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8. 絶対に手放さない(ミカエル視点)


 ああ、やっとだ。

 やっと何も心配することなく、彼女を──エイラを愛することができる。


 幼い頃に恋心を抱いてから、ずっと彼女のことばかり考えていた。

 あの出会いの日以来、直接会話するような機会は全くなかったが、一日たりとも彼女を忘れることはなかった。

 それどころか、想いは日に日に増すばかりだった。


 どこかで誰かの口から彼女の名前を聞くだけで胸は高鳴り、偶然にでも姿を見られれば、もう彼女以外はこの目に映したくないと思うほどだった。


 どうしても彼女を手に入れたくて、彼女が他の男のものになるなど耐えられなくて、必ず彼女に婚約を申し込もうと決めていた。


 我が家に毎月何通も届く婚約申し込みの手紙には、すべて断りの返事を出し、彼女との婚約だけを夢見ていた。

 そしてそんな矢先、驚くことにこちらから伺いを立てるより先に彼女の家から婚約の打診があった。


 よく考えれば、あれだけ毎月さまざまな家から手紙が届いていたのだから、彼女の家から申し込みがあってもおかしくはなかった。

 だが、自分から申し込むことしか考えていなかった俺は、その可能性が頭から完全に抜けていた。


 できることなら、こちらから申し込みの手紙を送り、彼女に想いを伝えたかった。

 どうしてもっと早く動かなかったのだろうと後悔した。


 しかし、順番にこだわるあまりに、この機会を逃してはならない。

 こんなことで躊躇している間に、別の男に先を越されでもしたら悔やんでも悔やみきれない。


 俺は彼女との婚約を進めたいと、すぐに両親に願い出た。

 幸いなことに、両親は俺が昔からエイラのことしか考えていないことをよく分かっていたから、特に反対されることもなかった。

 むしろ、俺の初恋が叶いそうなことを喜んでくれた。


 だから、きっとこれから両家の婚約は順調に進むのだと思っていた。

 あちらから申し込んできたのだから、こちらが断らなければ破談にはならない。

 そして、こちらが拒否することなんてあり得ない。


 彼女はきっと俺のことを覚えていないだろうから、実は子供の頃からずっと君を想っていたのだと伝えなくては。

 もしかしたら嘘だと思われてしまうかもしれないが、信じてもらえるように誠心誠意、彼女に尽くそう。


 そうすれば、初めは俺のことを好きではなくても、いつか心を許してくれるはず。

 そんな決意と期待を抱いていた。


 しかし、たった二日の間に、状況は一変してしまった。


『ねえ、ミカエル。あなた、わたくしではなくて別の娘と婚約するだなんて、嘘でしょう?』


 エイラとの婚約を承諾する手紙を返した翌日、ヒルダがいつものように突然屋敷を訪れ、笑顔で俺に尋ねてきた。


『なぜそれを……?』

『ふふ、わたくしはあなたのことなら何でも知ってるの。でも、婚約だなんて嘘なんでしょう?』

『いや、本当だ。元々こちらから申し込もうと思っていたんだ』

『どうして? わたくしとの婚約の話があがっていたじゃない』

『それは、政略の観点ではそういう可能性もある、という話を親同士でしていただけだろう』

『──そう……あなたはそういう考えだったのね』

『悪いが、これからはこんな風に突然屋敷に来たりしないでほしい。彼女に誤解されたくない』


 なぜか幼い頃から我が物顔で屋敷に出入りして、俺をまるで自分の所有物だとでもいうように扱っていたヒルダが、俺は嫌いだった。


 一応、身分というものがあるから、あからさまな文句は控えていたが、遠回しに注意はしてきたつもりだった。にもかかわらず、気づいているのかいないのか、ヒルダは全く振る舞いを変えようとしなかった。


 しかし、今後もこんなことをされてはかなわない。

 エイラに変に誤解されて彼女に嫌われたら最悪だし、もし彼女が傷ついたりでもしたらと思うと、もう遠慮などしていられなかった。


 だからきっぱりと拒否したのだったが、その瞬間、ヒルダの顔から表情が消えた。


『へぇ……すっかりそのご令嬢に夢中なのね。わたくしが婚約破棄してほしいと言ってもだめなの?』


 突然無表情になったのは気になったが、そんなことで怯んではいられない。ヒルダが俺とエイラの邪魔をしないよう、はっきり伝えなくては。


『当然だ。そんなことはできないし、したくない。俺はエイラでなければ嫌なんだ』


 そう強く主張すると、しばらくの沈黙の後、ヒルダは優雅に微笑んだ。


『……分かったわ』


 ……分かってもらえたか。よかった、これで憂いなくエイラと向き合える。

 安堵からほっと溜め息をつく俺に、ヒルダが言い放った。


『あなたが婚約破棄するつもりがないのは、よく分かった。エイラ……エイラね。あなたを奪う女の名前……。ふふっ、結婚するまで彼女が無事でいられるといいわね?』


 ヒルダは不気味な笑顔を浮かべると、くすくすと笑い声を立てながら部屋を出て行った。


『……待て、ヒルダっ!』


 俺は後悔した。

 もっとヒルダを刺激しないような言い方をすべきだった。

 念願の婚約が叶うことに浮かれて、冷静さに欠けていた。


 ヒルダの様子は普通じゃなかった。

 最後の言葉もただの脅しではなく、本当にエイラに危害を加えかねない。


 俺と婚約するせいで、エイラが危険な目に遭うかもしれない。

 彼女を守りたいなら、きっとこの婚約は破談にすべきだ。


 だが……ずっと想い続けていたエイラとの婚約を断るだなんて、とてもできなかった。


 なぜこんなことで長年の想いを諦めなければならない?

 なぜヒルダに邪魔されなければならない?


 彼女にそんな権利なんてないはず。俺はヒルダの所有物なんかじゃない。


 そうだ。あんな脅しで、このチャンスを潰すほうが馬鹿だ。

 ひとまずこれ以上ヒルダを刺激しないようにしつつ、彼女を遠ざけられるよう考えよう。


 エイラだけは、絶対に手放さない。



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