10.一体何事が起きてますの?
ざわりと教室が騒めいた。何? と思ったら座っていた私に影が落ちる。目の前に誰か立っていた。顔を上げるとヴィーラント様だった。
「ファビエンヌ嬢、少し時間をくれないか?」
「え?」
はい、と返事をしないうちに手を引かれて席から立たせられると教室から連れ出された。後ろを振り向いてお兄とマリアンヌ様に助けを求めたが二人はにこにこと笑って私に手をひらひらと振っている。いや、違くて! やだ、何? どういう事!?
昨日のヴィーラント様を避けてお兄に逃げてしまった事がずっと私の中で引っ掛かって今日はヴィーラント様と目を合わせる事も出来なかったんですけれど。
お昼休みにヴィーラント様に手を引かれて……体が火照ってきた。手、手を! 手を! 繋がれています! ヴィーラント様の手、大きい……。
「あらいやだ! はしたないわ!」
甲高い声が響いてきてヴィーラント様が足を止めました。え? と思ったらヴィーラント様の目の前にはイザベル様の姿がありました。
あれ? なんかこんな場面……見た事があるような……? って! 乙女ゲーの中の場面じゃない!? え? 私ヒロインじゃないけど!? ああ、いや、メロディは攻略対象を攻略しているわけでもなさそうだから? 私がヴィーラント様を攻略している状態になっているって事!? やだ! そんなつもりはないんですけど! というか! イザベル様なんてゲーム内には出てこなかったし、イザベル様の立ち位置が私の立ち位置だったんですけど!?
頭の中が混乱状態です!
「邪魔だ」
ヴィーラント様の低いお声。いいお声で体が震えそうになります。イザベラ様に対峙していますが、私の手は繋がれたまま。どうしよう……嬉しい。いや、今はイザベラ様を相手にしないと。
「王太子殿下の婚約者候補でありながら他の男性と手を繋いでいるなんてどういう事かしら? そういえば抱き上げられてもいたわねぇ? そんな方は婚約者候補から降りるべきではなくて?」
「それには賛成だ」
え? ヴィーラント様がイザベラ様の言い分に頷いた。いえ、元から降りる予定だったから私も何も問題はないんですけれど。イザベラ様に言われるのはちょっと違うというか……。
「その意見には賛成だが、あなたには何の関係もないと思われるが?」
ふんとヴィーラント様がふんと鼻を鳴らした。辛辣! そしてイザベラ様が顔を真っ赤にしています。
「何事だっ!」
私達の周りに生徒達で人垣が出来ていましたがそこをかき分けてお兄殿下が現れました。マリアンヌ様も一緒です。
「殿下っ」
イザベラ様が嬉しそうなお声を出しました。あ、やっぱりお兄殿下が狙いなんですねぇ……。
「ファビエンヌ様はアンセルム殿下の婚約者に相応しい方ではないと思いますの!」
「ふむ……?」
お兄が私とヴィーラント様を見て、そして繋がれた手を見る。
「ヴィーラント、いいんだな? 決めたんだな?」
「ああ」
「それなら特別にヴィーラントとファビエンヌ嬢の早退を許そう。馬車を使って王宮に戻っていいぞ?」
「ありがとう」
え? どういう事でしょう? 何? お兄とヴィーラント様は分かり合っているみたいですけど。そしてお兄は人の輪が出来ている中、マリアンヌ様の前に膝をついた。
「マリアンヌ嬢、私の婚約者になっていただけますか?」
「はい。勿論です。アンセルム様、嬉しいです」
え? お兄がマリアンヌ様に乞いました! そしてマリアンヌ様は嬉しそうに顔を紅潮されて頷いています。可愛いらしいです! すごく! とても嬉しそう……二人ともよかった。
きゃーーー! と周りからすごい悲鳴が沸き上がる中、ヴィーラント様は私の手を引っ張りその場をそっと抜け出した。周りが興奮しまくっているからか私達が抜け出すのを誰も咎めたりもしなかった。
「あ、あのっ……ヴィー、ラント様っ」
ヴィーラント様の長い脚と早い脚についていくのは私には大変です。息切れを起こし、階段を駆け下りてますが転がってしまいそうです!
「きゃあっ!」
ふわりと体に浮遊感が走り階段を踏み外してしまったかと悲鳴が漏れ、目をぎゅっと瞑りました。でも衝撃も痛みもきません。目を恐る恐る開けて見るとヴィーラント様に横抱きにされていました。
「すまない。このままで」
すぐ近くで聞こえるヴィーラント様の声。目の前にはヴィーラント様の精悍なお顔があります。そして私の体を抱き上げるヴィーラント様の手の体温が私の体に伝わってきます。筋肉質で広い胸板。がっしりとした腕に抱かれた私の体に不安定さは微塵も感じません。
うきゃーーーっ! 姫抱っこ! 恥ずかしいっ! でも嬉しい!
そのままヴィーラント様は外に出て警備の兵に馬車を回してくれと伝えるとすぐに馬車が来ました。その間もずっと私は横抱きにされたまま。恥ずかしくて顔を手で覆ってしまっていました。馬車の中にそのまま乗り込み、ヴィーラント様は出してくれと御者に伝えています。
あの、ちょっと。横抱きのままなんですけれど!
「いい香りがする……」
うきゃーーー! ヴィラント様が私の首元に顔を寄せてスンと匂いを嗅いできました! やだ! 恥ずかしい! なんて事をするんですか! 嫁に行けないではないですかっ! あ、お兄の婚約者はマリアンヌ様になったんだから私は実質婚約破棄状態なのかしら? それに元々ヴィーラント様以外と結婚する気もなかったのだからいいのかしら? いや! でも! 匂いを嗅がれるのは恥ずかしいです!
「王宮に着くまで我慢して?」
どうしましょう……目が回りそうです! ずっとヴィーラント様とくっついているんですよ!? どうしよう……鼻血が出そうです。このまま気を失ってもよいでしょうか? いえ、どうなるのか、期待をしてもいいのか……私はそっとヴィーラント様の制服を掴みました。
するとヴィーラント様はぎゅーっと私を抱きしめてきました。
うわぁあああっ!
「あ、いかん……我慢が出来なくなる……」
ドキドキがっ! 全身心臓になっちゃったみたいにドキドキが激しいんですが!? 顔も暑すぎる位ですし。馬車の中に暖房でもついているんでしょうか? いえ、そんな事ないのは分かってますけれども!
あっという間に王宮について、私はそのままヴィーラント様に抱っこされて王宮の中に入りました。
王宮の中もばたばたとしているようです。そりゃねぇ、急に帰って来たんですもの。
「……ヴィーラント様、人攫いになったのですか?」
「違うわっ! フェリクス、部屋を整えて茶の用意を」
かしこまりました、とフェリクスと呼ばれた侍従が急ぎ足で去っていきました。ヴィーラント様が国から連れてきた侍従の方かしら? 後ろに控えているのは護衛の方?
「さっきのがフェリクス、後ろのが護衛のハーラルトだ。国から連れてきた」
ヴィーラント様の側近って事ですね。……私、ヴィーラント様に何を言われるの? 期待してもよろしいの? こんな抱き上げられて衆人の中を移動だなんて、本当に……覚悟がなければこんな事しませんよね!?
「ハーラルト、誰も入れるな。アンセルムの婚約者はマリアンヌ嬢に決まった、それだけ伝えてくれればいい」
「かしこまりました」
ヴィーラント様が使われているお部屋なのでしょう。ドアを開けるとヴィーラント様はドアの前でハーラルトさんにそう指示していました。そしてばたんと閉められるドア。
「いらっしゃいませ、ファビエンヌ嬢ですね? フェリクスと申します。ヴィーラント様の侍従をしておりますが、我が主が大変失礼な真似をしたようで」
「あ、あの……いえ……ファビエンヌです。あの、ヴィーラント様降ろして下さいませ?」
「いやだ」
いやだ、嫌だ!? ヤダって言われても……。
するとスコーン! とフェリクスがヴィーラント様の頭を叩いていました。え!? だ、大丈夫ですの?
「殿下」
ヴィーラント様が仕方なさそうに私をソファに座らせてくれました。そして隣に座ります。距離が、距離が! 近いです! すぐ隣で、足が触れちゃいそうな距離感ですよ! な、なんのなの!? 昨日はメロディととてもいい感じだったはずでは!?
「フェリクス、席を外せ」
「…………年頃のお嬢様と密室に二人きりになるおつもりですか?」
「侍女もいないんだ。今更だろう?」
それは、まぁ。侍従の方がいらっしゃるとはいえ、ドアが閉められた部屋で女性が私だけの状態では何を言われても噂をされても誤魔化しようもない状態である事は確かですよね? 破廉恥案件です。
「ファビエンヌ様、私は隣の部屋におりますので我が主が望まれない事をされた時は大きな声を出してください」
「は、…………は、い……」
望まれない事ってなんでしょうか!? 望んだらいいんですか!? いや、ダメでしょう! もう! 頭が混乱しまくりです! ヴィーラント様は何か私にされるとか、そんなおつもりはあるんですかっ!?
あ、ちょっと待ってー! と言いたかったけれど、フェリクス様はお茶を入れてそしてドアを開けると姿を消しました。多分部屋に備わっている侍従用の部屋だと思いますが……。
「ファビエンヌ嬢」
「は、は、はいっ!」
ヴィーラント様が隣で私の方に体を向けました。私はあまりにも距離が近くて顔をそちらに向けられません。でも気になるし! 頬に手を当てたままそっと視線をヴィーラント様に向けました。
うううっ……距離が近いーーーー! 心臓がばくばくとずっと早鐘を打っています。私の心臓壊れちゃわないかしら? 最早爆音ですよっ!
貴族令嬢として、王妃教育まで受けて、表情を崩さずいつでも笑みを浮かべて動じず対処するように教育されてきましたけれど、無理ですーーー!
「あ、あの……ヴィーラント様?」
ヴィーラント様が拳をぎゅっと握り締め顔を伏せました。え? 何? 何か粗相をしちゃいましたでしょうか!? え? と思ったら目の前が真っ暗になりました。
「私の番がっ! 可愛い!」
すぐ耳元にヴィーラント様のお声。やだ、抱きしめられてます!? 真っ暗になったのはヴィーラント様の胸ですか!?
あ、……ヴィーラント様の胸も激しく鼓動がドクドクいっていました。うう……すっぽりとヴィーラント様の腕の中に囚われています。勿論嫌なんかじゃありません。ヴィーラント様はメロディを選んだのではないの? 私でいいの? あ、そういえば、今……番って……おっしゃいましたよね? 番って私ですか? 本当に!?