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004、出会い

 その少女が僕の店番をしているブースにやってきたのはうちの学園祭(通称・電上祭)二日目の昼少し前の弛緩した空気の中だった。研究室で出しているブースはあまりやる気もなく、メンバーが書き上げたエッセイをまとめたような文集を出すことが例年の決まりとなっていた。


 それ自体は十年来の決まり事らしいので否はない。ちらほらとその冊子をもらいに来る学外の人がいたのはうちの教授のテレビでの露出が増えたからだろう。周りのブースよりはよほど人を集めている。


 周りは、つまらない……と言ってしまうと終わってしまうが、訴求力に乏しいポスター展示をしているところが多い。


 そんなにやる気がなければやらなければいいのではないか、と個人的には思うのだけれど、税金の投入されている学科という負い目からか、すべての研究室が何らかの展示をすることが義務付けられている。


 とはいえ、学科丸ごとやる気がないのか、といえば、そういうわけではなく、いくつかの研究室はそれなりに面白そうな見世物をすることになっていた。そういった人が集まることが予想されるブースや、見世物に面積を使うような出し物は会館の一階を使っている。


 では、その会館の二階はといえば、うちの学科でも選り抜きの集客力を誇る『キャラクター』がイベントをすることになっている。


――粂川縒教授。女性の人工知能の研究者でしかも僕と年齢があまり変わらず若い、テレビ番組に取り上げられるだけのことは、なるほど確かにあるらしい。先陣に立ち荒野を切り開くヴァルキリー。政府主導の『第五世代コンピュータ』研究の流れに乗って旗頭として便利使いをさせられている――のだろう。


 金や研究の補助はともかく、彼女自身はその扱いについてはあまりありがたいとは思っていないようだが。それはまぁ、ともかく。おかげさまで、研究室には潤沢な資金が流入してきている。そんな僕もそのおこぼれにあずかっている訳であるから、粂川教授様様ということになる。


 ぼうっと、うちの研究室の『戦乙女』のことを考えていると……。


「粂川教授はいるかしら」


 そんな、凛とした張りのある声の問いかけが僕の肩をびくりと揺らした。ともあれ、視線を上げるとそこにいたのは、非現実的な存在だった。そも、女性の割合の少ない大学という環境で、ここは、理系、情報系。


 確かに、人の集まりにくいここは、集客力の高い会場と会場の間をつなぐ道になってはいる。結果、それなりの人通りはあるものの足を止めるものはいない……はずだったのだが、その少女は足を止めたどころか話しかけてきた。


……そも『情報工学部』という土壌が作る男女の数的偏向は野生動物におけるアルビノ個体のごときざまであった。アルビノ個体が人心を引くように、女性もやはり、人目を惹く。


 いわんや、目の前に現れた凛とした声の主は、同年代よりも年若い少女であった。『めづらしい、という言葉の語源は愛づ』だっただろうか、と中学生の頃にこびりついた知識がふと出てきてしまうほどに可愛らしい。


 こちらが無反応であることに対して、少し眉根を寄せる仕草を示した彼女は『自分の日本語が通じていないのだろうか』と考えたのかもう一度、粂川教授を訪ねた旨を告げてきた。


 そう、彼女を目立せているのは中学生くらいの少女が男ばかりの『研究室紹介フロア』にいる事実だけでなく、本当のアルビノのごとくに周囲の日本人とは外見がまるで違ったからだ。


 プラチナブロンドの髪は緩やかなカーブを描いたセミロングで、ゴシック調のワンピースがどこか非日常的な空気を醸す。その上に、極めて男性的なフライトジャケットを着ているのは……ファッションだろうか。


 一瞬、虚を突かれたように喉を引きつらせた僕は、問われたことに返答しようと言葉を探す……、


「……あぁ、えっと。先生なら昼から講堂で講演をするから、先に入って集中するとか言って――要するに、ここにはいない、帰ってくるのも三時間ぐらいかかるよ」


 日本語で説明して理解してもらえるかわからないので、簡単な言葉で伝えたつもりだ。


 理解してくれたのか、うん、と少女は頷いた。よく見れば、彼女は可愛らしい出で立ちに似合った小さなトランクと別に、かたかたと音を立てる大きなトランクバックを引いていた。表面の革には細緻な彫刻のようなもの――カービングというのだったか――が施されていて、モチーフは女性の様だ。


 女神のように図案の中心になっているその女性はしかし、人間ではないようで、腹が透けるように描かれていてそこだけが医学書のよう、しかし、書き込まれているのは、内臓などではなく……歯車やゼンマイ、ばねがそこに書き込まれている。


 人形、それも、歌劇のメインキャストの様で、それはたしか。


「オランピア?」

「あら、知っているの、お兄さん?」


 興味を持ったようで、少女はするりとブースの長机を迂回して僕と同じ側に来た。周囲の他のブースからの視線を感じる。その視線を意にも介さず、トランクを手慣れた挙動で隅によせ、パイプ椅子を引いてそこに座る。


 少女の視線はあくまでも、こちらをじっと見つめるものであるが値踏みされている感がある。女性とあまり話し慣れていないからかもしれないが。


 まぁ、いいかと思い、彼女の話し相手をしてみようと思った。何しろ、人通りの少ないブースの場所で今日一日を潰すつもりだったのだ。机の上の冊子も何度も読み返したので、こちらとしても話し相手がいてくれるのはありがたい。


 朝の時点で申し付けられたために(正確にはこちらが忘れていただけだが)時間つぶしのための本はたまたま尻のポケットに入れていた薄っぺらな――内容ではなく物理的な厚さの話だ、もちろん――数学者のエッセイだけ。


 あてどない時間つぶしに臨むより、相手がいるのは有り難い。可愛い女の子ならなおさらだ。


「作者は忘れたけど、歌う自動人形、じゃなかったっけ」

「作者への敬意は、無いといけないものではないけれど、時にはスパイスのように味わいを引き立てる物よ」


 たしなめるようにして、少女は言ってくる。――お姉さんぶっているという感じの言い方は生意気なようでいて彼女に似合ってもいる。少しばかりナチュラルに視線が高い。


「まぁ、僕がそれを知っているのは人工知能の文脈で名前を聞いたことがあるってだけで、作品を見たわけではないからね」


 それも肯定的な話ではなく、否定的な話だ。他人にいわゆるインテリジェンスがあると判断することには推定が伴うとか、そんな話。人の形をして歌を歌う人形に対して、そこに人間性を見てしまうのは狂気なのか、どうなのか。


 その問題を解決する最も単純な方法は知能の定義をしてしまうことだが、『知能とはどういうものであるのか』という研究すらも一大分野であることを考えれば、定義することすら難題であることは容易に察せられるだろう。


「一人で待つのも退屈だから、ここにいてもいいかしら?」


 少女はこちらを見上げるような視線を向けてくるが、僕には断る理由もない。店番用に差し入れられた数本の缶飲料を少女に見せると、彼女は無糖の珈琲を選んで手に取った。好みが似ているところに共感を持つ、珈琲は一本しかなかったので僕はレモンティーを開ける。


 少女はそれをここにいてもいいという返答の代わりと受け入れたのか椅子への座り方を深くして、長机の上の冊子を一つ手に取った。


 パラパラとめくる少女。今更ながらに外国人にしか見えないこの少女は、日本語を流暢に話すし、読むこともできるのだろうか、こちらも大学院に進学していることが全くの無駄ではないという程度に英語の読み書きはできるが、外国人が日本語を学ぶというのはそれなりに難度の高いことではないのだろうか?


 少なくとも、自分が彼女の見た目程度のガキだったころに、伊語、仏語、独語のような習いもしないような言語を習得しようという気にもなっていなかったのは間違いない。


 そんな少女に対しての少なからぬ畏敬の念を抱いた視線に、気づいたのか気づいていないのか、彼女は冊子から視線をあげずに口を開いた。


「粂川教授は、人工知能の専門家なのよね? 多分、日本で一番くらいの」

「ん?」


 彼女の方を向くと、視線を冊子に落としおよそ十秒ごとに一ページをめくりながらこちらに質問をしてきた。けれど、その内容は若干違和感を感じる物だった。


 中学生にも見える女の子がわざわざ、大学の学園祭に紛れこんで接触を図っていることだけを考えればそれなりにミーハーな子なのかと思ったが、言葉の印象だけで言えば理性的に受け答えをしてくれている。見た目と言葉のマッチングがよろしくない。そもそも外国人というのが難しい。行動の意図を推測することができない――。


 不明であるのだから聞いてみればいい、


「君は粂川教授の知り合いではない、よね」

「その推測は早計よ。まぁ、あってるけど……うん、そうね。直接の面識もなければ電話や手紙でのやり取りもない。全くのはじめましてをしに来たんだけど……」


 答えながら彼女の声が小さくなる。それは答えに窮したとかそういうものでないのは火を見るよりも明らかで、冊子に集中しているようだ。

 半ば、ほほえましいような気持ちで彼女が読み終えるのを待つ。


 ぱらり、ぱらりと、人でごった返す雑踏の中にあって、少女の細く白い指がページをめくる音がやたらと耳に届くような気がした。ブースの前を歩く人々も真剣な少女の様子に声をかけるのをためらうように、こちらに視線を向けつつも何も言わずに通り過ぎていく。


 と、少女は読みたいものを読み終えたらしい。冊子から顔をあげて、刹那、目をぎゅっとつむり。

 しかし、開いた時には鋭い意志でもって口を開いた。


「この記事を書いた人はどこにいるの?」


 彼女は小さな手でバンバンと冊子を叩いた。その仕草で初めて彼女が見た目にそぐわないほどの大きな輝石のついたバングルをしていることに気づいた。白い石に内包されたものが染み出すような青が混じってなんとも幽玄という感じに美しい――さて、開かれているページに書かれている記事のタイトルは『人工知能の身体性』。


 少女の細い指先が、タイトルの下にある五文字の語を読もうとする、


「このえっと、――ことり」

「こずや」

「日本人の苗字は読めないわ……さだはる」

「ていじ」


「……日本人の名前も読めないわ」

「そっちの読みのスポーツ選手の方が有名だから、しかたないね。父は尊敬する数学者からとったと言っていたけど」


「……? まるであなたの話の様な言い方ね」

「その推察は早計だ、が、正解」


 彼女の先ほどの言い回しをまねて少女の驚く顔に僕は言う。腕を胸に宛て恭しく頭を下げる、自分を示す名前として。


「僕の名前は小鳥谷貞治――よろしく、お嬢さん」

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