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5. やり直しの朝


「……お嬢様……エイラお嬢様、朝ですよ」

「……うぅん……」


 聞き慣れた侍女の声。開け放たれるカーテン。

 窓から降りそそぐ朝日を浴びて、私は目を覚ました。

 外からは早起きの小鳥たちのさえずりが聞こえる。いつもの朝だ。


(え……いつもの朝……?)


 おかしい。私がこんな風に爽やかな朝を迎えられるはずがない。

 だって、私は毒を盛られて死んだのだから。


(それとも、もしかしたら私は助かったの……?)


 あの時は全身からどんどん力が抜けていって、自分はもう死ぬのだと覚悟したが、奇跡的に命拾いしたのだろうか。

 私は洗面用のお湯を持ってきてくれた侍女に尋ねた。


「あの、私は助かったの……!? それに、ミカエル様は?」


 あの後どうなったのかを知りたかったのだが、侍女は不思議そうに首を傾げた。


「お嬢様、どうなさいましたか? 悪い夢でも見られたのですか?」

「え……夢……?」

「それよりも、ほら、今日は早く支度なさらなくては。ひと月ぶりにミカエル様とお会いになるのでしょう?」

「ひと月ぶり……?」


 どうも話が噛み合っていない。

 それに、生死の境を彷徨っていたはずの私が目覚めたというのに、侍女の振る舞いがあまりにも普段どおりすぎる。普通は急いで家族を呼んだりしそうなものなのに。

 私は嫌な予感がして尋ねた。


「……ねえ、今日はもしかして、九月の二十日だったりする?」

「ええ、そうですよ。さぁ、今日は新しいドレスにしましょうね」


 そう言って侍女はワードローブから新品のドレスを手に取る。

 あれは、あの時──ミカエル様がお見舞いに来てくださった日に着ていたドレスだ。


(間違いないわ……私は過去に戻っている……)


 あれは夢だったのかもしれないと一瞬思ったが、あの生々しい痛みと苦しさが嘘だったとは思えない。

 きっと私は本当に殺されて、けれどなぜか過去に戻って生き返ったのだろう。


(でも……どうせなら、もっと前に戻れればよかったのに)


 できれば、ミカエル様と婚約する前に戻れたらよかった。

 そうすれば、私は婚約を拒否して、ミカエル様はヒルダと結ばれることができたのに。

 人生とは、本当にままならないものだ。


(とりあえず、当日に面会の約束を破るのは失礼よね)


 ひとまずミカエル様にはお会いして、あまり長居せずお帰りいただくようにしよう。

 それから、婚約破棄についてお父様に相談してみよう。

 せっかくやり直せたのだから、今度は彼ではない別の人と婚約して、平和で穏やかな人生を送りたい。


 身支度を済ませると、鏡の中には、ミカエル様に殺された時と同じ格好をした私がいた。


「お嬢様、とてもお似合いですよ。ミカエル様もきっと惚れ直します」

「ありがとう。でも、今日はすぐお帰りいただこうと思うから、お茶の用意はしなくていいわ」

「あら、そうですか? まあ、病み上がりということになっていますしね。承知しました。では、私はこれで……」


 侍女は納得してくれ、そのまま部屋を出ていった。


「まずは今日を生き延びないと……」


 私は鏡の中の自分を見つめたまま、小さく呟いた。



◇◇◇



 そうして、朝食を終えてしばらくすると、ミカエル様がいらっしゃった。

 私は部屋にお通しして、お見舞いのお礼を伝える。

 あとは、長居されないように釘を刺さなければ。


「ミカエル様、実はまだあまり体調がよくないので……」


 彼に早めの帰宅をお願いしようとしたとき、部屋にノックの音が響いた。


「お嬢様、お茶のご用意ができました」


 あの時と同じメイドが、あの時と同じ言葉を言う。


(……どうして?)


 私は侍女にお茶の用意はしなくていいと伝えたはず。


 連絡ミスがあったのか、それともミカエル様が裏で手を回したのか……。

 真相は分からないが、この状況でお茶を出さないのは不自然だろう。

 私はメイドを部屋へと入れた。


「ミカエル様、今お茶を淹れますので……」

「ああ、ありがとう」


 メイドがお茶を淹れる音が聞こえる。

 茶器がカチャカチャと鳴る音や、ティーカップに紅茶が注がれる音。

 もうじき出来上がった紅茶が運ばれてくると思ったそのとき。

 ガチャンと大きな音が聞こえた。


「も、申し訳ございません! ポットを落としてしまいました……!」


 どうやら、メイドがティーポットを落として割ってしまったらしい。

 青褪めてブルブルと震えている。


「大丈夫よ。怪我はない?」

「は、はい、大丈夫です……。あの、すぐに片付けますので……」


 そう言って、メイドは掃除用具を取りに出て行ってしまった。

 あんなに怯えなくても大丈夫なのに、新人のメイドだからクビにされると思って怖がっているのかもしれない。

 あとでまたフォローしてあげなければ。


 そんなことを考えていると、いつのまにかミカエル様が席を立って、メイドが用意を済ませていた紅茶を運んできた。


(……しまった。もしかしたら、今、紅茶に毒を入れられたのでは……?)


 うっかり別のことを考えていて、ミカエル様から目を離してしまった。


(いえ、大丈夫よ。落ち着いて。お茶を飲まなければいいだけだわ)


 そうだ。お茶さえ飲まなければ、毒で死ぬことはない。


「エイラ嬢、少し顔色が悪いようだ。紅茶を飲んで温まるといい」


 ミカエル様が、私の目の前にピンク色のカップを置く。


「実は、今日は君に話がある。……だが、まずは紅茶で一息つこう」


 彼が私に目もくれずに言う。過去でも同じことを言っていた。

 あの時は呑気に何の話なのだろうかと考えていたけれど、今では彼の意図を知っている。


「あら、何のお話でしょう?」


 小さく微笑んで返事をすると、彼はわずかに顔を強ばらせた。

 そのまま私たちは、ぽつりぽつりと会話を始める。

 彼が私の体調を気遣う振りから始まり、当たり障りのない話が続いていく。


 そうして会話が途切れたとき、ミカエル様が尋ねてきた。


「……エイラ嬢は、長年の望みに要らぬ邪魔が入ってきたとしたら、どんな気持ちになるだろうか?」

「長年の望み……邪魔……?」


(……ああ、ヒルダとの仲を邪魔する私のことを言っているのね)


 邪魔者のせいで彼女を手に入れることができないなんて、きっと腹立たしくて、憎くて仕方ないに違いない。

 それに今こんなことを聞くなんて、やはり今日、私を殺そうとしているのだ。


「それはきっと……早く邪魔なものがなくなってしまえばいいと思うでしょうね」


 私がそう答えれば、彼は緩く口角を上げた。


「ああ、そうなんだ」


 ほっと安堵したような顔に、私は胸が痛くなる。

 何も言えずにいると、ミカエル様が私の手元にある紅茶を見つめた。


「エイラ嬢、まだ紅茶に口をつけていないようだ」

「……あとで頂きますわ」

「冷める前に飲んだほうがいい」


 彼はどうしても私に紅茶を飲ませたいらしい。

 自分だってまだ一口も飲んでいないのに。


 彼の気持ちは分かる。私にいなくなってほしくて仕方ないのだ。

 追い詰められて絶望して、毒殺などという手段に走ってしまったのだろう。


 私だって、自分が邪魔者だと思うし、申し訳なく思っている。

 でも、こんな風に殺されたくなんてない。


 きっと、もう遠慮や罪悪感ばかり感じるのではなく、毅然とした態度を取るべきだ。

 私はミカエル様の企みに気づいていて、思惑どおりに殺されるつもりはないのだと突きつけるべきだ。


 私はピンク色のティーカップを静かに持ち上げ、微笑みとともにミカエル様の前に差し出した。


「ミカエル様が毒見してくだされば、私も頂きますわ」


 ここまですれば彼も気がつくだろう。

 そして彼は私の頼みを断り、諦めて帰るはずだ。

 そう思ったのに。


 なぜか彼は私の手からティーカップを取り、自分の口元へと運んだ。

 そして、そのままそっと傾ける。


「ミカエル様……?」


 どういうこと?

 彼が私のティーカップから紅茶を飲むなんて……。

 今回は毒を入れていなかったということなの?


 呆然とする私の前で、彼は紅茶を一口飲み、呟いた。


「よかった……」


 次の瞬間、ミカエル様の身体がぐらりと傾く。


「ミカエル様……!?」


 ティーカップの割れる音と、彼が床に倒れる音が続く。

 驚きに目を見開く私をなぜか笑顔で見つめる彼の口からは、赤黒い血が一筋流れていた。



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