043、さっきの一発を返しに来た
音がする。金属と鉱物が衝突する聞きなれた音。
どこで――?
――目の前で。
目を開いて見えたのは背中だ。
着ていた登山ウェアはずたずたになって、しかし、露出している肌には傷が無い、傷の場所にあるのは黒い痕で、それは、今や肌の輪郭を模している。
誰かと問うまでもない、自分の選んだ登山ウェアだ。あの高さから落ちて、この崖の上まで戻ってこられるはずはないのに。
その上、リービーの突き出した腕は角度でいえば彼の手のひらを貫通しているはずであるが、それが無い。
「あー……」
リービーは――そちらからはどういう光景が見えるのかわからないが――嫌そうな顔をする、そして、一歩の動きで距離を生む。
「シャル」
背中が声を生む、それはこの一月聞きなれるほどに聞いた声。
「手は要る?」
その声に、なぜか、熱いものが込み上げてきて嗚咽を生みそうになるが、それを嚥下し声をだす。
「――必要ない」
でも、という言葉を後につなげて、
「あなたに譲ってあげてもいいわ」
言葉の直後に見たのは、もはや、机に座る研究者の物とは思えない加速とその音。
戦闘は演者を替えて続く。
・
ヘマタイトは黒い。赤鉄鉱という和名が本当に適切なのかを問うてしまうくらいには。
そして、いまや、そのヘマタイトの黒は小鳥谷の体表の一部を覆う。覆い、弾く。
弾いたのは斬線だ。リービーの振るナイフは、体表の覆いに傷をつけて、ついた傷は奥に赤く擦過の跡を残すが、錯覚と見紛う速度で黒に戻る。
表面の黒が削れて赤が露出し、しかし、すぐに状況が復帰したからだ。
ヘマタイトは赤い血というギリシア語をもとにしている。塊としての鉱物は黒いが、粉末になったり、あるいは、先ほどのように削られればその色を示す、和名を引くまでもなく、その色の特性は酸化数による鉄の色だと分かるだろう。
ゆえに、流血に感応し、血液と入交り、小鳥谷の体内に入ってきたのだが。
――それは。
小鳥谷に応えたからこそ、そこにいる。
ざらざらと、まだ、慣れぬがゆえに小鳥谷の体を傷つけながら小鳥谷の体に重なってある。名も与えられず、形も確定できず、石霊としては不完全であるそれが、そんな奇跡を起こしたのは、
『知りたい』
そんな簡単な、原始的な、単純な……けれど強い、衝動のため。
小鳥谷のそれにもつながり、それは小鳥谷に力を貸すことを決めた。
そんな、刺激を今、得ている。
刃で身を傷つけられたことなど初めてだと。
『ま、りー』
小鳥谷の脳内にあったので知っている名で、瑪瑙の石霊に話しかける。同じ種類の石ではないゆえに、また、宿主としているものが未熟な使い手であるために、半ば現実の音として。
瑪瑙の少女は答える、
「……なんでしょう」
声音に満ちているのは警戒だ。警戒であり、恐怖だ。そんな感情を得るということを知らなかった、赤鉄鉱は、しかし、今は理解を示す。
その二つの感情の重なるところには未知があると、知らぬがゆえに恐れ戒めるのだと。
そして、人に混じった石など知らないからだ。
『瑪瑙の霊』
「……? なんでしょう」
二度目の問いかけは先と呼称が違い、それは、マリーの声に疑問を混ぜる。
なぜ疑問するのか、それも今、赤鉄鉱は学習した。疑問とは、答えを求めるものであり、それはつまり、相手を知ろうとする声なのだ、と。
『名前とはなんだ』
「自分です」
『姿とはなんだ』
「自分です」
『自分』
「正確には、自分を理解するためのツールと言いましょうか」
赤鉄鉱は、相手に対して好感を得る。こんな自分に対し、おそらくまっとうに答えを返している。それが善性からくるものなのか、それとも別の根源を持つのかまではわからないが。
・
・
・
さて、
と、小鳥谷は意外に自分が落ち着いていると感じた。
鉄火舞い散る空間に自分を割り込ませることに恐怖も大した高揚も感じないということ、それ自体に対しては崖から下をのぞくような気分にはなるが、
――落ち着いている。
舞い上がりもなければ逸るような気持ちもない。
あるのはやるべきことを頭の中に思い浮かべる意識だけだ。
目の前の男を戦闘不能にして、事情を確認して、シャルに安心をしてもらう。
自分の認識には見当違いの部分もあるかもしれないが、方向性は間違っていないはず。
目の前の男を戦闘不能にする……、さて。
『その男はエージェント・リービー、うちの、つまりアイゼナッハ商会の中でも最も優秀だったエージェント、前線を離れていたはずですが……いえ、離れていたからこその『この場面』なのかもしれませんが』
頭の中に響く声はマリー?
疑問を頭に浮かべると、その疑問は向こうにも通っているようで答えが来る。
『はい、共感能力というか、なんというか、あなたと私の間でパスが強くなっているようです。おそらくは、その』
向こうの意思は言いよどんだが、言わんとすることはわかる。こちらの変調をその原因としているからこそ、言い難いとそう思っているのだろう。
それを気遣いと解釈したこちらに、向こうでは会釈のような気配が来た。
やり取りした感情についてはどちらもそれ以上触れない。代わりに来るのは指示を請うような気配、こちらに合わせてくれるという思いだ。
「君と意思が通じたのは不幸中の幸い、だと思う」
『……』
沈黙は居心地の悪いものではなく、照れとそう理解すればいいものだろう。
『今は、もう一人います』
お、という意識の振り向きを感じた。それはすぐ近く、感覚としては、自分の中から生まれた反応だ。
『――ア』
声、が、声だけのものとして生まれる。それはまるで、声を出したことのないものが声を出そうとしているような無理の音に聞こえる。
『アウ』
声としての体をなしていないが、それが肯定しているということだけはわかる。なぜそれは、声を出しなれていないのか。
『おそらくは』
マリーが補足する、
『そちらの『もう一人』には今まで見てくれた人間がおらず、意思を通じたことも話しかけられたこともなかったのでしょう。人の言葉を知らぬがゆえに、言葉にならない、と』
肯定の意識が来たことから、はい、いいえ、くらいの回答は問題無く行えるのだろうと判断する。
『そのもう一人は、その何というか……』
「僕の中にいる、……でいいのかな?」
思っていたことを確認するように疑問にした。マリーは答えない。しかし、答えないことも、何も、その意思が伝えている。
「以心伝心というのも、時に不便だね」
『ごめんなさい』
あちらも、こちらの心の中を見ているからこその謝罪の言葉かと思ったが、違う、違うと感じる、何が違うのかといえば。
「それはいい、それはいいんだよ、マリー」
『――』
「そのことは謝る必要がないし、謝るべきじゃない」
彼女が悔いているのは、ここまでの過程だ。
こちらが崖から落ちて、死にかけて、結果としては助かったものの……端的に言って普通の人間ではなくなってしまったことに対しての謝罪。
しかし、それを謝られてそれを受け入れてしまうと、
『……?』
『もう一人』の存在について存在が悪かったと、そういう風な意味になってしまう。今ここにいてくれる『もう一人』を、おそらくは、マリー自身はそうなるまでに止めたり対処できなかった自分を悔いているのだろうが、それを思わせたくはなかった。
「今は何もかも置いておいて、あの不愉快な男前を吹っ飛ばすのに力を貸してくれないか?」
『アウ』
『――はい』




