034、石神廟
たどり着いたのは洞窟、だった。
「ダンジョン?」
「なら、奥にいるのはドラゴンかしら?」
軽口で返すと、暗闇の中に足を踏み入れる。
ぬるい風と、湿った空気。
外よりも温かいというだけだが、若干の安堵を感じるのはなぜか。
周囲に岩肌があって人工的な感じは殆どしないのだが、
「あ」
「……っと」
後ろから来た小鳥谷がこちらに触れそうになっている。暗がりになれていないからだろう。
こちらが気づいたのは壁。壁に沿っている線だ。
魔術師としての感覚で気づいたのはその線が回路の様である事。
おそらく、迷い込んだ一般人がいたとしても気づかないように、しかし魔術師には必要なものとしてそれがあるのだろうと推測して。
「よっ!」
魔力を流すと、反応があった。最初、目に見える反応としては壁、一面の岩壁から染み出すようにして精霊種が湧き出した。
「……なにこれ?」
小鳥谷の反応はありがたい。こちらが気を使う分が少し減る。
「自然を司る精霊の一種、こちらが流した力に反応して出て来たらしいわ」
「何のために?」
ふむ、それに対しての端的な答えは知るはずがないだろう、というものだが思い当りはする。
侵入者への反応か、来訪者への対応か、だ。
代理人が注意をしなかったことからすると、
「お出迎えをしてくれているのではないかしら?」
こちらの与えた力を餌として寄ってきたと思われる極小の精霊種は自分の意思を持ったりするようなサイズではない。見た目の印象でいうとクリオネのようなものだ。それが壁面から染み出してきて一体一体が微量の光を発している。殆どの個体が一センチ未満だが、その光自体は蛍の光のようで刺すようなものではなく柔らかい。
壁の面に力を流し続けていると、壁面から染み出す量が増え、しかも、魔力の源泉であるこちらによって来る数が多くなってきた。
「灯りの代わりにもなっているのかしらね」
洞窟の中にもこの精霊たちが存在し続けられるだけの魔力は十分にあるようだが、美味しい不味いよりも珍しいものを味わいたいという感じなのか、こちらによって来る。
「精霊って……こんなにいっぱいいるの?」
「んー、基本的にはどこにでもいるけど、普通には見えない、という感じかしら。近くに力の塊があると顕現するの」
このサイズの精霊は基本的には潜在的な存在である。普通は見えない。それが目に見える形になるというのは幾つかの状況ではあり得るのだが、ここの場合は多分先に言った通りである。
近くに『力の塊がある』ということ。欧州なら、戦跡や聖地、一部の教会に見られるものだ。
フィクションっぽく表現するなら、強いボスのいるダンジョンならこうなる、と言ってもいい。
寄ってきた精霊はいずれも本質的には『石の精』らしい。
「……これは」
この洞窟の主は恐らく……、
『奥にいるからはいってきやれ』
艶めかしい、女の声がした。
・
洞窟を歩くこと十数分。歩きやすい分問題はなく、五分毎くらいに微量の魔力を流して灯り代わりの精霊を呼ぶ必要があることを除けば何も問題はない。
一体だけ意思を持つようなサイズの石霊がいたが、多分、この山のどこかにいる魔石の石霊かなにかが様子を窺いに来たのだろう。
灯りをつけ直す以外に足を止めずに進むと、ふと、空気が変わった。先ほどまでの一定の風ではなく、リズムが変わったように感じたのが、どうしてなのか。
答えは、数歩を進んだところで目に見えた。
「これは……」
こちらが感嘆を言葉にできない間に追いついてきた小鳥谷が気の抜けた様な声をあげる。
「石英?」
しかし、その言葉の内容は間違っている。ケイ素と酸素を大量に含んでいるという意味では完全に頓珍漢なことを言っているという訳ではないのだが……まず見てほしい。透明ではない。
暗がりに精霊の灯りだけというコンディションが見誤らせたのかもしれないが、その石英様の物質は黒いのだ。見た目の印象としてはむしろ、黒曜石に似ている。
「おっきい……」
一応の専門家でありながら口をついて出たのは見た目についての第一印象でしかない。洞窟をザクザクと進み続けて見つけたのは直径50メートル程のドーム状構造。そして、そこにそびえている黒い大結晶体。
私では抱きかかえられないほどの――というか、私と小鳥谷で輪になってようやくという感じの――太さで高さは見上げるほど、だ。
その大きさで三角、六角、九角あるいはそれ以上の直線による幾何が乱立しているような大きさも高さもバラバラな結晶柱を正確に張り合わせたかのような、
――圧倒される幾何柱がそこにあった。
それに押されて見上げているときに、耳に入ってきた言葉、
『おでましかえ、石くれを従える異国の血よ』
その幾何の柱の六角の張り出しを玉座のように椅子にして、優艶な和服の女がこちらに話しかけていた。
・
『くろがねきぬたを与えたものの血がこちらに寄越したというのなら、なれらは敵ではあるまいよ』
からからと笑い、やたらと華美な煙管で嗅いだことのない煙草を吸う女。
いやな匂いとは思わない、かつて、実家のキッチンでスパイスを炒っていたときに香ったような匂い。
――いやがることはせぬよ、と彼女はまた笑う。
どうにも言葉に流暢さが無いのは、ここに来るものが少ないからか、
言葉が古いような感じがするのもそのせいかもしれない、とはいえ、聞いて意味が取れないというほどではない。
「姫様」
私は彼女に呼び掛けた。姫と呼ぶように教えてくれたのは代理人だ。
『ふむ』
と彼女は言葉を吐くのを止めて代わりに煙を一度吐く。そして、白粉の香りそうな眉根を動かし、こちらに続きを促した。
「お願いがあるのですが」
言葉を止める。小鳥谷はこの状況では地蔵だが、むしろその方がありがたい。彼我の力の差を読んで出るべきでないときには出ないというのは、わかっていても歯がゆいものだ。やりとおしてくれるならそれはそれでありがたい。
彼女の方はこちらと小鳥谷に視線をやった後、再び小さな動作でこちらに続きを促した。
「先ほど申されましたように、石と共にある一族として、彼にも供を探したいと思います」
小鳥谷は頭を下げる。ふうん、と姫はだけで返して。
『貴き石よ』
話しかけた相手は、小鳥谷ではなく彼に預けた瑪瑙だ。
『姫』
瑪瑙……マリーはそれに答えようとした。小鳥谷の宝石使いとしての能力では維持は出来ても顕現自体を起こすことは出来ないだろう、だが、この状況、この洞窟の中であれば……、
「お」
顕現に成功した。二度目の挑戦で成功したので大分素地ができていたのだろう。
この洞窟程の魔力の密度であれば、維持をするのもあまり消費が激しくないはずだ。
とはいえ、余り長時間もつとも思えないので、
「手短にお願いいたします」
マリーが姫に対してお願いをする。
よかろ、と端的に受けて。
『ま、この時点でおよそ、問題のなさそうだとは思うているが……』
そうじゃのう、と、尺骨ほどの煙管を呑んだ。
――っ!
人間にしか見えないものがそんなことをやるとビジュアル的にクるものはあるが姫は――いうなれば、神霊の一種だ。見かけなど本質に対してあまり参考にはなるまい。
ただ真っ直ぐに喉に差し込んだような煙管は何のつっかえもなく姫に飲み込まれ、二秒ほどの細く長い煙が吐き出されたことだけがその名残のようだ。
『己をみあらはすこともできぬ汝は、あしきものではなかろうとも、ともにあろうとするものなどいるのであろうかな?』
気づけば、とん、と玉座から跳び、小鳥谷の前に立っている。すらりとしたシルエット、長い脚。古風な日本人の様相ではなくスマートで背が高い、しかし、地母神の系統にあるからなのか豊満な肉質をしていることが着物の合わせの辺りに現れている。
無駄がなく、出るところが出ている、と言えばいいのか。
見るだけで魅惑の能力のありそうな肢体で、伸ばされた指――その先が小鳥谷に触れる。
「っ」
寸前に、先ほどまでは重いものを持てないような柔らかでしなやかな雰囲気を持っていた指先が硬化され鋭利な先端を持つ。触れたのは眉間。
松果体の位置を探る様につきこまれたもはや指先とも言えない指先は、小鳥谷の皮膚を破り出血を齎す。量としてはさほどではない、が、位置の関係上とても目立つ流血。
眉間を通り、鼻梁を伝い、鼻翼に赤い線が走る。
「こずっ……」
呼びかけようとしたが、小鳥谷が視線をそらさず目も閉じていないのをみて、言葉を止める。
覚悟をしたような表情に対して、外からいう事はない。
『わらしでもあるまいに、己を言葉にできないものは信用できぬぞ』
そういうと、指先を引かせる。後に残ったのは眉間に刺した傷である。
『退屈で仕方がないとは言わせぬがその傷あらばこの山のものは汝に危難を与えぬ。その傷の血の滲みの引くまではこの山で好きに供を探すがいい……ただし、信においての許しではなきがゆえかどわかしは認めぬ』
つまり……、
「自分で口説け、と」
そういうことらしい。




