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第一話

 おおきな おおきな おひさまに


 よつばのクローバー はえてきた


 くきから おしりが でてきたぞ


 うわさを ききつけ みみふたつ

 

 かわいい おめめも みにきたら


 うきうき かわいい おさるさん




「ということで、おさるさんの絵描き歌でしたー。みんなは描けたかなー?」


 絵描き歌を歌い終えた私は、デフォルメされた猿を描いたスケッチブックをかかげた。四卓のテーブルに座るひまわり組の園児たちに見せる。画用紙にクレヨンを走らせていた三十人全員が、顔を上げて私の絵に目を向けた。


「先生うまぁい」「おさるさん、かわいい」


 暖房のきいた昼下がりに、水色のスモッグを着た子どもたちがわいわいと盛りあがる。太陽を覆う白雲を吹き飛ばすほどのにぎやかさだ。ひまわり組の担任でベテランの直美なおみ先生も、部屋の後ろでふくよかな頬を満足げな形にした。恰幅かっぷくのいい体も相まって、恵比寿えびす様のような笑顔だった。


 私がこの幼稚園で働きはじめてから、もうすぐ一年になる。三月までは補助担任として、年長組の先生の手助けを担う予定だ。振りかえれば、最初の頃は直美先生たちに迷惑ばかりかけてきた。それが今では、こうして私が活躍できる機会を多く作ってもらえるようになったのだから、感慨もひとしおだ。


 その期待にこたえるべく、私は肺に空気をたくわえた。


「じゃあ先生がもう一回お手本を描いてみるから、みんなも真似してみようね」


 私はスケッチブックをめくって、ゆっくりと歌を口ずさんだ。


 まず『おおきな おおきな おひさまに』で、大きな円を引く。これが頭だ。


 次の『よつばのクローバー はえてきた』は、円の中に四つ葉の輪郭を描く。数字の「3」と、左右を反転させた「3」をくっつけたような簡単な形だ。


 続いて『くきから おしりが でてきたぞ』では、四つ葉の真ん中あたりに短く縦線を引いて、その下に角の丸い「W」の口を生やす。


『うわさを ききつけ みみふたつ』は、最初に描いた円の左右に大きめの両耳をくっつければいい。


 最後に『かわいい おめめも みにきたら』の通り、四つ葉の中に黒目を二つ加えれば、おさるさんの完成だ。


 私はテーブルの間を歩いて、子どもたちの絵を確認してみた。そこかしこで「できた!」という元気な声と、達成感をあらわにした笑顔が生まれる。私のエプロンを引っぱって絵を見てもらおうとする子も出てきた。


 しかし一人だけ、暗い表情をしてクレヨンを握ろうとしない子がいた。まりんちゃんだ。


「どうしたの、まりんちゃん」


 しゃがんで目線を合わせると、まりんちゃんは三つ編みの毛先をいじった。


「わたし、絵が下手だから、描くのやだ」


 と話すので、画用紙を見てみる。彼女のおさるさんは頭が六角形で、四つ葉の形も崩れていた。確かに、お世辞にも上手いとは言いがたい。


 でも私は明るく笑いかけた。


「あのね、まりんちゃん。絵は上手くなくたっていいんだよ。楽しんで描くのが一番大事なことなの」


 なぐさめではなく、素直にそう思う。


 私は小学生の頃、授業で描いた絵を先生にけなされた過去がある。それから長い間、絵を描くことが嫌いになってしまった。そのときのやるせない気持ちをこの子たちに味わわせたくはない。だから私はお絵描きに親しみが持てるようにと、一ヶ月前から絵描き歌を自作するようになった。


 ふと、まりんちゃんが描いたもう一つの絵が目にとまった。それは頭の上に四つ葉のクローバーを生やして、ワンピースらしき服を着た人の絵だった。


「これ、最初の絵描き歌で描いた絵かな」


 そう聞くと、まりんちゃんの頬に赤みがさして、まゆは八の字になった。


「でも、変になっちゃった」

「全然変なんかじゃないよ」


 そもそも絵描き歌というものは、もとの絵を事前に見知っておき、それを思いだせるよう歌に乗せたものだ。それに、絵描き歌の歌詞はどうしても大ざっぱになりがちなので、歌を聞いただけで正解の絵を導きだすのは難しい。


 だから最初に当てずっぽうで描かせたのは、同じ歌を聞いたはずなのに人によって絵が異なる、という面白さを感じてもらうためだ。


 絵描き歌には正解こそあるが、それが描けなかったからといって間違いだとは思わない。むしろ正解を知らないまま描いた絵の方がその子の個性や感性が見えてくる、非常に価値のあるものだと私は考えている。


 それを伝えるためにも、私はまりんちゃんの肩に手を置いた。


「先生、この絵好きだよ。頭にクローバーを咲かせてるの、かわいいと思う。それと、お洋服も着せてあげてるんだね」

「だってお洋服着てないと、風邪ひいちゃうから」

「まりんちゃんは優しいね。……ねえ、まりんちゃん。そういうところに気がついてあげられるのってね、実はおさるさんが上手に描けるよりも、ずーっと凄いことなんだよ」

「……そうなの?」

「うん。だから自信持って。まりんちゃんが優しい気持ちで描いた絵、もっと先生に見せてほしいな」


 すると、まりんちゃんはえくぼを浮かべて、生き生きと手を動かしはじめた。私は小さな頭をなでて立ちあがる。


 そのとき、部屋のドアがひらいた。


 ドアから現れたのは、あごがしゅっと引きしまった爽やかな顔。隣のすみれ組を受けもつ陽平ようへい先生だ。


 彼は私に手招きした。


「ちょっといいかな」

「どうしたんですか」


 私が駆けよると、彼はベリーショートの髪をかいた。子どもたちとは打って変わって、元気のない声で言う。


「ちょっと体調悪くなっちゃってさ、少し部屋を離れるから、それまでうちの子たちを頼めるかな」

「わかりました。任せてください」

「ありがとね。それじゃ、よろしく。頼りにしてるよ」


 陽平先生は私の肩を軽くたたいて、廊下の向こうへ去っていった。


「……よしっ」


 最後の言葉を心の中ではんすうした私は、小さく拳を作った。そして直美先生に確認をとってから、冷えた空気もなんのそのと廊下を左手に進んだ。


 意気揚々と隣のすみれ組のドアをあける。こちらもお絵描きの時間だったようだ。廊下とガラス戸にはさまれた室内で、子どもたちが四卓のテーブルに向かってクレヨンを操っている。


 と思いきや、おもちゃ箱に頭を突っこんでいる子や、ガラス戸をあけて外へ出かけようとする子もいた。同じ年長組でも落ちついた子の多いひまわり組と違って、すみれ組はまだまだ無邪気な子が多い。


 その子たちに私が注意すると、


「あ、お絵描き先生だ」


 手前の席に座っていたありさちゃんが、ポニーテールを軽やかに揺らした。すると「お絵描き先生」という言葉に反応したのか、全員の視線が一斉に集まった。


「先生、絵描き歌して」「ぞうさんのやつがまた見たい」「僕は新しいのがいいな」


 誰もが期待に目を輝かせている。きゃあきゃあと騒ぎだす子も出てきた。そんな姿を見ていると、つくづく絵描き歌をはじめてよかったと思える。


「よーし、じゃあ最初はぞうさんにしよう。その次に新しい絵描き歌を教えてあげるね。ほら、おもちゃで遊んでるみんなもこっちにおいで。一緒にお絵描きして遊ぼう」


 呼びかけた子どもたちが、駆け足で自分の席に向かう。その間に私は廊下側の壁に接したピアノに寄って、陽平先生が置いていったらしい画用紙とマジックペンを手に取った。


 そのとき、ピアノの左脇に水色のスモッグが見えた。さらさらしたおかっぱ髪が特徴の、秋月あきつきみよちゃんだ。しゃがみこんでこちらに背を向けている。


「みよちゃん。そんなところでなにしてるの?」


 声をかけてみると、彼女は私にちらりと視線をやって、


「んぼーとお話してるの」


 と、謎の答えを返してきた。相変わらず変わった子だ。大人しいわりに行動が予測できないので、陽平先生も手を焼いているらしい。


 私はたずねてみた。


「んぼーって、なにかな?」

「私のお友だち」

「お友だち?」


 もしかすると、小さな生き物かもしれない。他の子に見つかると取り合いになってしまうから、隠れながらめでている……そんな推理が頭によぎった。


 なんであれ、このままにしておくわけにもいかない。噛みつかれて怪我でもすれば大変だ。私はみよちゃんの手元をそっとのぞきこんでみた。


 …………。


 なにもいない。


 目を引いたものといえば、ピアノの隙間から少しだけ見える、壁に描かれた黒いもじゃもじゃしたらくがきくらいだ。クレヨンだろうか。少なくとも生き物は見当たらなかった。


 私が困惑していると、みよちゃんはもじゃもじゃに小さな指を押しあてた。


「んぼー」


 どうやら、このらくがきがお友だちのようだ。ということは、黒いもじゃもじゃは絵の一部で、本体はピアノの後ろに隠れているのかもしれない。


「もしかしてこれ、みよちゃんが描いたの?」


 返答がない。肯定なのか否定なのか判断しかねる。


 どうしたものかと困っていると、私のエプロンが引っぱられた。振りかえれば、ありさちゃんがそばに立っていた。


「絵描き歌しようよ、先生」

「あ、待たせちゃってごめんね」


 私は小さな頭に手を置いた。そして、みよちゃんにも声をかける。


「ねえ、みよちゃんも一緒にお絵描きしようよ」


 反応はない。めげずにもう一度誘ってみる。


「先生、新しい絵描き歌を考えてきたの。だから——」


 ありさちゃんがまたエプロンを引いてきた。ふるふるとポニーテールを振って、口元をかたく引きしめながら。


「先生まだー?」「早く絵描き歌してよー」


 しびれを切らした子どもたちが声を上げた。私は仕方なくみよちゃんをおいて、ペンのキャップを外した。


 陽平先生が戻ってくるまで、私はすみれ組で絵描き歌を披露し続けた。その間、ありさちゃんは私を見ているようで、何度もピアノの方へせわしなく視線を向けていた。


 ピアノの横では、みよちゃんがぼそぼそと一人でしゃべり続けていた。

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