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6. 茫然


 それから数日後、私はライスト侯爵家を訪れていた。

 応接間に通された私の目の前には、一つの大きな(ひつぎ)が置かれている。

 ミカエル様の棺だ。


 そう、ミカエル様は亡くなった。死んでしまったのだ。


 毒を飲んだ後、私はすぐに医者を呼んだ。

 我が家で応急処置した後、侯爵家でお抱えの医師の治療を受けていたそうだが、結局解毒しきれずに亡くなってしまったそうだ。


 侯爵家から、私が毒を盛って殺したと言われるだろうと覚悟していたが、なぜか責められることはなかった。

 代わりに、今日こうしてこの場に呼ばれたのだ。


 もしかしたら、この後侯爵夫妻がやって来て、毒殺犯だと罵られるのかもしれない。

 でも、それも仕方ない。彼に毒見をしろと言ったのは、たしかに私なのだから。


 私はミカエル様の棺を無言で見つめる。


 彼はなぜ毒入りの紅茶を自ら飲んだの?

 なぜ血を吐きながら「よかった」と呟いたの?

 なぜ、あんなにも安堵したような顔で私を見つめていたの?


(ミカエル様は、私を殺したかったのではなかったの……?)


 未だ整理のつかない心のまま茫然と立ち尽くしていると、部屋の外がにわかに騒がしくなった。

 バタバタと慌ただしい足音が聞こえ、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「……ヒルダ?」


 部屋に入ってきたのはヒルダだった。

 そのままこちらへと駆け寄り、私の横を通り過ぎて棺に抱きつく。


「ミカエル……! どうして……!」


 涙を流しながら幼馴染の棺に縋りつくヒルダの姿に、私は胸を締め付けられた。

 私は自分の身を守りたかったが、彼の死など望んでいなかった。


 私が彼に毒見をしろだなんて言わなければ、彼は死ななかった。

 ヒルダを悲しませることもなかった。

 また、罪悪感に襲われる。


(……ミカエル様とヒルダの二人きりにしてあげましょう)


 私はこの場所に相応しくない。

 そう思って部屋を出ようとしたそのとき。


「……エイラ」


 ヒルダの低い声が響いた。


「ヒルダ……?」


 ヒルダがゆっくりとこちらを振り向く。


「どうして……どうしてミカエルが死んだのよ!」


 涙で充血した目が私を強く睨みつける。


「お前が死ねばよかったのに! わたくしは、お前を殺すつもりだったのに……!」


 ヒルダの憎しみのこもった目に、私を殺すつもりだったという言葉に、私の身体が強張る。

 金縛りにあったように動けなくなる私のもとへ、ヒルダが一歩一歩近づいてくる。


「お前を殺してミカエルを手に入れるつもりだったのに! なんでこうなるのよ!!」


 恐ろしい剣幕で怒り狂うヒルダ。

 私が知っている純粋で優しい彼女とはかけ離れた姿に、ますます身体が動かなくなる。

 そんな私の腕を、ヒルダが乱暴に掴んだ。


「わたくしはピンク色のティーカップに毒を仕込むよう言ったはずなのに、あの馬鹿なメイドはそんな簡単な指示も間違えたというの? それとも、お前がカップを交換でもしたの?」


 ヒルダが私に詰め寄る。

 信じられないことに、毒を仕込んだのはヒルダが彼女の息のかかったメイドに指示したことだったらしい。


 お茶の用意は不要だと言ったのに部屋まで持ってきたのは、ヒルダの命令を守るためだったのだろう。

 メイドが震えていたのも、おそらくポットを割ったせいではなかったのだ。


 そして何より、過去に私に毒を盛ったのもきっと、ミカエル様ではなかった。

 私を殺したのは、ヒルダだったのだ。


「……あなたは、ミカエル様を愛していたの……?」


 私の問いをヒルダが鼻で笑う。


「わたくしがミカエルを愛しているかって? 馬鹿ね、愛しているだとか、そんなことはどうでもいいのよ。美しいミカエルは、美しいわたくしのものなの。そう決まっているの。夫にして一生そばに置くつもりだったのに、わたくしのものになろうとしないから……!」


 苛立ったヒルダが私を壁際に突き飛ばす。

 背中をしたたかに打って顔を歪める私の首に、ヒルダが手を伸ばす。


「公爵令嬢であるわたくしとの婚約は断るくせに、たかだか伯爵令嬢にすぎないお前との婚約はすぐに承諾するだなんて、わたくしを馬鹿にしているの?」


 伸ばされたヒルダの手が、私の首を押さえる。


「ミカエルが婚約解消してくれないから、お前の自信を失わせて婚約を辞退させようと思ったのに、馬鹿なお前は婚約を止めようともしないし……。だから消そうとしたのに、こんなことになるなんて……! お前のせいよ、全部、お前のせいよ!!」


 ヒルダが我を忘れたように、私の首を力一杯に締めつける。


 ……ああ、彼女は最初から私たちの婚約を壊すつもりで私に近づいたのだ。


 そういえば、ミカエル様は以前、ヒルダとは付き合わないよう私に言った。

 きっと、彼女の本性を知っていたから忠告してくれたのだ。

 それなのに、私が言うことを聞かなかったから……。


(ミカエル様、ごめんなさい……。何もかも、あなたをもっと信じるべきだった……)


 私との婚約だって、あなたは一言だって不満を言ったことはなかったのに。

 ヒルダのことを好いているだなんて、私の勝手な思い込みでしかなかったのに。


 私があなたのことを信じなかったから、あなたは私の代わりに命を落としてしまった。


 そして、あなたを身代わりにして数日生き長らえたけれど、それもここで終わりのようだ。

 そっと目を閉じれば、後悔の涙が一筋流れる。


(ミカエル様、せめてあの世でお詫びさせてください……)


 最期に心の中で彼への言葉を呟いたとき、すぐ近くで聞き覚えのある声が聞こえた。


「エイラ嬢から離れろ、ヒルダ・アウノラ」



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