018、命と魔術
「うぅ」
ラグマットの上、座卓といっていい高さのガラス張りのテーブル。
僕は研究室という言葉に似合わない一角で机に突っ伏した。
シャルは背中のほうにあるソファーに寝転がって調べものか何かをしている。
「あー」
肺の中の空気に音を乗せつつ後ろにのけぞる。
深呼吸というほどに健康的な動作ではない。呻いているという感じ。
「魔術の訓練って、意外ときつい?」
のけぞると僕の後頭部が彼女の太ももに後ろから当たる。
彼女がうつぶせになっているからだ。
シャルがうっとおしそうに足を曲げると僕の頭は浅く挟まれるような形になる。
冷たい足肌の感触を一瞬味わって僕は身を上体を起こす。
「まぁ、小鳥谷は慣れてないからねー」
魔力の訓練。昨日覚醒させられた感覚の訓練はとりあえず魔力の使用を継続するという訓練だった。
筋肉と同じで使えば使うほど発達する、というのはシャルの言だが。
筋肉痛に該当するような倦怠感まであるとは思わなかった。
「魔力は結局のところ、源泉は生命力だから。消費した魔力に引っ張られて生命力の消費が少し上がってるの……そのうち代謝量が釣り合うようになるけど」
資料から目を離さないシャル、彼女の魔力は……いま、綺麗に制御されていると思しき軌跡でマリーの、昨日持ち帰った瑪瑙のほうへ流れていく。訓練内容はマリーの実体化のできる限りの維持、ということだったがホテルを出てから三時間くらいしかもたなかった。
一応、その姿が消えても問題ないということだったので、慌てるのはやめて今日を待ったというわけだ。
魔力の流れは昨日の僕の荒っぽいのとは違って淀みなく綺麗でおおざっぱさがない。
(たぶんだけど)
こちらが見て学べるようにゆっくりとやってくれていると感じる。
「じゃあ、小鳥谷。すこしお勉強しましょうか」
何だろうか、と思ったが特に逆らう理由はない。
「貴方の倦怠感が払われてやる気になってくれるまでお話ししましょう、という程度の意味よ」
シャルはそう言って、ぱらぱらと紙の音がして、背中で体重の移動した音。
資料をおいて座りなおしたらしい、と思った直後僕の左から足が生えた。
伸びてきたのは彼女の白い足。
――別の意味で倦怠感が払われそうになる。
・
魔力。魔力ね、とシャルはつぶやくようにして言葉を置く。
「そもそも魔力とは何なのか」
マリーから聞いているかしら、とそう問われて僕は首をひねる。
聞いていない、ということはない。魔力についての話はした。
「魔術師が燃料にするもので、魔術の発動に必要なもの、人間なら誰しもが持っていて、でも、動きがゆっくりで普通は意識できなくて、流体としてイメージするのが適切で、無意識にすら反応する情動に追随するもの」
昨日聞いた特徴を箇条書きで挙げてみる。
「それは、……うん。よく勉強しているけど、魔力の特徴・性質であって、本質そのものではないわ」
どういうものなのかの問いには適切で、何なのかの問いには不適切だ、という。
「でも、『では、魔力が何なのか』これに対しての明確なクリティカルな答えはまだ存在しない」
けれど、と逆接を置いて。
「魔力は生命力から生まれるものというこれは間違いではないわ」
前置きをしてシャルは言う。
「現在、多くの魔術師の共通見解として、魔力とは魔法によって生み出されたもの、という考え方があるわ」
「……?」
今の説明の中身ではなく、言葉に違和感を覚えた。
「昨日も思ったけど、魔術と魔法って言葉を使い分けてる?」
「良い着眼点ね。そう。どちらも物理とは違う法則によるものだけれど……そうね、科学の言葉で言い換えるなら、法則と技術という感じかしら?」
「法則と技術?」
「そうであるからそうである、というのと、何かのためにそうであることはちがうからね……そんな感じ」
つまり、
「魔力っていうのはあると決まっているからある、ってだけの話?」
「あー、そうとるのね……。そうじゃなくて、ある一つの魔法に基づいて魔力は存在している、という話よ」
シャルは一度言葉を切って机の上のカップを手に取り、中の珈琲を口に含む。
苦いものを飲み込んで、
「これは私たちの目的にも軽く触れる話なんだけど……この世で最も有り得べからざることって何だと思う?」
「うん? それはいったい」
どういう意味だろうか。よくわからないが、しかし、彼女の表情は悲劇を語るもののそれではない。
どちらかというと面白がっているようだ。
つまり、たぶん、この問いの答えは『有り得ない』といっても悲劇的なものではなく、どちらかというと『奇跡』に近いような確率的に薄く、けれど、実際に起きていることについての話なのだろうと、推測ができた。
――なら、求めている解はなんだろうか、と考えて。
目的にも関連しているというならそれは……。
「意識の発生?」
「良い答えね」
シャルはにっこりと笑う。
「生物の発生、命の芽生え、意識の生まれ……そういった、確率的に起こることが非常に難しいことが起きているという事実を指して。魔術師たちは第一の魔法と定義した」
「生命の発生がということ?」
「そう、全ての生き物はその根源を魔法とするために、生きていること、そのものが一つの魔術で……だからこそ、全ての生物は魔力を内包していて、生きているということで魔力を生産する、と」
つまり、生物の持つ魔力というのは、
「余剰というか余波というか、あるいは、副産物みたいなものだということもできる。一応、魔法は生命力とでもいうべきものを生み出し、そこから副次的に魔力が生み出されるのが基本の考え方だけど」
そういって、ガラスのテーブルに映るように大きな光を生む。
それは魔法陣というもののように意味のあるものではなく、ただ、こちらに図示するためのものだろう。
一つの光点に対して、九つの同心円が表示される。
イメージするところはきっと……。
「太陽系?」
「よくわかったわね……あぁ、惑星の数で判断したのか」
シャルは表示を自在に変えられるのか冥王星までの同心円を小さくする、ズームアウトすると新しいものが見えてきた。新しく見えたものは、冥王星軌道の少し内側。帯のように広がるごくごく小さな光の集まり。
そして、同心円がさらに小さくなっていくとさらに外側の構造が現れる。
最初は単純に境界か何かと思われた球体は、それもまた小さな光点によってできているのだと分かる。
「海王星を超えて、カイパーベルト、オールトの雲。ここまでを太陽系の範囲としても、こんなに広い太陽系の中で生命に生存可能な範囲はごくごくわずかな惑星の表面上だけ……つまり、生物はこの世界にとって、例外の存在……極めて異例のおかしな存在よ」
私たちだけなのか、他にもいるのかは知らないけれど、と付け加えて。
「銀河と銀河の間の領域だってきっと生物には不適なのでしょうから外まで含めればもっともっと確率は下がる。黄河の砂の中から砂粒一つを取り上げるようなそんな確率」
科学者は事例に因果を求める、それは時に確率で片づけられることもあるけど、魔術師は発生したことに意味を求めるものらしい、それは確率の偏りを引き起こしたものにも名前を付ける行為である。
ゆえに、その非常に低い確率であり、全ての始まりにもなる偶然は、第一の魔法として定義された。
「もろもろ無視して実利で言うならそう考えたほうが色々と理解しやすいから、っていう科学の定理と同じようなところに落ち着くんだけどね」
シャルは最後にそう言い切って。
「さて、じゃあ、そろそろやる気のほうも復活したかな?」
「あ……うん」
「それじゃ、魔力が何なのかの話はまた今度。マリーもそれなりに回復してきたからそれじゃあ、今日の訓練をやって頂戴」




