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7章

エクター・クォンは血痕を追う――いや、それはもはや血痕と呼べるのかどうか。逃亡者の身体から引く、血の帯だ。

桑畑丈二には、かなりの深手を与えた。例えZEUS細胞の力をもってしても、簡単に再生は出来ないはずだ。急がずとも、もう逃がす恐れはない。

しかし決して油断はしない。現に、これだけの血を流しながら、桑畑丈二はなお進み続けている。血の痕は地下鉄を抜け、階段を上がり、スタジアムへとたどり着いていた。

 途中、行く先で出会った警備員が、何事かと問い詰めてきた。その蒼白な顔を見れば、彼がこの先で何を見たか、大体想像はつく。警備員を無視し、エクターは血の跡だけを追い続ける。

長きに渡った追跡の末にたどり着いたのは、一階の通信室だった。血痕はその部屋の前で途切れている。

だが、とエクターは思う。この先は袋小路だ。何を目的にして桑畑丈二がここを目指したのか理解が出来ない。

警戒しつつ扉を開け――エクター・クォンはデザートイーグルの銃口を、すぐ室内に向けた。

人気のない部屋で、明後日の方を向いて転がった空のデスクチェア。鉄さびの匂いを含んだ空気と、ぽたぽたと雨粒のように机から流れ落ち続ける血。

通信機材に覆いかぶさるように、桑畑丈二が倒れ伏していた。


          ¶

〈ゴッドマザー〉が駆動する。プリンセスが戦う、バトルフィールドを造り上げるために。

立体映像投影装置に光の線が走り、プリンセス二人が立つ空間に世界が生まれた。

二人が立っているのは、石畳の地面だった。石畳は長いあいだ陽にさらされたせいか、セピア色に焼けこげ、その隙間から小さな草の緑が顔を出している。ガードルートの目の前には美しく整えられた薔薇庭園。クラリッサの背後には蔦を這わせた円塔。朽ちかけた階段は城壁へと誘い、静寂を保つ湖には木の葉が舞う。

それは湖に浮かぶ古城だった。最終決戦にふさわしい、寂しくて荘厳なる戦いの場。

ガードルートとクラリッサ。フィールドに降り立った両者の距離は、十メートルもない。

 先制は、ガードルート。

速攻。背後に従えた無数の銃口を、クラリッサへと向けた。

瞬間、土色の巨人――ヘカトンケイルが壁となり、クラリッサを守る。

ガードルートの一斉射撃が、クラリッサへと注がれる。堅固な使役に守られたクラリッサは、やはり無傷だ。

ガードルートは一旦距離を取り、体勢を立て直す。

何度か交戦して感じたが、クラリッサのヘカトンケイルはかなり強固だ。チートでも使わないかぎり、槍や銃による攻撃は意味を為さないだろう。

初戦はジェットコースターから落下することで戦いを回避し、二戦目は〈切り(フェーズウィクトーリア)〉を行使して撃破した。だが今回はそのどちらも使えない。おまけにこの古城は、戦闘に有効なギミックを何一つ備えていないようだ。

――正々堂々、直球勝負。

それはガードルートのもっとも望むところだ。

ガードルートが次撃を仕掛ける間に、クラリッサのニンフたちが群を為して襲いかかってきた。ガードルートは銃の翼を広げ、それら全てを撃ち落とす。

妖精たちが凄まじい爆発音を上げて散っていく――その最中、クラリッサが高らかに叫んだ。

「――おいで!」

呼びかけに応えるように、クラリッサの真横の次元が裂いた。

次元の狭間から現れたのは、角を持つ白馬。清らかな乙女の前にのみ姿を現すという一角獣だ。ただし、その角は絵本の中で見るような力強くも神々しいものではない。

空へと無数の枝葉を伸ばした、鹿の角に似た雄々しく禍々しい形。それは雷を帯び、ガードルートを直線上に捉えた。

一角獣の赤い瞳と目を合わせながら、ガードルートは冷静に言う。

「……ねぇ、クラリッサ。前から思ってたんだけど」

「なぁに? ガードルート」

「アンタって、センスないよね」

「――自覚してる」

ふふっ、と二人の笑い声が重なる。

次の瞬間、一角獣の角から、雷撃が放たれた。

ガードルートは数多の銃砲で迎え撃つ。凄まじい光の奔流を束ね襲い来る電撃を、相殺するイメージを思い浮かべる。

消えろ、いや、消し去る。強く念じながらガードルートはひたすら銃を乱射する。

しかし、二人の間で雷撃と弾幕が拮抗した時間は、ごく僅かだった。ガードルートの造り上げた弾幕は瞬く間に押し切られ、霧散していく。一角獣の雷光がガードルートの目前に迫った。

「ぐっ……!」

回避が間に合わないと判断したガードルートは、左手の盾を掲げた。刹那、稲光が盾へと吸い込まれる。

 間一髪、雷の直撃から逃れたガードルートだったが、放たれ続ける一角獣の雷撃は、防いだ盾ごとこちらを消し飛ばそうとしていた。このままでは時間の問題だ。

「こいっ……!」

唱え、ガードルートは右手を空へと伸ばす。

そこに閃いたのは一振りの槍。槍を手にしたガードルートは、迫りくる白い雷へ向かって力の限り投擲した。

奔流に立ち向かう、一筋の銀。

それは雷撃を裂き、クラリッサの元へ襲い掛かる。

「ヘカトンケイルッ!!」

案の定、渾身の一投は、クラリッサの前に立ちふさがった巨人の体躯に阻まれようとしていた。――だが、これで終わりではない。

「まだよっ!」

ガードルートの手から放たれた直後、槍の形態が変化する。細身の槍が見る見る形を変え、白い鉄の塊を形成。その体躯を支える四つのタイヤが地面に着地した直後、悲鳴のような摩擦音を上げてクラリッサへと迫る。

槍から姿を変えて顕現したのは、白いタクシーだった。痩身の槍から、一転して重量のある車への変化。戸惑いという一瞬のバグが、クラリッサとヘカトンケイルに致命的な隙を作る、ガードルートはそう予想していた。

だがヘカトンケイルの守りは強固だった。巨大な二つの手が伸び、猛スピードで突進するタクシーの進行を阻む。屋根を押さえ込まれたタクシーが、巨人の手のひらの下でもどかしそうにぎゅるぎゅるとエンジン音を上げた。

 ガードルートは、しかし、諦めない。

わたしは何度も、このタクシーに乗った。長い間わたしを支えてくれたあの人の運転するタクシーに乗り、幾度となく危機を乗り越えてきた。

タイヤの摩擦音まで、正確に覚えている――。

「お願いっ!!!」

誰も乗っていないはずの運転席に、願い(イメージ)を込めて。

ガードルートの祈りを受けたタクシーが、猛牛のようなエンジン音を立てて力を増していく。パワーを漲らせた車体はヘカトンケイルの腕をついに突破し、そのまま巨人の巨躯を支える足へと突進する。

車の猛烈な追突を受けたヘカトンケイルはついに崩れ、そのままフィールドのなかに溶け消えていった。

「っ!?」

絶対の防御が崩れたクラリッサが驚愕の表情を浮かべる。

だが、タクシーの進撃は、まだ終らない。

無防備になったクラリッサの元へ、白い車体が突撃する。防御手段を無くしたクラリッサの身体は、為す術もなくタクシーに吹き飛ばされた。

 観客たちの悲鳴がスタジアムに響く。ガードルートは悄然と呟いた。

「……終っ、た――?」

だが、その直後、

「まだっ……」

立ち上がったクラリッサは、両手を天に掲げ、絶叫した。

「まだ、終われないッ!!!」

――嫌な予感がする。

ガードルートは咄嗟に飛び下がり、クラリッサと距離を取った。

クラリッサの頭上の空間がねじ曲がり、また新たな使役が生まれ落ちる。主力の巨人を失ったはずのクラリッサが用意した、次なる手。ガードルートの頭が最大級の警戒を訴える。

クラリッサの上空から現れたのは――つば広ハットで顔を隠し、真っ白なタイツに身を包んだ、痩身の男だった。

悪趣味なマントを風になびかせ、金の剣を手にしている。おそらくこれは、

「……王子さま?」

 的な、何かだ。

その真っ白なタイツの王子は、姿を現すやいなや、猛然とガードルートへと斬りかかった。

「っ!!!」

咄嗟にガードルートの反応が遅れる。――早い。

再度手にした槍を振るい、ガードルートは懸命に応戦する。

だが、王子の剣技はあまりに早すぎた。刺突、斬り払い。そしてなんとか攻勢に出たガードルートの薙ぎを、剣で弾いて受け流される。

――さらに視界の端から、クラリッサのニンフが突撃してきた。

「――!?」

必死で王子に応戦していたガードルートは、寸前までその気配に気づけなかった。

ガードルートの懐へ飛び込んできた妖精たちの身体が閃光を放ち、爆発する。

「きゃあああああっ!?」

轟く爆発音。視界に映る黒煙。物騒な熱と煙が、ガードルートを脅かしダメージを与える。

 しかし、ニンフの爆撃を経験済であることが幸いした。妖精の自爆を至近距離で受けたガードルートだったが、なんとか持ちこたえることに成功。形勢を立て直そうと意識を凝らす。

だが、王子はそんな暇さえ与えてくれなかった。ガードルートに更なる追撃を加えようと加速する。

ガードルートはわずかな逡巡ののちに、一時逃走を試みた。

まだこの使役に対抗する手段が思いつかない。少し様子を見て、反撃の糸口を探る。

目的は古城の入り口。城門を超えた先にある湖へ浮かぶ橋へと、ガードルートは走る。

駆け出したガードルートの背に、しかし、あっという間に追いすがった何者かの気配。瞬間、ガードルートの背に、痛覚の熱が走った。

「きゃああああああああっ!」

背を斬り払われたガードルートは、あえなく地面に転がった。

「……ぅ……ぃ、った……」

 ガードルートは呻き、なお立ち上がろうと力を振り絞る。だが無慈悲な影が見下ろす気配を感じ、瞬時に視線だけを跳ね上げた。

王子の冷酷な瞳が、つば広帽の下でガードルートを見下ろしていた。

それは目の前の敵を完全に討つまで止まらない、狩人の目だった。

「……く……」

 よろめき、立ち上がりながら、ガードルートは王子を睨み据える。だがその威嚇には力がこもらない。ガードルートの化身は見る間に薄れ、心理的ダメージの多さを物語っていた。ガードルートの本能が、王子を恐れているのだ。

〈ゴッドマザー〉の判定を待たずとも、ガードルートが劣勢なのは明らかだった。

「もう……終わりだよ、ガードルート……」

 王子のもとに歩み寄ったクラリッサが、冷徹に告げる。

「勝手に決めないで……まだ、終わりじゃないわよ……!」

 ガードルートは吐き捨てた。ぼろぼろの身体はふらつき、斬られた背が激痛を訴えている。恐怖と絶望が限界値を超え、いつこのステージから姿を消してもおかしくはない。

だが、まだガードルートには打つ手があった。それは未だかつて、訓練でも実践したことのない秘策中の秘策。

――使役の召喚。何かの力を、借りること。

クラリッサが得手とするこの戦法は、ガードルートには向いていないと思っていた。だが、先ほど槍をタクシーに変化させたとき、わずかながら手ごたえを感じていた。訓練の成果かガードルートの心境に大きな変化があったためか、理由はわからない。だが、ぶっつけ本番で試す価値はあるかもしれない。そうガードルートは決意を固めた。

クラリッサのニンフのように、自律型の飛び道具を使うことは無理そうだが、身近なものを題材に、大きなエネルギーの塊を生み出すことぐらいは出来そうだ。

 しかし、何を――悩んだ途端、思い出した。

いつもわたしを守ってくれる、ただひとりの人。

――赤面した。

「ジョウジ、ちょっと目閉じててね」

パレスと通信を繋げたままのはずの丈二からの返事はない。

通信が切れているのか、少し心配だったが、迷っている暇はなかった。

「来て――わたしを護る、わたしだけの人」

 そして、それは顕現した。


ガードルートを庇うように現れた、黒装束の男の化身。


黒いスーツを身に纏い、口には煙草を咥えている。鼻から上が煙でぼやけているのは、肖像権に配慮した、のではなく、本人の顔がスタジアムに出てきたら、恥ずかしくてまともに戦えないと思ったからだ。ピンチの時に呼ぶなんて、まるで王子様を呼ぶお姫様みたいじゃない。

彼は、王子様なんて柄じゃない。

ガードルートを護り、闘う、とても強くて頼れる存在だ。

ガードルートを振り向いて、黒装束の男は微笑を浮かべた。どこかインチキ臭い悪党じみた笑み。そんなところまで似なくていい、とガードルートの顔がかすかに火照る。

そして黒装束の背後から、巨大な銃口が現れた。

グロッグの黒い銃身。プリンセスを護る護衛官の銃だ。

「戦おう、ジョウジ。一緒に――」

 ガードルートが、黒装束の男に願う。黒装束の男はそれに応えるように、ピストルの形に作った手をクラリッサへかざした。

彼への信頼が、己への自負が、全て力となって銃弾へと転じる。

それは揺るぎのない力。

自分を信じることよりも遥かに容易く、強い。

他者への信頼という、絶対の力。

「護って――!」

叫んだクラリッサの前に、王子が立ちはだかった。刹那、

轟音が、プリンセス二人の間に響き渡った。

黒装束の男が放った巨大グロックの銃弾が衝撃波を纏い、クラリッサを護る王子に直撃する。

その圧倒的なパワーを前に、己のプリンセスを背に庇った王子の身体は、じりじりと後退していった。クラリッサの悲痛な叫びが聞こえる。

「お願い、護って……!」

その懇願は、王子へと注がれたのだろう。だが彼の姿は、今にも消えようとしている。

「う、うぅうううううぅ……!!」

必死で唇を噛み、クラリッサは耐え切ろうとしている。

もう、あの子を護る者は消えようとしているのに。

あの子を支えるものは何一つないのに。

クラリッサの瞳から、一滴の涙が零れ落ちる。

――ああ。

その瞬間、ガードルートの胸に沸き立ったのは、小さな驚きだった。

クラリッサが自分自身のために泣くのを、ガードルートは初めて見た。いつも他人のために前向きに生きる彼女が見せた、後悔と悔恨の涙。

そして、今更ながら思い出した。

――クラリッサも、普通の女の子なのだ。

「――ねぇ、どうしよっか、ジョウジ」

ガードルートには決められない。

だから心のなかの丈二に問いかける。貴方なら、どうするか。

 この場にいない丈二の代わりにガードルートを振り返った黒装束は、ふっと笑い、

 ――フィールドから、姿を消した。

そうだよね、とガードルートは心のうちで呟く。

「――え……!?」

 目の前の思わぬ事態に、クラリッサの顔が驚愕を浮かべる。

とどめの一手を取りやめ、盾さえも失ったガードルートに、自律行動で動く王子が幾筋もの刃を浴びせようと襲い掛かる。

ガードルートは、逃げなかった。

「ねぇ、クラリッサ?」

無防備になったガードルートは、呆然とこちらを見ているクラリッサに告げた。

 とびっきりの笑顔で。


「――だいすき」


 そして、王子の刃に貫かれたガードルートの化身が、フィールドから消滅していく。


 スタジアムが、しん、と静まり返ったのは、ほんのわずかの間。

『け、決着ゥううううう! 勝者! プリンセス・クラリッサ――――!!!』

 アナウンサーの声を皮切りに、歓声の轟音が、スタジアムを揺らした。


         ¶

スタジアムを揺らすようなクラリッサコールが、通信室にも届いている。

まさか、とエクター・クォンはタブレットを開いた。ニュース速報のサイトを開き、目を通す。

【舞闘会】トピックの一番上。そこに躍っていたのは、プリンセス・クラリッサ勝利の文字。

「……勝ったのか……? クラリッサ……」

 エクターの心中にまず去来したのは、信じられない、という思いだった。次いで湧いたのは、クラリッサへの罪悪感。

――信じていればよかった。最初から。

こんなことをしなくても、クラリッサは勝っていたかもしれない。彼女の気高い意思のままに。エクターたちの手助けなど、なんら必要なく。

エクターは、傍らで緩やかに体温を無くしていく男の身体を一瞥する。

そして目を伏せ、思いを馳せた。

エクターが心の底から嫌悪し侮蔑する、最高に愚かな、この男のことを。

――慌しく廊下を駆ける複数の足音が耳に届く。

足音はこの通信室の前で立ち止まり、踏み込んできた。

やってきたのは、担架を伴った救命士たちだった。

「怪我人は?!」

 エクターの説明は必要なかった。部屋に残る夥しい血の跡。その主をみとめた途端、救命士たちはすぐさま彼に駆け寄り、処置を始めた。すでに手の施しようがないと思っているのか、傍目から見てもその手際には諦観が滲んでいる。

応急処置を終え、彼が担架に乗せられる。その様をじっと見ていたエクターに、救命士の一人が声をかけてきた。

「貴方が連絡をくれたクォンさん?」

「はい。彼をよろしくお願いします」

 救命士は、訝しげにエクターの全身を下から上へ眺める。

「……貴方もかなり怪我をしているように見えますが。救急車に同乗しては?」

「僕は、まだ大丈夫です」

答えながら、エクターは胸の徽章を外した。

自分の名が彫られた、護衛官の徽章。それをもう一度だけ眺め、彼の――桑畑丈二の赤く染まった胸に、そっと置いた。

「然るべきところへ、行かなくてはなりませんので」



通路の突き当たり、非常用通路の奥から、救急車のサイレンの瞬きが目に入った。そこを目指し、担架と救命士たちが駆けて行く。

それらと入れ違うように、一人の女がこちらへやってきた。

スーツを来た、日本人の女だ。スポーツ選手のように引き締まった体格と凛とした顔立ちは、女性らしい美貌よりも、戦士の持つ精悍さを際立たせている。

女の腰には、太いベルトが巻かれていた。そしてそこに吊られた、拳銃と手錠。

女刑事はエクターの前で立ち止まると、ゆっくりと口を開いた。

「エクター・クォンだな。護衛官拉致、および【舞闘会】代表選手公務妨害の参考人としてご同行願う」

「……はい」

 抵抗、するつもりもなかった。

エクターはゆっくりと両手を挙げ、女へと近づく。女が腰から手錠を取り出し、エクターへ詰め寄る――。

「待ってくれ」

聞き覚えのある太い声が、通路に響いた。

「……トルーマン……」

 男の姿をみとめたエクターは、呆然と呟いた。

 奥の通路から姿を現したのは、ジェームズ・トルーマンである。クラリッサの側で試合を見守っていたはずの彼は、両手を挙げながら、エクターたちの元へ歩み寄った。

「刑事さん、そいつは無関係だ。今回の襲撃事件を指示したのは俺――全て、俺の仕業だ」

 呆然と見上げるエクターと、女の射るような視線。二つがトルーマンへと注がれる。

しかし、トルーマンの瞳は揺るがなかった。

柔和な、愛嬌ある眼の奥で、毅然と意思の光が輝いている。

――やがて、女刑事は抑揚なく応じた。

「……わかった。では、今は貴方だけだ。署まで同行願おう」

 そして女刑事が壁際に背を向け、トルーマンへ先行を促す。

 淀みなく歩き出したトルーマンは――エクターとすれ違い様、わずかに口を開いた。

「――クラリッサを護れ」

問い返す、時間はなかった。

刑事と共に、トルーマンが非常口へと歩いていく。大きな背中が、昼の緩やかな光のなかに消える様を、エクターは呆然を見つめていた。

一人取り残された通路で、エクターはそっと呻く。

「……無理だよ……トルーマン……」

エクターに、一体何の約束が出来ようか。この胸にはもはや、徽章も誇りもない。

それらは全て、桑畑丈二の元に置いてきたというのに。


         ¶

「ガードルート……っ?!」

自身のパレスから駆け出してきたクラリッサが、ガードルートのいる東側入場口へ慌ただしくやってきた。

同じようにパレスから出て、ブリッジに立っていたガードルートは、その慌てた様子を見て一つ笑顔を作った。

「見事な試合でした、プリンセス・クラリッサ」

そして、手を差し出す。

ガードルートの方から握手を求めるのは、初めてかもしれない。そんなことを、今更思った。

「……最下位決定戦、頑張って」

「……っ! うん……!」

クラリッサの瞳から、涙が溢れる。零れないように両手を抑えても、透明な涙は次から次へと溢れ出した。

――いいんだよ、もう泣いても。

ガードルートは心のなかで、そう告げる。


『三度に渡る戦いを終えた二人のプリンセスに! 互いの健闘を讃え、再度拍手をお願いします!!』

 わぁああああああああああああああああああ。

 実況の締めの言葉と、観客たちの歓声を幕引きに、

第十一特区における、プリンセス・ガードルートとプリンセス・クラリッサの三連戦は、ガードルート二勝、クラリッサ一勝という形で幕を閉じた。

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