002、出会う前
――数時間前のとある国際空港。
ジョージ・オーウェルが描写した三つの巨大国家による均衡状態は結局影も見ず、明けて今年は1985年、ほぼほぼ年末。
それでも世界は第三次世界大戦の可能性から完全に逃れ出たとはいいがたい。
いまだに西と東というのは対立を意味する単語であったし、人類の科学力は自己を絶滅させるに十分な打撃力を振り上げたこぶしの内側に保持したまま。
そして、ベルリンはいまだに、その存在においては強固堅牢な大きな壁を抱えていた時代。西ドイツから小さな少女が単身来日するということは国際線の乗務員たちにも軽い驚きとして受け入れられていた。
しかし、結局少女は、航行時間のほぼめいっぱいを自分の座席で静かに過ごすことに費やしており、三度の珈琲のお替りと機内食のやり取りあとは毛布を欲しがった時くらいにしかその声を発することはなかった。
物静かなその少女にある空港職員は人形のようだと思い、通路を挟んだ向こうの乗客は中学校の美術の資料集で見た写実的な西洋画を想起し、ある添乗員はモノクロで見た古い喜劇の映画女優を連想した。
最後までおとなしい様子で着席していた彼女は、到着を告げるアナウンスを聞きながら小さな革張りのトランクをもって物怖じのない所作で歩く。ほどほどに込み合っていた飛行機の中でエコノミークラスの乗客たちは知らず彼女に自然と道をあける。
ただの小さな親切の連鎖のようにも見えるそれは、彼女の醸す雰囲気によるものなのだろうか。気が付けば、乗客たちの視線をにわかに集めた少女は空港側の建物まで移動している。
少女は荷物の受け取りを済ませると慣れた挙動で両替を済ませて、タクシー乗り場に向かって歩いていく。