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027、ごはんの時間!

「いらっしゃいませ」


 静かによく通る声が店にしみる。そういう感じの応対。

 チェーン店の大声量をぶつけるような感じになれていると寂しくなるときもあるが、こちらのほうがよほど好ましい。


 席数は二十余、埋まっているのは四割ほど、その多くはカウンターで一人酒の様子。テーブルは、すべて二人がけ。一人飲みの客が二人、別々の机で二合徳利と乾き物をおきながら紙を広げて作業をしている。


 まだ混み合っていないからか、店主は咎める様子を見せない。

 ちらりと、こちらに視線を投げた店主はシャルの容姿に一瞬、止まった様子を見せたがすぐさま、串焼きを転がす作業に戻る。風が吹き込まないようにガラス戸を閉めると店内はまた喧騒が広がる。


 若干、こちらのセーターを引く手の力を強めたシャルは異文化の風に気圧されているのだろうか?

 そんなコチラを気遣って、というわけでもないだろうけど、もうひとりの店員さんがやってきた、


「お好きな席に……じゃないですね、こちらのお席にどうぞ」


 柔らかい女性の声の持ち主は、ウチの大学の生徒だろうか、あるいは店主の娘さんかもしれない。もしかしたら未成年かもしれないと思うくらいに若々しいその女の子は髪を押さえる葡萄色の三角巾の奥から優しげな目をこちらに向けている。


 迷うこちらの様子を見て取った彼女は厨房の作業が見やすいカウンター席に通してくれた。カウンターはL字型となっており、案内されたのは短辺の側で三席しか無い方。

 若干尻込んでいるシャルを気遣ってだろう、視線の集まりにくい席を案内してくれたようだ。


「空いてるお席の方に、荷物をおいてくださって結構ですので」


 そう言うと、大雑把な形で手作り感のあるタンブラーにキンキンに冷えた水を入れて持ってきた。おしぼりも清潔感のある、白。


 店に満ちているのは酔っ払いの『ささやか』な喧騒と、炭火に脂が弾ける音、鍋のフタの隙間から漏れる蒸気のしゅーしゅーという音、時折、包丁がまな板を叩く音。焼けた肉のじっとりとした匂いと焦げ目の残す炭の匂い、醤油が鍋肌に踊る匂いと出汁の匂いが混じっている。タバコの煙が微かにあとを残しているが強いものではない。


 見れば、先程、シャルの方を見ていたお客さんたちが灰皿に燃えさしのタバコを突っ込んで火を消している。子供に悪いと、そう思っているのか。一人、それと気づかない男が連れの客に肩を突かれ、慌てて、タバコを消している。


(大人だなぁ……)


 そう思うが、むしろ、こんなところに子供を連れてきたのが間違いなのか。とはいえ、こちらは子供の頃から外食といえば居酒屋、として育てられてきたので、融通が効かないのだ。シャルはといえば、若干テンパっているのか、周囲の気遣いには気づいていないらしい。


 伝えるべきかと一瞬迷ったが、目端に映った壮年の男が、気にするなというふうに笑った。

 だから、気にしないことにする。


「えっと、にく、とり、さかな、つまみ、のみもの」


 お品書きは少し分厚い和紙に墨筆で書かれているが、気取った感じではなく手元の筆記具で書いたというざっけなさがあり、また、油と匂いと年月の染み込んだ風合いになっているところもいいと思う。

 その墨跡をなぞるように、読み上げをするシャルは意味合いを理解しているのかどうか。


 とぼけたような表情からはわからない。


「こういう店では大抵飲み物から頼むんだけど」


 告げると彼女はこくりと首を縦にふる。パラパラとめくり『のみもの』の文字を指差し確認、左にスライドして確認する仕草だが……。


「そのへんはアルコール入りだ。少なくとも、この国では二十歳からだから、アルコールの無いものを注文してくれ」


 ドイツでは子供の頃からビールを飲むと噂に聞いたことがあるが、実際にはどうなのだろうか。少なくともシャルは、こちらのお願いに応じてくれる気らしく、首を縦に振った。


「どのへん?」


 確認する声音に彼女を見れば、真っ直ぐな視線でこちらを射抜いている。そっと寄ってきていた女性店員は淡い笑みでこちらのふたりともを微笑ましそうに見ている。


「……ん、あぁ、ここから先、かな」


 甘くないのが良い、というので、何種類かのお茶と、福茶、あとは、味噌汁を飲み物代わりにするのもありか、と説明する、結局彼女が選択したのは最後に説明した豆乳だった。

 甘くないかを何度か、女性店員に確認したシャルに、飲んだことがあるのかを聞くと、


「無いから頼んでみたの」


 と返答が来た。まぁ、まっとうな意見だとは思うけれど。

 乾杯のときに口をつけたあとは水を飲んでいたのであまりお気には召さなかったようだ。


「んー、おもしろいあじ」


 ラボで食事をしているときは結構作業として食べている感のあるシャルだったが、美味しいものならまたリアクションも違うらしい、


(そういえば、ホットドッグのときもテンションがあがってたもんな)


 福茶も意外と悪くなかったが二杯目を頼むときに日本のお酒を頼んでほしいと言われて頼んでみた。

 普段は安い洋酒を飲むので銘はよくわからなかったが、店員さんのおすすめを常温で、それをちびちびと舐めるようにのみつつ、シャルの方を見ていると結構彼女の好みはしぶそうだと言うことに気がつく。


 突き出しに出てきた南蛮漬けと刺し身では湯葉、カツオの酒盗も美味しそうに食べていた。まだしも、子供の感性に近そうなのは、海老真薯だったが、手羽先、たこわさはダメそう。

 今は、揚げ出し豆腐の煮浸しと湯豆腐で食べ比べているところだ。


「一つもらうよ」


 揚げ出し豆腐を一つもらい、唐辛子多めで、酒のあてにする。


「豆腐は好きなんだねぇ」


 僕の言葉に対して、かなり上等に箸を使いこなしているシャルが、こちらにはてなを浮かべながら振り向いた。


「豆腐は、って、特に何も残してないけど」


 と、そんなことを言ってくる。いつの間にか机の端の方に追いやられている豆乳のコップを指すと、彼女は少し眉根を寄せた。


「んー、飲めないわけじゃないんだけど」

「苦手?」


 聞くと、シャルは何かを言おうと口をひらいて、しかし、もう一度考え直す様に口を閉じる。しばらく、言葉をまとめていた様子だったが。


「えっとね。濃い」

「濃い……」


「で、ちょっと、匂いが独特」

「成る程」


「味は……いいと思う」

「そうか、代わりに飲もうか?」


 提案するとシャルはやや困ったような表情になった。何を思っているのかはわからないが、苦手なものを無理してもしようがないのだ。


「豆乳って、そもそも、なにか知ってるの?」

「豆」

「……いや、豆だけど」

「あぁ、そういうことか。豆腐は食べれるのに豆乳がダメというのが、可笑しかった?」


 シャルは笑う。


「おかしかないさ、ただ」


 どういうことなのか、と思っただけだ。まぁ、匂いと言うなら、なんとなくわかる。

 そもそも豆乳はのみものの欄に書かれてはいたが少し脇にどけて書かれていて、普通に食事と一緒に、という意味でお品書きに載せられているわけではないのだろう。


 たしかに、シャルの言う通り『濃い』し匂いは『独特』だ。


「ほとんどの料理が、味噌か醤油を使ってるのに大丈夫なんだな、と思ってさ」

「……あぁ、そうか。日本の調味料はほとんどが大豆の発酵食品なんだったわね」


 きちんと勉強してから日本に来ているということを示すかの様に、相づちを打つシャル。


「加熱したり、発酵したりで匂いが変わるのね……」


 揚げ出し豆腐のことを指しているのだろうか? 確か、豆乳を作る時点で加熱していたような気もするが、はっきりとわからないのでツッコミは入れない。


「んー」


 シャルが『さつま揚げ』にしようか『こんがり油揚げおろし』にしようか、と指差しで迷っていると、店主が厨房から声をかけてきた。


「お嬢ちゃん」


 シャルに向けて、だ。


「は、はい」

 おしながきの上で白い指先を遊ばせていたシャルは突然に別の方向から名前を呼ばれてビクリとした。店主はその様子も含め、シャルを真っ直ぐに見る。


「わさびはいけるか?」

「へ」


 突然の問はよくわからなかったが、すこしなら、とためらいがちに答えている。湯葉の刺し身の皿を見ると、使ったあとがあるので全然ダメというわけではないのだろう。


「生姜と柚子は?」

「ジンジャーは大丈夫です、柚子は……柚子?」


 こちらに視線が来る、助けを求める視線だ。


「さっき食べてた揚げ出しの上にのってた柑橘の皮、あれは柚子だよ」


 言葉を添えると、シャルは一度、頷いたあと、


「だいじょう……いえ、好きな香りです」


 はっきりとそう答えた。唐突に質問が終わったのか、数十秒の沈黙があって。


「えっと、サービスです」


 後ろにいつの間にか女性店員がいた。手にしているのは――おちょこ?

 黒いおちょこの中身は見えないが何かの液体が入っている、が。

 おかしな点が二つ。一つ目はおちょこに何故か小さな木匙が刺さっていること、二つ目はおちょこから立ち上る香りが日本酒の匂いではなくだしの効いた醤油とゆずの匂いであること。


「えっと」


 シャルが戸惑った表情を見せると店員のお姉さんは笑顔で、


「そちらの豆乳に好きな量を溶かしてみてください。多分、お口に合うと思います」


 そんなことをいう。シャルはこちらにちらちら視線を送るが、こちらとしては試してみれば良いのでは、としか答えられない。


 シャルがおちょこを傾けながら木匙を引き抜くと匙の容量よりも多くの液体が持ち上がる。粘度の高い……。葛か片栗かはわからないが、とろみがつけられているようだ。そのまま、うーん、と無表情に豆乳に入れて溶かすように木匙を回す。


 そのまま木匙で豆乳を掬い口に含んだ、その様子は恐る恐るというようすだったが、口に含む、舌で味わう、飲み下す、とその工程一つ一つの間にころころと表情が変わる。

 結論からいうと、非常な驚きと、大変なお気に入りへとつながった。


「おいしい?」


 聞くと、彼女は金の髪波を揺らしてこくこくとうなずく。

 見開かれたのは店の中の明かりを集めたようにまぶしい瞳だった。



 その後女性店員に何かを耳打ちされていたシャルは次の日からしばらくどこかで買ってきた豆乳に入れるソースを工夫することになった。

 それについて、マリーは『いじましい』と評していたが、食にこだわるのはおかしなことではないし言うとしても『意地汚い』ではないだろうか。

 そう聞くとマリーに冷たい目をされた。

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