4. ミカエル様の訪問
それからひと月後、私は屋敷でミカエル様の訪れを待っていた。
あの日以来、私はどうしても彼に会う気になれず、体調不良を口実にずっと面会を断っていた。
けれど、なぜか彼がどうしても会いたいと言い張り、お父様からも体調はもう良くなったはずだと言われ、とうとう会うことになってしまったのだった。
「お嬢様、ライスト様がお見えです」
侍女がミカエル様の訪問を告げた。
そしてまもなく彼が部屋へと入ってくる。
「長らくご無沙汰してしまい、失礼いたしました」
「……いや、体調はもう大丈夫だろうか」
「おかげさまで、だいぶ回復いたしました」
「それならよかった……」
会うのが久しぶりだということと、彼への申し訳なさから、つい口調がよそよそしくなってしまう。彼もどう会話をすればよいか困っているようだった。
こんなときは、お茶を飲むのが一番だ。
気持ちが落ち着くし、間ももたせられる。
それに、お茶とお菓子を頂いている間は喋らなくてもいいから楽だ。
侍女に目配せすると、すぐにメイドがやって来た。
「お嬢様、お茶のご用意ができました」
テーブルにそれぞれピンク色と水色で絵付けされた色違いのティーカップが並べられる。
これはヒルダがお見舞いに来たときに、私にプレゼントしてくれたものだった。
カップル用として人気だから、ぜひミカエル様と一緒に使ってと言ってくれた。
純粋なヒルダはきっと彼が自分に恋をしているだなんて思ってもいないのだろう。
私と彼の幸せを心から願ってくれている。
だから、このティーカップを見ると心が痛んだ。
本当はヒルダとミカエル様が使うべきなのにと思ってしまうのだ。
またぶり返してきた切なさを隠すように、私は無理やり微笑んだ。
「ミカエル様、お茶にしましょう」
「ああ、ありがとう」
温かな湯気が立ちのぼるティーカップを手に取り、口元へ運ぶと、ミカエル様が私の名を呼んだ。
「エイラ嬢」
「……何でしょう?」
ティーカップを持つ手を止めて尋ねると、彼はいつもの固い表情と固い言葉づかいで返事をかえす。
「今日は君に話したいことがある」
「話……?」
心無しか、今までで一番緊張感のある表情をしているような気がする。
「ああ、きっと君は気づいていないだろうから、話さなければと思って」
意味深な返事に、思わず首を傾げてしまう。
「私が、気づいていない……?」
「ああ。だから早く何とかしなければと思った」
そう答える彼の目に強い光を感じ、なぜか胸騒ぎを覚えた。
やがて彼がふいと目を逸らして言う。
「……まずは紅茶を頂こう」
彼がティーカップを手に取り、優雅に一口飲む。
私も、改まって話だなんて一体どういうお話だろうなどと考えながら、ティーカップに口をつける。
芳醇で甘やかな味わいが口に広がり、そわそわとする心を落ち着けてくれる。
ほうっと息をついた後、何気なく紅茶の水面を眺めていると、急に胸に込み上げてくるものを感じ、私は慌てて口元を手で押さえた。
「ごほっ……!」
二、三度咳き込むと、手のひらに妙な生温かさを感じた。
何だろうと思って見てみると、手のひらが赤黒く染まっている。
「これは、血……? なん、で……」
次の瞬間、ガシャンとカップの割れる音が聞こえ、自分の体がどさりと床に倒れるのを感じた。
息が苦しい。喉が焼けるように熱い。
意識がどんどん遠のいていく。
(……ああ、私、毒を盛られたのね)
きっと、今飲んだ紅茶に毒が入っていたのだろう。
そして毒を仕込んだのは、おそらく……。
(私、殺したいほど邪魔だったのね……)
彼が私と婚約したのは、きっと彼の家の事情のためだ。
だから、こちらから婚約の解消を申し出たところで、彼の父である侯爵が受け入れなかっただろう。
そうなると、彼がヒルダと結ばれるには、私がいなくなるしかない。
彼は本当に愛する人を手に入れるために、私を殺すことにしたのだ。
(早く何とかしなければって、そういうことだったのね……)
さっさと婚約破棄して、二人の仲を応援してあげるべきだった。
私は本当に気の利かない愚か者だ。
(……ごめんなさい、ミカエル様。私が邪魔をしてしまって、ごめんなさい。あなたにこんなことをさせてしまって、本当にごめんなさい……)
もう体が動かない。
床が冷たいのか、自分の体が冷たいのか分からない。
何も見えない、何も聞こえない。
ただ、心からの後悔だけを感じながら、私は永遠の眠りについた。