第二話
日下部 賢人 : 主人公。
産まれた時から美奈一筋。
花坂 美奈 : 恋人。
産まれた時から賢人一筋。
遠藤 彦太郎 : 親友。あだ名はピコ太郎。
何もない暗闇を行く。
ここは、《千引きの岩》と呼ばれた壁の先。
現世と常世の境目。
本当に、何もない暗闇だ。
だというのに、地面があるのが分かるし、なんなら、砂利道で、少しばかり下り坂になっているということも分かる。
なにせ、さっき説明を受けたからな。
《千引きの岩》(という名の、鉄筋コンクリートの壁)に、両手と額をつけて、美奈を連れ戻したい!ということを強く願ったら、あっさりと通ることができた。
そのすぐ後のこと。
何も見えない暗闇で、少しばかり焦る俺に、突然着物を着た女性の姿が浮かび上がり、声を掛けて来たのだった。
曰く、
・生者が《千引きの岩》を越えてくるのは、幾久しい。
・坂を下る者の魂を連れ戻すには、守らなければならないことがある。
・一つ、決して相手を間違えぬこと。
・一つ、決して相手を恐れぬこと。
・一つ、惑わす亡者どもに、返事をせぬこと。
・一つ、決して手を離さぬこと。
・一つ、決して振り返らぬこと。
・どれか一つでも守れない場合は、相手だけでなく、そなたも黄泉の国の住人になることだろう。
・ついでに。幾久しく生者が訪れていないため、守り人どもも怠けていることであろう。変化を、警告を、見逃さぬこと。聞き逃さぬこと。
とても重要なことを、丁寧に教えてくれた。
なんともありがたいことだった。
……そして、とてもとても暇そうだった。
まだしゃべりたそうにしていた女性に、まだ何かある?と問えば、警告は以上!と言われたため、返礼品を贈ることにしよう。
膝を付き、背負っていたリュックから木製のお盆と包みを一つ取り出す。
お盆の上に紙製の丸皿を置き、コンビニスイーツの抹茶ロールを載せ、ペットボトルの濃い緑茶とプラスチックのフォークを添えて、女性へと差し出した。
……こんなときに不謹慎だが、驚きで目を見開いている女性は、なんだか面白く、ささくれだっている心が、和むのを感じた。
……こんなときに不謹慎だが、差し出された抹茶ロールを前にした女性の、ねえ、食べていい?と言いたげな表情に、笑顔が込み上げてきた。
……こんなときに不謹慎だが、抹茶ロールを満面の笑顔で頬張る女性に、美奈がケーキや甘いものを楽しむ姿を重ねてしまい、微笑ましい気分になった。
そして、改めて誓った。
美奈を、恋人を、俺の半身を、必ず連れ戻すと。
……抹茶ロールを食べ終えた女性の、もうないの?と言いたげな、何とも悲しそうな顔に、とうとう我慢できずに吹き出してしまった。
「ありがとうございます。この礼は、必ずや」
前金代わりに卵ボーロを一袋。
ぱあっと花が咲くような笑顔になる女性を見て、心が軽くなると同時に、引き締まった。
女性が指差す方向に、迷い無く進む。
愛しい女性を、連れて帰るために。
謎の女性:親切な暇人。甘いものが大好き。