011、お引越しの片づけ、続行
開けて次の日。
昨日は結局、軽い打ち合わせのあとでイスと机の追加発注を行い、ケーブル周りの不足分を確認すると僕は家に戻った。
今日は研究の第一段階……の前に、電気街なんかを回って、幾つかのケーブルを追加で購入してきたので、一台のコンピュータで三台ずつの分析装置までは操作できるようになった。そのあたりも含めて、コンピュータを使えるようにコンソール系を集めたりなんなりと、午前一杯かかった。
お嬢様はというと、ソファーの上に寝そべってアイスをほおばりながら漫画を読んでいる。この寒い時期にアイスかよ、と思いはしたものの、一口貰うとひんやりして美味しい。
なんだかんだで時針が天頂を指すころに、シャルは部屋の中にいなくなっていた。飽きたのだろうか、と思ったあたりで彼女は戻ってきた。その手には魔法瓶と紙で出来た箱を持っている。甘い匂い。
「お昼にしない?」
「お、ありがとう」
作業のひと段落を待っていたのだろう。魔法瓶から注がれた温かい珈琲はとてもいい香りを立てている。
「それは?」
「珈琲? 魔法瓶持参でホテルまで取りに行ってきたの。料金は払ってるし大丈夫よ」
どこで調達したのかと思ったがホテルに戻っていたらしい。ホテルまで戻るのが面倒な時は、二階のアイゼナッハのコーヒーメーカーを使えると言っているので、暇だったのだろう。
彼女が上品な花弁を象った独特の形状の白い皿に並べたのはドーナツだ。何とも蠱惑的な甘い匂い。シュガークレーズと溶けたチョコレートは誘うように甘く、煮詰めたベリーは酸い匂いと合わさって鼻奥に刺さる甘さを放っている。瞬く間に大きな平皿に摩天楼を立てるそれは、少なく見積もっても一人当たり十はある。
「お昼に幾つか、後はおやつにいただきましょう」
そういうシャルの表情はとても楽し気だ。こちらも、それなら遠慮なくと、一つ目のドーナツにかじりつく。口の中に広がる甘さは結構強烈だが、それにも増して、口の端に当たる粉糖の感触が楽しげだ。思わず先に口にしてしまったがそれを気にする様子もなく、シャルも一つ目に手を伸ばす。
それはチョコレートでコーティングされた物で、彼女が頑張って開けている小さな口ではそう大きな跡を残せず、かわりのように残されたのはシャルの口端のチョコレートの茶色い線だ。
ふへ、と指の腹で拭いながらシャルは抜けたような息をもらす。指先に集めたチョコは口に含むと熱い珈琲で流し込んだ。
「そういえば」
と、僕は紙箱の中に入っていたプラスチックのナイフで円を半円にする。切り口から食べればさすがに殆ど汚れはつかない。
「聞きたいことがあるんだけど」
ふむ、とシャルは新しいドーナツの砂糖コーティングをパリパリと言わせながら齧る。
「小鳥谷、余りこういう事は言いたくないけど。楽しい食事のひと時に仕事の話をする男は嫌われるわよ?」
「……悪かった。――いや」
ふと聞きたくなったことがあった。
「それは普通の女の子の場合? それとも、シャルロッテ・アイゼナッハという女の子の場合?」
な、う、あ。と正体の無い呻きを上げる。二秒ほど珍しい戸惑いの表情を見せた後に、一息を置いて……、
「ふむ、まったく、私が普通の女の子では無いような言い草よね、まったく」
まったくを二度使って憤慨したような表情を見せる。が、どちらかというと、拗ねながら照れているようにしか見えなくてなんとも可愛らしい。
「私はね、どちらかに寄りすぎてたら駄目よ。時折真面目に仕事の打ち合わせをして、時折真面目に愛を囁くそんな感じが、いいと思う」
何ともハードルの高い要求であったが、何とも挑み甲斐のあるハードルであった。とりあえず、仕事の話でも愛の囁きでもないものでやり過ごす僕の明日の昼ごはんはフライドチキンかもしれない。




