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濡らし身を続けて 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、つぶらやくん。今日はまたずぶぬれだねえ。


 ――外で急に雨が降ってきた?


 ありゃりゃ、マジかい。今日は折り畳み傘、持ってきてないんだよねえ。帰りまでに止んでくれるといいんだが。

 我々、濡れることに関しては、身体が敏感に反応しないかい? 特に屋外にいるときだ。

 雨の中での作業や競技を強いられて、いつもと同じパフォーマンスができる人は少ないだろう。手元、足元が狂いやすくなるし、気持ちもあせってくる。路上を歩いているときだって、つい雨宿り先を探してしまうんじゃないか?

 なぜ私たちは、こんな風にプログラミングされてしまったのだろう。私は少し疑問に思っていたんだが、ちょっと前に、その一端になるんじゃないかという話を聞いてね。

 もしよかったら耳に入れてみないかい?



 今からずっとずっと昔。まだ入浴が一般的な習慣ではなかったころのこと。

 人々は沐浴などで濡らした素肌を、拭うことがほとんどなかったらしいんだ。

 水は自然から湧き出る神聖なもの。それを自ら取り去るのは不敬にあたり、ありのままを受け入れることが重要視されたとか。

 冷えた身体のまま過ごすから、体調を崩す者も多かった。そうして軟弱な者たちは日ごろの不心得や精進の不足をとがめられる。逆に健康を保っていられる者は、神の加護を受けたとされ、もてはやされることも多かったらしい。

 大木や巨岩が崇めたてられる一因も、ここにあった。彼らは風雨という水の嵐に全身をさらしても、平然とし続けている。その様が人々には神秘の極みのように思えたんだ。


 この栄誉が、もし過酷な訓練を経て得られるものであったなら、そう関心を集めなかっただろう。でも、「濡れる」という、その気になれば自宅で簡単にできる行動。そこから簡単に皆からの羨望を得られるなら、やらない手はない。

 俗に染まってしまうと、とたんに儀式は見苦しいものと化した。毎日のように、村の中央など目立つところで水を被り、すっかり渇くまでそこに座り込み、ぐしょぬれの自分の姿を皆へ見せつける。そうして、自分が選ばれし者であることを誇示しようとしたんだ。


 特にひとりの青年の身の入れようは、頭一つ抜けていた。

 朝早くから村の真ん中へ座り込み、そのわきに水の入った桶を五つも六つも並べた。乾いた端から桶の中身を頭からかぶり直し、びしょ濡れの状態を数刻もの間保ち続け、皆にその姿を見せ続けたんだ。

 彼は村の中で、いっとう見た目が悪かった。顔は上下から万力挟まれたように潰れかけていて、目鼻の位置さえひと目では分かりづらいという有様だったとか。

 そのうえ、人に数倍する体躯の持ち主。相手を威嚇するに十分な材がそろいすぎ、幼いときから人に疎まれてきた経験があったんだ。だからこそ、この濡れ続けてびくともしない、頑健な身体を見せようと思ったのさ。


 ――これで平然とした姿を見せ続ければ、自分が選ばれし者だ。誰も自分を蔑むことなど、できやしなくなるんだ。


 そう信じて日夜、びしょ濡れの姿を見せる彼だったけど、思惑のようにはいかなかった。

 最初の数日こそ、彼の挑戦を面白そうに見る者はいたけれど、10日もしたらほとんどが無視するようになった。

 自分にとって、どうでもいいことだったからだ。むしろ座り込んで場所を占領する彼のことを、疎ましく思うことも増えていったとか。

 それでも彼は、濡れる行いを止めようとしない。自分の意義はもはや、選ばれし者だということを皆に知らしめることだけ。それ以外はどうでもよくなっていた。

 

 ――自分が周囲に認められず、なお救いが得られないのは、自分の精進が足らないゆえだ。

 

 そう信じて疑わない彼は、用意する桶の数を更に増やす。日中はおろか、人の行き来も絶えた夜間になっても、冷水を浴び続けた。

 身が震えを求め、心の底が異様に火照り脈打っても、彼は平静を装い続ける。

 

 ――たとえ誰も見ていなくても、天地が自分の行いを見ているはず。この心は絶対に報われるはず。

 

 そう信じる彼の行いは、とうとう夜を徹するまでになったとか。

 

 

 すべての仕事を放りだし、一日に摂る食事はわずかな水と野菜だけ。あとは水汲みと排泄の時間をのぞき、村の中央でずぶ濡れの身体を一心にさらす。そうして10日あまり、ほぼ不眠不休で彼は過ごした。

 その10日目の夜更け。ここまでほぼ夜を徹してきた彼の身体は、肌から水が乾きかけると、たちまち内にこもった熱が顔を出し、逆らいがたい眠気が襲ってくる状態だった。それでも濡れる身体を保たねばと、彼は残った最後の桶へ手を伸ばす。

 そして、見事に倒した。

 視界は利かないうえ、連日の徹夜で距離感覚も鈍っている。ばしゃりと音を立て、からんころんと転がる桶に、ちろちろと伸びていく水の川。

 汲み置きしてある、最後の桶だった。また汲みに行かねばと、立ち上がりかける彼の巨体がぐらりと揺れた。

 足の痺れにくわえ、栄養不足がたたっている。思わず尻もちをついてしまう彼だが、その前を横切る人影がひとつ。

 

 夜の闇で判然としないが、足音の様子から少女のように思えた。彼女が彼に倒した桶をついと立てると、ほどなくその中へ水が注がれる音が響く。

「余計なことを」と、憤りつつ起きかける彼の口が、すっと柔らかいものでふたをされる。恐らくはこの少女と思しきものの手だろうけど、そのまま唇が凍り付いてしまいそうに冷たい。


「私はそなたの思いを助けるもの。これより変わらず水をかぶれば、そなたの願いはかないましょう」


 まどろみを覚えてしまうその声は、ずっと前に死別した母のものとよく似ていた。

 彼女は手の感触を口元に残したまま、すでに空となっていた他の桶にも水を注ぎ足していく音がする。ただの少女ならば、とても手が届かない距離のはず。


 ――ついに。ついに、人ならざるものの目に留まったぞ!


 これまでの抑圧の反動もあった。彼はその興奮に身を任せ、彼女が自分の桶に水を注いでいくのをじっと見守っていたらしい。やがて自分の口から手を離し、遠ざかっていくときも平伏した姿勢を崩さなかったとか。

 たとえその彼女の足音がところどころで止まり、水をかける音に変わっていても、だ。



 彼女が去ったあと、彼はようようと桶に汲んでいただいた水をかぶりなおした。

 これまで自分が川や井戸で汲んだものより、若干ぬくさを覚えるそれは心地よささえ覚えるほど。彼はまた座り直し、手を膝に乗せて時の流れるままに身を任す。

 東の空が白んできた。また自分をうっとおしく見やる者ばかりだろうが、そんなものはどうでもいい。昨日、彼女が訪れたその時から、彼らは選ばれなかった負け犬に堕ちたのだから。自分が実は敗者と知らず、勝者気取りでおごった態度をとる奴ほど、こっけいで痛快な手合いはない。


 ――俺こそが、真に選ばれし者。この先も、お前らの知らぬ間に、お前らが生涯届かぬ境地へ至ってやる。

 

 彼の意欲はますます増し、価値なき者どもが家から出てくるのを、いまかいまかと待ち受けていたんだ。

 

 だが、その日はいつもと様子が違う。

 道行く者は自分をちらちらと見やることが多く、また一部の村民は家々の周りを取り巻いて、その様子をうかがっている。

 理由はすぐに分かった。家々はその全身から、真っ白い煙を吐き出し続けているんだ。

 これが炊煙であったなら、屋根などの高いところから出るばかりのはず。それが今は土台をからも、白い煙が上がり続けている。火事なら一大事だが、皆が消火に移らないところをみると、どうやら火の手を扱っていないらしかった。

 そして、それは自分にも当てはまる。ちらりと目を落とすと、自分の身体中からも家々と同じような白い煙が淡く立ち上っていたんだ。

 そればかりじゃない。これまで付き合い続けた自分の太く大きい手足が、心なしか小さくなっているように感じられたとか。

 

 気づいてしまうと、そこからはあっという間だった。

 それまでぬくく感じていた水は、瞬く間に冷水と化し、肌を通り骨を伝わり、身体中にしみわたって真冬のような震えを引き起こす。吐き出される煙はにわかにその量を増し、彼の目の前に絶え間ない「もや」となって立ちはだかった。

 痛みはない。けれどみるみるやせ細っていく手足に、寒さとは違う鳥肌を立てずにはいられなかった。

 彼は立ち上がり、自分の家へ駆けていく。想像以上に軽くなった自分の身体に驚きつつも、かまどの炭の中へ隠した種火を起こした。薪に移らせ、メラメラ燃え盛り出す姿を確かめると、裸になってその火のそばへ身体を寄せる。


 ――この震えを止めれば、異常な現象も止まるんじゃないか。


 そう、本能的に感じたゆえの行動だった。手を出し、足を向け、胸や背中もとまどうことなく、彼は火へ近寄せる。

 その甲斐あってか、ほどなく震えはおさまった。盛んに身体から湧いていた煙も止まるが、自分の身体はすでに、骨が見えるほどにやせ細っていたらしい。

 あの家々も同じだ。煙がおさまったとき、そこには何年も打ち捨てられたかのようなぼろ家が残っているばかりだったという。


 それ以降、濡れることは危険な可能性を持っているとされた。必要以上に濡れるのを避けるようになり、またただちに身体を拭くことが薦められるようになったとか。

 



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