第三話
日下部 賢人 : 主人公。
産まれた日、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、就職先まで美奈と一緒。
花坂 美奈 : 恋人。
人生の目標。賢人と同じ日に、ひ孫たちに看取られること。
遠藤 彦太郎 : 親友。方向感覚が優れていて、道案内が得意。
体感で10分も歩いただろうか?
暗闇を抜ければ、緩い下り坂の先に、白い着物姿の集団が列を成している。
あの中から、美奈を見つけなければ……。
『決して相手を間違えぬこと』
女性の言葉を思い出す。
坂は、ロープで仕切られており、白い着物姿の集団は、坂の片側に寄っている。
空いている方から近寄り、一人一人確認するしかないかな。
……そう、思っていた時もありました。
白い列に近付けば、
『○月○日ご臨終』
と書かれたプラカードを掲げている存在がいた。
編み笠を目深に被って顔を隠し、錫杖を刀のように腰に差す、黒い下帯姿の細マッチョ。
パッと見、そんな感じの……たぶん、男性。
その男性?に近寄れば、顔をこちらに向けてくるが、すぐに列の先頭の方に顎をしゃくった。
……うん?そっち行けってこと?そっち……列の先頭の方か?
何度か顎をしゃくるのを見ていると、どうやら間違いなさそうだ。
列の先の方は、プラカードの日付が若い。
列の先頭へ行くほど、早くに亡くなったということか?
とりあえず礼として、小分けされた柿ピーの小袋を、下帯と腹の隙間にねじ込んでおいた。
どうでもいいが、その男性?腹筋が見事に分かれていて、惚れ惚れしそうな筋肉美だった。
しばらく坂を下れば、ようやく奈美が刺された日のプラカードを発見。
その列の中に、一人だけ白い着物ではなく、刺された日と同じ洋服を着ている女性を発見した。
間違いない!あれが美奈だ!
確信を持って、その女性に手を伸ばし掛けて、
『決して相手を間違えぬこと』
暗闇の中の女性の言葉を思い出した。
間違えられないということは、一発勝負なのだろうか?
その手を掴むことができるのは、一度きりというのだろうか?
美奈と思われる洋服姿の女性の前の方に回り、顔を確認する。
うん、間違いなく、美奈だ。……あ、俺今振り向いたけど、大丈夫だろうか?
……大丈夫なようだった。
それよりも、美奈の顔が気になった。
青白い顔に、無表情。
口元は、あの時吐き出した血で汚れていた。
着ている服も、乾いて黒ずんだ血で染められていた。
そして何より、目。
坂の先の方に向けられているだけの、虚ろな目。
その目に、再び俺を映すことができるか?
そのために、ここまで来たんだ。
『決して相手を恐れぬこと』
女性の言葉を思い出す。
けれど、俺が美奈を恐れるわけがない。
恐れるとすれば、美奈が、俺を置いて先に逝ってしまうことと、その後の人生を一人で寂しく過ごさなければならないことだな。
それだって、美奈を連れ戻すことが出きるなら、恐れることなんてないのだから。
愛しい人に手を伸ばし、しっかりと引き寄せて、……あ、坂を仕切るロープは、潜ってもらった。……で、一週間ぶりに、恋人を抱き締めることができた。
あまりの歓喜に、ここが黄泉平坂ということと、これから現世まで戻らなければならないことを、忘れてしまいそうになった。
けれど、抱き締めた時、美奈の口から微かに、「あ……」と声が漏れたのを聞き逃したりはしていない。
そして、なにより、
「……けん、と……」
と俺の名前を呼んだのを、聞き逃したりしていない。
俺が、美奈の言葉を、聞き逃すわけがない!
「帰ろう、美奈。俺たちの家に帰ろう」
プラカードを持った細マッチョが、ちっ!と舌打ちした。
なにか怨念めいたものを感じ、ちょっとビビる俺。でも、美奈と一緒に帰るまで、負けていられない……!
『ワだじヲ連レでってェェぇぇっ!!』
突然、美奈の後ろに並んでいた白い着物のマダム……ビア樽?……が、奇っ怪な叫びを上げながら、ロープを越えようとして身を乗り出そうとした。……しかし、
『…………っ!』
すぐさま下帯姿の細マッチョが複数集まってきて、腰に挟んだ錫杖を取り出し、ビア樽のことをビシバシと殴り付け、強制的に大人しくさせてしまった。
大人しくなったビア樽は、少しすると自ら立ち上がり、そのまま下り坂の先へふらふらと歩いていった。
下帯姿の細マッチョたちは、疲れたようにため息を吐いたり、舌打ちしたりしていた。
俺としては助かったようなので、細マッチョたちに礼を兼ねて、小さいパックの日本酒をリュックから取り出して一本ずつ渡してやった。
ん、んん。と、わざとらしい咳払いのあと、細マッチョの一人が坂の上の方に顎をしゃくる。
どうやら、坂の上に行っていいらしい。
背負っていたリュックを美奈に渡し、腹の辺りに抱えてもらった。
そして、美奈の膝に手を差し込み、お姫さまだっこで抱き上げた。
普通、こちらが男で相手が女性でも、お姫さまだっこをするのは大変だ。
しかし、魂だからか、死者とあまり変わらないせいか、抱き上げた美奈の体は泣きたくなるほど軽かった。
細マッチョ:網傘を目深に被って顔を隠している、下帯姿の細マッチョ。腹筋は見事に割れている。
男性(推定)。
社畜(確定)。