマリアの馬だった様に。
懐かしい森の快適な巡回で、近所にいた親切なおばさんに挨拶に行ったら、あまりに美しく変貌したマリアに涙が止まらないようだった。
「また来ます」とおばさんの手を強く握り、ブラックに跨がる。本当にマリアの馬になっていた。
草原をトニーと競争したが、マリアの思うままに走るブラックには敵わなかった。
トニーは悔しかったが、マリアの満足げな笑顔に「うん」と言うしかなかった。
ただ、不思議と悪い気はしなかった。
今日の話題を語りながらの夕食である。
出掛ける前もそうだったが、帰ってきたときのマリアの馬の捌き方に、父のサイモンは賛辞を惜しまなかった。
「お前の教え方が上手かったのか?」とのトニーへの質問に、トニーが躊躇していると、「はい」とマリアが答え、父サイモンは満足していた。
マリアとトニーは一緒に巡回に出かけたが、基本、巡回は仕事である。
二人の仲が親密になる様には思えなかった。
一目会った時からトニーはマリアを好きになり、燃え上がりすぎてギクシャクしていた。
マリアにとって、男に関しては良い思い出は無い。
叔母のリタは、マリアが姉のルシアの娘にならず、トニーの嫁になることを望んでいた。
変なところで奥手のトニーに、どうやってハッパを掛けて良いものかと、二人を見る度に悩んでいた。
1ヶ月ほど経ったある日、リビングでルシアとリタはお茶を飲んでいた。
色々話すうち、トニーとマリアの話題になった。
結構せっかちなの姉ルシアは、「そろそろマリアを娘にする届け出をだそうかな?」と言い出した。
焦ったリタは、「もう少し時間を頂戴。私が何とかするから」と執行猶予を取り付けた。
トニーの気持ちは、本人が単純だから分かり易い。マリアにベタ惚れだ。
問題はマリアだ。マリアの生い立ちをよく知っているリタは、悩んだ。
悩みに悩んだが、やはり姉に似てせっかちな性格のリタは「当たって砕けろ」の戦法に決めた。
出来れば砕けないで欲しいと願いながら。
亭主に「こんな夜中に何処へ行く?」と言われたが、正直に「トニーとマリアをくっつけに行く。」と話したら、「頑張れ!」と応援された。
勝手知ったる他人の家。警備の人間もリタの顔を見ると「こんばんは!」でスルーパス。
マリアの部屋へ急ぐ。
丁度ナタリーの部屋から出てきたマリアに声を掛けた。
マリアの部屋で、マリアの微笑みを見たら、何から話して良いのか分からなくなって、何故かドキドキした。
どうした? わたし!
マリアにじっと見つめられて、腹を括り直球勝負に出た。
「トニーのことは好き?」
ちょっと沈黙があった。ほんの数秒ではあったが、リタには1時間以上に感じられた。
「はい、好きです。」
アッサリ言われたが、マリアの言う「好き」の意味が分からない。
「どのくらい好き?」
無意味な質問になりませんようにと、久々に神に祈った。
「結婚しても良いと思っています。」
心底期待していた答えだったが、どうしても理由を知りたかった。
言っても良いのかと思ったが、「何故?」と聞いてしまった。
「トニーは今まで会ったどの男の人よりも信頼出来ます。義理ですが父サイモンも信頼出来る素晴らしい人ですが、私のなかのトニーは別格です。」
良い方向に向かっているが、どうしたら良いのだろう。再び直球勝負に出た。
「サッサとトニーの部屋に行って、愛し合いなさい。」
シマッタかなと思って、マリアを見ると頷いていた。
ここまで来たらどこまででもやってやる! 怖いことなどあるものか!
マリアの手を掴むと廊下に出て、トニーの部屋に連れて行った。
リタは扉をノックして、マリアを部屋の中に押し込んだ。
「やり終わるまで部屋から出てくるな!」と二人に言って、扉を閉めると帰って行った。
何で私がここまでやらなければいけないんだと、無性に腹が立った。
先程の警備の男に、平静を装って「おやすみ」と声を掛けて、自宅に向かう。
リタは、この王国でトップクラスの格闘家である。夜中なので、腰にロングソードをはいているが、実際は必要が無い。
分かる人が見たら、大股で歩くリタから、オーラが炎の様に揺らめいていたかも知れない。
リタが家に帰ると夫が待っていた。
「どうだった?」と聞く夫に、「今から教えてやる!」と夫の片耳を掴んで寝室に連れて行った。
マリアがトニーの部屋に入ったのは2度目くらいである。
以前、二人でモジモジしている間に、侍女に呼ばれて何も起きなかった。
改めてみるトニーの部屋は広い。
マリアと二人で暮らすことを前提とした為だ。
「何を叔母に言われたの?」
「愛し合ってこいと言われた」
「本当に俺で良いんだよな?」
「他に好きな奴はいない!」
ゴクリとツバを飲み込んだトニーは、膝をついた。
「愛しています。俺と結婚してください。一生幸せにします。」
その言葉に少し微笑みながらマリアが言った。
「お願いします。二人で幸せになりましょう。」
灯りを暗くして全てを脱いだトニーはベッドの前に立っていた。
マリアはトニーの股間を見ると、今までの嫌な記憶が蘇ってきた。
自分の衣服を少し乱暴に脱ぎ捨てたマリアは、まだ準備万端ではないトニーのイチモツを掴んだ。
こんなものの!こんなものの為に何度嫌な思いをしてきたのか。
ひざまずいたまま泣き崩れるマリアにトニーは慌てた。
しかし、以前、叔母リタに言われた話を思い出した。
トニーはマリアに「少し待っていてくれ」との言葉を残して、部屋を飛び出した。
トニーは全裸ではあったが、誰もいないのを確認すると廊下をマリアの部屋に急いだ。
衣類を着ている暇はない。
走りながらリタに言われた話を詳しく思い出していた。
何とか甥トニーとマリアの仲を進展させるべく、リタがマリアの部屋を何度も訪れた時の話である。
マリアはこの屋敷に連れてこられたとき、荷物は持っていなかった。
しかし、ツギだらけの服のポケットに銅貨が1枚入っていた。
マリアはその銅貨を与えられた自分の部屋のサイドボードの端に置いていた。
マリアの身辺調査は主にリタが行っていた。
マリアのあまり優れた身体能力と才能に、自分の養子にしようと思っていた。
人里離れた森の中なので、近所のおばさんに聞く以外は、本人に直接会う他に方法はなかったが。
生い立ちから、人を信じられないのは仕方がなかった。
そのせいか、マリアは一人で生活することに執着した。
近所のおばさんも、何度も一緒に暮らそうと言ったが、頑ななマリアには通じなかった。
手コキだけではあるが、金を受け取って木こり達の性処理をさせたことをリタは悔やんでいた。
ある日、マリアの元に行くのが遅れた時、木陰からマリアが泣きながら男の性器を掴んでいるのを見た。
病気にはなりたくないが満足はしたい。
取り敢えず満足した男達は、一番価値の低い銅貨をマリアの前に投げるといなくなった。
リタは泣いた。
なんて酷いことをさせてしまったのか。自分に我慢がならなかった。
直ぐ連れて帰りたい。そうしようと思ったとき、近所のおばさんが現れた。
おばさんは落ちていた銅貨を拾い集めると、1枚だけマリアに渡して言った。
「他の銅貨は鋳つぶしてしまいましょう。ただ、この1枚は持っておいで。決してこの悔しさを忘れない為に。」
「あの男達の雇い主に噂を流しておいたよ。手にタコがある女の手に触られると、病気になるってね。」
「こんなやり方でしかマリアを守れなくてごめんね。」
おばさんはそう言って泣き崩れた。
直ぐにマリアの前に現れたリタは「一緒に私の家においで」と言ったが、マリアは首を横に振るだけだった。
その日もマリアに拳法を教えたが、我慢が限界を超えた蹴りで、結構太い木をへし折ってしまった。
どんなに強い突きや蹴りをやっても、涙が止まらなかった。
マリアに泣いていることを悟られない様に、汗を拭くフリをして涙を拭った。
帰り際、少し上を向いたまま馬に跨がると、「さようなら」と言うマリアの顔が滲んでよく見えなかった。
無理矢理絞り出した声で「さようなら」を言うのが精一杯であった。
リタは思いっ切り馬を走らせた。
何とかしなければいけない。何とかしなければいけない。何とかしなければいけない。
もう訳が分からなかった。
幸いリタの馬は優秀で、何もしなくても街に帰っていった。
ただ着いた先は自分の家ではなく、姉の住む騎士団長の家だった。
馬から下りると、慌てて追いかけてきた門番に「急ぎだ!」とだけ言って、姉の部屋に走った。
何とかしなければ!どうしよう? それだけで頭の中が一杯であった。
姉の部屋をノックもせずに開けると、冷静な姉は悠然と「座りなさい」と言って冷たい水を用意した。
焦って飲んだのでむせてしまったが、手で口を拭うと、今日あった話と今までの経緯を説明した。
いきなり姉に胸ぐらを掴まれ、思いっ切り叩かれた。
姉のルシアは、今まで見せたことのない恐ろしい目をして言った。
「もうあなたには任せられない! 自分でする。 マリアはあなたではなく、私の娘にします!」
呆然とするリタを残して、ルシアはいなくなった。
ルシアは息子のトニーを騎士団の詰め所から呼び出し、マリアを連れてくるように指示を出した。
騎士団長の嫁であるルシアは、王国内の教育も担当していた。
10年ほど昔、識字率の高い隣国を訪れ、教育体制等のノウハウを吸収しようとした。
色々の学校を見学させてもらった。
孤児院も見学させてもらえる事になった。
孤児院に行く途中、路地裏の浮浪児が目に入った。
引率しくれたその国の教育担当者は嘆いた。
「親が駄目だと救いようがない。孤児の方が幸せかも知れない。」
「しかし、課題は分かっています。絶対に何とかします。」
担当者の強い言葉にリタは感動した。
孤児院に行くと更に感動した。
皆幸せそうで、勉強も良く出来るのは、子供達の言葉からも理解出来た。
特にマリアという子が気になった。利発な子だったが、少しうつむく事もあった。
自分には3人の子供がいた。それでもこの子を自分の娘にしたいと強く感じた。
そうだ、妹の子供にしてしまえば良い。
妹は10歳近く離れていた。まだまだ若いが、騎士団に所属し仕事が大好きで、子作りに積極的ではなかった。
孤児院の院長に聞いてみた。
「ここにいる子を養子とさせていただく事は可能ですか?」
「願ったり叶ったりです」
院長より先に、隣に立っていた教育担当者は言った。
「ただ、本人次第ですが」と付け加えた。
直接マリアに聞いてみた。
「私の国に来ない?私の妹の子供になって欲しいの.」
10歳にも満たないマリアは言った。
「15歳くらいまではここで暮らして、手に職をつけて働きたい。」
正直、驚いた。こんな子供がいるのか。
「15歳になったら、もう一回考えてみてネ」
そう返すのが精一杯であった。
国に帰ってマリアの事を妹に話すと、「マリアが15歳になったら私が迎えに行く」と大乗り気だった。
あと2年でマリアが15歳になると思ってカレンダーを見ていたとき、隣国の教育担当者からの手紙が届いた。
以前お目に掛かったマリアがいる孤児院の院長が亡くなった事。
次の院長に問題があり、その男を処分をした事。
次の内容に驚愕した。
次の院長の淫行により、それを恐れた孤児2名が孤児院からいなくなった事。
その二人にマリアが入っていた。
もう一人の年長の子は頭が切れ、二人で同じ方向に逃げると捕まると思い、マリアをこの王国に逃がしたまでは話をした。
しかし、大人を信用出来なかった年長の子は、場所だけは頑として言わなかった。
この国にマリアが来ている!
「自分で探します。以前お話しした通り、妹の養子にします。」
隣国の教育担当者へ返事を出した。
探した。
国中を。
噂を聞けば何処までも出掛けて行った。
夫の騎士団長にも、国の警備で回る騎士には孤児の女の子がいないか聞くように頼んだ。
女性騎士として働いていた妹には、特に念入りに探すように指示を出した。
妹からそれらしい女の子がいると聞いて、直ぐに馬を飛ばした。
マリアであってくれ。
ずっと祈った。
初めて会ったときから既に10年近く時は経っていた。
しかし遠くから見ただけで、マリアだと分かった。
涙で声が出なかった。
嬉しかった。
ホッとした。
一緒に馬を飛ばしてきた妹に「後は私が何とかする。」と言われ、その日は帰ることにした。
子育てはほぼ終わったが、教育の普及には時間が掛かった。
自分が筆頭になって行っていて、時間が割けなかった。
ジリジリとした気持ちをおさえ、妹の養子にするのだからと自分を納得させ、妹に任せたのであった。
さっき、妹からマリアの近況を聞いた時、自分で動けば良かったと後悔したが、過ぎた事は戻るはずもなかった。
トニーは、母から「直ぐに行け!」と言われた。
「終わっていない仕事があるので明日にする」と言うと、思いっ切り叩かれた。
強引に明日にした。
夕食の席で、母から「サッサと行け!」と何度も言われた。
毎回「明日!」と答えた。
「役立たず!」と怒鳴られフォークやナイフが飛んできた。
日頃の訓練のお蔭で、飛んできたフォークやナイフをかわす事が出来た。
初めてこんなに怒っている母を見た。
平然と食事を進める姉や妹は、人種が違うとしか思えなかった。
父は慣れているのか終始無言だった。
後ろに控えた執事や侍女には、更に驚愕した。
執事は母が投げたナイフを顔の正面で受け止めた。
まばたき一つもせずに。
侍女はカーブを描いて上方に変化して飛んでいったフォークを、手を瞬時に延ばして捕まえた。
投げるものがなくなったと気を抜いたら、三つの固いパンを握り固めたものがトニーの顔面を直撃した。
母の後ろに控えていた侍女が、事も無げにカトラリーを並べ直したのを見て、観念した。
これ以上だと殺されるのかも知れないと思った。
「女性だけの家に夜中に訪問は出来ません。早朝に出発します。」
と言って頭を下げた。
皆が起床する前に出発した。
朝食は料理長に無理矢理用意してもらったサンドウィッチを馬上で食べた。
昨日の夕食は何を食べたか覚えていなかった。
森の木洩れ日の中に立っていたマリアを見つけた。
ツギハギだらけの衣服を纏っていた。
手は畑仕事で泥だらけだった。
顔も日焼けでカサカサだった。
しかし、トニーには女神にしか見えなかった。
何度目をこすっても変わらなかった。
トニーは「騎士団長の家に行く。ついてこい。」と言うつもりであった。
しかし、出た言葉は「俺の女になれ! 俺がお前の男になってやる!」
自分でも訳が分からなかった。
準備もあるだろうと思った。
「1ヶ月後に迎えに来る」
と言って帰った。
家に帰り、「1ヶ月後に迎えに行く」と母親に伝えた。
いきなりボッコボコにされた。
「何故、直ぐ連れてこなかった! バカ息子!」
と怒鳴られて、訳が分からなかった。
何がどうなっているのか分からないので、腫れた顔のまま理由を知ってそうな叔母の家に行った。
「1ヶ月後に迎えに行く」と伝えた。
言った途端、母の時よりもっとボッコボコにされ、2階の窓から投げ飛ばされた。
丁度,枝振りの良い植木と日頃の鍛錬のお蔭で、血だらけになるだけで済んだ。
叔母のリタは、マリアから何度も銅貨を取り上げようとした。
しかし、いつもの優しいマリアの目からは想像も出来ないような、怒りを煮えたぎらせた目で見つめられ、諦めた。
マリアの部屋の前に立ったトニーは、両隣の姉妹に気付かれないように扉を開けた。
灯りの消えた室内であった。
マリアの部屋になってから入ったことはなかった。
しかし、何故かトニーには銅貨の場所は直ぐに分かった。
銅貨を掴むとマリアの居る自分の部屋に急いだ。
騎士団長は王国の侯爵家である。
代々騎士団長を仰せつかっているが、本来名誉職で、自分から先頭に立つ必要はなかった。
父サイモンは、「騎士団長は選抜戦の優勝者にする」と宣言し、自ら毎年の選抜戦に勝利し、騎士団長の地位にいた。
ただ1回、選抜戦に勝利出来ない年があった。
トニーの母ルシアが優勝した年であった。
母が騎士団長を辞退した為、父は騎士団長でいる事が出来た。
有無を言わさず結婚させられたが。
そんな屋敷だから広い。
廊下も長い。
しかし、どんなに頑張って走っても自分の部屋に着く事が出来ない。
何時間も走り続けている感じがする。
何故だ?
走りながら思いっ切り歯を食いしばった。
両方の奥歯が砕け散っても構わないと食いしばった。
いきなり自分の部屋の前に立っていた。
戦いに備えて、フル装備で走ることもある。
今は裸だ。
それでも肩で息をしていた。
深呼吸をして息を整え、扉を開けた。
うずくまり、涙を流すマリアを見て安心した。
「これ!」とだけ言って、手に乗った銅貨を見せた。
こんなものの為にマリアは心を閉ざしてしまっているのか。
何故、叔母のリタからこの銅貨の話を聞いたとき、俺が直ぐに処分してしまわなかったのだろう。
自分に腹が立った。許せなかった。
我慢など出来るものか。
思いっ切り銅貨を握りつぶした。
悔しくて、悔しくて涙が止まらなかった。
開いた手のひらにのった丸く歪んだ銅貨に涙が何滴も落ちた。
窓を開けた。
綺麗な月夜だった。
涙を拭って、月に向かって思いっ切り銅貨を投げた。
色褪せた銅貨である。
月光を浴びて光るはずもなかった。
広い庭の外れにある池に銅貨の落ちる音がして、窓を閉めた。
手を洗った。
あんな銅貨を握った手でマリアに触れる訳にはいかない。
洗った。 洗った。 洗った。
手の皮がなくなっても良いというくらいに。
何故か涙が止まらなかった。
蛇口から出る水と同じくらいに涙が流れて止まらなかった。
後ろに暖かい気配を感じた。
振り向くとタオルを持ったマリアが立っていた。
タオルを受け取ると手を拭いた。
水分を残さない様に。
あの銅貨の残りを全て消し去る様に。
手を拭き終わったとき、マリアに後ろから抱き締められた。
嬉しい。幸せだ。
今が永遠に続いてくれることを祈った。
泣いている顔を見られたくなくて、上を向いて涙を拭った。
タオルを置いて向き直り、思いっ切りマリアを抱き締めた。
マリアを持ち上げ唇をあわせた。
「過去の嫌なことは、全て忘れさせてやる! もう絶対そんな思いはさせない!」
マリアを抱き上げベッドに向かった。
そびえ立つトニーの股間はマリアの優しい温かいところに収まっていった。
何度も二人で絶頂をむかえ、抱き合ったまま眠りについた。
トニーは、まだ朝日があがる前に目を覚ました。
隣には、トニーの腕にしがみつき幸せな寝顔のマリアがいた。
優しい甘い匂いがした。
いつも妹のナタリーがマリアに添い寝をしてもらって、この香りに包まれながら眠りについているのかと思ったら、嫉妬で身体が熱くなった。
もうすぐ、姉ロザリアは結婚してこの家を出て行く、
シスコンの妹ナタリーは、以前はロザリアにベッタリだったが、今はマリアにゾッコンである。
マリアが来て一番ホっとしたのは姉かも知れない。
トニーは物心ついた時には、いっぱしの格闘家顔負けの実力があった。
今もいる執事は、父のサイモンを指導した人間である。
その執事が最後の弟子としてトニーを育てた。
王立の学校を卒業する頃には、父サイモンと同等の評価を与えられていた。
何の躊躇もなく、トニーは騎士団に入った。
身体も父譲りで大きく、力も強かった。
騎士団の指導役には、もう彼に教えることもなかった。
騎士団長の息子に忖度する者は騎士団にはいなかったが、自分より実力で上回る人間に教育することは難しい。
各分野のエキスパートがトニーを教育したが、息子の自信過剰を父は許せなかった。
騎士団長の父は、騎士団一と言われていた男に、トニーの鍛え直しを頼んだ。
トニーの侯爵家とは遠い親戚筋の別の侯爵家の跡取りで、騎士団に所属していた。
名をジムというその男は、トニーを鍛え直した。
身長はトニーよりも5cmほど低く、筋肉量は多いはずだが引き締まっているため着痩せして、トニーより一回り小さく見えた。
試合をやってみると、父を除けば騎士団で一番と思っていたトニーは、何をしてもジムに敵わなかった。
剣も、棍も、体重がある自分の方が有利な柔術も、腕の長さで有利な筈の拳法でさえも。
元々素直な性格のトニーはジムの言う事に従い、用兵術や書物による戦い方も教えてもらった。
トニーはジムを「兄貴」と慕い、本当の兄になる事を心底喜んだ。
トニーはある意味天才だった。訓練や勉強で努力する事は苦痛ではなく、全てに積極的であった。
もっと強くなりたいという向上心も強かったが、父という目標以外にジムという目標も出来た。
がむしゃらに頑張り始めたのは、マリアと結婚したいと思った為であった。
しかしもっと天才がいた。
母と叔母と姉と妹である。
確かに力技ではトニーに分があるが、判断する前に身体が反応する生まれながらの素質には敵わなかった。
「あいつらは別格だ。」と父親に言われて、勝とうと思う気持ちを捨てた。
そんな強い母親に認めてもらい、マリアと結婚したい一心で、頑張った。
甥のトニーを大好きだったリタは、分かり易すぎるトニーの気持ちに、マリアを自分の娘にすることを諦め、トニーの嫁にしようと頑張っていた。
頑張りすぎるトニーを休ませる為、有無を言わさず、言う事を聞かせることが出来る人間が騎士団長の家に呼ばれた。
王室からの、ロザリアとジムの婚約許可の連絡も兼ねた、一石二鳥の訪問であった。
ただ、マリアと結婚する事を認めさせる為に頑張るトニーをを止める事は出来なかった。
トニーはマリアの心を開く事に成功し、やっとマリアと一緒になれた。
絶対に父と兄を超えてやると誓った。
思わず腕に力が入り、マリアの目が覚めた。
朝練を行った後、汗を流す為、寝室にはシャワーが装備されていた。
裸の二人はシャワーを浴びたが、再び抱き合ってキスを繰り返した。
ドアをノックするマリアの侍女の声に、慌てて朝練のジャージを纏った。
二人の「「どうぞ」」の声に「マリア様はこちらですか?」と言いながら侍女は入ってきた。
照れくさそうにする二人に、侍女は顔色を変えなかった。
脱ぎ散らかした衣類は綺麗に片付けてある。
一応寝具も問題無い。
「朝練に行ってきます」と二人で手を繋いで出て行くのを確認すると、侍女はベッドの寝具をはぎ取り,シーツを確認した。
「血液って落ちにくいのよネ」と一言呟いて、シーツを洗い物のかごに放り込んだ。
手を繋いで廊下を進む二人をナタリーが見つけた。
「お兄様! ずるい!」の声に、二人は手を繋いだまま駆け出した。
後ろにナタリーの「待って~!」の声を聞きながら。
リタは、窓から差し込む朝のまぶしい光で目を覚ました。
昨夜は、怒りにまかせて久々に頑張りすぎた。
時計を見ると朝練に遅刻しそうだった。
隣で満足そうに眠っている夫を踏みつけ、「グエっ」と呻く夫を残してダッシュで朝練に向かった。
皆、軽いストレッチは終わり、準備完了で所定の位置についていた。
トニーは執事から「池にあった曲がった銅貨は鋳つぶしました」と報告され、頭を下げた。
朝練にリタが遅刻した事は無い。
時計台の針が朝練開始の時刻を刻もうとしていた。
マリアは、もう一人ではなく自分の家族がここにそろっていることを強く感じていた。
うつむいている自分は嫌いだ。
もう後ろを振り返るのは止めた。
顔を上げ、シッカリ前を向いた。
時計の針が規定時刻を示す前に、マリアは前面の台に飛び乗った。
「おはようございます。師範の到着が遅れているようなので、今日は私が師範の代理をします。」
いつもの優しいマリアの声ではなく、凜とした声であった。
皆から拍手が湧いた。
実はギリギリ間に合っていたリタは、建物に隠れてマリアが動いてくれることを待っていた。
前を見据えたマリアの「はじめ!」で朝練が開始された。
この日から、誰も、マリアのうつむく顔を見た者はいなかった。
以前、生まれて初めての投稿で、やり方も分からないのに「連載」にしてしまい、今も苦労しています。
基本、他人の言う事に反応してしまう気弱な性格ですが、「開き直る!」を旗印に、気にしないで突き進みます。