013、では、第一段階
ようやく、研究の第一段階! と言いたいところだが、まずは、とシャルに預けられたのは袱紗のような上等な絹織物に包まれた何か。
台の上に置いてゆっくりと開くと、そこに収まっていたのは石だった。
「魔石よ」
端的な説明が飛んできた。
「魔石……」
反復しながら観察する。見覚えがある種類の石。多分、小学生のときに見た石図鑑の中身だったと思う。
「縞瑪瑙ね、おおよそ同心円を描いているけど、幾何学的な正確さよりも自然の揺らぎのようなものを目一杯に受け止めているなんとも幽玄な形になっていると思う」
こちらの受けたイメージとしてはその歪みはムンクの『叫び』の背景に似ている様に思う。
「魔石だからね。私は彼女と意思疎通が出来るわ」
鮮烈なオレンジが灰白色を基調としたベースに映える。外角というか外側はザクロ石か何かのようでとげとげとした紅だ。
「それと、呪石のレベルの赤鉄鉱――ヘマタイトね」
もう一つの袱紗、それを開くと黒い塊が出て来た。強い光沢を持った黒い塊は手に取るとズシリと重い気がする。形状は、シャルの言葉を借りるなら『無駄に手を加えていない楕円基調のカポッション』とのこと楕球のペレットを二つに割ったような形状だ。
二つの形状がサイズも含め同程度なのは相互比較用ということなのだろう。
が、その前に。
「少し私の宝石使いとしての能力をはっきりと認識してほしいんだけど」
「――えぇと、それは体験してみろ、ということでいいのかな?」
そうね、と軽くうなずかれる。
「あなたの書いた図に従えば宝石使いの特殊な能力は宝石のインアウトに影響を与えるけれど、経験的に言えば『インプットとアウトプット』を与える物、ではなく、付与するものになるわ」
「付与する……どう違うの?」
「語感の差でしかないけど、宝石使いの能力は一時的なもの、永続じゃないわ」
説明を聞くと、宝石使いの能力はきっかけというか、やり方を貸し与えるようなものらしい。
維持するためには別のところから魔力を供給しなければならないとのこと。
魔石+一時的なインプット・アウトプットという状態にするが、その『一時的』は時間的な制約というよりは、エネルギーがある限りずっとという意味のようだ。
「たとえば、いま、この瑪瑙に私が能力を使ったとして……私が魔力の供給を切ると瑪瑙はあなたと意思疎通出来なくなる。もう一度能力を使うか、瑪瑙が自分で至石にならない限り」
ふむ、とうなずく。なるほど、先までの説明のままである。
「シャルが供給を切ったときに僕が魔力を供給したら?」
「勿論、瑪瑙は瑪瑙のまま。彼女は君と意思疎通ができるまま」
なるほど、これもさっきの説明のとおり。
「僕が能力を使うことは……」
「貴方が偶然どこかの宝石使いの血を引いているという劇的な展開か、新たなる宝石使いの血統として目覚めるというご都合主義的展開か、そのあたりがないと不可能ね」
つまり、瑪瑙が一度『眠り』につけば起こせるのはシャルだけだ。ちなみに、
「意思疎通ができなくなるだけで死んだりするわけじゃないん、だよね」
「普通なら大丈夫。何らかの……例えば、エネルギーを絞り切って魔術を使って魔力切れみたいなことのない限りは――それについては、石霊としての死と同じなんだからここで言うのが適切ではないと思うけど」
「……ちなみに、何か面倒なことを考えてる?」
そんなことを聞いたのは、彼女の表情が楽しそうだったからだ。
なんというか、ネズミをいたぶる猫のような笑みと思えばいいのか。
「大したことじゃないわ。貴方に研究者として頑張ってもらいつつ魔術師に仕立てあげてしまおうと思いついただけよ」
「なんだ、そんなこ……はぁ?」
魔術師? 技術者を乗り越えて意味不明なものになろうとしている。
「魔術師って、何さ」
「言葉のまま、魔術を使うものよ」
「魔術を使えるようにしてどうしようっていうのさ」
「どうしようというか……たぶん、そのうち魔術が必要になるからよ」
「どういうこと?」
「質問ばかりね……。正確には魔術の使い方というのを知っていたほうが研究がスムーズに進む局面があるだろう、ということよ」
「あー、あー、うん。まぁ、それならわからなくもない、かな」
ソフトでシステムを作るときにはシステムがどういう風に運営されているもので、どういう場所で運用されているのかを知っておくべきだ。それは間違いない。
今回の場合は、要するに魔法使いの道具を作るのだから魔法使いであった方がいいということだ。
「魔力とは全ての生命に内在する『運命に干渉する力』、全ての生き物は生きているだけで運命を歪ませる。それは物理法則をまげて、世界に曲率を与える力……すべての物が持っていて、けれど、使いこなすのは難しい力」
曰く魔力とは燃料、魔力とは理不尽。魔術を起こし、物理の絶対を侵す起点。
「今言った通り、普通の人間の中にも魔力というのはあるわ」
そういって、シャルはこちらの手を取る。体温を触れた場所で感じる。
「普段それに気づかないのは、あっても動いていないから」
シャルは右手をこちらの手と握り合ったまま、左手を伸ばす。
伸びた先にあるのは、僕の心臓で、彼女は僕の胸の上にそっと手を置く。
――跳ね上がる、というほどの勢いはないがそれでも鼓動は早くなる。
彼女はそれに気づいて……気づいているだろう、当然。
しかし、シャルは微笑みを湛えたまま、その手のひらを置いている。
「血液と同じね」
言う。意味は分からないが、すぐに彼女の説明が入る。
「例えばいま、あなたの心臓が止まれば、血液があなたの体をめぐることは無くなって……脈拍もなくなり、外から血液の存在を確認できなくなる。そこにあっても分からない」
補足の説明はまだ理解できた。彼女の最初の言葉の繰り返しにもなるが、『何か』がある、と認識できるのは、それが外に影響を及ぼすときだ。その何かが普通の物であれば、光を受けることで、見えるようになる。しかし、例えば不透明の陶器の徳利に液体が入っているかどうかは、徳利自体の重さを知らなければ、振ってみるのが妥当だろう。
これも、動かしてみるまでは分からない例だし、季節外れではあるものの、扇風機。
風の流れが無ければ普段は空気があることを意識しないという意味ではこれも一例になるだろう。
彼女は、魔力もそれと同じだという。動いているものの動いていることを意識できない、という。
プレートの動き、月の動き、あるいは植物の成長のようなもの。確かに、止まることなく動いているとわかっていても、それらは動きが遅すぎて感じることは出来ない。
「魔力を普通の人が感じないというのは、そういう事。とても緩やかな生成と消費を行っているせいで感じることが出来ない、と」
「それを感じさせてくれる、とか?」
「そうね、やってみましょう」
軽く言って。
「今のあなたは一つのコップのようなもの。そこには水が入っているけれど、水があることは認識できない……さっきまでの話で言うなら、それはどうして?」
「動いてないから」
「そうね。……まぁ、実際には非常にゆっくり動いているから感じられないというかんじだけど、だったら、どうすれば感じられるようになるか、わかるかしら?」
「動かしてもらえばいい……のかな?」
「正解。色々、方法はあるにしろ手っ取り早いのはそれね」
彼女の口ぶりでは他の方法もありそうだが、
「他の方法としては、そうね。瞑想というのもあるわ。自分の体の中にある力を認識しようと思えば、外からの情報は邪魔なだけ。静かなところに行けば、自分の鼓動を感じられるというのと同じ」
あるいは、体の感覚を薄くしていくことで、世界と繋がっている部分がわかるのだとか。要するに、これからやる、と彼女が言っているのはこちらの音を大きくする方法で、瞑想法はバックの音を消すことで小さな音を拾うというやり方だ。どちらも妥当に思えるが、たしかに、手っ取り早そうなのは前者な気もする。
「ついでに動かし方にも種類があって、中の動きを早くするのと、中から力を出してしまうのと……今からやろうとしてるように外から力を入れるのと、があるわ」
シャルの説明によると、最初のは水の入った器を強く振る様な物、次のは風呂桶から水を抜くようなものだ、という。確かに、それらでも何らかの流体が入っていることはすぐにわかる。
「外から力を入れるというのは、例えば、水の入ったコップに追加で水をそそぐだとか、静かな水面に石を投げ入れて波紋を立たせるようなものよ」
要するに、
「私の魔力を注いであなたの中の循環を感じさせる……そういう意味では動きを早くするのと複合って感じね」
「ちなみに、危険は?」
「……私があなたをそんな目にあわせると思う?」
シャルはとても可愛らしい笑みでそういって、
「必要ならするんじゃないですかねぇ」
僕はそう返した。
ふふ、と彼女は笑い。
あはは、と僕は笑って。
――ドン、と力を打ち込まれた。




