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1章

――地球・日本時間が、正午十二時を刻んだ。

それは、特別な時間の始まりを意味する。

人々は仕事の手を止め、学びを休め、あるいは、眠りから身体を起こして。

大人も子どもも老人も、ホワイトカラーもブルーカラーも聖職者も。

テレビを点け、パソコンを開き、タブレットを起動させて、その奥で広がるこれからを見守り始めるのだろう。


各々の画面に映るのは、ドローンが見下ろす、ある街の光景だ。

日本国の関東地区に根を下ろすその街の姿を、ドローンのカメラは舐めるように映している。

多車線の道路と、等間隔に並ぶ街路樹の屹立。日照権に最大限配慮して点在する灰色の集合住宅。人々の安全と健やかな生活のために配置された公共・商業施設と、消防法を厳格なまでに遵守したあらゆる動線。

それはかつての地球では、ありふれていた街の輪郭だった。だが核汚染によって居住面積が削られ、都市部の人口過多が常となった現在――二十三世紀の地球では、夢のような街の姿だ。

地球の人々の憧憬を映すこの街を、第十一特区という。

地球連合(テラ)に属する、十一番目の惑星移住計画参画特区。略称十一特区。希望の星への移住を望む人々のために用意された街の名だ。

ドローンが、吸い寄せられるように十一特区のある地点に寄っていく。

そこは街の中心部にある、小判型のスタジアムだった。

三万人をゆうに超える収容人数。可動式のスタンド。かつてサッカースタジアムとして栄えた面影は、今の時代も色濃く残っている。

昔と決定的に違うのは、スタンドの三階席、東側と西側それぞれの入場口から伸びる五メートルほどの長さのブリッジ。そしてブリッジそれぞれの右手側にある、卵形の小さなドームだ。

その変化は、会場に詰め掛けた三万余りの観客たちにとって――否、地球上の多くの人々にとって、必要不可欠な設備だった。

今から始まる、戦いのための。



「――それが、この【舞闘会】なんですね」

言って、桜井(さくらい)光騎(こうき)通信端末(タブレット)をデスクに置いた。端末の手のひら大の画面のなかでは、いまだ桜井がいるここ――十一特区のスタジアムの様子を空から映し続けている。

スタジアムの三階、記者席である。フィールドに面した窓は床から天井まで一面ガラス張りになっており、周囲の喧騒と距離を置いて観覧できるようになっている。

この部屋の一角に、桜井が籍を置く東埼新聞(とうさいしんぶん)のブースは設けられていた。

もっとも、日本人向けの一地方紙である東埼新聞の肩身は狭い。階段状の記者席の、一番上の一番隅。要するにもっともフィールドから遠い席だ。おまけにテレビ局や大手新聞社に比べて、用意されたブースは狭い。今も男二人が並んで座っているだけで肩が触れあいそうだった。

その肩が触れあうほどの隣に座る先輩記者、高野(たかの)は面倒くさそうに煙草を灰皿へ押し付けた。

「そう。(エレクトロニック)スポーツならぬ(エレクトロニック)バトル。電脳闘技大会、通称【舞闘会】。地球上でもっとも人気のある競技……って、お前本当に何も知らないんだな。テレビで観たことないのか?」

 呆れたような高野の物言いに、へへ、と桜井は笑ってみせる。

「仕方ないんですよ。うちはおじいちゃんが頑固で、子供のころテレビで観ようとしたら怒られたことあって……。――しかし、すごい熱狂ぶりですね」

桜井は窓ガラス越しに、スタンド席の様子を見渡した。

観客席は満員御礼。それどころか完全に定員オーバーしているようだった。通路や階段の肌が見えないほどにスタンド席を埋め尽くす、人種豊かな人、人、人。アジア系や欧州系、アフリカ系にアメリカ系とさまざまだ。図々しく通路や階段に陣を取る者もいて、席を立とうとする観客とあちこちで喧嘩を起こしている。その隙間を縫うように練り歩くビールの売り子が、数歩歩いては客に呼び止められ、また数歩歩いては呼び止められを繰り返していた。公式ユニフォームを改造した男たちが肩を組んで揺れているのは、自作の応援歌でも歌っているのだろうか。

ここ記者席のなかから少し視線を巡らせただけで、盛況ぶりが手に取るようにわかる。高野の言う地球でもっとも人気のあるスポーツという表現も、あながち誇張という訳ではないのかもしれない。

高野は腕を組み、神妙な面持ちで言う。

「そりゃ、単なるスポーツの試合だったらここまで盛り上がりはしないんだろうけどさ。わざわざこのスタジアムに応援に来てるような連中にとっちゃ、人事じゃないからな。――なにせこの試合の結果に、自分の運命がかかってる」

「希望の星に渡るための切符を賭けた戦い……ですか」

新人の記者である桜井も、流石に概要は知っている。いや、地球の住人なら、知らない者はいないだろう。【舞闘会】の沿革を。

――西暦二十三世紀現在。地球連合に属する国の人々は、成人すると、自治体からある選択を求められる。

核汚染された地球への永住を望むか。

新たに開拓された希望の星・火星への渡航を望むか。その二択である。

火星移住を望むと答えた瞬間、その人間の籍は地球連合ではなく火星の自治国家・火星連邦(アレス)の下へ置かれる。とは言っても、すぐに火星へ移住できる訳ではない。以後、地球の様々な国に位置する火星管轄の惑星移住参画特区へと移り、自身の所属する特区が火星への移住権を得るまで住み続けることになるのだ。

そしてその移住権を得るための戦いが、【舞闘会】なのである。

火星によって擁立された選手を特区の代表とし、互いに競わせる。選手たちの一年に亘る試合の結果、優勝した特区の住民たちだけが、火星へと移住することが出来るのだ。

五十年ほど前から開催されたこの競技は、今なお火星連邦政府を主体とし、地球上で多くの支持を得ながら続けられている。

現在、火星への移住希望者は、地球人口のおよそ四割に昇るという。言い換えればそれだけの人数が、この【舞闘会】に命運を賭けているということになる。

しかし家族揃って地球永住登録をし、地球連合都市(マージナル)に住んでいる桜井にとってはあくまで他人事だ。特区の人々の試合にかける期待も熱意も、おそらく半分も理解出来ていない。

「そのぶん、代表選手にかかるプレッシャーも半端じゃない。……ほら、お出ましだぞ」

 高野が示したのは、スタジアム西側の入場口から伸びた、ブリッジだった。

そこから姿を現した人影を、ギャラリーは歓声で迎えている。

彼らの喝采を一身に浴びているのは、綻ぶような笑顔を浮かべる、一人の少女だった。

年齢は十代後半だろう。日が差したように明るい表情のなかで、とりわけとび色の、大きな瞳が印象的だった。思春期を過ぎた少女らしい、背筋の伸びたほっそりとした体躯が、女性らしい優美なラインを描いている。緩いウェーブのかかった栗色の長い髪を飾るように、雪の結晶のようなデザインのティアラを頭の上に載せていた。

少女は弾けるような笑顔で、スタンド席に手を振った。

「みんなー! 今日は集まってくれてありがとー!!」

 途端、スタジアム内を割れんばかりの歓声が響き渡った。拳を突き上げ、サイリウムを揺らし、手を振る観客たちに、少女は楽しそうに応じる。

「いよいよ今シーズンも最終戦(ファイナル)となりましたー! 残り三戦、頑張っていくので応援よろしくねー!」

人々は口々に、クラリッサ、と叫ぶ。

彼らの期待と祈りを、自身の名前に乗せて受け取った少女は――笑顔を浮かべたまま、高らかに宣言した。


「プリンセス・クラリッサは、みんなのために戦います!!」


わぁああああああああああああああああああああああ。

スタジアムに拍手と歓声が巻き起こる。

その興奮に呼応する形で、スピーカーから実況者のアナウンスが響いた。

『――改めましてご紹介いたします!!

我らが第十一特区の誇る姫君、プリンセス・クラリッサ――!!!

夢と希望を授けてくれるプリンセスは、自身の特区(ホーム)においてどんな試合を繰り広げるのか!? 現在二十五位、大躍進を見せて欲しいところです!!』

轟音にも似た、クラリッサコールがスタジアムを揺らす。熱狂と興奮のるつぼと化した観客席を見下ろし、桜井は唖然と呟いた。

「……あれが、プリンセスですか」

「そう。【舞闘会】の代表選手だ。あの子は十一特区の代表、プリンセス・クラリッサだな」

「あんなに若いのに代表……」

しかも、可愛い。代表選手というから屈強な男を想像した桜井だったが、あのルックスといい観客に対するパフォーマンスといい、まるでアイドルだ。高野は珍しく感心したように言う。

「実際大したモンだよ。あの細い肩に、十一特区十万人の運命がかかってるんだからさ。特に今、クラリッサなんて崖っぷちだろ」

「え?」

 声を上げた桜井に、高野が面倒くさそうに説明する。

「プリンセス二十五人のうち二十五位ってことは?」

「……最下位、ってことですか?」

うん、と高野は頷き、太い腕を組む。

最下位だと一体どうなるのか。桜井が質問しようとしたところで、高野は年季の入った自身の腕時計をちらと一瞥した。

「――そろそろだな。桜井、ちょっと行ってこい。インタビューだ」

「インタビュー? さっきの子……クラリッサ? にですか?」

「違う。ガードルートだ!」

ガードルートって誰だ。

桜井が疑問を解消する時間も与えてくれず、高野が口角泡を飛ばして通路を指差す。

「こっから出て階段下がって右! ほらダッシュ!! 出世のチャンスだぞ!!」

「階段下がって右!? はい!」

言われるがまま桜井は記者席を飛び出した。部屋を出て左の階段を下り、フィールドに沿う形で右へぐるりと走る。わぁぁあ、と遠くから聞こえる歓声。世界から取り残された錯覚。

ほどなくして、廊下を歩く足音を聞きつけた。

――ちょうどよかった。警備員だったら道を聞こう。

そう思い、足を速めた桜井は――視界に入った背中を見て立ち止まった。

警備員ではない。それどころか、大人ですらなかった。

関係者しか立ち入れないはずのスタジアムの通路を歩いていたのは――一人の少女だった。

「……あのっ……?」

困惑混じりに桜井が声をかけると、少女がゆっくりと振り向く。

――十代前半ほどの、幼い少女だった。

身長は、桜井の胸ほどまでしかない。見るからに華奢な、細い体つきをしている。結い上げたボリュームのあるブロンドは、腰のやや下までなだらかに広がっており、その頭頂にはガラス製の小さな王冠がちょこんと載っていた。まるで童話の世界から出てきたかのような愛らしい姿なのに、その淡褐色(ヘーゼル)の大きな瞳は冷めきっていた。愛嬌の欠片もないその顔は、ふてぶてしく無愛想なようにも、あるいは気品漂う凛とした表情のようにも見える。

少女は、あからさまに不審者を見るような目つきで桜井に目を留めた。桜井は呼吸を整え、恐々と尋ねる。

「……ガードルート、さん、ですか?」

「……なに?」

少女はそう、問い返す。

認めた。つまり、彼女がガードルート。

先輩の雑な指示をあっさりと達成出来た喜びで、桜井は思わず駆け出した。胸元からICレコーダーを取り出し、ガードルートへと向ける。

「ぜひインタビュー、をおおおおっ!!?」

途端。

桜井は、天井を仰いでいた。

驚愕で声が上擦る。革靴の踵がずるりと滑り、受身も取れないまま後ろへ倒れた。背中を打つ衝撃。がちん、と顎が強くかち合う音が頭蓋に響く。

転んだ――いや、違う。

投げられ、転ばせられた。誰かに。

「……なに、こいつ」

ひっくり返った世界で、少女の冷めた声が聞こえる。ガードルートの姿は、仰向けに倒れた桜井の視界に一欠けらも映らない。

代わりに桜井の目に映ったのは、黒いスーツの人影だった。倒れたままの桜井は、その人相は掴めない。視界の端を掠めた体格は確実に男のものだが、スタジアム警備員の制服とは違う。

スーツの人影は淀みない足取りでガードルートの方へ近づくと、軽い口調で言った。

「なんでもないよ。さ、急ぐぞ、ガー子」

その声音は、若い男のものだった。

誰だろうと疑問を抱く、が、背中を痛めた桜井に確認することは不可能だ。

「わかってる」

男の声に答えたガードルートが、足音を鳴らして遠ざかっていく。

その後を続こうとしていたスーツの男が、ふと足を止めた。どこか愉快そうに、

「ごめんね。試合前の取材はお断りしてまーす」

 言ったその台詞は、おそらく桜井へと放たれたのだろう。

――誰だ。

桜井は、去っていくその靴音を呆然と聞いていた。

背中の痛みがなんとか治まった頃、桜井は起き上がって周囲を見回した。通路には、今はもう誰の姿も見えない。

そのとき、胸のタブレットがぶるぶると鳴った。高野からの電話だ。

『インタビュー出来たか!?』

「いえ……投げ飛ばされました」

『投げ飛ばされたぁ?! ガードルートにか!?』

「いえ……」

 どう説明していいかわからないでいると、通話先の高野が面倒くさそうに吐き捨てる。

『もういい。ともかく戻って来い。もうすぐ試合が始まるぞ』

 行けと言ったり戻れと言ったり。勝手な先輩に呆れながら、ふらふらの桜井は記者席へ戻る。

ブースに入った途端、高野の罵声が振ってきた。

「この役立たずが。なんのために連れてきたと思ってやがる」

「すみません……」

桜井の謝罪に耳を貸す訳もなく、高野は鼻息も露に、試合終ったらダッシュでインタビューだな、などと息巻いている。

フィールドはすでに試合の準備段階に入っていた。クラリッサの十一特区(ホーム)用パフォーマンスイベントがやっと終ったんだ、と高野が説明する。スタジアムの天井の屋根が閉まり、薄暗くなったフィールドの東側と西側のブリッジにスポットライトが当たっている。

やがて、東側ゲートが開いた。その奥から現れた小さな人影が、ブリッジへとゆっくり歩いてくる。

「あの子……」

 桜井は、思わず声を上げた。

東側入場口から現れたのは――冷めきった目つきをした、十代前半ほどの少女。

ガードルートだった。

『さーて、対するは、現在【舞闘会】ランキング二位!

優勝決定戦(クライマックスシーズン)に王手をかけた孤高の姫君!!!

プリンセス・ガードルート――――!!!

デビュー戦となった昨シーズン、低迷に喘いでいた姫君は、今シーズン奇跡の成長を遂げ、スタジアムを駆け巡る! 異端の姫君の快進撃は火星へと届くのか!? クライマックスシーズン出場に王手をかけ、いざ戦いの舞台へ!!』

アナウンスに次いでガードルートを迎えたのは、観客たちのブーイングの嵐だった。

「帰れ!」「出てくんな!」「特区に所属しないプリンセスがしゃしゃり出てくるんじゃねぇ!」

凄まじいブーイングだった。野次のなかには、あからさまな罵詈雑言が混じっている。誰かがブリッジの屋根に空き缶を投げつけるが、ガードルートは一瞥もくれようとはしなかった。

「あの子が……クラリッサの対戦相手のプリンセスだったんですか」

「そう。プリンセス・ガードルート。現在二位のプリンセスで優勝候補。お前を投げた女だ」

「いや……投げられてはいないと思いますけど」

それにしても。

十一特区はクラリッサが所属する街だという。だからこのスタジアムに集ったほとんどの客がクラリッサを応援する。そこまではわかるのだが。

ガードルートに対するこの罵倒は、一体どうしたことだろうか。

スポーツの国際試合などで見受けられる、相手選手へ対する敬意などは一切感じられない。四方八方の観客たちが、好き放題にガードルートを罵り、嘲る。その様はどこか楽しげですらあった。桜井は呆れながら呟く。

「いくら自分の運命がかかってるっていっても、対戦相手にこの態度はひどいですね……。品位がないっていうか」

「ま、相手がガードルートだからな。無理もないさ」

机に置いたメモ帳をペンで弾きながら、高野は難しげな口調で続けた。

「――あいつは、特区を捨てたプリンセスだからな」

「それってどういう……」

「はい、質問タイムは終りだ。もう試合が始まるぞ。カメラのチェックしとけ」

 胸に湧いた疑問を抑えて、桜井は黙った。いよいよ仕事に集中しなくてはならない。

クラリッサとガードルート、二人が両サイドのブリッジに並び立つと、ようやく会場のざわめきは静まる。

 静寂の到来を待ち構えていた実況者が、あらためて声を張った。

『さーて、今試合を競う二人のプリンセスが並び立ちました! 三戦にも及ぶ二人の闘いの火蓋が、いま、切って落とされようとしています!!』

 ブリッジ上の巨大モニターに、再び少女二人の顔が映し出される。

プリンセス・クラリッサは笑顔を。

プリンセス・ガードルートは傲慢を。

それぞれの顔に浮かべながら、二人は、戦いの舞台へ。


          ¶

『さぁ始まりました【舞闘会】第五十二シリーズ、クラリッサ、ガードルート双方にとっていよいよ最終戦であります。実況はわたくし新東テレビアナウンサーの中野和正と、解説はロバート・ツァオさんですよろしくお願いします』

『よろしくお願いします』

『さて、久しぶりの日本での地上波生放送ということで、改めて【舞闘会】のルールと現在の戦績をご説明いたしましょう。

火星への移住権を賭けた競技、通称【舞闘会】。

そして移住希望者の住まう惑星移住計画参画特区を代表し戦うのは、火星より降り立った美しき女性選手――プリンセス。

一年一シーズンの戦いを制し、優勝したプリンセスの特区は見事、火星への移住権を得られます!

百八十日間のスペースシャトルでの旅を経て、火星連邦政府・アレスが、皆様の健やかで快適な未来をお約束いたしましょう。

ただし、最下位になってしまった特区の住民は、地球連合と火星連邦の間で取り交わされたマリネリス協定の規定に伴い、汚染区への移住・並びに除染作業に従事していただきます!

試合のルールは非常にシンプル。プリンセス一対一の総当り戦方式で行なわれます。日本のプロ野球のリーグ戦と同じと考えて頂いて結構。

一試合四十五分。インターバルなし。勝敗は、ノックアウトか判定で決着。引き分けもなし。反則の類は一切ありません』

『単純明快、わかりやすくて結構ですね』

『そうですね。まさしく万人が楽しめる競技をコンセプトに開催された【舞闘会】にぴったりのルールと言えます。

えー、シーズン終盤の現在のランキングですが、一位はキャンベラ第一特区のプリンセス・オウン。二位に無所属のプリンセス・ガードルート、三位はアテネ第二十特区のプリンセス・シェラと続きます』

『オウンは現在、二位のガードルートと勝ち点三の差をつけていますからね。優勝決定戦であるクライマックスシーズンへ先に駒を進めている状態です。ガードルートとシェラ、互いにこの最終戦を終えてどちらがクライマックスシーズンに進出するか、見所になりそうですよ』

『おっしゃるとおりですツァオさん。一方、クラリッサは現在最下位。ガードルートとの三戦全てに負ければ汚染区行き確定となってしまうだけに、この試合の緊張感が増していますね』

『そうですね。クラリッサにとっては大分プレッシャーのかかる試合となりそうですよ』

『ここはぜひ善戦してほしいところですね。――えー、それではここで、新東テレビに寄せられたクラリッサへの応援メッセージをご紹介します。えー、ヨノ・エリアのギリアム・ゴトーくん十二歳からのメールです。〝ぼくには四歳の妹がいます。もし汚染区に行くことになったら、二人で学校に通えなくなってしまうのは嫌だねと話していました。ぼくたちも一生懸命応援するので、クラリッサも頑張――〟』

――ガードルートは、乱雑にパレスのハッチを閉めた。

一切の雑音がシャットアウトされ、ようやく集中できる環境になる。ガードルートが長い間待ちわびた空間だ。

東西の入場口から桟橋のように伸びたブリッジの、右手側に設置された卵形のドーム。

パレスと呼ばれるこの空間が、ガードルートたちの実質的な戦いのステージだ。

内部は、飛行機などの操縦席とほぼ類似している。壁に沿った無数の計器。それに取り囲まれた一席のシート。天井がやや高く、星の瞬きのような計器の明滅があるせいで、まるでプラネタリウムのなかにいるような錯覚を覚える。

 パレスのなかを迷いなく歩み、ガードルートは、シートの上に横たわった。

頭に載った王冠に両手を伸ばし、ぐっと掴む。わずかな力を入れると、王冠が頭から外れ、むき出しの皮膚とコネクタが露になった。

BMCI(ブレイン・マシン・コンピュータ・インターフェース)の接続端子である。

二十世紀半ばから研究されてきた、人間の脳と機械を繋ぐ技術をBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)、脳とコンピュータを繋ぐ技術をBCI(ブレイン・コンピュータ・インターフェース)という。【舞闘会】で使用されるのは、両者の特徴を合わせ持つことから、BMCIと称されていた。

脳につけた電極で脳波を読み取り、直接手足を動かすことなく、自在に機械を動作したり、コンピュータを操作したりする仕組みの名称だ。

プリンセスたちの戦いは、直接殴り合いをする訳ではなく、このBMCIと接続、脳の想像の力を使うことによって行なわれる。

ガードルートは傍らにあるサイドテーブルにガラスの王冠を置いて、その手で計器から伸びる端子の数本を、己の頭へ差し込んだ。

ぶつっ、という、嫌な音が頭に響く。

接続は完了。いま、ガードルートの眼前に広がるのは、無機質な計器の山ではない。

【舞闘会】管理システム、通称〈ゴッドマザー〉のいつもの挨拶。『HELLO(ごきげんよう、),PRINCESS(おひめさま)』の文字だ。

「――目を閉じて」

 ひとり呟き、目蓋を閉じるガードルート。

「耳を塞いで」

 次いで、耳を塞ぐ。

「さぁ、夢をかなえましょう――」

 そして、ガードルートは思い描く。

理想の自分を。

為しうる未来を。

有限の事象を無限に繰る、全てを知り全て能う、最強にして最高の〝自己(わたし)〟を。

ガードルートの脳波を、脳に刺し込まれた数十本もの侵襲式BMCI電極が読み取る。

痛みはない。しかし奇妙な浮遊感があった。自分の身体と思考とが、乖離していく感覚。

感情と思考、知識と経験、理想と欲望――ガードルートが思い描く想像そのままが、電極を通じて〈ゴッドマザー〉へ流れ込んでいく。

〈ゴッドマザー〉によって瞬時に処理されたガードルートの脳波は、0と1との集合体へと変換。一人の人間の形を為してスタジアムの電磁フィールドへ出力された。

 ――まるで魔法のように。

 スタジアムのフィールドに、一人の戦士が舞い降りる。

フィールドに現れたガードルートの化身(アバター)は、顔も体つきも、ガードルートそのものと変わりはない。小さな身体。年齢の割には可愛げがないと揶揄される顔立ち。

大きく様変わりしたのは、衣装だ。

全身を守る、無骨な銀のプレートメイル。

掌から肘まで覆う、葉を幾重にも重ねたような装甲。

手に閃くのは一振りの槍――無駄な装飾の一切ない、標準的なロングスピアー。そして腰に吊ったショートバレルの散弾銃である。

兜はない。これはガードルートの好みだ。たとえ仮想世界であっても、視野が狭まるのをガードルートは厭う。

その一点のみを除けば、まるでファンタジーゲームの中から出てきたような、重装備の小さな騎士が完成する。

一人の少女から戦士へと変容したガードルートは、槍を構えた。

一方――。

スタジアムの反対側に、クラリッサの化身も姿を現していた。

腰から伸びた、光の加減で七色にきらめくリボン。肘まで覆う純白の手袋。頭を飾ったティアラはそのままに、まさしく少女たちが夢物語に見るプリンセスの姿をしている。手に持った瀟洒なデザインの杖が、彼女の武器だった。無骨なガードルートと比べ、優雅典麗なその出で立ち。

――これこそが、プリンセスの為しうる力。

脳に取り付けたBMCI電極が感情と思考の脳波を正確に読み取ることによって、ガードルートたちは電子世界に、もう一人の自分を生み出す。

さながら夢を操るように、それは自分たちの望むとおりの姿でスタジアムに現れ――戦う。

勝つために。彼女たちと、彼女たちを信じる者たちに、希望を与えるために。生身ではなく想像の力によって、電子世界の擬似戦場を駆け巡る。

二人のプリンセスを生み出した、メインシステム兼ゲームマスター〈ゴッドマザー〉が、再びモニターにメッセージを刻んだ。

第二(セカンド)シークエンス開始(スタート)。ステージプログラムを起動します。バトルステージ、〈遊園地(パーク)〉』

〈ゴッドマザー〉により、スタジアムの天地と壁面に搭載された3D空中立体映像装置が起動。装置から浮かび上がったホログラフが、現実のスタジアムを別世界へと変貌させていく。

漆黒の天井部分には、青空が。

スタンドをぐるりと囲むように、ジェットコースターが。

フィールド中央に、巨大な城が。メリーゴーランドが。観覧車が。お化け屋敷が。

かつてこの地球上にありふれていた遊園地の姿が、スタジアムのフィールドに生み出される。

化身のガードルートが立つ場所も、瞬く間に変わっていった。おそらく遊園地の入場口だろう。チケット売り場がすぐ横に見えた。

遠く離れたクラリッサの姿もまた、城に阻まれ、見ることが出来なくなった。遊園地最奥、お化け屋敷の辺りだろうと思う。

主役と舞台。その二つが揃い、ようやく戦いの準備が終わった。

遊園地の観覧者(ゲスト)となったスタジアムの観客たちは、野次を潜めてその瞬間を見守る。

 ――実況者の声が、試合開始のゴングとなってスタジアムに響く。

『試合、開始ィッ!!』


          ¶

 先に仕掛けたのは、クラリッサだった。

「おいで――ニンフ!」

高らかに宣言したクラリッサの指先から、小さな妖精たちが生み出された。クラリッサお得意の召喚技だ。

全てが電子世界の虚構である故に、プリンセスの攻撃手段は如何様にも作れる。そしてプリンセスには、それぞれ得手の戦法があった。プリンセス・クラリッサは、ファンタジーの住人を模した妖精や怪物を呼び出し、それらを自在に操り戦うことを得意としていた。

昆虫のような羽根を持つ妖精たちがクラリッサの元を飛び立ち、あっという間にガードルートへと迫った。

それらの突撃を一度の跳躍で躱し、ガードルートはショットガンを構える。

狙いを定め、もっとも接近していた緑の妖精を撃った――瞬間、妖精の身体が爆散した。

「!」

驚愕と共に、ガードルートの視界が急速に霞んでいく。同時に、フィールドに顕現したガードルートの虚構の影が薄れていった。

まずい――ガードルートは瞬時に思考を切り替えようと試みる。

生身の肉体を使わず、想像の力によって戦う【舞闘会】において、プリンセスが感じた恐怖こそがダメージとなる。ダメージの判定係数こそは〈ゴッドマザー〉に委ねられ、プリンセスの側から確認することは出来ないが、おそらく先ほどの爆発は少なくないダメージをガードルートに与えただろう。

ガードルートの劣勢を嗅ぎ取った客たちが歓声を上げている。

――いいぞ、クラリッサ!

――倒せ! やっちまえ!!

――がんばれ、クラリッサー!

鬱陶しい――思わず舌打ちをするガードルート。現実のガードルートの不快を読み取り、フィールドにいるもう一人の自分も苦々しい表情になる。

このニンフとかいう使役、見た目は可愛らしい妖精だが、動きはまるで蝿だ。全く読めない。しかも銃撃を食らって爆発するとなれば、無闇に応戦するのは得策ではない。

判断したガードルートは、妖精たちへ注意を払ったまま移動を開始。入場ゲートを越え、クラリッサがいる遊園地最奥を目指す。

その背中に、妖精たちが羽音を立てて追ってくる。後方から数匹、回り込んで前方、側方からも数匹。気づけば緑の妖精の包囲網が、じわりとガードルートに迫ろうとしていた。

ガードルートは一度、足を止める。遠距離攻撃が出来ないガードルートが、クラリッサにダメージを与えるためには、どうにかして近づかければならない。しかしこのまま妖精たちの間をかいくぐり突破するのはいかにも愚策だ。

――こいつらを撒かなくちゃ。

徐々に迫ってくる妖精たちを前に、ガードルートは一時逃走を決意する。そして邪魔になる銃を、消し去ろうと試みた。

逃走に銃は不要だ。この重みも、ひんやりとした鉄の触感も、今は必要ない――。

心のなかで願うと、ショットガンはガードルートの手から瞬く間に消えた。

ずっしりとした重みがなくなったと同時に、ガードルートは踵を返し、屋内へと逃げ込む。

二つの自動ドアを潜り抜けた先にあったのは、古めかしいゲームセンターだった。二百年以上前のプライズゲームや格闘ゲーム、メダルゲームや音楽ゲームの筺体が、薄暗い店内で顔を揃えている。

「……ちょっとやってみたいな」

思わずひとり言を呟きながら、ガードルートはゲームセンター内を走った。すぐ後ろから妖精が追ってくる気配がする。うつつを抜かしている暇はない。

クレーンゲームの裏へ、ガードルートは一旦身を隠す。入り組んだゲームセンター内に隠れてしまえば、妖精はガードルートを発見出来ず撒けるだろうと考えたのだ。一試合の制限時間四十五分のうち、現在残り三十三分。ここで一度冷静になり、作戦を練る時間は充分にある。

しかしガードルートの思惑とは裏腹に、妖精の追尾は執拗に続いた。蜂のような羽音を鳴らして、ゲーム機の筐体を器用に避けながらガードルートを探している。

その様を密かに見ていたガードルートは、自らの誤算を悟った。単純な行動パターンしか持っていないと思っていた妖精たちが、自分自身で標的を探しだし、追尾する能力まで備えているとは。状況を有利にするどころか、狭い屋内のなかで逃げ場をなくしただけだ。

「しまった……どうしよう」

焦りが募る。このままではクラリッサに接近することすら出来ず時間切れ。一度ダメージを受けているガードルートは判定負けしてしまう――。

『よぉ、大丈夫か』

そのとき、ガードルートの耳朶に、若い男の声が響いた。

フィールドで戦う虚構のガードルートではなく、パレスの中にいる生身の体へ送られた通信だ。ガードルートは男の声に反応する。

「ジョウジ」

『左側の壁、壊せそうか?』

ガードルートは彼が示した方へ目を向けた。

見れば、クレーンゲームの隣に、ゲームの宣伝ポスターがべたべたと貼られた壁がある。壊せるかと問われても、この壁にどれほどの耐久性があるのか、ガードルートには判断出来ない。

「どうだろ……よくわかんない」

自信なく答えるガードルート。壁の薄さはどうあれ、現実なら銃弾で絶対に壊せるはずがない。せいぜい穴を開けるのが精一杯だろう。

『なに、か弱いフリしてんだ』

ところが返ってきたのは、失笑を交えた返事。

『アンタなら余裕で出来んだろ、ガードルート』

「――もちろん」

不敵な笑みを浮かべたガードルートは、再度想像構成(うみだ)した銃を構えかけ――やめた。

銃で破壊するのは難しいと少しでも思った以上、壊すことは出来ない。プリンセスのイメージの力で戦う【舞闘会】とはそういうものだ。

ならば、とガードルートは槍を構えた。そして念じる。

この槍は、全てを打ち砕く。剣よりも銃よりも遥かに堅く強い。ゲームや漫画で、多くの戦士たちが一薙ぎで化け物を屠る、そのイメージを思い出す。

「――いける」

 気合い一閃。ガードルートは振りかぶり――弧を描くようにして槍を薙いだ。

瞬間、轟音と共に壁が崩れ去り、奥の空間が露になる。

壁の奥にあったのは、ジェットコースターの乗り場だった。チケットボックスとゲートの先に、ファンシーなデザインのカートが待機している。

「はっはぁん。なるほどねー」

 彼の意図を察したガードルートは、にやりと笑った。

「面白いこと考えるわね。ジョウジのくせに」

『だろ?』

待機中のカートへ、ガードルートは迷いなく飛び乗った。古めかしいスピーカーがノイズ交じりのアナウンスをする。まもなくスタート、係員は安全バーとシートベルトをしっかり確認してください。さぁ皆さま、夢の世界へご招待――。

カートがごとりと音を立てて動き出す。たった一人の客のための滑走が始まる。

ガードルートを乗せたカートは、ジェットコースターのコースを走り出した。

遊園地内を囲うように造られたレールを利用すれば、遊園地の端にいるクラリッサのところまで一気に接近出来る。妖精たちはゲームセンターに取り残されたままだ。この作戦が上手くいけば、戦況がガードルートの有利に傾く。

無論、クラリッサも黙って接近を許す訳がなかった。

ガードルートの目論みを察したのだろう、クラリッサがまた新たな使役を呼び出す。

「ヘカトンケイル!」

クラリッサの声と共に、カートが向かうレールの進路上に、土色の巨人が立ちふさがった。

古典的なファンタジーゲームによくいるような、頑健な一つ目の巨人である。ガードルートの身体よりも大きな巨人の拳が、向かってくるカートめがけて振りかぶられた。

しかしカートの滑走は止まらない。カートはゲームマスターである〈ゴッドマザー〉の制御下に置かれ、プリンセスがそれを無視した使い方は出来ないようになっている。このままレールの流れの通りに突っ込んでいけば、ガードルートは為す術もなくやられてしまうだろう。

 ならば、自分に出来ることはただ一つ。

 一分の躊躇もなく、ガードルートはカートから飛び降りた。

観客たちが息を呑む様が目に入る。

ガードルートの身体が、地面へと急降下していく。風に身を揉まれる感触。現実ならばすくみ上がってしまうような光景。

「――大丈夫」

ガードルートは自分自身に言い聞かせながら、想像構成したショットガンを構えた。

照準は遥か地上、驚愕の表情でこちらを見上げる、プリンセス・クラリッサ。

「――っ! ニンフ!!」

慌ててクラリッサが命じるが、妖精たちは落下するガードルートの速度に追いつけない。

そして、ガードルートはクラリッサの真上まで接近した。

ごぅ、

ここに来て、ガードルートの身体は限界を迎えていた。空想の自分が感じる苦痛が、電極を通して現実の中に伝わってくる。

頭が、軋むように痛い。喉に蓋をされたかのように、息が苦しくなる。風によって身体がもみくちゃになり、視界が真っ白に染まっていく。クラリッサを視認することすら、

――違う!

ガードルートは否定する。

何も見えない。苦しい。息が出来ない。それら全ての現実を否定する。

視界良好――コンディションは万全――弾は当たる。

私は勝つ。

――プリンセス・クラリッサに、勝つ!!

そしてガードルートは想像する。

己の放った銃の弾が、クラリッサの身体に命中する、その瞬間を。

対するクラリッサは、魔法の杖に振りかざした。己を守る新たな使役を、召喚するために。

――だが。

「遅い!!!」

 決着の銃声が響く。

ガードルートの銃弾を受けたクラリッサの細い体が、後方まで吹き飛ばされ――やがてフィールドから姿を消した。


観客たちの、悲鳴にも似たどよめきが響き渡る。

――それが試合終了の合図だった。


          ¶

 試合終了間際、東側入場口には、人の壁が出来上がっていた。プリンセス・ガードルートを取材するべく訪れた報道陣の姿だ。

半年に及んだ今シーズンもいよいよ終盤。クラリッサ・ガードルート双方にとって最終試合となるこの対戦組み合わせ(カード)の、全三戦のうちの初戦である。人々の注目度は、否応なしに高い。

とりわけ、クラリッサの所属する第十一特区の住民にとっては、この結果によって己の人生が決まってしまう重要な局面だ。必然的に、対戦相手であるガードルートへの関心も高いと予想される。マスコミが無視できるわけがなかった。

東埼新聞の記者である高野は、カメラの調子を所在なく確かめながら、ガードルートが姿を現す瞬間を待っていた。

ガードルートのマスコミ嫌いは有名だ。そのためコメントや写真をわずかでも押さえることが出来れば、それだけで朝刊の発行部数は伸びるだろう。伴って社内での高野の評価も上がる。他誌の記者たちを出し抜いてでも、収穫を得てやる。人垣の先頭をさりげなくキープしながら、高野は一人気合を入れた。横には後輩の役立たず桜井も一緒である。

マイクやカメラを構えた報道陣が待機していると、ついにガードルートが退場してきた。試合を終えたばかりだというのに、澄ました顔で控え室へと戻っていく。

そこへマスコミが一斉に押し寄せた。高野も迷わずそこに混じる。

「おめでとうございます!」「流石ランキング二位の貫禄を見せ付けましたね!」「まずは楽勝といったところでしょうか!」「次試合もクラリッサとの対戦ですが、勝算は?」「プリンセス・ガードルート、一言いただけますか!?」

しかしガードルートはそれらの言葉を完全に無視し、大量のフラッシュを浴びながら綽々と廊下を歩いていく。まるで相手にしていない、という態度。

「……相変わらずか」

「前シーズンはもっと愛嬌良かったんだけどな」

「プリンセスなんておだてられてナンボだってのに、調子に乗ってんだろ……」

 トップニュースを得る絶好の機会だというのに、既に数名の記者は撤収の気配を見せている。

しかし諦めきれない高野は、早足でガードルートに追いすがった。

「ねぇ、何か一言くださいよ!」

少女の小さな背中にマイクを向け、強い口調で問いかけた、そのとき、

一人の男が、高野の前に立ちふさがった。

「ハイハイ、すみませんねお兄さん。こっから先は立ち入り禁止」

二十代後半ほどの、スーツを着た若い男だった。

国籍はよくわからない。肌は黄色(おうしょく)だが、瞳は緑。鼻梁は高いが彫りはさほど深くはない。二十二世紀の侵略戦争以降に増加した、ラテン系とアジア系が入り混じった人種のように思える。口の端を吊り上げて、いかにも業務的な笑みを浮かべているが、目はあまり笑っていない。両耳に呆れるほど着けたカフスといい、軽薄な態度といい、場慣れし過ぎた営業マンか繁華街あたりのホストのようだった。

「立ち入り禁止だぁ? こっちは運営委員会に取材許可を貰ってるんだぞ!」

 高野は許可証の代わりとなる腕章を見せつけたが、男はまるで取り合おうとしない。

「そー言われましてもねぇ、うちのお姫サマ見てのとおり機嫌悪いんで、今は遠慮してもらっていいですか?」

 ――ふと、高野は冷静になって男の上から下へ視線をうつした。スタジアムの関係者かと思ったが、よくよく見れば様子が違う。

「……あんた、もしかしてガードルートの護衛官か?」

「えぇ、仰るとおり」

どこか胡散臭い笑顔を浮かべて、男は胸元の小さなバッジを示した。

赤い星に重なったギリシャ神話の神・軍神アレスの兜――護衛官の徽章である。国際舞闘会運営委員会公認の、プリンセス付きのボディーガードの証だ。

「プリンセス・ガードルートつきの主席護衛官、桑畑(くわばた)丈二(じょうじ)と申します。ご存知のとおり、一応プリンセス護衛の最高責任者ですんで。まぁここは穏便にして頂ければな、と」

気勢を削がれた高野は舌打ち一つして腕章を引っ込めた。

護衛官とトラブルを起こせば、プレスクラブから除名され、スタジアムに出入り禁止になってしまう。会社の手前、それは避けなければならない。

「ご協力、感謝します」

にっこりと笑みを作り、桑畑と名乗る男は、悠々とした足取りでプリンセスの後を追った。

「……あぁ、あの人に投げられたんですね、俺」

 ぼけっとした口調で言ったのは、いつの間にか隣に立っていた後輩の桜井だ。

「桜井! お前何やってやがった! ガードルートの写真の一つでも撮れたんだろうな!」

「ええと、たぶん大丈夫かと……。ところで高野さん、護衛官ってなんですか?」

質問には答えず、高野は桜井の持っているデジタルカメラをひったくり履歴を確認する――つい今しがた撮ったとおぼしきガードルートの写真は、見事にブレていた。

「馬鹿野郎!! おま……っ、ほんっ……っんの、馬鹿野郎が!」

 あまりの怒りで言葉にならない。天井知らずの役立たずは、高野の苦労など知る訳もなく、へらへらと笑っている。

「でも、良かったです。ちょっと安心しました」

「ああっ!?」

「いや、あの子すごいヤジ飛ばされてたから、ちょっと可哀想で。ちゃんと味方いるんですね」

「……味方? 護衛官が? ンな訳あるか」

すっかり毒気を抜かれた高野は、控え室へと去っていくプリンセスと護衛官、二人の背中を見つめながら言った。

「仕事上、やむなしの付き合いに決まってるだろ。俺とお前の関係と一緒だな。ははは」

「なるほど。そういう関係ですか……」

 うんうん頷く後輩の頭を、今度こそ高野はぶん殴った。


          ¶

「うざい」

「そうだね」

「むかつく」

「そうだろうね」

「なんなの! あいつら!」

待機場所である控え室に一歩足を踏み入れるなり、プリンセス・ガードルートは怒りも露に地団駄を踏んだ。長い髪を振り乱し、形の良い眉毛を逆立てて憤然と叫ぶ。

「疲れてるから! 早く戻りたいのに! ごちゃごちゃごちゃごちゃって!!! ほんっとにうざいじゃま!」

「まぁまぁ、ガー子」

 怒れるプリンセスをなだめながら、桑畑丈二は愛用のアタッシュケースのなかから小さな袋を取り出し、ガードルートに差し出した。

「おやつでも食べて、落ち着けよ。『たべっこアニマル』食うか?」

「ふざけないで!!!」

激昂しつつも、ガードルートはしっかりと丈二の手からお菓子の袋をむしりとる。

「あいつら規制してよ! 貴方の仕事でしょ!?」

「それが出来ればしてるんだけどねぇ。あちらも知る権利がどうとかうるさくて。火星連邦管轄内の特区のなかで日本の法律なんて意味ないんだけど」

説得しながら丈二はソファーに背を預け、胸ポケットの煙草に触れた。女性の端くれであるガードルートの手前、この場で吸える訳もないのだが、ついつい落ち着いた場所に来ると箱に手を伸ばしてしまうのは愛煙者の性か。煙草の面影だけを感じ取り、この場は我慢だ。

手を引っ込めながら丈二は続けた。

「あの人たちも仕事だからさ、適当に相手してやれよ」

「……仕事」呟きながらガードルートは渋面を作る。「なら、しょうがないか……」

「そうそう。物分りがよくてよろしい」

「うるさい」

丈二を一蹴し、ガードルートは袋を開けてぼりぼりとクッキーを食べ始めた。まるで石でも噛み砕くような有様だ。ただでさえ試合で疲れているところに嫌いなマスコミにまとわりつかれて、お姫様のご機嫌は彗星の如く急降下中のようだった。

不満に任せてお菓子の小袋をたいらげるガードルートの様子を眺めていると、丈二の左耳のカフスがぶるぶると振動した。

「――お」

「なに?」

「お巡りさんから連絡。ちょっと静かにな」

ガードルートに断って、丈二は耳を澄ます。カフスフォン――イヤーカフス型の通信端末のボタンを押した途端、電子音声が流れた。日本警察の護送ナビゲートシステム、通称〝GOEMON(ゴエモン)〟の音声案内だ。

移動の前にルートの状況確認をするのは、護衛官にとって基本の仕事である。やり方は護衛官によってそれぞれだが、丈二の場合はまず現地の警察や治安組織に協力を要請し、予定していた護送ルートの状態を把握。現状を確認してから出発することにしていた。

十一特区においての協力者である、日本警察からのアナウンスにしばし耳を傾けた丈二は、やがて立ち上がった。

「ガー子、オッケーだとさ。そろそろ帰るぞ」

「もう? 早くない?」

「まぁね、ちょっと雲行きが怪しいみたいで」

言いながら、丈二は腰に吊ったグロッグに触れた。

ポリマーフレームの漆黒の銃身は、全米の警察によって正式採用されていた時代からの安定性と信頼を保ち、今なお国際舞闘会運営委員会公認の装備として多くの護衛官の手に渡っていた。いざとなったときこの銃が、プリンセスを危険な状況から守ってくれる。

「ちょっと待ってろ。ここから動くなよ」

「――うん」

 固い表情のガードルートを残したまま、丈二はそっと、控え室の扉を開けた。

通路に報道陣の姿はない。どうやらクラリッサのインタビューへ向かったようだ。先ほどの大混雑が嘘のように、通路は静まり返っている。

通路。窓。隣接する個室。

それら全てに人の気配がないことを確認した丈二は、ガードルートに再び声をかけた。

「ガー子」

「うん」

 ガードルートは立ち上がり、丈二の背中に歩み寄ってきた。廊下から視線を外さないまま、丈二は言う。

「大丈夫だとは思うけどさ。念の為、そば離れるなよ」

「わかってる」

丈二はガードルートを伴い、控え室を離れた。

警備員の姿がないのは、おそらく、会場の外の騒ぎの対応に追われているためだろう。二人は無人の廊下を無言で歩き、地下駐車場へ向かう。

たどり着いた駐車場は、不気味なほどに静まり返っていた。スタジアム関係者の私用車が並ぶなか、丈二は迷いなく一台のタクシーに足を向ける。

『にこにこタクシー』と間抜けな字体で書かれた、白い車だ。表示灯も仕切り版も、二十世紀末以降の日本でよく見かけた、一般的なタクシーの姿に相違ない。唯一、後部座席にマジックミラーが貼られていることを除けば。

丈二たちが近づくと、その後部座席のドアが音を鳴らして開いた。途端、それまで丈二の背にぴたりとくっついていたガードルートが駆け出す。

「フジさん!! ただいまー!」

「おかえりなさいませ、ガードルート様」

タクシーの運転席に座っている老人が、首を傾けて柔らかな笑顔を作った。

(ふじ)六郎(ろくろう)。黒いスーツを着込み、真っ白な白髪頭を後ろにぴっちりと撫でつけたこの老齢の男性は、ガードルート付きの専属ドライバーだ。シーズンを通してガードルートと丈二に同行する唯一のスタッフであり、国際運転免許証を所持し、特区間、都市間において車移動全般を担当している。

助手席側から後部座席に座った丈二は、前へと身を乗り出す。

「フジさん悪い。すぐに出して欲しい。警察のダミーパトももう何台か追われてる」

丈二が素早く告げると、ほう、と藤はわざとらしく驚いてみせた。

「それはそれは。お早いことで」

「最下位特区の執念を舐めてたよ。ひと悶着あるかもな」

言いながら、丈二は隣に座ったガードルートをちらりと見た。

平静を取り繕っているが、幼さが残るその顔はわずかに強張っている。

「あ、ごめん怖がらせた?」

「平気」

 ガードルートは大仰に首を振ってみせ、続けた。

「慣れてるもん」

「そう」

丈二は納得したフリをする。強がりなのは火を見るより明らかだが、それを指摘しても反発を生むだけだ。

丈二とガードルートを乗せたタクシーが、ゆっくりと発進する。地下駐車場を進路沿いに回り、地上出入り口へ。緩やかな勾配を登る最中、

――丈二はガードルートの頭を、沈めた。

「伏せてろ」

「……ん」

 ガードルートは文句も言わず、丈二に押さえつけられたまま、窓から頭を出さないよう首を引っ込めている。

駐車場を出たタクシーは、スタジアムから帰っていく客たちを横目に過ぎ去る。試合中、熱狂的な盛り上がりを見せていた観客たちも、試合が終わればごく普通の一般人へ戻り、またそれぞれの退屈な日常へと戻っていく。

そのなかで、いまだにスタジアムの前に残る人々の姿が目を引いた。クラリッサの公式応援ユニフォームを着た彼らは、プラカードや横断幕を掲げ、マスコミの取材に応じている。その中心で声高に叫ぶ男の声を丈二は拾った。

特区に所属しないプリンセスは必要ない。ガードルートは即刻引退せよ。

彼らの姿が見えなくなったころ、丈二はガードルートから手を離した。

「……よし、もういいぞ」

「……なにか、あったの?」

 訝しがるガードルートに丈二は笑ってみせ、

「なんでもない。可愛いお姉ちゃんのパンツ見えると思ったら見えなかっただけ」

「ふうん。最低」

 ガードルートはのそのそと身体を起こす。その最中、一度だけ窓に目をやっていたが、タクシーがスタジアムから離れていくにつれて視線を戻していった。

タクシーは、やがて一般道を外れる。とうの昔にお役御免となった料金所を通り過ぎ、車は旧首都高へ。

規制速度までスピードが上昇した頃、丈二の耳にかけた、ネコの意匠のカフスフォンが再び振動した。丈二はスイッチを押し、通信を開始。

途端、抑揚に乏しい男の声が届いた。

『こんにちは桑畑丈二。変わりないだろうか。警視庁より鉄間(てつま)(あい)()が入電する』

「おうテッちゃん。今のとこ順調だよ」

通信元は警察庁警備部警護課警護第六係、鉄間愛徒警部補である。

護送を始めとしたプリンセスの警護全般に伴って、護衛官の全面サポートをしてくれる日本警察。そのプリンセス警護を担う警護課第六係において、鉄間警部補はガードルートの担当として丈二のバックアップについていた。

『私としても桑畑丈二と楽しい会話を続けていたいところだが、取り急ぎ確認をしたい。現在プリンセス・ガードルートと共に旧首都高を走行中だろうか』

「あぁ、今のところ予定どおりだ」

 現在タクシーが走っている護送ルートは、丈二と六係双方が事前に取り決めたうちの一つだ。六係の車が実際にルートを先行し、下調べをした道をタクシーがなぞるように走っている。

鉄間が報告を続ける。

『先ほどの報告どおり、現在、護送車から先立ってスタジアムを出発したダミーパトカー二台が何者かによって執拗な追跡を受けている。うち一台は被弾して応戦中。二台ともプリンセスを乗せたタクシーとは別ルートを走っているが、そちらが襲撃される可能性もゼロではない』

「テッちゃんが掬いそこねるなんて珍しいな。〝スモーク〟じゃ見つからなかったか」

『その通りだ、申し訳ない。桑畑丈二に弱みを見せるのは個人的にはやぶさかではないが、刑事としては恥ずべきことだ』

 言葉とは裏腹に、鉄間は淡々と続ける。

『桑畑丈二も存じている通り、こちらのダミーパトカーにはマジックミラーを張っている。追跡車からは中に誰がいるか目視することが出来ないが、足止めされ中を検められれば、プリンセス・ガードルートがいないことはすぐにバレてしまうだろう。時間稼ぎには限界がある。注意してほしい』

「丈二さんッ!!」

藤の鋭い叫び。

直後、急ブレーキがかかった。

丈二は咄嗟にガードルートを抱き寄せた。胸の中に小さな頭を押し込む。

動物の悲鳴のようなスキール音。身体全体に上から下へ突き動かされるような衝撃が走る。丈二はすかさず、胸元のガードルートに声をかけた。

「――ガー子」

「大丈夫……っ」

怪我はないらしい。丈二がガードルートの細い身体を引き離したところで、運転席の藤が早口に告げてきた。

「失礼いたしました。反応が遅れましたな」

 道路に横向きで停車したタクシーの車内から、丈二は外を窺う。

差し掛かったヘアピンカーブの先で、進路が封鎖されていた。積まれた土嚢と看板。『ただいま工事中』の文字。

無論、ここに至るまで一切の標示はなかった。現在道路を管理している会社がないとはいえ、事前に経路の確認をしている警察が知らない訳がない。

――何者かによって、つい先ごろ意図的に封鎖された。

それを疑う間もなく、後方からこちらへ向かってくる走行音が聞こえてきた。

やってきたのは、丈二たちのように行く手が封鎖されていることを知らない只の哀れな一般人か、それとも。

「フジさん、Uターン」

「はい」

指示を最後まで聞く前に、藤は手早くステアリングを回していた。カーブ手前で横向きになった車を、先ほどと反対の車線に戻し発進。

逆戻りする最中、白のワンボックスカーと一瞬すれ違う。後ろから迫ってきた走行音の正体だろう。ワンボックスカーはそのまま封鎖されている道路へ進んでいったが、急停止をすることなく、そのままUターンして丈二たちのように元来た道へ戻った。

まるで事前に封鎖を知っていたかのように、淀みのない走行をするワンボックスカー。

それをサイドミラーで眺めながら、丈二はカフスフォンへ尋ねる。

「テッちゃん、この道は?」

『つい十分前にこちらが先行したときは、不審な障害物の類は一切なかった』

「なるほどなるほど。ってことは、噂をすればってことね」

 丈二の口の端に笑みが浮かぶ。サイドミラーに映る白い車体を、長年待ちわびた仇敵のように睨んだ。

「――来たな、〝ストーカー〟」

隣でガードルートが小さく身じろきする。その呼称は、ガードルートにとって恐怖の名前に他ならない。

状況を把握した鉄間の声がにわかに緊張を帯びた。

『――すぐにそちらに五台回す。それまで耐えて欲しい、桑畑丈二』

「おう、頼んだテッちゃん。それまでこっちで上手くやるよ」

鉄間との通信を一旦切る。すかさず、ミラー越しに藤が視線を寄越してきた。

「振り切りますかな?」

「いいや。下手に速度上げれば、撃ってくる可能性がある。警察のダミーパトは、探りを入れようとスピードを上げた直後に機関銃でタイヤを狙われたらしい。そのままの速度を保って。まだあちらさんは、これにガードルートが乗っている確証がないみたいだ」

 了解、と運転席から返事。丈二はガードルートに向き直った。

「ガー子様、シートベルトがっちりお願いしますよ」

「わかってる」

不満げに言いつつ、ガードルートはしっかりとシートベルトを装着しなおしている。

明らかな追跡を受けつつも、タクシーは素知らぬ顔で飄々と走行を続ける。ここはあくまで、自然にやり過ごす。丈二の指示を、藤は忠実に守った。

緩やかなカーブを何度も曲がっているうちに、ほどなくして最初のインターチェンジの看板が目に入った。降りて、と丈二が指示すると、藤はそのとおりにウィンカーを上げて徐々に速度を落とす。追跡車が後をついてくる気配はない。

そのうちに、タクシーは無人の料金所を抜けた。周囲に他の車の気配はない。そのまま国道へと進路を向け、タクシーは走り続ける。

「もう大丈夫?」

「まだだ」

 きょろきょろと首を巡らせるガードルートの頭を、丈二は手で向き直らせた。やめろ、と不満げに反抗するガードルートを無視しているときに、

「丈二さん、おりましたよ」

藤が顎で示した先を見やり、丈二は目を細めた。

「――いた」

 進路上、およそ百メートル先。目だし帽を被った三人の人影が、道路に立ちふさがっていた。その手にはいかつい銃がある。

身長からすれば男だろうが、横幅もなく、いずれも貧相な体格をしていた。MINMI(ミニミ)というマシンガンで武装しているが、その手つきはいかにも慣れていない。こんなところでマシンガンを構えているより、書類の束を抱えて机に向かっている方が似合いそうだ。

同じことを思っていたのだろう、運転席の藤がふっと微笑んだ。

「やれやれ。急ごしらえにもほどがありますなぁ」

「全くだね。フジさん、いつものお願いしますよ」

「はい。任されました」

返事をした藤は、ゆっくりと減速を始めた。道路に現れた男たちを怪訝に思いつつも、とりあえずは指示に従う、という素振り。

その間に、丈二は自前のアタッシュケースを膝の上に載せた。静脈認証によりロックを解除。中を開く。

護衛の必需品の詰まったこのアタッシュケースの中には、ガードルート曰く〝いんちきくさいマジックに使いそうなもの〟が顔を揃えている。ドデカいサングラス。金属製のバッグハンドル。錠剤の詰まった瓶。花の種。盗聴器。ガードルートのおやつ。

それらを全て、丈二は一旦取り出した。

隙間なく詰められていた荷物が無くなると、空っぽのアタッシュケースだけが残る。

丈二はケースの内側、底の部分にバッグハンドルを装着した。かちり、と音を立てて、ケースの内側と垂直になる形でハンドルを取り付ける。

これでよし――準備を終えた丈二が一つ頷くと、その裾を小さな手が引っ張った。

「ジョウジ……」

ガードルートだった。

視線は運転席に向けながら、続く言葉もなしに丈二の服を掴んでいる。

丈二はその小さな手と、強張った横顔を見比べて、

「怖いのか?」

 言うと、ガードルートは慌ててその手を離した。

「ち、違う! そういうんじゃなくて……」

 甲高い声を上げかけたガードルートを、藤が遮る。

「お取り込み中のところすみません、お二方。そろそろ連中と接近しますのでお静かに」

「うぃーす」「はぁい……」

 注意された二人は大人しく黙る。

ほどなく、タクシーが停車した。道路に立ちふさがった男たちがこちらへ近づく気配がする。

にわかに緊張が走った。静まり返った車内で、シートベルトを外した丈二の手を、ガードルートがつつく。

「気を、つけてね」

 ――丈二は胸に手をあて、恭しく頭を下げてみせる。

「ご心配ありがとうございます。プリンセス・ガードルート」

「気持ち悪い」

 憎まれ口を叩くガードルートを小突きつつ、丈二は窓の外の様子を油断なく窺う――。


フロントミラーの外で、男たちが藤に車を降りるよう手振りで指示している。

藤はシートベルトを外し、指示どおり車外へ出た。仕切り版型マジックミラーのお陰で外から丈二とガードルートを目視することは出来ない。藤一人が降りただけで、男たちはそれ以上追及しないようだ。

「特区住民用のIDを出せ、じいさん」

「ほぅ」と藤はいかにも不服そうに首を傾げながら、己の懐に手を伸ばした。「はて。わたしもこの十一特区に住んで長いですが、一般人が検問をやるなど、聞いたことがありませんなぁ」

「すぐに終る。いいから早くしろ」

 急かされながら、けれどのんびりとした手つきで、藤はIDカードを取り出した。

それを男たちが覗き込んで交互に検めている。写真と藤の顔を何度も見比べたあとで、中心の一人が呆れたように声を上げた。

「見ろよ、この爺はオレたちと同じ十一特区の人間だぞ。敵のガードルートを乗せている訳がないだろ」

 その言葉を皮切りに、他の男たちもそうだ、違いない、と口々に言った。

「すまんね、爺さん、疑ったりして。こっちも必死なんだ」

男はIDを藤へと差し出し、申し訳なさそうに頭と銃口を下げた。ついでに自分たちの姿では謝罪の意味がないと思ったのか、目だし帽を外し顔まで晒している。アジア系の、冴えない顔をした中年の男たちだった。

受け取ったIDを懐に仕舞いながら、藤は変わらない笑顔で応じる。

「いえいえ。プリンセス・ガードルートを探してるんですかな?」

「もちろん」

と言って、中心にいる口ひげの男は首を竦めてみせた。

「プリンセスへ危害を加えるのは重罪になるってことは承知なんだけどね。こっちは後がない。【舞闘会】じゃクラリッサはガードルートに勝てないだろうから、俺たちがなんとかしないとな。汚染区行きはごめんだ」

「えぇえぇ、わかりますとも」

 ほどほどに話を合わせて、藤が切り上げようとしたとき――。

「――おい、待て」

中年の男たちの後ろから、新たに三十代程度の男二人が現れた。

一人は禿頭。一人は短髪。目だし帽連中と同じアジア系だが、明らかに雰囲気が違う。ルガーをちらつかせながら、張り詰めた雰囲気を漂わせていた。

「この役立たずどもが。検問の意味がねェ。車ン中は全部確認するように言ってんだろうが」

 禿頭の高圧的な物言いに、中年の男たちが不服そうに反論した。

「そんなこといっても、この爺さんのIDは本物だよ。クラリッサの特区の住民が、ガードルートを匿うもんか」

 しかし禿頭がにべもなく一蹴する。

「これだからニワカどもは使えねぇ。プリンセスのスタッフは、俺らみたいなのを撒けるように全部の特区の偽造証もってンだよ」

無言で顔を合わせる中年の男たちの間を掻き分け、禿頭が藤に詰め寄った。見せつけるようにゆっくりとルガーの銃口を向ける。

「おいジジイ、タクシーのロックを外せ。全部だ」

藤はわずかに戸惑う様子を見せながら、自身のポケットを探った。電子キーを取り出し、タクシーへと向ける。

「はぁ……。では」

がちゃり、とロックが外れる音。短髪の男がタクシーの後部座席の扉を開けた、


 瞬間、丈二の掌底が男の顎を正確に打ち抜いた。


「がッ!!!」

 短い悲鳴を上げて、短髪が崩れ落ちる。

一方、禿頭の男の反応は早かった。藤に向けた銃口をそのまま丈二の頭へスライド。寸分の躊躇いもなく発砲する。

――その銃弾を、丈二はアタッシュケースで弾いた。

男たちが絶句する気配。

一見、ただの鞄でしかないアタッシュケースは、銃弾を弾く盾となって丈二を守った。

「てめえ……っ!!」

一瞬呆けた禿頭が銃を構え直すより、丈二がその眉間にグロッグを突きつける方が早かった。

「おいおい、いつから日本は銃社会になったんだよ。おっかねーなぁ」

「……っ、くそが……っ」

相方の短髪は倒れ、使いっぱしりの中年たちはすっかり丈二に怯え、他に頼るべきもののいなくなった禿頭は忌々しそうに歯軋りをする。

――丈二は、ものすごく良い笑顔を浮かべ、

禿頭の側頭部に、裏拳を叩き込んだ。

「……がっ……」

ガードをする間もなく、禿頭はあっけなく昏倒する。どさりと音を立てて、男の身体が地に臥した。

「ひ、ぃいいいいい……!」

一部始終を見ていた中年男たちは小動物のように怯えている。丈二は悲鳴を上げる三人に詰め寄り、笑顔を向けた。

「どうも、お父さんたち。こんにちは」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……! 俺たちは……」

「わかってる。こいつに唆されたとか言うんでしょ。言い訳は警察によろしく」

中年たちは互いの目を合わせ、へなへなと座り込む。肩にかけたマシンガンの存在などすっかり忘れたようだ。

脅威が完全に取り除かれたことを確認して、丈二はタクシーへ向き直った。立ったままの藤がにこやかに笑いながら、先ほど丈二が貸した盗聴器を返してくる。

「完璧でしたな、丈二さん。盗聴器の感度も上々のようで」

「連中とのやり取り、ばっちり聞こえてたからな。また何かあったらこの作戦使ってみようか」

「かしこまりました」

 藤との会話もそこそこに切り上げ、丈二はカフスフォンの通信を再開。鉄間警部補に繋ぐ。

「テッちゃん、モグラ二匹にネズミ三匹、適当に置いてくから、あと片付けといてね」

『了解、桑畑丈二。ご苦労だった』

通信を切る。男たちはここに捨てておけば、あとは警察がなんとかしてくれるだろう。手錠を持たない護衛官にこれ以上出来ることはない。

そして、丈二は悠々とタクシーに乗り込んだ。後部座席のガードルートは、知らん顔で携帯ゲーム機を起動させている。

「お待たせしました、ガー子様」

「ご苦労」

 答えは素っ気無い。丈二はガードルートの顔を覗きこんだ。

「心配した?」

「ぜんぜん」

「本当は?」

「全く」

「またまたぁ。銃声聞こえたときこっちチラチラ見てたじゃん。本当は心配してたんでしょ?」

 指摘すると、ガードルートは顔を真っ赤にして脛にガシガシと蹴りをいれてくる。

「――うざい!」

 二人のやり取りを尻目に、運転席に乗った藤が後部座席を振り返って言った。

「さあお二人とも、発車いたしますよ。シートベルトをお願いいたします」

「うぃーす」「はーい」

 プリンセスを乗せたタクシーは再び、一般道を走行し始めた。

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