「例えお前が死んだって……俺はお前を諦めない!!」
――十歳の夏、母さんが死んだ――
(もう夕方か……)
一体どれくらいこうしていたのだろう。
少年は汗ばんで額に張り付く黒髪もそのままに、四肢を畳みへ投げ出していた。
茜色に染まる縁側からの景色を、ただぼんやりと眺めながら。
『七月八日、夕方のニュースをお伝えします』
夏特有のひぐらしの鳴き声。
それに混じって、点けっぱなしの液晶テレビから漏れるアナウンサーの音声。
『五日未明より続く、ソルメシア領コールス地方のSERESシステムと想石生成所所有権を巡る、ソルメシアとマナトースの対立についてです。両国共、依然緊張状態が続いており、現地リポーターによればマナトース側は三十人もの闘士と歌士に、奏武器系統のロケットランチャーを配備し、想石生成所までの道を封鎖しているとのこと。ソルメシア側は明朝までにでも生成所内への突入を……』
アナウンサーが告げるのは、聞くも聞き飽きた、少年の住む国ソルメシアとマナトースと言う国の領有権戦争の話題。
自国が戦争状態にあると何度液晶越しに告げられても、平凡な山奥の村に暮らしていては、今一実感が湧いて来ない。
何より、今の少年にとって何処でどの国が何を目的に戦争していようと、どうでもいいことだった。
身の上に降り掛った悲劇を受け止めるのに精一杯で、遠い何処かで起きた悲劇に同情する余裕など、無い。
(母さん……)
何をする気にもなれない。
ただ身体を横たえ、縁側からの景色を眺めているだけ。
時折、屏風で遮った隣部屋からは、誰かのすすり泣きが聞こえてくる。
それも大勢。
誰かと誰かの会話も聞こえる。
屏風越しの会話には、時折少年の名前も混じっていた。
「一昨年父親を亡くして、十歳で母親までも……。可哀想に……」
「父親の身内は? 誰かいないのか?」
「この家に二人だけ残すわけにはいかないだろう……」
身内がいたとしたら、どうなんだろう?
この家を出なければならないのだろうか?
だけど今はそんな後のことを深く考えたくはない。
このまま深い眠りにつきたいと、少年は金色の目を閉じた。
眠りについて、目が覚めたら夜中で、来客は全員帰っていて……。
いや、本当は客など来ていなくて、いつもの母親の「ご飯よ」という声で目が覚めるのだ。
いつもの、いつも通りの食卓で母親が笑っている……そんな当たり前な風景。
――あぁそうか。
少年は認めたくなかったのだ。
母親が死んだ事実を。
だからこうして屏風で部屋を遮って、この部屋だけを別世界の空間にした。
隣部屋の泣き声も全部嘘。
畳を擦り歩く音も、線香の匂いも全部。
全部、全部嘘でこの部屋だけが真実なのだと、そう思い込みたかったのだ。
――どうか屏風を開けないで。こっちの部屋に誰も入って来ないで。母さんが死んだなんて嘘だから――
だが、そんな願いも虚しく、屏風はいとも簡単に開かれ、他者の侵入を許してしまう。
隣部屋から入ってきたその人物は、少年の目の前で立ち止まり、畳みに膝を着いた。
その気配を察した少年は瞼を開け、その人物を見上げる。
そこには自分と同じ顔立ちに、銀髪の少女が赤く腫らした目で少年を見下ろしていた。
「ヒロト……」
少女が少年、ヒロトの名を呼ぶ。
鈴を転がした様な、可愛らしい声で。
「大丈夫、だよ?」
「――――っ」
少女の言葉を引き金に、熱いものがヒロトの胸に込み上げて来た。
涙腺が緩み、瞳から涙がポタポタと畳へ落ちて行く。
「ぅっ……ひ……ぅ……」
ヒロトは手の平で口を抑え、大声で泣き叫ぶのを我慢した。
泣いてはいけない。
少女が泣いてはいないのに、自分が泣いてはいけないと、幼いながらの虚栄心がそうさせていた。
嗚咽を押し殺す度に、身体が跳ね上がる。
「くっ……ふっ……ぅう……」
「…………」
少女はそんなヒロトに目を細めると、身体を抱き起こし、背中に腕を回す。
「大丈夫、大丈夫」と呟きながら、その背を摩り出した。
それはまるで、泣きじゃくる我が子を慰める、母親の様に。
「ヒロトは強いね。でも泣きたい時は思いっきり泣いて。これから先、いろんな出会いや別れがあるけど、ヒロトは人の為にちゃんと涙を流せる優しい子でいて欲しい」
「それ……いつかお前もいなくなるってこと……?」
ヒロトは少女の二の腕を掴むと、身体を少し離し、涙に濡れた目に少女の顔を映した。
ヒロトの問いに、少女は愛しさと悲しみが入り混じった微笑みを返す。
「……うん。ずっと一緒に暮らして来たけど、ずっと一緒には生きられないよ。私達は違う想いや生き方があるんだから……」
自分と同い歳なのに、何処か達観した少女の言い草を、ヒロトは首を横に振って否定する。
そんなこと言わないで欲しいと。
ずっと一緒にいて欲しい離れないで欲しいと。
少女はそんなヒロトの無言の訴えを察しながらも、言葉を続けた。
「でもね、別れの辛さを乗り越えられるように人は出来てるんだ。だからヒロトも大丈夫。私がいなくなったって、ヒロトは強く生きていけるよ」
「…………だ……」
「だってヒロトは強い子だもん。それでね、ヒロトの本当に大事な人を見つけて、その人と一緒に幸せに生きていくの」
「嫌、だ……」
「大丈夫。この先、色んな別れに寂しい思いをするだろうけど、それはヒロトが一人ぼっちになるってことじゃないから……。だから……」
「嫌だ!!」
掴んでいた二の腕に、力を込める。
腕が赤くなっても、己の爪が食い込み、少女が一瞬痛みに顔をしかめても、ヒロトは溢れる衝動を抑えられそうには無かった。
「嫌だ……。俺は絶対お前と離れない!!」
少女と離れたくない。
孤独に怯えるその想いを、一心不乱に少女にぶつける。
迷いのない、ただ純粋に目の前の少女を求めるその想い。
「絶対に離さない絶対に離れない!! 俺はお前を一人になんかさせない!!」
願うのはただ一つ――
「ヒロト……」
「例えお前が死んだって……俺はお前を諦めない!!」
『一緒に生きよう?』